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外遊中にアメリカの空港に立ち寄った小泉セクシー防衛大臣が、このような話をしています。アメリカの大きな空港には、退役軍人の写真が壁に貼ってある。日本のために活躍してきた自衛官も、このような形で感謝やリスペクトを表したいと。あなたのパパによってサマワに派遣されて、命掛けの任務を強いられた隊員たちのことも忘れないでね。それはともかく軍人の写真で思い出したのが、戦後、軍国主義を懐かしがらないようにと、GHQの司令によって撤去させられた日本軍人の銅像。かつては万世橋駅前にあった、日露戦争で活躍し、『
2月7日に滋賀県近江八幡市の安土に行きました。何故安土に行ったのかというと、MAISONHIBINOでランチを食べるためでした。『MAISONHIBINO』오늘은제생일입니다.그래서2月7日に近江八幡市のMAISONHIBINOにランチを食べに行きました。和の趣きを感じる空間で味わう滋賀近江八…ameblo.jpでも、MAISONHIBINOを知っていて、HIBINOのランチを食べたいと思ってはるばる安土まで行ったのかというとそうではありません。
明治から昭和を駆け抜けた櫻井忠温。その足跡を、主に自伝「哀しきものの記録」から辿った。明治12年(1879)6月11日、伊予松山藩士・櫻井信之の三男として生を受けた。母・カズと共に教育に厳格なる家に育ち、日清戦争の最中に松山中学へと進む。その後、明治37年(1904)には、25歳の若さで日露戦争に出征し、旅順要塞で死線を越え、奇蹟の生還を遂げた(前出拙ブログ火葬④)。昭和5年(1930)に軍役を解かれるまで、第一次世界大戦やシベリア出兵を経験し、大東亜戦争の敗戦によって帝国陸軍
[軍人像]西田澤八幡宮青森県青森市西田沢興津24-5御祭神:譽田別尊、高龗草創年月不詳、寛永10年(1633年)村中にて再建。三ノ鳥居*この軍人像・・・誰かしら?*日露戦争関連の碑かと思いきや、北支事変・・・*モデルは乃木希典大将かな?陸軍の肋骨制服。この肋骨制服は明治41年に廃止されたので日露戦争時のものと思われる。後日訪れた乃木神社(下関)の宮司様にお尋ねしたところ、「お顔は乃木大将です。ですが、乃木大将は幼少期に片目を失明しているため、双眼鏡では無く単
ご訪問ありがとうございますSnowBelleゆきりんですプロフィール①②【2026.1東京ひとり旅】前回までの記事はこちら『【柴又帝釈天と山本亭】下町情緒に触れる』ご訪問ありがとうございますSnowBelleゆきりんですプロフィール①②【2026.1東京ひとり旅】最初に向かった神社仏閣は柴又帝釈天■東京都葛飾区柴…ameblo.jp『【馬橋稲荷神社】双龍鳥居とねずみちゃん』ご訪問ありがとうございますSnowBelleゆきりんですプロフィール①②【2026.
