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ゴールデンウィーク、5/4に息子の匡志と久しぶりに車中泊に行ってきました。前から来たかったたつの市の「道の駅みつ」さすが、晴れ男大阪より午後出発。16時過ぎに到着。高速道路で、約2時間。ゴールデンウィークの駐車場はもちろんチョー満車。晩飯は名物の海鮮BBQを食べたかったのですが、15:00で終了。レストランに変更。ラストオーダーが17:00という道の駅あるある(笑)。ならば早めに夕食をと。匡志は「ふわっと穴子膳」。ワシは「お造り7種
艦橋艦尾の信号櫓を0.3mm真鍮線、0.2mmピアノ線、伸ばしランナーで作り替えて見ました。精度が悪いですが、塗装すればそれらしく見えるはず。艦載機の製作も進めます。今回は真珠湾攻撃の第二次攻撃を再現してみます。九七式艦上攻撃機は27機です。キットは4機しか入っていないので、静岡模型教材協同組合1/700ウォーターライン日本艦載機前期型を6箱購入しました。零戦は、護衛として2機です。表面処理を終えました。
護衛艦「かが」と日本海軍の空母加賀の比較護衛艦かが空母加賀竣工年月日2017/3/22就役2023/11/20空母化完了1935/6/25一段甲板への大改装完了基準排水量19,500トン38,200トン満載排水量26,000トン42,541トン全長248.0m247.65m最大幅38.0m32.5m機関出力112,000馬力125,000馬力最大速度30.0ノット28.3ノット搭載機F-35B零式艦戦
まえに缶コーヒーのオマケに付いていた海軍機奥左から九九式艦上爆撃機二二型、艦上爆撃機彗星三三型手前左から零式艦上戦闘機二一型、二二型、、五二型、局地戦闘機紫電二一型甲(通称紫電改)彗星といえば液冷発動機を積んだ流線形のイメージが強いですよね。ダイムラーベンツのエンジンをライセンス生産した液冷式「熱田型発動機」は小型機用発動機の中では強力な物ではありましたが、当時日本の技術では難しく不具合の頻発・生産の遅れから、空冷式「金星六二型」を積んだのが彗星三三型です。
2024/09/10ハセガワの1/72「九七式三号艦上攻撃機」を作っていきます。ハセガワのA帯でも三人乗りと異色です。艦上攻撃機ですが、魚雷を抱えています。1941年の真珠湾攻撃では三号143機が出撃(内800キロ爆弾1発、または250キロ爆弾2発、または250キロ爆弾1発と60キロ爆弾6発を装備した水平爆撃隊103機、九一式航空魚雷改を搭載した雷撃隊40機)し、雷撃隊はアメリカ海軍太平洋艦隊の戦艦4隻を含む6隻の艦艇を雷撃し魚雷36発を命中させています。コクピットから作っていき
SORAかさいに昨日にまた行ってきた。紫電改と九七式艦上攻撃機の実物大模型がある。その横に歴史ゾーンがあり、姫路海軍航空隊の歴史を知ることが出来る。神風特別攻撃隊白露隊の63人の氏名や下は17歳からの年齢が記されていた。そして20数名の寄せ書き等。白露隊は練習中の訓練生も含まれる。どういう情景があったのかは知らない。志願したのか命令されたのかも知らない。ただ拒否することはできなかった…らしい。戦争は何があってもやっちゃアカンと思う。
兵庫県南西部は内陸部地域的には東播または北播となります広大な平野の広がります市域平和の象徴ともいえる気球の飛行に適しているともいわれ姫路海軍航空隊鶉野飛行場が設けられた地ちょいと歴史探訪してみました飛行場の跡地周辺には今なお残る戦争遺構コンクリート造の掩体壕やら防空壕に施設と思しき建造物ほとんとが土に埋もれた状態ですね市政と私制の混沌とした歴史を物語る施設祖国を護るためには必要不可欠の軍備これからの未来にも起こりうるであろう大切な国
こんにちは。というわけで、またまた作りかけの赤城飛行隊長・淵田中佐機を完成させましたハセガワ1/72日本海軍中島B5N2九七式三号艦上攻撃機プラモデルA7Amazon(アマゾン)前回飛龍搭載機を作った際に見かけて、ぼんやりと作ってみたいな~とは思ってたんですが、今回は保安塗装機を作る気でいましたなんとなく、ここで作らないのは惜しいと思い淵田中佐機としました昭和17年4月というと、ちょうど連合艦隊がインド洋で英・蘭・豪海軍相手にボロカスに戦果を上げ
