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2022年4月29日のマサムネ。介護28日目。最後のご飯を食べて最後のトイレに行きました。トイレは行ってして帰るまで30分くらいかかりました。私はずっとそばで見ていて、体をさすったりしていました。マサムネの体はとても冷たくて、もう長くないんだなって感じました。そして、昼過ぎだったか、動画のように下顎呼吸が始まりました。これを見て、今日明日だと覚悟が決まりました。さて、今朝のちこちゃん。テーブルに突進。
昨日付き添いすればよかったな。そう思ったけど、お母さんが寝かせてくれたのかもと思うようにした。お母さんの呼吸は意識が低下してからずっと、息を吸うと胸が凹み、吐くと戻るシーソー呼吸になってて意識はないけどしんどそうな呼吸だなと思ってた。この日もシーソー呼吸だったけど、いびきはなくしんどくなさそうに感じた。呼吸少しでもしんどくないようにと酸素のメモリを最大にしてくれていてブクブクの音が病室中響いていて、テレビの中のワンシーンみたいだなと思った手足が冷たくなってきて、足の指が紫色になってきて
ブログを訪問してくださりありがとうございます私自身の気持ちの整理としても綴っています。私の体験や考えがなんらかの形で誰かの役に立てばいいなと思います備忘録3月22日(金)母の容態も落ち着いているのかな〜。日曜日あたりでも面会行こうかな〜。と考えていました。前日に宮古駅前にある「サロン千秋」さんのスペースをお借りしたので鍵を返しに行き、家に戻ってひと息ついていたところでした
3月6日昨日3月5日、母方の叔母が亡くなったあと1週間くらいかも?という話から家族じゃないけど「私も会いたい」と数日前に、お見舞いをさせてもらった私が通院する大学病院の隣にある病院に2022年11月から転院していた叔母昨年まで、ずっとコロナで面会できずタブレットでのリモート面会のみ・・耳が遠く、黄斑変性症で目も悪い叔母はリモートでの面会は寂しく悲しかっただろう叔母を大切に見守っていた、いとこ家族もだ少し前にやっと直接面会ができるようになり89歳の誕生日も迎えることができ
2024年、明けたと思ったら立春も過ぎて気がつけば3月2月はいろんな事があり過ぎてしんどい月になりました今年の節分は宅配寿司で海苔巻きを注文息子たちが小さい頃は細巻きを作って丸かぶりさせてたけど恵方巻(太巻き)を買うようにになってからは一口サイズにカットして食べてたなので、切らなくて済むように桶入りを注文それなのに届いたのはあら…?恵方巻…?嘘‼︎受け取った夫は商品が違うことに全く気付かずあ~ぁ、切らないと
おはようございます。義妹は昨日の昼から下顎呼吸と言ういわゆる死の前兆の呼吸になってます。これが現れると後、24時間程度で、いわゆる家族の方を呼んで下さい、と言う段階です。(主人はこの呼吸になってから半日で亡くなりました。)義妹の血圧はかなり低下して、昨日の夕方から尿も出なくなり酸素濃度も悪くなっています。死の準備を身体が始めています。正直、昨晩中に亡くなるのではと思いましたが義妹はまだ今も頑張っています。看護師さんもかなり頑張られてますねと仰ってました。ふと。
人は死への階段を下りていく際にほぼ確実に見られる生理的な動きがいくつかあるそのうちのひとつが下顎呼吸である顎をしゃくるようにして口を開けたままで大きく呼吸するそれには強く呼吸したり弱くなったりと波が伴うこともあるのだが呼吸が苦しいからしているわけではなくてそれが最も楽な呼吸状態になるから、そうなっているのである先日病院から退院してきて軽い顔面の浮腫を認めていた老衰のおばあさんを家族と十分話し合ったうえで点滴は行わずに、このまま見守っていく方針で同意を得ていた
