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中学生むけ歴史参考書「大化の改新」の項に、こうあります。「645年、中大兄皇子(のちの天智天皇)、中臣鎌足らが、蘇我氏をたおし、大化の改新と呼ばれる政治改革を進める」中学生向けの、まとめ要約ですから、ざっくりしすぎてるのは、仕方ないんですけど。蘇我氏をたおし、というけど、蘇我一族が全滅したわけではありませんし、そもそも蘇我氏は氏族として団結して戦ったわけでもありません。このとき権力を握っていたのは、蘇我蝦夷・入鹿の親子です(蘇我本宗家、と呼ばれます)。そこで、この二人を
鹿島神宮の要石が有名ですが、その広い場所にぽつんと石塔が中央にあるのが気になりました。要石とは正面にありませんが、ここに石塔を置くのに違和感あり。あえて置いているみたいです。気になって調べてみたところ、「元鹿島」というのを知りました。なんと、ここ鹿島神宮の「前」に祀られていた所は「多氏」の拠点だったのです。多氏はあまり表に出ないし、名を「大」に変えていますから。混乱・・・でもなんか嬉しい。ひとまず、妄想します。長いので、眠れない時に読んで下さい。「太々御神楽」の石塔