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車の免許持ってる?▼本日限定!ブログスタンプ大学時代に免許を取ってから、しばらく乗っていましたが、ある時から乗らなくなり社会人になってからずっとペーパードライバーでした。ですが、ある日ふと「今後、両親の介護や病院の送迎が必要になったとき免許あるのにペーパーだから…で後悔するんじゃ?」と思い立ち、ペーパードライバー講習を受講2時間16,000円程度の講習を受けました。高いなと思いましたが、運転をたまにでいるようになった今考えると安かったなと思います。30万かけて取った免許
前回の投稿から、ずいぶん空いてしまいました。今年の酷暑もなんとか乗り越えられました💦それにしても年々暑くなりますね。来年はどうなるでしょうか今年の5月に施設で転倒し、左手を骨折した母、手術レベルだと言われるほど、骨折部分がズレてしまってましたが、なんとか手術せずにくっついたようで、施設の露天風呂に入る許可がおり、久しぶりの露天風呂を楽しんでいるようですただ、骨がズレたままくっついたので、ボコッと骨折部分がでてしまってます。なので、先行き長い、若い方の場合は、やはり手術した方がよいのだ
またなってしまったよ………円形脱毛症何度目ダ……(ToT)最初は、元夫の逮捕〜離婚の時。脱毛期間は一年位かな……。当時はメンタルもボロボロで、十二指腸潰瘍にもなったなぁ……。次は、両親の介護の時。脱毛期間は数年間、繰り返した。次々に髪が抜けて……皮膚科で治療したな……。頭皮に注射💉飲み薬塗り薬紫外線照射治療頭皮に痛みも伴い、辛かった。いつも帽子をかぶっていたなぁ……。そして半年前、後頭部に発見!(゚д゚)!さらに、2ヶ月前に右側頭部!!!(+_+)!
HANATAOです。こんにちは。サンフランシスコは日曜日の夜です。8月の初めに電子出版した小説が読まれ始めております。ご興味がお有りの方はこちらから。これは本当に嬉しいです。あの話を書いたときは、東京での両親の介護生活のどん底で、アメリカに戻る方法も途絶えて、ある意味、絶望していました。子どもが生まれてからは絶望はしないようにしていたのですが、自分は50代なかばでしたし、せっかくあの小説が伝えているように恵まれている状況で、サンフランシスコで、勉強して、一つの極みま
🐼🐼🐼中国語上達への道トレーナーのむうさんです。🐼🐼🐼両親の介護のために、数日日本に帰っています。お隣りなんだけど、日本に到着して飛行機から降りた瞬間のあの空気感は日本だなぁと思ってしまう。違うんですよね。話は変わって、近所の家電量販店で溜まったポイントを利用して買い物をしてたとき。一人の20代くらいの男性職員が声を掛けてくれました。ちょうど同じ家電のふたつの商品で悩んでいたところだったので、その方に相談することに。話し方が軽やかで、人生それなりに経験して
こんにちわ先日の続きですが、なんと一日経った日の夜遅くに妻から電話がありました(^_-)-☆やっぱし、離婚はしなくて、息子との養子縁組も解消しなくてもよくなったのかなって、思って聞いていると結局話の内容は、以前から主張していたような内容に変わりはなく、ただ、手術の立ち合いは、日付が合えば行きますってことだったので、なんだかそこだけでもほっとしました。ただ、以前から毎日のように電話をくれていましたが、それをやめようって、頻繁にはしないよってことでした。さら
ここ3年余り様々な事が起きた。一緒に居る事が当たり前だった。いつか来る事だとは、分かっているつもりだった。もう会えないのは、やっぱり辛いよ…あの時は、ごめんなさい…父さん、母さんありがとう…私の声が届いたらいいな。
ずっと私が代理で、土地の売却に向けて動いていましたが、いよいよ最終確認、司法書士さんと父との面談を迎えました。売り主である父の、売却意向の最終確認と、譲渡における書類チェック、実印の押印などなどの実務作業が主ですが「父が認知症ではないかのチェック!」これを無事クリアするのが、裏の(←私が勝手に笑)最大ミッション!土地を売却する場合、所有者が認知症だと取り引きできません88歳の父ですが、おかげさまで頭はしっかりしています。趣味は将棋やマージャン、歴史小説をこよなく愛し、尺八の腕前は大師範