桜井精霊神社は、名鉄西尾線:桜井駅から北東へ600m、ジョーシンの対面に鎮座されます。旧桜井村で建立された招魂社です。鎮座地:安城市桜井町城阿原51-3左に手水鉢。右に英霊の御名前が刻まれた石碑。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー由緒櫻井精霊神社は村民相謀り村内出身の戦没者二百六十余柱を合祀しその功績に報い、感謝の微哀表せむとして昭和30年4月新に創建するところなり。構内孤陽静寂にして実に
1月は「いぬる」(広島弁帰る・戻るの意味)2月は「逃げる」3月は「去る」祖母が良く言っていた言葉である明治38年西暦1905年生まれの祖母オレと50歳違う祖母はバリバリの明治オンナ乃木希典と村田英雄が大好きで良く古くさ~と思うような小言を頂いた「履物を揃えんちゃいちゃんと揃えて脱げば心も揃うんよ」「男の子が泣いたらいけんよ泣くときは母と友が逝った時だけじゃけ~ね」「台所をうろうろしなさんなみっともないよ」「掃除は汚れる前にしんさいよ」等祖母の小言はたく
西田幾多郎の「善の研究」が、意外にも、相当、面白かったので、しばらく、読むのを中断していた、プルースト「失われた時を求めて」の読書を再開。失われた時を求めて(3)――花咲く乙女たちのかげにI(岩波文庫)Amazon(アマゾン)岩波文庫版第3巻「花咲く乙女たちのかげに」。の、まだ、始めの方。第1編「スワンの家のほうへ」の第一部「コンプレー」の中で、スワンが、オデットと結婚をしていて、ジルベルトという娘が居ることは、すでに、登場している。そして、時間は遡り、第2部「
【中古】「坂の上の雲」に隠された歴史の真実/福井雄三/主婦の友インフォス[文庫]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】楽天市場数年前に坂の上の雲を読破した私としては、読まずにいられなかった。私も「坂の上の雲」での乃木希典大将の描き方に納得できなかったから。読んでみて、実に面白かった。坂の上の雲の話を一つ一つ潰していくのかと思いきや、何故かユダヤ教との関係が書かれたり。歴史研究家でも何でもない私には、どちらの言うことが正しいのか、双方正しいところもあ
前回からの続きです。迎賓館を見学した後は🏦青山通りに出て渋谷方面へ歩きました。以前青山通りを歩いたのはもう20年以上も前だと思います。🤔すると「とらや」の本店が!(↑)これは立派な建物ですねぇ~一瞬、「羊羹って、儲かるんだぁ!」といやらしい事を考えるオヤジ。😁「とらや」が明治維新の際に天皇を慕って京都から東京に移ったのは有名な話ですがこのお店、室町時代の後陽成天皇の時代から皇室御用達だったといいます。😲歴代当主から厚生大臣も輩出されているとか。すげ~な
まだ若かった頃、私は小田急線沿いに住んでおり、千代田線と直結しているので、六本木に用事がある時はたいてい乃木坂で乗降した。その地名はやはり乃木陸軍大将にちなむもので、殉死後に追悼して改名されたのであった。その人物をもう少し知りたいと思ったら、司馬遼太郎が小説にしていた。前半は軍人だった時のこと、後半は明治天皇とのことである。読んでみて、やはりなと思ったのは、日本軍は兵站と諜報に疎く、相手の軍備を見くびるところがあり、精神主義を重んじた。そして海軍と陸軍の間には意思疎通が欠け、互いにプライドばか
乃木希典(乃木大将)さん乃木希典(のぎまれすけ)幼名は無人(なきと)で、その後、源三と改め、頼時とも称した。後、文蔵、次いで希典と名を改めた。また、出雲源氏佐々木氏の子孫と称したことから「源希典」との署名もよく用いた。号としては、静堂、秀顕、石樵および石林子を用いた。軍人として高名になった後には、「乃木大将」または「乃木将軍」と呼称される。1849年12月25日生まれ、1912年9月13日、満62歳没。武蔵国江戸長府藩上屋敷(現:東京都港区六本木)生
