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【送料無料】龍と謙信/武川佑楽天市場毘沙門天の生まれ変わり、なんてイメージのある上杉謙信。BL要素のある作品にも出てきたりしますし、実は女性であったとか、謎多き人物でもあるような。で、そもそも上杉家ではなく長尾家の出身。異母兄から当主の座を奪ったようにも言われていますが、姉には頭が上がらず、独身で後継者問題が起きたりもしています。異母兄については、当主の重責に耐えられなかったようで、末弟として異母兄に成り代わることの重みを熟知し、その心理的負担から奇行が見られたように、描か
最近のニュースを見ていて、「これって、昔の戦国時代と同じじゃない?」と気づいたことがあります。歴史を振り返ると、戦国大名たちの争いは「領土や資源の奪い合い」でした。そして現代の中東情勢、特に「ホルムズ海峡」を巡る対立も、本質はまったく同じなんです。💡現代の「塩留め」=石油のルート封鎖戦国時代、武田信玄を困らせるためにライバルたちが生きていくのに不可欠な塩を止めた「塩留め(しおどめ)」という経済制裁がありました。(そこで上杉謙信が『敵に塩を送る』わけですが)現代において、この「塩」の
【問題】上杉謙信は上洛した際に足利将軍から裏書御免など多大な特権を与えられたが、これは次のうち何と呼ばれるか?【選択肢】謙信の四免除長尾の三免責上杉の七免許景虎の五免罪【正解】上杉の七免許【解説】永禄2年(1559)に上洛した謙信は、足利義輝から裏書御免、五七桐紋や白傘袋・毛氈鞍覆の使用許可など、管領並みの特権を与えられた。これらを「上杉の七免許」という。
こんにちは日本冠婚葬祭司会・アテンダント検定協会グランディメモリーの木野島光美(テルミ)です。山形県米沢市にて。上杉謙信公ゆかりの方々が集われた式典が今日しめやかに執り行われました式典の開会が午後だったためグランディメモリーからお手伝いにうかがったスタッフらは午前中のうちに上杉謙信公を主祭神として祀る上杉神社に参拝式典の成功祈願を致しました。https://yamagatakanko.com/attractions/detail_1390.html上杉神社|観
懐中温泉です、歴史シミュレーションその14越後の騎馬。越中の騎馬。彼らは、単独では鉄砲に弱い。しかし、鉄砲で一瞬「動きを止められた」敵に対して、一気に距離を詰めることができる。「これが、“組んだ騎馬と鉄砲”か」白浜で地図を見ていた結は、頭の中でその光景を重ねます。鉄砲で止める。騎馬で崩す。槍で固める。織田・徳川が長篠で見せた「鉄砲による騎馬撃退」とは逆の構図。ここでは、「鉄砲と騎馬が同じ側に立っている」。九頭竜川の岸辺は、もう静
今日紹介する四字熟語は流星光底(りゅうせいこうてい)意味:勢いよく振り下ろされた刀剣の閃光です全て簡単な漢字で構成されていますねこの四字熟語を初めて見た時はキレイな流れ星のことやろなくらいに思っていたのですがまさか”刀剣の閃光”を表す言葉だったなんて少し驚きましたねこの言葉は勢いよく振り下ろした刀が一瞬輝くことを流れ星の輝きにたとえたことから来ていますいいセンスやん!!僕は剣術のことはよく分かりませんが流れ星の輝きを思わせる太刀筋なんてきっと相当の達人なので
先月末、米沢に行ってきた行く道中、SAで休憩してはごはん家族が好きなので…ご当地ラーメン運転手への労いっす夜は牛鍋!!めちゃ美味しかったやわらか~~ご当地で食べる特産メニューはクオリティ高くてボリューミー全身の細胞が大喜びで健康になれる(気がする)翌日朝食はホテルのビュッフェ芋煮など山形名物がどっさり満腹朝食後は家族イチオシ上杉謙信が眠る場所…こうなると上越の春日山城に行きたくなるそし
新潟県上越市に行ってきました🙌まずは…落ち着いて😁w前のブログで紹介していますが北陸「道の駅」制覇のご褒美で〝吟醸かんずり6年仕込み〟が当選しました!今まで〝かんずり〟を意識したことなかったんですが妙に気になり始めて…w上越(妙高)の直売店に行ってきました!季節によってトウガラシの色が変わるそうです😁秋になると赤くなるそうですよ!必見ですね🌶️ここでは試食も出来ます🍴甘かんずりの柚子の皮かんずり酒盗美味しかった購入〜👛お酒のお供に薄く切った大根に乗せて頂きたいッ
