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先日書いた、八坂神社の内容に随身がありました。随身とはなにかを調べると、天孫降臨のとき天忍日命および天久米命が先に立ったさまをうつしたともいう。と、ありました。この、天久米命について調べると、久米性のルーツのようです。久米一族については、石井町の久米勝夫氏により全国の久米氏を調査したそうです。昭和55年時点で全国の久米姓は5461戸、徳島県には540戸と10%もの割合でした。徳島県内では徳島市と石井町に集中しているとのこと。さらに、気延山を挟んだ北を「久米の庄」と呼んだ
拙ブログでは、2年以上前に書いた久米若女から見えてくる久米の歴史|で、桓武天皇-Wikipediaの次の注釈を引用しました。当時の皇子女の諱は乳母の氏名(うじな)が採用される慣例であったため、「山部」という諱も山部氏の女性が乳母であったためと思われ、その場合の乳母は山部子虫であったと推定される(佐伯、『新撰姓氏録の研究』)。以前は、引用元の書籍で確認するのは難しかったのですが、国立国会図書館デジタルコレクションの送信サービスのおかげで自宅で拝見出来ましたので、ここで紹介します。
このブログを始めた1番の理由は、昭和五十年に今泉宏氏によって発行された『久米一族の系譜』に掲載された「久米姓の家紋」に値打ちを感じたからです。編者が日本系譜出版会のこの本は、出版前に少なからぬ家に家紋などを尋ねる手紙を送ったようで、我が家は、返事と同時に購入の申し込みをしました。父は先祖に対して強い興味を持っていましたので、期待も大きかったと思いますが、表表紙には『久米一族の系譜』と記した紙が貼られているものの、内表紙には『義光流と異流の諸氏族』と印刷され、これが本当の