うつし世を神去りましし大君のみあと慕いてわれはゆくなり今回、書こうとしている人物の辞世の和歌である。この人物は明治天皇崩御(ほうぎょ)を受けて、殉死の名の下に夫婦ともども自刃し、歴史の人となった。その血に染まった邸宅(港区赤坂8-11-32)までもが半ば神格化されて今も保存されている(実際、公園や神社が建っている)。この邸宅に行きたい旨を奥さんに告げると、「そんな気味の悪いところに子どもを連れていかないで(怒)」と、けんもほろろに拒絶された。結局、六本木駅で奥さんや
香川県善通寺市にある金倉寺(76番札所)の境内に「妻返しの松」というものがあります。金倉寺は明治陸軍善通寺師団初代師団長の乃木希典将軍が宿にしていたところです。乃木将軍の奥さまが、年末に突然会いに来たけど、「会わなくていいでしょう」と乃木将軍は言ったそうです、伝言を聞いた静子夫人が途方に暮れて、しばらく佇んでいたのが、この松(今は3代目だそう)の前だったので、「妻返しの松」と言われているようです。お四国参りをされている方は、納経をされたあとにでも、少し足を止めてみてはいかがでしょうか。
海軍料理邸松栄館舞鶴鎮守府初代長官東郷平八郎さんはじめ旧海軍御用達の老舗旅館今は「海軍割烹術参考書」の料理を再現提供する料亭です夕食に伺いますその前に2階の展示室を見学玄関には摩耶2階に上がる階段東郷平八郎さん絡み、乃木希典さん絡みの資料がぎっしりぎっしりすぎそして恥ずかしながら私は日本海海戦、旅順攻略のあたりのことはよくわかんない。帰ってから仲代達矢さん主演「二百三高知」観ました。少しずつですが勉強し始めております海軍の軍艦には菊のご紋明治天皇の勅語大
俳優の仲代達矢さんがお亡くなりになったとのニュースを見て、真っ先に思い浮かべたのが、上記の映画です。この映画が公開されたのは1980年。まだ中学生だった私は、戦争映画ということもあって、友だちとそのお母さんの3人で映画館に見に行った記憶があります。当時は冷戦の真っ最中で、ソ連大使館から反ソ的で帝国主義賛美の映画を日本がつくったなんて、批判されていた時代です。映画は仲代さん演じる乃木希典と、小学校の教諭ながら、下士官としてとして予備役招集された小賀武志少尉(演・あおい輝彦さん)の2人を主軸
近代日本画の幕開けを告げる代表作と言われている狩野芳崖(かのうほうがい1828‒1888)が晩年に描いた「悲母観音像」です。美術好きな人なら、いつかその本物を見てみたい、と思われるのではないでしょうか。芳崖は長府藩で代々絵師を勤めた家に生まれました。絵師の父・狩野晴皐(せいこう)の指導の元、幼い頃から絵の修行をします。彼には非凡な才能があり、御用絵師として必要な作画技術を元服(15歳)までにほぼ習得していたようです。その後19歳で江戸に出て狩野勝川院雅
陸上自衛隊善通寺駐屯地の敷地内に、乃木館と呼ばれる資料館がある。日露戦争中は旧陸軍第11師団司令部として旅順攻略にもあたっていた。初代師団長が乃木希典だったことから、ゆかりの展示品等の資料館となった。青いラインがアクセントになっている立派かつモダンな外観が印象的。OLYMPUSXZ-1建物は一見しただけでも相当な老朽が見てとれるが、それもそのはず、何と1898年に建てられたそうで約130年前の建物が現役で使われていると思うと、老朽化とい
三連休初日は心調不良が凄まじくて、1日飲まず食わずで寝込みました…今日23日は予定がありましたので朝ゆっくり目に起きて…用事の前に、近くの乃木神社参拝。神社側に結婚式が数件入っていましたので、白無垢の花嫁さんを見る事が出来ました😊乃木神社末社の「赤坂王子稲荷神社」境内摂社の「正松神社」御朱印は書き置きのみでした。摂社と末社はセットです。明治天皇崩御に伴う「御殉死」をされた乃木ご夫妻を生き様には現代の考え方とはかなり違う部分がありますがこちらの神社が長く愛され、現在も沢山の方々
香川県の善通寺は空海の誕生地として有名。境内は広く、ゆったりとしていて落ち着く。寺名が空海の父の名である善通(よしみち)からという説があるとは知らなかった。OLYMPUSXZ-1境内のトイレを借りたらこんなお札が。トイレの神様と言われる烏枢沙摩明王だと思われるが、さすが密教の聖地、トイレにまで霊験を及ばせるとは。OLYMPUSXZ-1善通寺から歩いてすぐそばのところに、戦没者を祀る香川縣護國神社がある。整備された広い敷地
