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今回は中期中絶を終えた時の気持ちを綴っていきます中期中絶が私の初めての出産です。さぁそんな出産を終えての気持ちですが、「はぁ〜終わったぁ〜」とホッとしました。今まで張り詰めていた糸がプツッと切れた感じですこれまで本当にその選択でいいのか、決めたはずなのに、変わらないのに、ずっと悩んでしまう。いざ陣痛が始まると痛くて寂しくて辛い。怖い。それから解放されて、その気持ちになったのかなと思います。それから火葬、そして日常が始まるまでジェットコースターの様に気持ちが動いていきます火葬につ
分娩室に看護師さんが戻ってきました。わたしは分娩台から、わたしを分娩室まで運んできた病室のベッドに転がるように移動しました。看護師さんと夫がわたしを乗せたベッドを病室まで運んでくれました。病室に戻ると看護師さんはベッドを固定し、ポータブルトイレを回収しました。「もう普通にトイレを使ってもらって大丈夫ですからね」そして、ルートを腕に残したまま、点滴が外されました。しばらくしたら昼食を運んでくると言って、看護師さんは出ていきました。汗をびっしょりかいてパジャ
胎児水腫の子どもの出産について書いています。血などの描写が苦手な方や、不快な思いをするかもしれないと思われた方はここで引き返していただきますようお願いいたします。--------------------わたしと小雪を繋ぐへその緒が切られました。「あかちゃん、きれいにしてきますね」小雪を取り上げてくれた助産師さんはそう言って、部屋の奥の方に行きました。入れ替わるように、助産師さんが立っていた場所に先生が立ち、「おなかの中に残ってる胎盤を出すよ」と言って、おなか
この時期が一番辛かったため、投稿までの時間が空いてしまいました。今の自分自身の心境に至るまでの気持ちの変化や経緯を記録すると決めていますので、少しずつかもしれませんが、また書き綴っていきたいと思います。-----------------------------分娩室では、オルゴール音楽が流れていました。部屋に入ったときに流れていた曲は、ジブリの「借りぐらしのアリエッティ」でした。やさしい音色に胸が切なくなりました。病室から運んできたベッドから、分娩台に転がるように移動
『命の選別?中期中絶を選択した夫婦1』2022年8月15日、産声のあがらない出産をしました。これは第一子を妊娠した時のお話です。妊娠が分かった当時、夫婦共に22歳、病院に通いやっと授かった命…ameblo.jp『命の選別?中期中絶を選択した夫婦2』『命の選別?中期中絶を選択した夫婦1』2022年8月15日、産声のあがらない出産をしました。これは第一子を妊娠した時のお話です。妊娠が分かった当時…ameblo.jp『命の選別?中期中絶を選択した夫婦3』『命の選別?中
3日目の朝を迎えました。看護師さんが来て、体温や血圧、血中酸素が測られました。「今日は9時ぐらいに分娩の準備が始まるからね。できれば、朝ごはんはしっかり食べておいてね」と看護師さんに言われました。夫は、看護師さんに、「分娩までには必ず戻るから自宅にカメラを取りにいかせてほしい」と話し、外出許可を得て大急ぎで自宅へ帰っていきました。8時頃、一人で配膳された朝食を食べ、分娩のとき用に購入した前開きのパジャマに着替えました。そして、病院から入院時に手渡された「お別れを決
シャワーから戻り、夫と小雪としたいことを整理しました。夫に、「写真はどうする?」と聞かれ、戸惑いました。少し悩んでから、「見返したら悲しくなると思うから、撮るか悩んでる。撮りたくなったらスマホで撮ろうかな…」と答えました。それを聞いた夫は、「…一眼レフ持ってこればよかった」と言い、さらにわたしは戸惑いました。そして、夫ははっきりと、「ちゃんと残したいから」と言いました。その夫の言葉でわたしも、"そうだ…。悲しくても、ちゃんと残してあげなくちゃ…"