こんばんは。密かに昨日、ハセガワのナナニー九七艦攻をJoshinで購入してましたホビサで未定再販かかったのに焦ったのもあります今日も!元気に!頑張ります!!!と、仕事終わりに製作開始すぐに形にはなりますねバリも前回に比べれば少なめでした保安塗装機にしようと思ったらまた魚雷を積んじゃったので、艦攻隊のエース淵田中佐機にします余談今日は暑い中水分も摂らずに肉体労働してました身体を限界まで追い込んだ後に飲む冷たいドリンクは最高すぎますタリーズでもブラッドオレンジジュースのグランデ
7月7日七夕加古川の河川敷に、夕涼み夕方は、暑くなくて、風も有りお散歩には良い条件でした~加西市の鶉野飛行場(うずらのひこうじょう)滑走路跡へ一度、訪れたかった所だったので(加西市のホームページ内容)↓鶉野⾶⾏場跡は、第⼆次世界⼤戦時、戦局が悪化しはじめた頃、パイロットを養成するために設置された旧⽇本海軍の練習航空隊の飛行場跡です。正式名称は「姫路海軍航空隊」であり、地元では鶉野⾶⾏場と呼ばれています昭和20年2月、姫路海
記事を書いてる途中で忘れて更新していませんでしたが、、、5月26日のプチツーリングになりますメンバーはA氏、親父、僕で〜もともと行く予定ではなかったのですが、今朝になって親父から「A氏来るで〜」えぇ〜。。。クリヤ塗装だけしないとあかんから1時間だけ待って!いつもより早めに店へ行き、クリヤ塗装をしながらセッティングタイム中にツーリング準備急遽参戦しましたもともと行く予定だったうどん屋さん「綱屋」で昼休憩〜とても美味しかったです!また行きます〜このあとの予定はなくて、ぷら〜っとどこ
お疲れ様です。桜の写真見せて!河津桜『アレンユーレカ…&河津桜…&オリーブ…』お疲れ様です。料理にオリーブオイルよく使う?どの時に使うのかわからんです…(汗)▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようまた行きたいですねぇ…ameblo.jpおの桜づつみ回廊『反対…色&逆さ…桜&逆転…報徳』お疲れ様です。フランスと聞いて思い浮かぶのは?トリコロールの国旗ですねぇ〜青は自由を白は平等を赤は博愛をフランス国旗の由来フランス三色旗の歴史は、実は今でも学…ame
吉村さんはあとがきで、‘短篇を書くことはまことに苦しいが、私の生きる意味はそこにこそある’という。厳冬の日に滝に身を打たれるようなひきしまった気持になるとも。本書には7篇の短篇を収録。裏表紙には‘不可解な謎を秘めた人の生の奇妙な一面をみごとに掬い上げた文学作品に結実させた’とある。歴史小説しか読まない、とまではこだわっていないけれども、時制が現在の吉村さんの本を俺は読んだことがない。本書は表題作はもちろん戦中のはなしだろうので読み始めたのだが、意外や最初の篇は現在が舞台。その他も時制は
お疲れ様です。アレンユーレカ『アレンユーレカ…&河津桜…&オリーブ…』お疲れ様です。料理にオリーブオイルよく使う?どの時に使うのかわからんです…(汗)▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようまた行きたいですねぇ…ameblo.jpからの…soraかさいsoraかさい加西市地域活性化拠点施設soraかさいは、第二次世界大戦末期に組み立てられた「紫電改」「九七艦攻」の実物大模型ほか、姫路海軍航空隊の開隊から終戦までのストーリー映像を展示しています。www.so
先日、姫路の友達2人と「兵庫県立フラワーセンター」(兵庫県加西市)に行ってきました。目的は、食虫植物展。途中、「soraかさい」(兵庫県加西市)に立ち寄りました。この施設は、旧姫路海軍航空隊鶉野(うずらの)飛行場の跡地にあります。鶉野ミュージアムでは、技術ゾーンとして、戦闘機「紫電改」と「九七式艦上攻撃機」(特攻隊機としても使用された)の実物大模型が展示されています。歴史ゾーンとしては、鶉飛行場建設開始から終戦までの、約3年間のトピックスを時間軸に沿って展示されています。(撮影禁止)