あこがれてこんにちは^^10日間夫の両親の介護のため帰省しましたその間仕事はお休みをいただきこんな日が来ることを考え十数年前からどこでもできるビジネスを学びつづけましたが何も身に付けることができてません(現在進行形)これからは無理なく今の私にできることを(やりたい・やりたくない)自分自身に問いかけて等身大でいこうと思います^^
最近、肌荒れがすごく酷くなってきています。去年の夏前に、顎下に赤い斑点のようなものが出て、小鼻周り、口周りも赤くなってすごく痒くなって、化粧をしてもボロボロになってしまうので、皮膚科に行ったのですが、その時は、"脂漏性皮膚炎"と診断されました。ステロイドを塗って、一時的には治りましたが、ステロイドをやめるとすぐに再発していました。半年ほど通っていましたが、ステロイドを塗り続けるのが怖かったのと、父の体調が悪くなったり、開業準備が
10月22日。母がリハビリ病院を退院し、グループホームへ入所する日がやってきた。たくさんの先生やスタッフさんたちに見送られ、私と妹は母と一緒に介護タクシーに乗った。向かう先は、あの田園風景の中にあるグループホーム。私が子供の頃に見た、母の故郷、富山の景色と重なった場所だった。しばらくして、介護タクシーがホームに到着した。母にとっては、初めて足を踏み入れる場所だった。ところがホームの中へ入った母は、いつもの調子で、「ただいまー」と言った。するとスタッフさんが、す
実家の父親。おととい初めてのショートステイに挑戦してみました。パーキンソン病で思うように体が動かなくなってきてワガママと言うか我が強くなって来て(殿様気質?は今に始まったことでは無いけど)先週、先々週と訪問看護師さんが入った時に私に対して迫害妄想が始まった。(私...父に手を挙げるなんて無いから)詳しく書くのは得意じゃないので省くけど(sorry)2週間同じような症状の父の報告を受けたケアマネジャーから電話が来て、本人にショートステイを勧めてみると言ってくださった。(Ĭ^Ĭ
こんばんは『あらふぃふ奈子さん』ですご訪問ありがとうございます今日は母の歯医者🦷の送迎🚗💨その後両親と一緒に買い物へまた買っちゃったぁ今回は二つも果物だーいすきしあわせ〜そして帰宅して今度はあたしが歯医者🦷へ夕飯食べてたら詰めてた銀歯が取れた穴がぽっこり開いて食べ物が詰まって不便だったぁ今日は仮歯それでも穴が開いてるよりは…🦷は大事にしないとねまた明日自分らしく…
まいどーきょーそでっすはい。全国的に豪雨で浸水が相次いでますな。低い土地や川の近くは要注意です。そんなわけで、オールドルーキー鉄道員の挑戦。早いもんで現場に出て2週間経ちました。専門的な知識は必要なものの確実な動作の反復作業で、覚えてしまえば楽かもしれません。実際2時間、4時間そしてそのダブルヘッダーと三種類の勤務を経験しましたが、言わずもがな2時間は楽勝。1日の肩慣らしです。4時間はぶっ通しなので、脚が大変やけど時間の経過は倉庫作業とか好きでもない
父が亡くなってから、葬儀までの間に、私は久しぶりに両親のケアマネージャーだったキタさんにも連絡を入れた。両親の介護が始まった時から、キタさんには本当にお世話になった。「父が亡くなりました。」そう伝えると、キタさんは一瞬、言葉をなくした。そして、「本当に…、娘さんお二人で、よくやられたと思います。」と言ってくださった。私も妹も、ただ必死だった次から次へと起こることに、その都度向き合ってきただけだった。その真ん中にいる時は、自分たちがどうだったのかなんて考