お母さんが亡くなった時は分からなかったけど、今なら分かることがある。お母さんは最期、舌根沈下によって舌が落ち、気道が閉塞して呼吸ができなくなり、窒息死した。終末期は、栄養や水もとれず、舌の筋肉が落ち、舌根沈下になりやすい状態になっていて、さらにお母さんは最期なんらかの変化により(内臓破裂、出血など)急激かつ猛烈な痛みにショックをうけ、それが舌根沈下を引き起こしたと予想してる。舌が落ちる前、なにこれ?!と驚きパニックになりながら痛がってたから、相当な痛みだったんだと思う。
前回の続き。病院に着いて、お母さんに駆け寄る。すごく痛がっている。痛い、苦しい…とずっと言っている。15時頃に、痛み止め追加してもらう。早く早く!早く痛み止め効いて!!と願いながらお母さんを励ます。「お母さん!痛み止め追加したからもう少しで効いてくるはずだよ!頑張って!」背中さすったり手握ったりするけど、痛みはどんどん増してきている。15時10分。看護師さんから、24時間面会okの案内をされる。危篤状態や、患者が余命1日をきった時、泊まり込みで24時間面会okになる
11月19日、母と姉と私が特養に着くと、父は酸素マスクをして苦しそうに息をしていました。すぐに個室に移され、そのまま個室で3人で付き添いました。日曜日の夜は姉が付き添うことにして、私と母は帰りました。私はそもそもこの日は面会をしてそのまま帰るはずで、何の準備もしていなかったので、その日は夜、一旦自宅に帰りました。11月20日の朝、起きても特に連絡が来ていなかったので、亡くなっていないのだとわかりました。11月20日の朝、さくらを連れて母の家に行き、午後から父に付き添いました
ご訪問下さり有難うございます本当に寒くなりました。皆様体調を崩さないよう暖かくしてお過ごし下さいね【備忘録32】今朝は声を掛けても起きてくれなかった。聞こえてはいるようだが寝るの?と聞いたら小さく頷く。お茶も飲もうとしなかった。看護師さんを待つ。兄は今日は熱があるとかで仕事を休んでいた。看護師さんが急に容態が変わった事に驚いていた。スプーンでの水の飲ませ方や痛み止めの座薬の入れ方等を教えてもらった。看護師さんに母を病院に帰すなら今のタイミングしかないのでどうするのか聞かれ
【9月27日】午後1時過ぎ老人ホーム代表からスマホに電話あり。血圧が50を切った下顎呼吸(かがくこきゅう)を始めた現場の看護師が家族を呼び寄せたほうが良いと判断したとのこと。急いで、家族ラインで息子たちに周知。仕事先のヘルプ対応を、担当者に依頼。会社のボスに電話。土曜日まで休みを口頭で申請した。長男と2人、仕事を早退し老人ホームに駆けつけた。交代可ということで、次男、長男のお嫁さん、叔母2人、三男と次々に駆けつけてくれた。それぞれに最後の時間を過ごした。〈3人の孫たちと
く大人の発達障がい【発達障害】姉のアイスを勝手に食べても反省の色なし仕事終わりの楽しみにとっておいたアイス、勝手に食べられたらどうしますか?(笑)#夕食ルーティン#げんこつ#反省youtu.be2023/8/10入院4日目病院で朝を迎えた自分は朝四時に家に戻るため病院を出た翌日に次女は映画を観に行く予定映画は父の入院している町で観ている病院からの帰り道に思った明日でなく今日映画をみせてしまおうもしかしたら明日は映画を観られないことになっているかもしれないし今日映画を
続き1週間交代でスタートした実母の介護。私はやっと家に帰り爆睡。お風呂にゆっくり入ることもできた(介護中はスピード重視でシャワー)でも髪の毛を乾かす事も忘れて寝てしまったので朝髪の毛はすんごい事になってた‥。次の日の朝姉から電話。どうやら脈拍が速くなったり遅くなったり安定せず夜中も痰の吸引。どうしても痰がとれず緊急往診を頼んだらしい。そして医師から言われたのは「あと2、3日でしょう」と言う事だった。毎週1回の往診だったのだがこれからは毎日来てくれる事になった。だから私
かのこはあまり鳴かないコ。ご飯くださーい、ししまる兄ちゃん何かあったよ見てーと、教えてくれる。3月3日のかのこ、ご飯ください〜🍚七夕🎋あたりから抑揚なく「わんわん」鳴くことがあって、動けないから?認知機能低下?尿毒症の症状?ししまると同じ…。軽い痙攣もあって。17日海の日🌊の午後から具合が悪くなり、18日は朝から病院へ。並んで順番を取りダッシュで家に、近いって有難い。かのこはベッドごとカートに乗せて行きすぐに診察、主治医。前日の午後、ちゅーるを舐めていたら固まって、呼
