さっき嫁さんが🎵ゆーきやこんこん、あーられーやこんこん🎵、なんて歌ってました。そしてカッパはんの記憶がまた1つ、フラッシュバックします。カッパはんの父親は証券マンでした。幼少期より父親の転勤に付き従い各地を引っ越しました。幼稚園が二回、小学校も二回変わっています。これは小学三年生の時に、横浜から愛媛の松山に転校した時の記憶です。松山といっても郊外の「久米」という、田んぼしかないような田舎でした。10歳に充たない子供には過酷なカルチャーギャップだったなぁ。大人になってから思い返しても、今ですら憎悪