突然ですが…私自身、病気が見つかりました。命に関わるかも知れない…そんな状況で、先ず思ったのは…【息子じゃなくて良かった✨】人って、誰しも平等にいつか死ぬじゃないですか?だから、事故とかで別れを告げる暇もなく逝くより、病気の方がマシ…とは昔から思っていました。だから、最初に知った時は悲観ではなく達観してました。【あー、私、死ぬかも知れないんだなぁ…】そう思うと(もう少し世の中に作品残したかったなぁ…)とか、(闘病中とか…私が居なくなったら、鳥たちのお世話どうしよう…)とか言うの
家族の予定は覚えている。自分の予定だけ、もうない|50代土曜日は娘の文化祭だった。ところが、妻は朝からかなり頭痛がひどく、ダウンしていた。それでも妻は文化祭を見に行き、私は家に残って両親の介護。一日そちらを担当した。いろいろあった。一つ済んだと思えば、また別のことが起きる。その都度なんとかして、気づけば夜である。何をしていたかと聞かれれば、いくらでも出てくる。もう一度やれと言われたら、ちょっと勘弁してほしい。家族の予定は、だいたい頭に入っている。誰がどこへ行くのか。病院はいつか。薬、
そんな時、母が入所することになったグループホームから、私に連絡が入った。入所に必要な書類などがあるため、手続きに来てほしいとのことだった。私は父の葬儀のため、仕事を忌引きで休んでいた。納棺は4日後、葬儀は5日後に決まっていた。「実は昨日、父が亡くなったんです。今は仕事を休んでいるので、明日でも明後日でも大丈夫です。」そう伝えると、「そんな時に、すみません」と、施設の方も恐縮されていた。翌日、私は妹と一緒にグループホームを訪ねた。施設長さんから説明を受けながら、
一昨日昨日はサクサク動けて辛どくなかったのに今日は全く動けない昼まで起き上がれなかったゆっくりゆっくりいつもの簡単な掃除洗濯だけで1日終わり今日は暑いとにかく辛どい力が出ない食事するのも力が出ない両親の介護も自分の事も全く出来ないこの夏全滅でストレス増強して来ているまたバタバタと活発に動き回る事は出来るのか?以前の元気な自分が信じられない元に戻るのか不安で仕方ない何よりも会えない間に両親に何かあったらと言う不安が半端ないストレ
あの時、多分私は父と母を失うという喪失感を味わったのだと思います『父の事~その弐~』父は元々、脊柱管狭窄の診断を受けていました腰は不自然に曲がり始めていましたが自立歩行はできており、恐らく母もそれほど危機感は持っていなかったと思います…ameblo.jp👆でも書かせていただきましたが父の介護が始まったのは2024年3月要介護になったきっかけは脊柱管狭窄症による歩行困難でした私が休職し本格的に介護に携わるようになったのは翌4月か
片づけながら「わたしはどうしたい?」を見つけてこれからの暮らしを自分で選んでいくそんな片づけをお伝えしている整理収納アドバイザーのときあです^^疲れて帰ってきたときのために出かける前にしていること今週は京都へ帰省します。両親の介護のことや病院の付き添いなどやることもいろいろ。そんなふうに数日家を空ける前って何かとバタバタしませんか?(笑)荷物を用意して忘れ物がないか確認して冷蔵庫も見て洗濯物も気になる。「あっ、あれもやっとかな。」「そう
息子が来年は遠い海の向こうのAに家族と共に数年?行くそうだ子供をもってからの私は、両親の介護そして残された借金の返済、実妹の保護者色々な過酷な人生でした双子の障害抱えた妹が産まれても、息子には3歳なのに、家事や、双子の離乳食あげてもらったり、おむつ替えも、色々助けてもらいましたその存在にどれだけ助けられた事だろう娘達に、あなた達の親はお兄ちゃんなのよ。と伝えている辛かった時期に子供の笑顔に沢山助けられてきた今も、まだか、まだかと思うくらい辛い事も続いているけど、私に
父は翌日の10月9日、昼頃に葬儀社の方が迎えに来て、葬儀の日まで安置室で預かってもらうことになった。10月とはいえ、まだ暑い日が続いていた。実家の冷房だけでは、葬儀の日まで父を家に寝かせておくことは難しかった。その日の早朝。私は、父が眠っている部屋で二人きりになった。布団に横たわる父に、話しかけた。「お父さん、車に乗せて帰ってあげられなくて、ごめんね。」「何も飲ませてあげられなくて、ごめんね。」そして、もう一つ。「私がカレーを食べさせたばっかりに、誤嚥すること
