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GWも終わりましたね!楽しく過ごせましたでしょうか。今日から現実に引き戻される方も多いのでしょうね!私は仕事もちょこちょこと挟んでいたりしましたが家族とBBQをしたり楽しく過ごしました最後の鹿島神宮のブログです。正式には鹿島神宮のことを書いたブログではないのですが、自分的に分かりやすいのでこのまま書きます写真日記的なものになります鹿島神宮から徒歩で更に行きたかった神社へ移動します⛩️ここ‼️中臣鎌足を祀っている鎌足神社です。中臣鎌足と中大兄皇子はとても仲良し暗殺王子の中大兄
藤原摂関家という家は、合戦を経ることなく天下を取った家で、天下人の実質を失ったあとも臣下のなかでは最高権威の家として、昭和の敗戦まで続いて来たのですから、その世渡り術は凄いと言えます。昔は、天下は合戦をやって奪い取るものだったのに、初代の中臣鎌足が軍事面では役に立てなかったと言っているくらいで、歴代軍事は苦手で、家の地位を画期的に上昇させた藤原不比等も軍事的な才能はなく、律令の制度作りと日本書紀の編纂で辣腕を振るい、朝廷のなかで不動の地位を得ました。各豪族の代表者が1名ずつ
大河ドラマ『光る君へ』ハマって見てますいつか大河ドラマにはとってもやって欲しい題材があります。それは…『大化改新』蘇我氏が勢力を振るう時代の中で中臣鎌足が中大兄皇子に近付き計画を練って実行に移すまでを1年掛けてじっくりやって欲しいなぁ中大兄皇子は…そうだなぁふと思ったのは神尾楓珠くんとか蘇我入鹿は…鈴木伸之さんそしてたぶん主人公になるであろう中臣鎌足には中村倫也さんなどはどうでしょうか…😅(あくまで個人の意見です)そもそも大化改新の時点で中大
ネタが切れた時の不定期企画『天皇陵巡り』第38代天智天皇山科陵即位西暦661年退位西暦672年皇位年数11年天智天皇より、即位前の名「中大兄皇子」の方が有名かも。西暦645年に中臣鎌足らと一緒に、蘇我入鹿を暗殺するクーデター=大化の改新を起こした人。御陵印所在地天智天皇陵がある事にちなんで、この辺りの地名や駅名は『御陵(みささぎ)』になってる。あと、皇位年代を見たらわかるんやけど、第50代桓武天皇が平安京遷都をするより遥か100年以上昔
乙巳の変(2)蘇我入鹿暗殺神祇を職とする一族の中臣鎌足は、蘇我氏の専横を憎み蘇我氏打倒の計画を密に進めた。鎌足はまず軽皇子に接近するが、その器量に飽き足らず政変の中心にたりえる人物を探した。法興寺の打毬で、中大兄皇子の皮鞋が脱げたのを鎌足が拾って中大兄皇子へ捧げた。これが縁...nyabecch.blogspot.com乙巳の変(2)-日本史nyabecch.blog47.fc2.com
こんばんは、mmm(まーママ)です。3月17日(日)奈良観光4ヶ所め。お天気が下り坂なので、駆け足で観光します。飛鳥寺奈良県高市郡明日香村飛鳥682588年、蘇我馬子が建てたと伝わる日本最古の本格的仏教寺院。大化の改新の主役、中大兄皇子と中臣鎌足が知り合ったのも飛鳥寺で行われた蹴鞠の会であったといわれています。通称「飛鳥大仏」の銅造釈迦如来坐像。(仏師鞍作鳥作)飛鳥大仏は609年には完成したとされ、鋳造年が絞れる仏像としては日本で最古級。
https://youtube.com/shorts/MkitpNtlLaA
奈良旅行二日目の平成31年(2019年)4月29日(月・祝)、室生寺の参拝を終え、中村屋旅館でにゅうめんをいただいた私は、奈良県桜井市多武峰にある談山神社(たんざんじんじゃ)へ向かいました。◇談山神社飛鳥寺(飛鳥の元興寺・法興寺)の蹴鞠会で出会った中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足。ちなみに、この当時の名は中臣鎌子。以下、生前の鎌足について話すときは「中臣鎌足」、藤原氏の祖としての鎌足及び死後の鎌足について話すときは、「藤原鎌足」と記します。)が、藤の花が盛りの頃
