ブログ記事1,021件
中国と関係を断ち、対峙する道を選んでくれた偉人たち。彼らの決断は全て正しかった。日本だけがアジアで中国から逃れられた。日本には偉大な祖先がいる。考えてみると、歴史の偉人たちオールスターなのだ。雄略天皇聖徳太子天智天皇(中大兄皇子)菅原道真北条時宗懐良親王織田信長…—デューク🇯🇵(@6LEjH8DcDxuhN1s)May4,2026
皆様、ご機嫌YOです!聖徳太子の時代前後に権勢をふるった蘇我氏。その権勢たるや天皇の即位にまで影響を及ぼしたばかりか天皇や皇族をも弑した前科もあるほどの一族ですが、いわゆる「大化の改新」の始まりの狼煙となる乙巳の変で入鹿、蝦夷の親子が葬られ、政治の主流から脱落します。蘇我一族の中では中大兄皇子に与した石川麻呂が生き残りますが、彼も後に謀反の冤罪で誅殺され、以降は細々と生き残るのです。そんな感じで今回は古代におけるキングメーカー、蘇我氏の盛者必衰とも言うべき流れを見ていきましょう。
「人生」逆転在り(928)★哲学する!アリストテレス三つの政治体制「腐敗するとどうなるのか」民主制は、みんなで国家を支配するため、うまくすれば一番公平な政治決断がなされるというメリットがあるが、支配者である皆が堕落した場合には、皆が政治に無関心になって大衆感情やノリだけで政治決断(投票)をしてしまい、無責任な扇動政治家の言いなりになってしまうため、国家はどうしようもなくボロボロになっていく。◆持統天皇この時代の国家的儀式への参加資格は天皇やその関係者、豪族に限られ、宣読はそれらの人
昔は「大化の改新」といった事件を、いまは「乙巳の変」といいます。中大兄皇子や中臣鎌足が、事実上の政権首班「蘇我入鹿」を殺害し、蘇我本宗家を滅ぼした「クーデター」事件を乙巳の変、その結果成立した政権が推し進めた一連の改革政治を「大化改新」と呼びます。ちょっと待って。中大兄皇子は、そのときの天皇(皇極女帝)の長男なんでしょ、正統な跡継ぎなんだかから、それが家来の蘇我を滅ぼしたのを「クーデター」というのは、おかしくないか?という人がいましたが。中大兄皇子は皇太子ではありません。当時は皇太子と
日本史において最も有名な事件である「大化の改新」であるが、まったくもって意味不明なネーミングである、と言わざるをえない。何故、このような間違った認識の下で、歴史が改ざんされたのか、それについて私の考えを述べてみたい。さて、西暦645年7月に、時の権力者蘇我入鹿が、中大兄皇子、中臣鎌足によって暗殺された。権力の移行が行われただけであり、制度そのものが改新されたわけではない。この事変は、当時も、江戸時代にいたるまで、「乙巳(いっぴ)の変」と呼ばれていた。645年7月大化の改新667年3月近
今日は2026年4月19日(日)です。僕は旅番組歴史番組が好きです。昨日は録画をしてあった関西テレビの「ニュースランナー」を見ました。その中の兵動大樹さんの「今昔さんぽ」を見ました。今回は奈良県明日香村の「高松塚古墳」「キトラ古墳」などを巡りました。僕も昔高松塚古墳とキトラ古墳行った事が有ります。懐かしいのでその時のブログ記事を振り返って見ました。過去記事です。↓===========200
学術的にも貴重な刀剣の精密複製。正倉院の大刀(たち。太刀より古い時代の日本の刀剣)のフルコピー復元品だ。この大刀(たち)は6世紀の厩戸皇子の時代の大刀を模した物。すでに400年後の後世の平安時代末期に登場した「日本刀(平将門の時代に発生した湾刀から日本刀と呼ぶ)」の原型が出来上がっている。貴族の刀だったが、十分に殺傷能力もある。直刀の時代の刀剣。宮中での乙巳(いっし)の変(645)による中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を斬首暗殺した時も使われたのは直刀だった筈だ。