あまり眠れないまま朝を迎えました。7時半ごろに、看護師さんが血圧と体温、血中酸素を測りに来ました。看護師さんは、血圧計の腕帯をわたしの腕に巻きながら、「きのうは眠れた?」と尋ねました。「いえ、あんまり…」そう返すと、「たぶん、あしたがお産だと思うから、今日はしっかり寝ないとね。お産でがんばれないから」と言われました。"そっか…もうあしたなんだ…"胸がぎゅっと苦しくなりました。その後、朝食が配膳され、夫と話しながら朝食をとりました。
18時ごろにわたしの夕食の配膳があり、自分の夕食をコンビニ買ってきていた夫と一緒に食べました。シャワーを浴びれないか看護師さんに聞いてみましたが、今日明日は無理かなぁと言われました。(実際は翌日シャワーを浴びさせてもらえました)持参したダイアンのドライシャンプーで頭をさっぱりさせて、ビオレのボディシートで全身を拭いてから、新しいパジャマに着替えました。妊娠してからひどい便秘が続いていて、この日もおなかが張って苦しかったです。おなかは鈍い痛みがあるものの、動けないほどではなか
「あしたも来るからね。大丈夫だよ…」母はそう言って帰っていきました。夫が自宅から戻ってきてしばらくして、看護師さんが来ました。「あと30分でまた"内診"に行きますから、痛み止めの座薬入れますね」パジャマのズボンと下着をずらし、看護師さんに背を向けてベッドに横たわると、座薬をぐっと押し込まれました。「みなさんおっしゃるには、この痛み止め、あんまり効かないらしいのよ」そう言って、看護師さんは出ていきました。そのまま30分横になったまま、処置に呼ばれるのを待ちました。
わたしが落ち着きを取り戻し、しばらくしてから夫がシャワーを浴びに自宅へ帰りました。昼食を食べたあとは、昨夜寝られなかったため、うとうとしてベッドに横になりました。14時ごろ、ノックの音で覚醒しました。母でした。母の顔を見ると、また涙が出ました。夫が帰ってくるまでそばにいると言ってくれて、わたしの気を紛らわせようとたわいない話をしてくれました。気がまぎれることはありませんでしたが、母の心遣いをうれしく思いました。母の話を聞いているときでした。おなかに、小さく
ラミナリアの処置は、もちろん痛かったです。でも、それ以上に胸が痛くて、処置の痛みはここで強調するほどのものではありませんでした。ラミナリアを入れられても反応の薄いわたしを心配したのか、看護師さんが何度かカーテンを開けて様子を確認し、声をかけてくれました。処置の痛みに、たまに声が漏れましたが、"わたしには泣く資格もなければ、痛がる資格もない"そう思い、静かに涙を流しながら痛みに耐えました。「力抜くの上手だね。7本入ったよ」先生がそう言って、1回目の処置が終わりました。処置を終え、看
病室を出て自動扉を2つ通り、処置室に入りました。「下は全部抜いて、椅子に座って待っててね」そう看護師さんに言われて、指示通りに準備して内診台に座りました。"まずは、処置を進めて問題ないか、おなかをみるだけかな…"そう思いながら待っていると、先生が部屋に入ってきました。綺麗な女医さんでした。挨拶のあと、「今からラミナリアの処置を始めていきますね」とおっしゃられました。"もう始まるのか…"そう思いながら、「はい」と答えました。内診台が動きました。座っていた体勢から、上体があおむけ
とうとう眠れないまま、朝を迎えました。"いよいよ、この日が来た"これから中絶手術を受けるという現実が受け入れがたく、なにも感じたくないと思い、無心になろうと努めました。車に荷物を詰め込み、夫と病院へ向かいました。朝9時が来院時間でしたが20分ほど早く到着したので、車の中で時間をつぶし、荷物はあとで夫が運ぶと言ってくれたので車に残して、入院受付の窓口に向かいました。窓口にはたくさんの人がいました。"今日だけでこんなに多くの人が入院するんだ…"と、少し驚きました。受
入院前日。入院に必要なものを買い揃えるため、車で夫とイオンに行きました。いつもどおり、自宅で夕食をとり、お風呂に入り、布団に入りました。布団に入って間もなく、夫の寝息が聞こえ始めました。"ついに、明日…"気づけば、おなかに手をあてていました。とうとうこの日まで、胎動を感じることはありませんでした。これがはじめての妊娠でした。胎動がどんなふうに感じるものか知らなくて、気づけば、よくおなかに手をあてていました。かすかな