ようこそ!!神様、スピリチュアル、料理に漫画好きなことを好きなように好きなだけ発信中。新地亜紀と同居人みっちゃんです。いつもご訪問ありがとうございます。*・・・*★*・・・*★*・・・*★*・・・*国譲りの為の使者が、なかなか思うようにいかず、困った天照大御神は、また高天原の神々に相談します。そこで、思兼神が、天尾羽張神ーあめのおはばりのかみーを、使いに立てようと、仰いました。しかし、天尾羽張神は、天の安河原の川上で、川を塞き止めているので、他の神々は近寄れません。
八海山尊神社火渡りや滝行で有名な八海山尊神社。伝説ではも中臣鎌足公が御神託を頂いて御室(おむろ・現六合目)に祠をもうけたのが始まりとか。さらに有名なのは、「ネズミ除けのお札」新潟県魚沼市は昔から、コめの生産と養蚕が生活の主軸であったため、ネズミの被害が深刻で、それが八海山尊神社の信仰と結びついたとか。さらにはネズミ捕りの猫が大切にされて、「猫のお札」も登場することに。そのため、「猫好き神社」としても有名に。佐藤剛の日日雑記http://go-sato.cocolog-nif
【乙巳の変の背景】『日本書紀』に出てくる中大兄の最初の殺戮は「乙巳の変」である。乙巳の変に至るいきさつについては、書紀の記述を素直に読むことはできない。舒明天皇が崩御し皇后の皇極天皇が即位すると、山背大兄と古人大兄が皇極の次の皇位に就くための争いを始める。蘇我入鹿は古人大兄側に付いて山背大兄を攻撃し撲滅する。聖徳太子の血脈がここで途絶えることとなる。古人大兄を担いだ蘇我氏が、まるで天皇になったかのようにふるまうのはここから。その状況を見ていた中大兄は中臣鎌子(後に鎌足)と知己
お読みいただきありがとうございます。人生の彩どり師・関みゆ紀です。おわりははじまり-161「手出しも口出しもしないけど観てる-FFJTI7」の続きとなります。2022年令和4年寅年を基軸にして、ストーリーが進んでおります。過去(歴史)を掘り下げて、解決の糸口を見つけることが、未来のルートを確保することになります。「不親切にもほどがある時間旅行のツアー(日記)」です。略して、F(不親切にも)F(ほどがある)J(時間旅行の)T(ツアーは)I(いかが?)8の巻でございます。
お読みいただきありがとうございます。人生の彩どり師・関みゆ紀です。おわりははじまり-160「西の白虎とあおによし-FFJTI6」の続きとなります。2022年令和4年寅年を基軸にして、ストーリーが進んでおります。過去(歴史)を掘り下げて、解決の糸口を見つけることが、未来のルートを確保することになります。「不親切にもほどがある時間旅行のツアー(日記)」です。略して、F(不親切にも)F(ほどがある)J(時間旅行の)T(ツアーは)I(いかが?)7の巻でございます。【令和4年7
お読みいただきありがとうございます。人生の彩どり師・関みゆ紀です。おわりははじまり-159「おやまの横目がもう流れない-FFJTI5」の続きとなります。2022年令和4年寅年を基軸にして、今回は2024年と交差しながら、ストーリーが進んでいきます。「不親切にもほどがある時間旅行のツアー(日記)」です。略して、F(不親切にも)F(ほどがある)J(時間旅行の)T(ツアーは)I(いかが?)6の巻でございます。【令和4年7月1日,5日&6日】猫満福庵へ訪れた翌日の7月5日に