戦時中、「東条英機の暗殺」を考えた人物が二人居られる。一人は高松宮殿下の意を慮った細川護貞様であり、今一人は熊本の人吉生まれの軍人・高木惣吉少将でありこの人は護貞様と大変親しかったようだ。近衛文麿公の女婿であられる細川護貞様は、文麿公が首相を勤められた頃秘書官として勤められた。まさに戦時の厳しい政局をその真っただ中で見てこられたわけだが、1943(昭和18)年11月2日~1946(昭和21)年10月17日までの詳しい記録「細川日記=黙語録」(s28年初版出版書名・情報天皇に達せず)がよく知
武烈王は、官位の低い、貴族を能力本位で、要職に任命して、旧来の中央貴族による、上大等制度と新興の執事部による、政治制度との競合を図り、王権の強化に努めた。後に、658年には、文忠を伊飡(2等官)に引き立てると、中侍には、王子の金文王を任命した。そして、660年、金剛が、死去すると、金庾信を上大等に任命したのである。655年、高句麗・百済の連合軍が、新羅に攻め入り、北部辺境の33城を奪われたため、武烈王は、唐に使者を送って、救援を求めた。唐の高宗は、新羅の求めに応じ、蘇定方達の武
昔読んだ漫画で河村恵利さんの歴史もの長編が1作明日香のひめみこという作品があって中大兄皇子と大海人皇子がなんかモメる読んでいて大海人皇子がやたら悪役化されていてなんでやねんだった周囲の思惑で対立させられる此の構図を思い出す兄が儚くなった場合弟が継ぐだのに子の代の議論がすすむのはなにゆえかいまの皇位継承は違うのか確か5歳差くらいではなかろうかでは現在海外の誰ぞが画策する騒動の渦中に置かれた弟御殿が継承権第一位で間違い無きものと皆が知っての上での
こんばんは‥(^_-)-☆今の奈良はあめがふって12℃と暖かさを感じる日になりましたね。だけど、昨日並みで最高気温は15℃ほどで少し肌寒い日になりましたね。奈良まほろばソムリエ奈良通2級の13回目の問題です。3奈良県の遺跡や古墳に関する事柄について、最も適当なものを選びなさい。(25)明日香村の水落遺跡は中大兄皇子が造らせた何の施設の跡であると推定されているか。ア.迎賓館イ.道教寺院ウ.みそぎ場エ.漏刻台(26)鎌倉時代の僧、忍性
蘇我の娘の古事記(ふることぶみ)[周防柳]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}蘇我氏が娘を天皇家に縁付けて権力を掌握していたことは理解していますが、その娘を主役にした作品は初めて。何が語られるのかと思ったら…。蘇我氏の滅亡から物語は始まります。中大兄皇子と藤原鎌足の陰謀。母親の皇極天皇が意外と意思があって、お飾りではない天皇として描かれています。そしてそこには神懸かり的な天皇家の存在価値も感じます。大海人皇子の変貌は因果応報。主人公の蘇我
◆◆◆くじょうみやび日録第二期◆◆◆2024年に行われていた国営飛鳥歴史公園企画<推し飛鳥人総選挙>のキャラクターイラストがポストカードになっているのを発見しました!平城宮跡・朱雀門ひろばのいざない館、入口すぐの物販。ほかにも売っているところはあるかもしれませんが、そこで入手できました。そりゃ美しい飛鳥人女性のイラストも欲しいと思いましたけど……やっぱりくじょう的にはこの主従を選ばざるを得ないわけでして。▲天智天皇&藤原鎌足手持ちの写真入れに飾ってみました♡
🐎2026🐎Marchたまちゃんです川原寺高市郡明日香村弘法大師ゆかりの寺橘寺に車を置かせて頂き徒歩で移動弘福寺本堂御朱印中大兄皇子が建てたとされる川原寺跡弘福寺川原寺から橘寺の駐車場へのどかな風景が広がってます次の場所へ移動🚙では、またごきげんよう🤗
「大化改新」論(四)――「古人大市皇子と蘇我倉山田石川麻呂の処断」の意味――一、「日本書紀」の記述(一)大化元年九月の条、古人皇子が蘇我田口臣や物部朴井連椎子等と謀反を図った。これを吉備笠臣垂が、中大兄に自首した。これを受けて、中大兄は古人大市皇子等を成敗したとの記述をしている。(二)大化五年三月の条、右大臣蘇我倉山田石川麻呂が謀反のかどで蘇我日向に密告された。中大兄がこれを信じ、天皇が兵を起こした。石川麻呂は一族と共に山田寺に逃げ