姉から、「今日の夕方そっちに行っていい?」と連絡がありました。「ごめん、今日は超音波クリニックの予約があって…」と返信すると、「一緒にクリニックに行っていい?」と返事がきました。少し驚きましたが、夫に、姉も一緒に来ていいか確認してから「いいよ」と返信しました。姉と直接会うのは、約1か月ぶりでした。前回会ったときは15週目頃で、姉の家に遊びに行ったときでした。あのとき姉は、「いまは中絶はしないで、この子を見守りたい」と泣きながら話すわたしを見て、「その精神状態で、中絶の期
以前の投稿で書いたとおり、おくるみは作っていましたが、洋服の準備はできていませんでした。どうしようかと考えているときに、他の方のブログで、「soramusubi」というところに依頼して赤ちゃんのお洋服を送ってもらったという記事を読み、わたしもお洋服を依頼することにしました。soramusubiさんは、死産をご経験されたご夫婦が運営されているメモリアル品のショップで、産着の寄付活動は、メモリアル品の売上を使用したボランティア活動で行われているそうです。体のむくみでちょうどいいサイ
中絶のための入院、手術の予定が決まり、産休に入るために職場に連絡する必要がありました。わたしは6週目からつわりが悪化してから、病院で重症妊娠悪阻の診断書をもらい休職していました。そして、休職期間中におなかの子の異常を指摘されてすぐ年末年始に入ってしまい、年明けには病院で「いつ流産してもおかしくない」と言われたため仕事に復帰することができず、結局、6週目からこの日までずっとお休みをいただいていました。さらに、これから8週間の産休に入ることになる。上司や同僚たちには、いつも本
本当は、時系列どおりに投稿しようと考えていましたが、もしかしたら、いま現在、中期中絶の準備をされていたり、悩まれている方がいるかもしれないと思い、役に立つかはわかりませんが、わたしが実際に入院前に準備したものなどを記載しようと思います。※あとで追記することがあれば、新しい日付で再投稿するかもしれません。わたしの入院スケジュールを記します。(ラミナリアの処置がかなりスムーズに進んだため、参考にならないかもしれません。)※なお、病院から手渡された手術の説明書類には、入院予定につ
本当は、時系列どおりに投稿しようと考えていましたが、もしかしたら、いま現在、中期中絶の準備をされていたり、悩まれている方がいるかもしれないと思い、役に立つかはわかりませんが、わたしが実際に入院前に準備したものなどを記載しようと思います。※あとで追記することがあれば、新しい日付で再投稿するかもしれません。すでに中期中絶について調べたことがある方は、大体のことについてご存じのことと思います。役に立つかわかりませんが、わたしのケースについて、また思ったことや感じたことについて記載します
本当は、時系列どおりに投稿しようと考えていましたが、もしかしたら、いま現在、中期中絶の準備をされていたり、悩まれている方がいるかもしれないと思い、役に立つかはわかりませんが、わたしが実際に入院前に準備したものなどを記載しようと思います。※あとで追記することがあれば、新しい日付で再投稿するかもしれません。------------------このページを読まれているということは、いま本当におつらい気持ちだとお察しします。痛いほどわかります。ここまで、ほんとうに頑張られました。こ
夫と母と3人で医療センターへ行きました。母は、手術や入院の予定について一緒に説明を聞きたいからと一緒に来てくれました。前回の帰り際に、「次回は、他の医師にも来てもらって診てもらおうか」と先生は話されていましたが、この日、他の先生は来られていませんでした。「ごめんね。今日は結局わたしだけなの」と謝られましたが、他の先生が来られていないということは、他の先生方の見立てもこの先生と同じなのだろうと思いました。エコーで娘の状態を診てもらいましたが、いつもどおり、前よりも悪化している