◆◆◆くじょうみやび日録第二期◆◆◆宇佐美りんさん『推し、燃ゆ』。かつて芥川賞を受賞して話題になった作品を、図書館で並んでいるのを偶然見かけて(年が経つと待たずに借りられるね)読みました。数時間で読める短めの作品です。今回は読書感想文、または書籍紹介文ではなく、「推し」ってなんだろうと疑問に思ったのでつれづれなるままに。◆「推し」の定義「推し」という語の誕生2000年代ころから使われているらしいですね。そもそもは「(AKB48などのグループの中で)一推しのメン
今日は2024年2月29日(木)です。昨日は読売テレビの情報番組「ニュースTEN」を見ました。その中の「若一調査隊」を見ました。今回は奈良の明日香村を訪れました。石舞台大化の改新の跡地飛鳥寺などを廻りました。僕も行った事が有ります。その時の記事を振り返って見ました。過去記事です。↓================僕も何度も明日香飛鳥に行きました。何度も記事にしていますがお初の方もいらっしゃいますからその中の一部
🐲辰2024🐉023⛰️2023年09月02日(土)⛰️『2023年秋古都の御朱印巡り』2日目聖林寺をお参りしたあとは⛰️さらに進みます⛰️大和多武峰鎮座⛰️談山神社を参拝⛰️御朱印を拝受しました⛰️⛰️談山神社⛰️前回の参拝blogです🐓『2017-070談山神社≪奈良県桜井市≫』20172902017年06月04日(日)『2017年初夏阪奈の旅』2日目旅のフィナーレは大和多武峰鎮座談山神社を参拝御朱印帳を購入御朱印五種を拝受しました…ameblo.jp約6年3ヶ月
はい、こんにちは。藤原氏の祖と言えば中臣鎌足。中大兄王子(天智天皇)との出会いをきっかけに彼の子孫たちがスポットライトを浴びてゆく。(って認識でいいですよね。)この2人、どういう関係かもうちょっと詳しく知りたくてBingさんに訊いてみましてこんな回答をいただきました。**********藤原鎌足と中大兄皇子の関係についてお話ししましょう。**中大兄皇子**(なかのおおえのおうじ)は、飛鳥時代に活躍した人物で、後の天智天皇となりました。彼は大化の改新において政治を豪族中心か
◇序章坂東三十三観音の札所のうち、埼玉県(同行者は同業者同期のK井さん)、群馬県(同行者はK井と私の幼馴染のS井君)、神奈川県(同行者はS井君)、栃木県(同行者はK井さん)、茨城県(同行者はK井さんとS井君)、東京都(一人で)の札所をロードバイクで巡り、残すは千葉県の札所となりました(ただし、神奈川県は、小田原市飯泉にある⑤勝福寺が残っています。)。千葉県の札所は、7か所あります(冒頭の数字は、札所の番号です。)。㉗飯沼山円福寺(千葉県銚子市馬場町)㉘滑河山龍正院(千葉県成田市
孝謙天皇・称徳天皇陵を出て、裏側に歩いたら、八幡宮が主祭神天照皇大神八幡大明神(誉田別命)「弓矢八幡」春日大明神(天児屋命)天正4年(1576年)に超昇寺氏(大化の改新の立役者、中臣鎌足の末裔とされる地元有力豪族家)が本神社で一家の安栄を祈った祈願文が伝わってます。手水。豊臣秀吉お手植えの杉天正19年(1591年)、豊臣秀吉が文禄・慶長の役に際して、武運長久を祈願し手植えした杉の木右下に「前九年の役」の絵巻平安時代後期に起こった源頼義、義家による陸奥の俘囚長(
先日、『薫集類抄』を勅撰したとされている藤原範兼のことを調べていて色々疑問が湧いてきて中臣鎌足、さらに蘇我馬子まで調べていた時に家人が帰宅しました「何してたの?」って聞かれたので「蘇我馬子について調べていたの」と答えたら苦笑い😅していました確かに変な人ですよね。私。。でも歴史もただ覚えろって言われて勉強していた時は楽しくなかったですけど香りという自分の好きなものからのつながりであれば知りたいと思う気持ちも自然と湧いて勉強も楽しいですね