厚さ6㎜ほどの私家本。‘栗村正教五十回忌追悼集’とある。知り合い経由、ヘンな縁で俺の手元にやってきた。発行時に持ち主さんに送られてきたままの手書きの手紙が挟まれていて、‘分家の正教氏が戦死して今日で五十年’とある。編んだ栗村好氏は会津若松市にお住まいで、正教さんも同郷。喜多方、福島などに在住の正教さんと交友があった友人、親類の回顧談が多く、それに好氏が少々の資料を加えるかたち。写真では海軍士官の軍装で誇らしげな正教さんを囲む親類面々。面会でのお母様のこわばったお顔が戦況を物語ってい
日本海軍における“機動部隊”とは、空母(航空母艦)を主力として駆逐艦などを護衛にともなった艦隊で、艦載機による機動的な攻撃で敵に打撃を与えることを任務としていた。昭和16年(1941年)12月8日、日本初の機動部隊である第一航空艦隊は、空母6隻の艦載機350機をもってハワイ真珠湾を奇襲攻撃し、アメリカ太平洋艦隊の戦艦群を一挙に壊滅させた。この複数の空母を集中して攻撃に投入するという戦法は、世界の海軍関係者に衝撃を与えた。それまでの空母といえば、戦艦などの艦隊に1隻程度が
6月に入り、そろそろトキソウが咲いているかなと思い、加西の網引湿原を散策してきました。また、そのついでに、周辺の気になっていた所をいくつか巡ってきました。まずは、法華山一乗寺。西国二十六番、天台宗のお寺です。三重塔と本堂。三重塔は平安末期、1174年に完成したそうで、国宝に指定されています。本堂(裏側)。本堂は江戸時代初期に再建されたもので、重要文化財に指定されています。裏から上がって、表に回り込んでお参りするようになってい
5月21日(日)に行ってきた。お目当てはもちろん、紫電改と九七式艦上攻撃機の実物大模型である。数年前から気になっていたのだが、ようやく見に行くことができた。鶉野飛行場には、大きく2つの役割があった。1つは、川西航空機の生産拠点として、紫電、紫電改の製造をすること。もう1つは、海軍の航空基地としての役割で、訓練基地、後に特別攻撃隊の出撃拠点にもなった。訓練基地ということで、運用されていたのは、九三式中間練習機と九七艦攻。そういった経緯もあって、紫電改と九七
よぴです(o^^o)ほぼ、週一ブログになってるよぉなぁ~(^^ゞこんなアタシですが、生ぬる~くよろしくです!さ~て、ド田舎で零戦に会ったのは、4月初め「Soraかさい(鶉野ミュージアム)」2022年4月18日にオープンした地域活性化施設ココ、兵庫県加西市にある「鶉野飛行場跡」は第二次世界大戦末期、パイロットを養成するために設置された飛行場跡現在も、滑走路は空き地として残っているの↓その滑走路の端に出来た施設が「Soraかさい」第二次世界大戦末期、
1941年(昭和16年)12月6日。真珠湾攻撃に向かう空母《加賀》の艦上にて九七式艦上攻撃機と搭乗員たちの記念写真。空母加賀から飛び立った搭乗員たちの内戦死者は第一次攻撃隊17名。第二次攻撃隊14名。計31名。彼らは加賀に帰れたのだろうか・。
高1の時、幼馴染に誘われてアルバイトに出かけました。作業に対しその真面目な(?)態度に好評を得たのか皆さんに可愛がられ、結局大学を卒業し就職する前日まで春・夏・冬休みにバイトを続けました。就職先はその業種なのですが、最初に赴任を命じられたのはバイトをした職場ではなく他の地域で、それ以来二度の転勤を経て三度目でバイトをしてた職場に戻ってきました。しかしあれから18年の年月が流れ当時の職員の皆さんは転勤・退職等で再び一緒に仕事をする機会はあ
今回も引き続き、帝国海軍の九七式三号艦上攻撃機です。九七式一号/三号艦上攻撃機は、日本海軍としては初の全金属製の低翼単葉機であり、国産単発機初の引込脚を採用していました。それまでの九六式艦上攻撃機に比べ、最高速度は約100km/hも向上しました。乗員は3名で、中島飛行機で開発された一号/三号艦攻と、三菱製の二号艦攻の二種類があり、中島製一号艦攻は1937年に初飛行しました。一号の光エンジンを栄エンジンに変更したものが九七式三号艦上攻撃機として採用され、主力型となりました。