「乙巳の変(645年)」という大事件を、天智天皇(中大兄皇子)側から見直すと、あまりにも不自然でデメリットが多すぎます。新興勢力(天武・藤原氏)が、自分たちの正当性を守るために「旧王朝の自滅」を演出したという視点で、その矛盾を整理します。(1)乙巳の変の「不自然なデメリット」天智天皇にとって、后を出し続け、実務を担ってきた蘇我入鹿(スサノオ系)を殺害することは、自らの支持基盤を破壊する行為に等しいものです。◯共倒れのリスク↔王権(ニギハヤヒ系)と実務(蘇我氏)は「車(鳥)の両輪」であり、
斉明天皇元年(655年)一月三日、皇極天皇が飛鳥板蓋宮にて再び即位されました(斉明天皇)。旧暦では昨日が1月3日でしたので、1371年前の昨日ということになります。※古来より何度も改暦がされていますので単純に旧暦にあてはめています。これは史上初の重祚ですが、重祚は後の孝謙天皇が称徳天皇として重祚された2例しかなく、両方とも女帝です。孝徳天皇が即位されたのは、乙巳の変の直後、皇極天皇が史上初の譲位をされたことによるものでした。これ以降光格天皇まで五十四例の譲位が行われています。(北朝
皆様、ご機嫌YOです!朝廷を牛耳っていた(と言う事になっている)蘇我入鹿を討った後の中大兄皇子(のちの天智天皇)が藤原鎌足と共に政治の実権を天皇に取り戻そうとした。それがいわゆる大化の改新です。中大兄皇子(天智天皇)は皇国史観に染まった薩長の遺物共にとっては英雄とも言える天皇の一人です。…が、彼の実像を冷静に見てみると相当ヤヴァイ御方である事が明らかになってきます。はっきり言って彼が殺した蘇我入鹿など軽く上回るほどの悪党です。そんなわけで今回は中大兄皇子(天智天皇)の軌跡と
「大化改新」論(三―四)――「狂心の渠」と「前期難波宮」について――一、第二次防衛設備の整備構想(一)必要性唐の侵攻を予測した際、「都」のある本拠地「太宰府」を拠点に戦うことの不利を考え、その主戦場を「瀬戸内海」に引き込むこととした場合、最も重要なことは自らの拠点をそこに置いたままとすることはできない、ということである。「唐」の侵攻に対し、あたかも敗走するかのように見せて、「唐軍」の追撃を誘発させることが必要となろう。これはあたかも、朝鮮半島に
おはようございます・・(^_-)-☆今の奈良は5℃と朝としてはすこし暖かさを感じる日になりましたね。昨日より少し寒く気温で最高気温も13℃と少し暖かい日になりそうですね・・(^_-)-☆クイズで頭の体操でリフレッシュしましょう!奈良まほろばソムリエ奈良通2級の12回目の問題です。3奈良県の遺跡や古墳に関する事柄について、最も適当なものを選びなさい。(22)垂仁陵の周濠内にある小島は誰の墓であると伝えられるか。ア.大山守命イ.当麻蹴速
※蘇我入鹿が暗殺された飛鳥板蓋宮跡645年6月、中大兄皇子(当時の天皇、皇極女帝の息子。後の天智天皇)、中臣鎌足らを中心とするグループは、朝廷の中で大きな実権を握っていた蘇我入鹿を殺害。翌日には入鹿の父、蘇我蝦夷も屋敷に火をかけて自害し、蘇我宗家は滅亡しました(乙巳の変)。この衝撃的な事件の後、皇極天皇は退位。これ以降、新たに即位した孝徳天皇(皇極天皇の弟で、中大兄皇子の叔父)や中大兄皇子を中心とする政権によって、大化の改新と呼ばれる一連の改革が進められていきます。豪族らの土地の私有や、私
時差投稿🕰️✨年末年始は旅先で過ごしました。こちらは、談山神社⛩️✨飛鳥時代、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を討つ(乙巳の変)ために、この地で密かに話し合い…談合をしたと言われています。ものすごく山深いここまで、当時ここまでどうやって入山してきたのか…乙巳の変→大化の改新という、歴史が動いたきっかけがここにあると思うと、談山の地は何とも神秘的でした。