645年「大化の改新」が日本の戸籍制度の始まりとされているそうです。【ブログテーマ】日頃の情報収集ツールは?スマホ。残念ながらついに私も第一報をスマホで知って、次にテレビで確認、という手順が普通になって来ていると▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
こんばんは今日も大河ドラマの光る君へのお話をします今日ピックアップするのは2話大人になったまひろちゃんと三郎が再開するシーンですまひろちゃんが石を蹴り損ねて靴を飛ばしてしまい、こっそり散楽を見に来ていた三郎に当ててしまいました平安時代のお姫様像がガラガラ音を立てて崩れていく…いや気にしちゃダメこれはドラマ振り返った三郎は、靴を拾ってわざわざ履かせてくれましたシンデレラみたいだと思われた方も多かったようですまた、「ぶつけた相手が
扶余豊璋扶余豊璋-Wikipediaja.m.wikipedia.org上記人物と同一人物という説もある。また中臣鎌足(藤原鎌足)を名乗っていたという説もある。翹岐翹岐-Wikipediaja.m.wikipedia.org渡来人渡来人-Wikipediaja.m.wikipedia.orgまた百済から渡来後、中臣鎌足と名乗っていたという説もある。中臣鎌足は百済の王子・豊璋なのか?中臣鎌足は百済の王子豊璋であったという説をよく聞くのですがこれってどの程
藤原(中臣)鎌足の立像です。
アメブロの華さんの記事に←リンク奈良県桜井市にある多武峰談山神社が紹介されていたそれで色々思い出すことがあってちょっと書いてみたくなったぼくが多武峰談山神社を訪ねたのは1度だけ静岡県袋井市の実家を離れて京都の立命館大学に通うようになって以来の流浪生活その最後の頃年齢的には30歳頃だったかその後長く居住することになる埼玉県に移る直前3ヶ月間の天理での生活を終え奈良県を離れようとした最後の日だった中学の修学旅行で斑鳩の法隆寺・中宮寺奈良の薬師寺・興福寺・東大寺
2022年9月に出会ったカラス。名前を聞いたら、「のっと」。意味を調べてみても分からず、能登半島が出てきた。その頃は、石川県との関連はないと思ってた。カラスは一般的に悪いイメージがあり、可哀想に思ったので、みんなから好かれるように「祝詞(のと)」と漢字をつけた。普通のカラスだと思っていた。しばらくして八咫烏というカラスがいることを知った。「祝詞(のと)ちゃんは八咫烏なの??」と冗談で聞いてみたら、「そうだよ~。」と。しかし、私がなぜ八咫烏と縁があるの
日秀上人の出身は加賀国か上野国と言われていて、そこまでは判明していました。しかし、年末から不思議な夢をみたり、不思議な事が起こりました。そして、元旦に見た意味深な夢。その夢が気になり、もう1度調べていると今まで探せなかった情報を発見した。そこには、彼について20年以上調べていて、日秀上人は加賀国の富樫だと書いてあった。記事を書いている時、能登半島の地震。これは、偶然なのか?今でもよくわかりません。とりあえずわかったことは、加賀国(石川県)の太守(守護)富樫。ここ
正月と言えば年賀状が連想されます。一時期、郵便配達のアルバイトをしてたので、苗字に困ったり興味を持った事があります。大都市圏や中小都市の市街地に住んでいる方には縁がないと思いますが、在所と呼ばれる集落には同じ苗字の家が集まっています。その殆どは在所の地名と同じため、明治時代の平民苗字許可令のためでしょうか。また、不思議に思っていたは三重県に伊藤姓が多いことです。小学校の社会で、平安時代に栄えた藤原氏の伊勢国(三重県の国名)に居住する末裔が、伊勢の藤原氏と名乗った事から始まったと習った覚えが