動物の旅立ちを家で見守りながらゆっくりと過ごして枯れるように旅立たせてあげる人が増えてきた。「最期、枯れるように逝きました」「最後に看取ることができました」と報告をいただくことが増えてうれしい。ぼくの活動が少しづつ広がりをみせている。その中でよく言われるのが「最期、呼吸が苦しそうになってしまいました」って言われることが多い。
お立ち寄りありがとうございます。題名どおりパパ👨頑張ってる生きようと徐々に身体の機能が落ちてるけど一生懸命に息をしようとそんな時に些細な事で息子とケンカしてしまったこれまでの闘病生活の中でそれぞれに生活している子供達に迷惑や心配をかけないように頑張ってきた。その思いと実際、私とパパの苦悩どこまで子供達が分かってくれてる?知ってる?こんな事やあんな事もあった。どれだけ辛いことの連続だったか?その都度2人で頑張ってきた。息子のちょっとした軽い言動
実家へ到着し、車内で降りる準備をしていると、兄が車まできて、兄『早くきて。あぶない』と言ってきたので、そこで私は現実を突きつけられた感じでした。急いで玄関に入ると、Rちゃんの声が聞こえ、Rちゃん『〇○(私)きたよ!!!もう一回呼吸して!!』と一生懸命、母に言っていました。走って母のベッドへ駆け寄ると、母は黄疸で黄色くなり、口も開けた状態でした。私『お母、来たよ!!わかる??ねぇ、目開けて!!』何度も話しかけますが、肘から先はもう冷たくなってしまっていたので、
さきほど、0時30分、母が亡くなりました。一昨日は元気で、面会に行った時笑ってくれたのに。酸素吸入も点滴もはずせたのに。昨日の朝9時前に病院から電話があって、熱が出ていて、酸素吸入をマックスの10リッター入れているのにもかかわらず酸素濃度が上がらないので、危険な状態ですから治療方法を2つから選んでくださいと言われ、誤嚥性肺炎を起こしているので抗生剤投与を行いながら苦痛を和らげる治療をするか、人工呼吸器をつけるかどちらかですと言われました。抗生剤投与が有効かどうかはわからず、苦痛を和ら
今日は夜勤明けでした今回の夜勤でお二人のお看取りがお一人は夜勤に入ったときから今夜かなぁといった感じでご家族もそう聞きながらも帰宅されお看取りになりましたもうお一人は朝お顔を拭くためのホットタオルを持ってお部屋へ行くと下顎呼吸慌てて担当看護師に声をかてやって来た看護師が慌てて家族さんへ連絡お看取りになりましたこれまで何人の方のお看取りにかかわってきたのか正直数えた事はないのでわかりませんが慣れる事はありませんそしてその度に思うのです昨日と同じよう
3月25日2:45ナースコールで来てくれた看護師さんが喀痰吸引オムツ交換体位交換をしてくれています私は母のベッドの足元から少し離れたところにいました(近くでガン見は失礼よね)体位交換している時母が「ううっ」みたいな声を出しました咳払いのようなうめき声のようなそして、看護師さんが母を仰向けにして胸に手をあてますえっ???えっっ???「呼吸止まりましたね」と言われた気がします「ご家族に連絡していただいて」「あ、はい」お兄ちゃんに電話お兄ちゃんはすぐ出
※※※閲覧注意※※※備忘録として残しています3月24日お昼頃グループホームに入居している認知症の母が緊急搬送され14時過ぎに脳出血で手の施しようがない母と対面し2時間くらい兄と家族3人で過ごし16時半くらいから病室で母と2人きりになりそして3月25日1:55(めっちゃ痰からんでるな)(この痰が詰まって息が止まるとかないのかな)2:27(これが下顎呼吸なのかな)(お兄ちゃんに電話した方がいいのかな)(ナースコールする?)2:39(やばそうだよね)(