印象に残っているのは、『新平家物語』の清盛と『二百三高地』の乃木希典で『新平家』の往生のシーンや『二百三高地』で「児玉、わしは木石ではないぞ!」と丹波児玉に喰ってかかるシーンあの虚空を見つめる目の演技がよかったどこを見つめていたか、分かるような気がするXわいわいさん
俳優、仲代達矢さんが亡くなりました。また、一人、「本物」の俳優が世を去ってしまいました。仲代達矢さんはお年を召しても俳優を積極的に続けられていてすごいなあと思っていましたが。数々の映画に出演し、素晴らしい演技をなさってこられた仲代さんですが。仲代さんといえば私にとっては映画「二百三高地」の乃木希典役が、一番強烈です。映画は日露戦争の激戦地、二百三高地を描いたもので、血がばんばん飛び散るわ、兵の体が爆弾で飛び散るわ、もう悲惨そのものの戦いで、おまけにすごく長くて(途中に幕間が入る
10月下旬の母とのおでかけ記録この日はランチスタートとなり私としては、お腹が減ってくるととたんにツノがニョキニョキしてきて放っておくと、そのうちに般若となってしまう母のそのツノの出具合を心配しなくてよいのでこの流れ(ランチスタート)はよいのではないかと思いつつランチのお店のすぐ向かいにちょっとした名所のような場所があったので立ち寄ってみました旧乃木将軍邸私は詳しくは知らないのですが帝国陸軍の乃木大将(乃木希典)の
青山霊園を後にし、旧乃木邸・乃木神社に参拝です。旧乃木邸旧乃木邸馬小屋乃木将軍と辻占売少年像乃木神社社号標鳥居赤坂王子神社鳥居北区の王子稲荷神社を勧請赤坂王子稲荷神社拝殿拝殿乃木神社明治四十五年(一九一二)七月三○日に明治天皇が崩御せられて、御大葬の日と決まった大正元年九月十三日。御霊轜(棺を乗せた車)が宮城を出発する号砲が打たれた午後八時過ぎに、ご祭神と静子夫人は先帝に殉じて自刃を遂げられました。御夫妻の忠誠心に感激した国民はこ
⛩️乃木神社(東京都港区)御祭神乃木希典命(のぎまれすけのみこと)乃木静子命(のぎしずこのみこと)⛩️赤坂王子稲荷神社拝殿の右には⛩️正松神社ここでも結婚式に遭遇彌榮
外に出るとポツポツと雨が降っている。あいにく傘をさすまでもない強さだ。駅に向かって歩く途中に本屋がある。気になってはいたが、いつも通り過ぎていた。ふと立ち寄ってみる。個人でやっている本屋というものは個性がでて大型書店とは違う面白みがあるものだ。どういう風に置かれて、どんな本があるのか、本好き、本屋ずきにはたまらない。最近は講談社学術文庫コーナーにすぐ行く。「乃木希典」を探しているのだ。なかなか、揃っていた。ただし「乃木希典」はなかった。大
久々に来ましたよ、乃木希典将軍の話しが~なんか、過去世で関係があったようなのですが、まだ思い出せないんですけど、すっかり忘れていた今日、知人に会うというのです。「この前、結婚式があって行ってきた神社って、東京の乃木神社なのよモモさん、きっとこの神社が好きだと思ってね、わたし、朝の5時半に参拝して思ったの」私「うわ~ぁ、久しぶりに来たね~乃木希典将軍」って、そこから私の知る乃木将軍の話しや、
最近インチキ霊能者、詐欺師スピラーが乃木希典(乃木神社)の事を書いていたが、乃木は、昭和天皇の家庭教師であり、陸軍大将であり、日露戦争に於いて旅順要塞陥落した英雄であります。然し乃木は日露戦争(旅順要塞攻略)で多くの兵士を死なせたこと(約16,000人)を明治天皇に詫びた際にも、乃木は自ら死んで責任を取ることを希望したが、明治天皇は乃木の心情に理解を示しながらも、今はまだ死ぬべき時ではないと乃木を窘め、どうしても死にたいのであれば自分が死んだ後に、という旨を述べて、その場は乃木の自殺を押し
日露戦争の旅順攻囲戦では乃木希典の下で第3軍参謀長を務めた、伊地知幸介の墓参りです。坂の上の雲では、村田雄浩さんが演じました。伊地知幸介薩摩藩士の長男として生まれる。明治12年砲兵少尉に任官。13〜15年軍事研修のためフランスに留学。17年陸軍卿で親戚に当たる大山巌の欧州巡遊に随行し、ドイツに留学。21年帰国。日清戦争では大本営参謀として各地を転戦した。英国公使館附武官、33年参謀本部第1部長などを経て、日露戦争では乃木希典将軍率いる第3軍参謀長として旅順攻撃に従事、力攻めにより多