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宮島のお土産物屋さんやまむら商店店主の山村ゆう子です姑の看取りを忘備録として書いてきました。これが最後。看取り手続きから2ヶ月、悩みに悩んで、結局10月12日に水分の点滴を外しました。通常だと口からの摂取が無いと保って一週間といわれました。夫は介護休暇をとり母の側にできるだけいることに。亡くなるまでの一週間を書きます耳は聞こえていると、一般的に言われているので
前回の続き。病院に着いて、お母さんに駆け寄る。すごく痛がっている。痛い、苦しい…とずっと言っている。15時頃に、痛み止め追加してもらう。早く早く!早く痛み止め効いて!!と願いながらお母さんを励ます。「お母さん!痛み止め追加したからもう少しで効いてくるはずだよ!頑張って!」背中さすったり手握ったりするけど、痛みはどんどん増してきている。15時10分。看護師さんから、24時間面会okの案内をされる。危篤状態や、患者が余命1日をきった時、泊まり込みで24時間面会okになる
動物の旅立ちを家で見守りながらゆっくりと過ごして枯れるように旅立たせてあげる人が増えてきた。「最期、枯れるように逝きました」「最後に看取ることができました」と報告をいただくことが増えてうれしい。ぼくの活動が少しづつ広がりをみせている。その中でよく言われるのが「最期、呼吸が苦しそうになってしまいました」って言われることが多い。
先日の続き。4/8(土)朝の六時前まで起きて様子見てましたが、かのこちゃんは呼吸を辞めませんでした。この時失禁も有りました。口は半開きのまま。。。脱水が酷かったので、本当に気持ちばかりの20cc程の補液を点滴しました。口も乾いていたので、シリンジで数滴垂らすと、少し間を置いて嚥下しました。朝方5時前の動画。3時間ほど仮眠して9時頃。かのこちゃんは生きていました。そして掠れて殆ど聞こえない声で、鳴きました。首を少し上げて。あれ?朝方より少し元気になってる!?そう感じながら
お母さんが亡くなった時は分からなかったけど、今なら分かることがある。お母さんは最期、舌根沈下によって舌が落ち、気道が閉塞して呼吸ができなくなり、窒息死した。終末期は、栄養や水もとれず、舌の筋肉が落ち、舌根沈下になりやすい状態になっていて、さらにお母さんは最期なんらかの変化により(内臓破裂、出血など)急激かつ猛烈な痛みにショックをうけ、それが舌根沈下を引き起こしたと予想してる。舌が落ちる前、なにこれ?!と驚きパニックになりながら痛がってたから、相当な痛みだったんだと思う。
ご訪問下さり有難うございます本当に寒くなりました。皆様体調を崩さないよう暖かくしてお過ごし下さいね【備忘録32】今朝は声を掛けても起きてくれなかった。聞こえてはいるようだが寝るの?と聞いたら小さく頷く。お茶も飲もうとしなかった。看護師さんを待つ。兄は今日は熱があるとかで仕事を休んでいた。看護師さんが急に容態が変わった事に驚いていた。スプーンでの水の飲ませ方や痛み止めの座薬の入れ方等を教えてもらった。看護師さんに母を病院に帰すなら今のタイミングしかないのでどうするのか聞かれ
2020年2月15日口腔内扁平上皮癌を患い闘病生活も12ヶ月目に突入しながらも5歳の誕生日を迎えられたよ扁平上皮癌でもお顔の崩壊も眼球の破裂もなく(↑とにかく避けたかった症状)口蓋には潰瘍性の扁平上皮癌特有の大きな穴が開いてますがかろうじて薄皮一枚で鼻腔に達することなく迎えられた誕生日でした次の腫れが起きたら鼻腔に達し呼吸困難になるここまでがんばったんだから呼吸ができない苦しさの中で逝かせる必要ない...って安楽死を選択する場合のタイミング
昨日付き添いすればよかったな。そう思ったけど、お母さんが寝かせてくれたのかもと思うようにした。お母さんの呼吸は意識が低下してからずっと、息を吸うと胸が凹み、吐くと戻るシーソー呼吸になってて意識はないけどしんどそうな呼吸だなと思ってた。この日もシーソー呼吸だったけど、いびきはなくしんどくなさそうに感じた。呼吸少しでもしんどくないようにと酸素のメモリを最大にしてくれていてブクブクの音が病室中響いていて、テレビの中のワンシーンみたいだなと思った手足が冷たくなってきて、足の指が紫色になってきて
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月24日...⑤誰も何も言わないけれど翔平...大丈夫なんだろうか...。不安で何度も家族に連絡し、お父さんも弟もそして、おっちゃん(もう一人のお父さんと慕っていた)も、仕事の前に来てくれる事になっている。暗くて、不気味な夜がようやく明けてやっと朝がきた。もうすぐみんな来てくれるよ!翔平に声をかけるとうっすらと目を開けたように見えた。それからま
昨夜から病室に泊まっています。母はもう飲み込む力も吐き出す力も無くなってしまい、喉に唾が溜まっても自力ではどうする事も出来ない為、1時間起きに看護師さんに吸い取りしてもらいました。その度に私も目覚め、時には吸引の為ナースコールを2回ほど押したり、母は息を吐く度に声もアーアー出していたのが、聞こえなくなると呼吸が止まっちゃったんじゃ?と確認していたので眠れたのは早朝6時半〜8時頃でした。今日は叔母が交代で母を見守っていてくれたので夕方まで母宅で仮眠、お風呂と少しゆっくりできました。叔母がお
ばぁ様(母親)の永眠から、告別式まで一通り伝えたい事をつづってます。それは在宅での緩和ケア在宅介護在宅での看取りなどなど素人が自宅にて最期を見届けるための色々な要素を書き綴ってます。不安で不安でばぁ様の死がどんな形で現れるのか?全く未知の世界でそれを今はsnsなどネットを通じて調べられます。だからこそ、このブログが少しでもそういった方々のお役に立てられたらな。と、思ってます。そして、リアルな内容もあるかと思いますので気にされる方はスルーしてください。誰かのために
死にゆく人を撮った動画…そんなものが許されるのだろうか。ネットにはある。誰がそんなものを撮ってUPするのか。確か介護か医療関係の人だった。死の直前の自分の父親を撮ったのだ。下顎呼吸、あるいは死戦期呼吸のリアル…。この動画が誰かの役に立ちますように…と願いながら。少なくとも私には役に立った。亡くなった日、横向きに寝ていた母が口をもぐもぐと動かし始めた。死の直前には下顎呼吸という特異な呼吸の仕方になるとは、知識として知っていた。イメージとしては、その語感からなん