その日は午前中から下顎呼吸だった息子さん2人に連絡すぐに来てくださったが下顎呼吸のまま数時間が過ぎた次男「一旦帰ります。」私「いつ呼吸が止まるかわかりませんので、いていただけると嬉しいですけど…」次男「いや、そう言ってもう何時間も経つので。」私「次お呼びするときは、間に合わない可能性が高いですがよろしいですか?」次男「そういうことか…ん〜まあいいです。一旦家帰りたいし。」長男「私も帰ります。間に合わないの
母が永眠致しました。2021年6月、1年半の闘病生活から幕を閉じました。いつも通り御見舞に行くと喘鳴、下顎呼吸をしておりました。そちらを3時間程し、息が弱り静かに呼吸が止まっていくのを感じました。皆で集まることができ、看護師さんと一緒にエンゼルケアを全て立ち会うことが出来、とても嬉しく一緒に笑いながら行え、場違いですが楽しかったです!娘も妹や父を電話で呼んだり声をかけてくれたりと頑張ってくれました。ある程度処置が終わると、ご遺体の周りで笑いながら昔話や葬儀社のこと、どのような葬儀内容が良
父が他界したのは4月30日前日夜から危篤状態になりいつ心臓が止まってもおかしくないそんな状況の中、父に寄り添い翌日の午後、心臓が止まるまで側にいることができました。下顎呼吸をする父の枕元で父が最後に来場した定期演奏会のCDをずーっと流していました。下顎呼吸【最期の日】ご家族が後悔しないために「亡くなる直前の5兆候」をお話します#100今日のテーマは「亡くなる直前に現れる5兆候」です。大切な人の最期の時を考えることはとてもつらいことです。また前のように元気になって、元の生活に
母の体に付いている管を外してもらった。私は、母の着替えと化粧を終えた。髪はボサボサだったので、母の好きな帽子を被せた。母の言い付け通り、母の愛用していたメイク道具で丁寧に化粧した。チークが少しピンク過ぎないか?と思ったが、仕上がりは『いつもの母』だったのが妙に嬉しかった。父や兄に連絡を入れ『もうすぐお別れの時間だ』と告げる。主人には『家の車で返したいから、洗車して後ろのシート倒してきて』とお願いした。定期的に看護師さんが様子を見にきてくれる。主人の両親が子ども達を連れてきてくれた。
末期がんを告知された兄(知的障がい者)のおはなし『意識がもどる』末期がんを告知された兄(知的障がい者)のおはなし『看取りのイメージ』末期がんを告知された兄(知的障がい者)のおはなし『家へ帰ろう』末期がんを告知された…ameblo.jp↓つづきです(^^)10月2日(日)兄は意識混濁の状態から奇跡的に回復しましたただ、以前のように自分で起きあがり立ちあがってトイレへ行くのは難しそうでずっと兄が避けていた紙おむつを使うよう
末期がんを告知された兄(知的障がい者)のおはなし『看取りのイメージ』末期がんを告知された兄(知的障がい者)のおはなし『家へ帰ろう』末期がんを告知された兄(知的障がい者)のおはなし『意識混濁』末期がんを告知された兄(知的障…ameblo.jp↓つづきです(^^)10月2日(日)兄とともに特急列車のちいさな旅を終えて自宅に帰ってきましたルーシー:ロイちゃんおうち着いたよ兄をクルマの助手席から車いすへ移乗させ、
昨日からの経過です。12月2日。午前9時半。訪問看護ステーションから、看護師さんが来られました。血圧はまだ上が80台。酸素濃度も93。(酸素吸入器を使って)まだ急激に何かある感じではない、との事。呼吸は痰が絡んで苦しそうにぜろぜろ音を立てています。看護師さんが身体全体に痒み止めの軟膏(皮肉な事に湿疹はかなり改善)を塗っていると、お腹に刺していた針が取れているのを発見。その時にタイミングよく在宅医の先生から様子を伺う電話が入り、先生の指示で看護師さんが、針を腕に入れ
末期がんを告知された兄(知的障がい者)のおはなし『家へ帰ろう』末期がんを告知された兄(知的障がい者)のおはなし『意識混濁』末期がんを告知された兄(知的障がい者)のおはなし『特急列車に乗って24日目』末期がんを告知さ…ameblo.jp↓つづきです(^^)10月2日(日)容態が急変した兄を乗せて車を走らせる30分ほどの距離なのに10分が1時間にも感じてなかなか家にたどり着けないこんな日がくるのはわかっていたつも