この子の頑張りを最期まで見届けたい。全身がむくんでしまっても、懸命に心臓を動かし続けているこの子を見守りたい。生きられないとしても、こんなに、こんなに頑張っているんだから。おなかの中で看取ることになると思うけど、もし、生きてくれるかもしれないという僅かな希望にかけて産むことになれば、おそらく、この子は生命維持装置に囲まれて短い生涯を終える。この子を産むとしたら、むくみが破裂しないように帝王切開で産むことになるだろうから、その後、1年半から2年は次の妊娠はできなくなる。も
この日は寒波がやってきて、めったに雪が降らないわたしたちの住む地域にも雪が降りました。朝、掃き出し窓から身を乗り出して見渡すと、雪はやんでいましたが、あたり一面に薄く積もっていました。ベランダ草履のそばに、夫がつくったであろう小さな雪だるまが置いてあるのを微笑ましく思い、写真を撮りました。夫は寒い中、車にガソリンを入れに行ったようでした。帰宅した夫と相談して、昼食は夫が好きなハンバーグのチェーン店に行くことに決まりました。車でお店に向かう途中、雪がちらつき始めました。"小
異常を指摘されてから、週に2回は超音波クリニックに通い、エコーで娘に会い続けていました。2か月前は、「早く中絶を…」という気持ちだったのに、この頃は、お別れを少しでも先延ばしにして、娘にたくさん会いたいという気持ちでした。診察してもらうのは、たいてい診察時間外の夜9時以降でした。(本当に、先生には感謝してもしきれません。)この日も、仕事帰りの夫と車でクリニックに向かいました。早めに着いて、近くのドラッグストアで時間をつぶしてからクリニックに向かうのがいつもの流れでした。
家に帰り、夜がきました。あと一週間で中絶か妊娠継続を選ばなくてはならない…自分の意思で、この子とお別れするか決めなくてはならない…想像しては、その悲しみに叫び出しそうになりました。わたしが静かに泣いていることに夫が気づき、大丈夫かと声をかけました。わたしは震える声で、「大丈夫じゃない」と答えました。「たぶん、この子の異常を指摘された日から、もうずっと大丈夫じゃない。ずっとまともじゃない。もう、わたしはあのときからおかしくなっちゃったんだと思う。『あと一週間で』
この日は、夫と二人で医療センターに行きました。夫と医療センターに行くのは初めてでしたが、夫が、「病院がどんなところか見ておきたい」「先生の話を直接聞きたい」と言ってくれたので、一緒に来てもらうことにしました。予約は11時30分でしたが、診察室に呼ばれたのは14時前でした。いつ呼ばれるかわからず、お昼ご飯を食べそびれてお腹を空かせた夫が少しかわいそうでした。この日も、娘は頑張って心臓を動かしてくれていました。すでに、腎臓にも水が溜まっていました。羊水がほとんどないせいで、肺
この日の朝、母が退院しました。おそらく、腹痛の原因はウイルス性胃腸炎とのことでしたが、結局、はっきりわかりませんでした。ともあれ、退院したと聞いて本当に安心しました。夜明け前に家を出て、道路脇に雪が寄せられた高速道路を3時間走り、夫の実家に向かいました。いつ流産になっても対応できるように、念のため、車のトランクに入院セットが入ったカバンをトランクに積み込みました。実家に用事がある夫が一人で帰る予定でしたが、わたしも同行することにしました。義母に、自分の口からちゃんとおなかの娘
母が入院してからは毎日、一人で泣いて過ごしていました。この日の前夜は、なかなか寝付けませんでした。おなかの娘の異常を指摘されてから、「もうこの子を、愛犬の生まれ変わりだと考えるのはやめよう」と思いました。そう思わなければ、心が持たないと思いました。でも、この晩、布団に入りぼんやり天井を眺めていると、「やっぱり、この子はあの子の生まれ変わりかもしれない。もしそうなら、この子を、あの子との思い出の場所に連れて行ってあげないと…いつ死んじゃうかわからないから、早く連れて行っ
母は、ほとんど毎日わたしの家に来て、おなかの娘を思い悲しむわたしに寄り添ってくれました。この日も、いつものように来てくれていました。昼食を食べているとき、母が何度もお腹をさすっていることに気づきました。「お腹痛いの?」と訊くと、母は、「うーん…痛くはないんだけど、変な感じがする」と答えました。「ちょっと横になる?布団出すね」と言うと、母は、「いや、いい。大丈夫だよ」と答えましたが、やはり顔色が悪いように見えました。しばらく、ぼんやり二人でテレビを見ていました