パクチーをいただいたのでグリーンカレーにしてみました。と言ってもレトルトだけど。うん、カレーを食べてるのかパクチーを食べてるのか分かりませんね。両親の介護をしてたとき基本は仕事帰りにスーパーでお惣菜を買って帰ってたけどたまには作ってました。とは言えカレーとかシチューとかだけど。じじもばばも(注:父も母も)カレーは好きだったので喜んで食べてました。あるときグリーンカレーの素があったからスーパーで鶏肉とナスを買って作ったグリーンカレー。両親も喜んで食べてくれ
9月になりましたね毎年恒例の会社の健康診断に木曜日に行って来ました3年連続雨☔ずーっと介護生活をして来たせいなのか更年期のメンタルのせいなのかここ数年本当に健康診断がトラウマになり嫌なんです行きたく無いんです(T-T)両親の介護生活をしてる時2人分沢山沢山病院に行って入院検査、手術、救急車にもお世話になりそんな生活を長年過ごしたせいか検査結果や病状説明術前術後の説明を聞いて全部受け止めてきたせいか私の容量がいっぱいになったねのかな😅だからもう自分の事になると
母の介護区分変更は結局変わらず要介護2でしたが許可が出たため、両親揃って同じ施設に入所となりました父が2割負担なのでちょっと割高な分、入所できるならばむしろ区分が上がらなければ割安でサービスを受けられるので助かります。両親の老健→特養への移動は特養さんがお迎えに行ってくれたので、私は到着する頃に部屋に入れる衣装ケースとテレビを施設に搬入。衣類などの整理は職員さんがやってくれちゃったので、ほんとに物を運んだだけ。あ、テレビのセッティングはしましたけど。息子が(笑)いろいろやらなきゃいけ
鬱ってどんなになるのかな?今日はなんとなくだるくて、やる気が起きない。これは鬱症状っていうのかな?仕事がうまく行ってない。これまでこんなことはなかった。別に失敗したわけではない。でも、なんか自分に降りかかってくる。自責ではないけど、当事者になってる。そしてなんか自分が悪いかのように言われてる。なかなかしんどいな。今年は忙しい。まだ終わってないけど。父親のMCIに関する通院対応、義理の母の家の売買の手伝い、両親の介護認定、親戚のおじさんの病気の心配、親戚のおばさんの終末期転院、自身の資格取得
父を実家へ連れて帰ったあとも、やらなければならないことは続いた。葬儀の日取りや、火葬場の予約。これから行うことを、葬儀社の方と一つずつ決めていった。通夜は行わず、葬儀は家族だけの少人数で行うことにした。葬儀と火葬は、五日後に決まった。そして、母のことも考えなければならなかった。長年連れ添った夫婦なのだから、母にも父との最後のお別れをしてもらいたい。というより私は、夫婦なら最後のお別れをするものだと、当たり前のように思っていた。けれど葬儀社の方に相談すると、「葬
こんにちは今日は友人のお父様が亡くなりお線香をつけに行きます午前中は実家の循環器付き添いがあり今戻りました友人は区役所へ届けを出したり昼は忙しいので夜、私を迎えに来るとの事友人も明日から仕事だしお通夜、告別式は週の頭に終わりました友人は料理が苦手お父様に四十九日まで御膳を上げなければなりませんなので七色麩ときゅうりの酢の物あと煮物、卯の花を作りました七色麩は私が拝見している宮城県大好きのもーりぃさんが以前記事にしていて拝見しました😊麩を放す?出来
母はその後、自分の病室へ戻っていった。私たちは、悲しんでいる間もなく、やらなければならないことに追われていた。葬儀社に連絡を入れ、仕事関係の人に連絡をし、親戚にも父が亡くなったことを伝えた。ほかにも、いろいろなことをしていたと思う。正直、あまりにもバタバタしていて、この時のことはよく覚えていない。そして、父を実家へ連れて帰るため、葬儀社と連絡を取った。父と母は以前から、葬儀のための互助会に入っていた。私たちが介護を始めた頃にも、父は何度か、「葬式のお金は、