今回ご紹介するのは帝国海軍の九七式艦上攻撃機です。知ってる方も多いと思いますが、旧海軍の艦上機について一応おさらいです。艦上戦闘機:基地が空母に変わっただけで単座の陸上戦闘機の任務とあまり変わりません。艦上攻撃機:三座機で魚雷を用いた雷撃、徹甲爆弾を用いた水平爆撃を行います。艦上爆撃機:複座機で急降下爆撃を行います。海軍では急降下爆撃が可能な機体のみを艦上爆撃機・陸上爆撃機と呼称しました。真珠湾攻撃のフィルムでは必ず九七式艦上攻撃機が写っています。これは、真
京都道の駅ガレリアかめおかで車中泊…兵庫県で紫電改と九七式艦攻の動画撮りました~後は帰るだけ紫電改(実物大レプリカ)九七式艦上攻撃機(実物大レプリカ)太平洋戦争soraかさいyoutu.be今回の車中泊旅で目的が四つありまして…九州で人に会う(✕)青い温泉に入る(○)戦闘機震電を見る(○)九七式艦上攻撃機を見る(○)でした~十分に満足出来る旅でした~九七式艦上攻撃機は製作された日本立体さんで見ましたが、吊るされた状態では無かったので、気付かなかった主脚周りを今回見られ
soraかさい:とも鶉野飛行場跡に新たに出来たsoraかさいに行ってきました。以前は、第1、3日曜だけの展示でしたが、毎日見ることができるようになりました。紫電改と九七式艦上攻撃機が展示されてました。早すぎたのかカフェはまだ営業されてませんでした。lineblog.me新しいカメラで全体を撮影これがしたかったsoraバーガー:ともsoraかさいでsoraバーガー食べました。ハンバーグで美味しかったですlineblog.me
8月20日(土)「soraかさい」プレオープンの日に特別招待という形で一般公開に先駆けて入館させていただいてから早や4か月です。日頃からお世話になっている上谷昭夫氏の講演会に行ってきました。会場は「soraかさい」内の多目的室です。講演の内容は「知られざる姫路海軍航空隊の二年間」鶉野飛行場建設から終戦までをパワーポイントを使って詳細まで。。。同時に絵画展も催しされていました。残念ながらこの特別展は本日20日まででした。
昨日、行ってきた「SORAかさい」鶉野飛行場跡にあります第二次世界大戦の時戦局が悪化した頃にパイロット育成の為に作られた飛行場跡「九七式艦上攻撃機」と「紫電改」実物模型の戦闘機歴史ゾーンもあり貴重な資料と共に開戦から終戦までの流れを映像で紹介されていますこちらの画像は拝借ですそしてこの辺りには防空壕など沢山残っている事に今回初めて行って知りました今、見るとなんて無謀な事と思いますが当時はそうでないんですよね巨大防空壕の中ではシアターとして活用し当時のここ
saraかさい兵庫県加西市鶉野飛行場跡@2022/07九七式一号艦攻一一型B5N1中島製/下から眺望すると、もの凄く大きく見える15m超のウイングスパン鶉野飛行場跡では2019年6月以降、紫電改の実物大模型が敷地内の防災備蓄倉庫で公開されていましたが、2022年4月に地域活性化拠点施設「soraかさい」にリニューアルオープンし、紫電改の実物大模型に加えて、九七式一号艦攻一一型の実物大模型が追加されました。因みに、九七式艦上攻撃機の実物大模型は、茨城県小美玉市の株式会社広洋
紫電改太平洋戦争に於ける日本海軍最終最強の切り札と言われる戦闘機ゼロ戦が陳腐化した太平洋戦争最終段階に開発されて量産にこぎつける前に終戦を迎えた幻の局地戦用戦闘機紫電の改良機で紫電改と名付けられた製造したのは川西航空機(現新明和工業)現存するのは4機のみ日本にはたった1機愛媛県の紫電改展示館に墜落した機体を引き上げて展示されている去年見に行って大いに感動した!『2021高知足摺の旅2(紫電改展示館)』市電開店時間ではなく紫電改展示館に行きました(GoogleIMEの