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきます歴史上の人物の系図を追っていく歴史系図トリビアです。はい(´Д`)。本日は乙巳の変の関係者系図を見ていきたいと思います。乙巳の変は飛鳥時代の政変で、中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を暗殺し、父の蘇我蝦夷をも滅ぼした事件です。その後、中大兄皇子らは大化改新と呼ばれる改革を行ったとされています。それでは系図を追っていきましょう。乙巳の変の時、大王位に就いていたのは女帝である皇極天皇でし
白村江の戦いは西暦663年親日の百済は新羅に負けたのだが、生き残った百済の人たちに懇願されて倭の国は朝鮮半島に兵を出したでも唐と新羅の連合軍にこっぴどく大敗そこで日本と朝鮮半島は縁が切れた当時、中大兄皇子たちは今の中国と新羅の強さを思い知った大和朝廷は新羅や中国の連合軍が日本に反撃してくるはずだと思い防人を設置でも、新羅は倭の国(日本)を攻めないで高句麗を攻め落とした今の台湾情勢は当時にそっくり歴史が繰り返されそうで怖い
天皇と皇室の歴史を知ると、皇統に生まれたがために悲劇に見舞われた皇子が何人もいます。その中でも有名な皇子の一人が有間皇子です。大化の改新の後は、中大兄皇子(後の天智天皇)、大海人皇子(後の天武天皇)の活躍が目立つ時代となっていきますが、その時代に惜しまれ語り継がれたのが孝徳天皇の皇子、有間皇子でした。孝徳天皇の宮、難波宮跡↓大阪歴史博物館から見える難波宮跡公園『すめらぎのお話・・・乙巳の変~大化の改新』歴史をきちんと学びだす中学生の時、最初の印象的な事件と言えば大化の改新のき
以前同じタイトルのブログを書いたのですが、1つ「もしかしたらこういうこと?」という説を考え付いたので、追記として書くことにしました。鏡女王はもしかしたら古人大兄皇子の娘なのかもしれない、、、同じく古人皇子の娘である倭女王よりも年下だったため、正妃(皇后)とはならなかったのではないか。鏡女王が古人皇子の娘であるという説を唱えていた学者さんもいたように記憶しています(確か吉川敏子さん)。私はその方の論文を読んだことがないのでその方がそのような結論に至った理由はわからないのですが、私がそ
2025-11-17大阪歴史博物館の展示室に来ています前期と後期ってあるね蘇我入鹿を斬った乙巳の変の後、都を難波宮に遷したのが前期なんだろうね〜難波宮は、孝徳天皇(斉明天皇の弟、乙巳の変の時は皇極天皇←後の斉明天皇)とすると、後期は聖武天皇の時かな?とここで、プチ情報中大兄皇子(天智天皇)と大海人皇子(天武天皇)の間に女子がいて、3人ともお母さんは皇極(斉明)天皇なんだよね〜この女子、間人皇女(はしひとのひめみこ)ちゃんて言うの。で、夫が孝徳天皇(お母さんの弟)なの。はぃやや
◆◆◆くじょうみやび日録第二期◆◆◆またしても、国営飛鳥歴史公園にて、投票を受け付けています。推し飛鳥人総選挙!!!今年2025年は乙巳だったのですね。11月上旬からスタートしておりましたが、気づくのが遅れました。締め切りは今月26日です。推し飛鳥人総選挙-乙巳の変-編→★参考:第一回総選挙についての記事(結果発表)→★ただし、今回は現地投票のみ(投票場所は飛鳥の4か所です、詳しくはリンクを)。エントリーも事件関係者10人というミニ版。よりマニアック度が増したとい
美しき奈良紅葉めぐりの最後は「談山神社」をめぐるのですが…ここは、「大化の改新」の歴史的舞台となったところでもありますので、社殿をめぐる前に、少しだけ「大化の改新」について触れてみたいと思います。改新の前夜「中臣鎌足(614~669)」が、「中大兄皇子(後の天智天皇)」と知り合った経緯については『日本書紀:皇極天皇3年正月条』に詳しく書かれています。中臣氏は16世紀初めの継体期から勢力を伸張してきた新興氏族で、鎌足は学問に優れていたのみならず、傑出した政治力の持ち主