【感想】肝心の手取川の戦いのシーンとそれ以降については、独自の推測が随分目立ったが。手取川に至るまでの上杉謙信と織田信長についての記述がよく纏っていて、面白かった。近年、信長は、室町幕府を重視していたという分析がなされているが。筆者の説によると、信長は、将軍足利義昭を京都から追放した後も、義昭の息子を奉じて「安土幕府」を打ち立てるという政権構想を持っていた。そして、その“後見人“になる事を考えていた、らしい。一つの見解として面白く、信長像は変貌したのだなと思う。筆者には、今後もこういう本を出し
上杉謙信は戦国一の義将として有名であるが、これほど誤解されている武将も珍しいので、それを明らかにしてゆきたい。彼の最大の版図は、越後、佐渡、越中と上野の半分、能登の大部分と言ったところで、約100万石であった。約2万5000の兵力を養うことが出来きた。さらに佐渡、越後共に良港が多く、海上貿易が活発であった。その上、国内最大の金山である佐渡金山を有しており、その気になれば兵力3万5000人も可能であった。ところが、実際はその兵力は9250人に限定していた。何故か、「我に九千の兵あらば、いかなる
Web-yoshy'sgarageへようこそ♪管理人のヨッシーです。<THEME/SHORTTOURING>(Short-distancemotorcycleriding)休暇が取れたので、梅雨入りしてしまう前にと以前より懸案事項としていながら、様々な理由よって機会を逸していた「越後国」へのツーリングに出掛けることとシタ♬【関連記事】≪2026.6.17更新≫【越後国ツーリング①(フォッサマグナ編)♬】『【越後国ツーリング①(フォッサマグナ編)♬】』
〇現存する色部長門追念碑。新潟市中央区関屋下川原地内〇これまでいくつか、新潟市付近の戊辰戦争の記録について書いてきましたが、当年の生存者、斎藤巳三郎の回想を見つけましたので、これを書いていきます。〇原文は旧漢字で慣用句、熟語等不明な部分がありましたのでいくつか書き直した部分があります。●公憤に燃える関屋の村人●戊辰戦争はもちろん攘夷、討幕が根基をなし、それが表面化して爆発したものがそれである。しかして、そのいずれに属すとも国家の大本に立脚しているのであるから、今日におよんで
(2026/5/20)神社シリーズ『5/20(9日目)長野→新潟』道の駅オアシスおぶせ車中泊しました。信越放送(株)(SBC)本社善光寺表参道善光寺仁王門善光寺仲見世通善光寺山門善光寺参拝🙏……妙高!新潟県上越市に来…ameblo.jpこの日は善光寺に行った後、上越に向かいました。上越に行ったら謙信公(銅像)に会いに行きました。新潟の謙信公といえば春日山城跡で、春日山には登りませんでしたが、中腹の春日山神社⛩️に参拝しました。春日山城絵図pdf謙信公銅像参拝🙏謙信公を祀っ
「毘」「龍」の旗印上杉謙信は侵略のためには戦わない、すべてが筋目、大儀を重んじた戦で、頼まれたら嫌とは言えぬ義の心を持った武将だったとされる。”刀八毘沙門”の旗は、戦の神毘沙門天の一字をとった。将兵はいつも毘沙門天とともにある。”懸かり乱れ龍”の旗印は、総攻撃を仕掛けるときのみ本陣に立てられた。上杉家十代鷹山公困窮崩壊寸前の藩を復興させた。天明の飢饉では一人の餓死者も出さなか
ジャケット?😅みたら怖いでしょうが、上杉謙信が数少ない負けを喫した話が載ってるんですよ📗戦国大名でもなく北条の国人衆が守る城に大惨敗したんですよ🏯🔥面白そうですね😏#城をひとつ#伊東潤さん#臼井城🏯#北条家#上杉謙信🐎#数少ない負けた戦い🔥
さて、2日目の7/2です。雨が降っていますので上下合羽を着込んで散歩に出ます。一つ別の寺を経由してやってきたのは堂森善光寺。前田慶次が晩年を過ごした場所のようですが、こちらは前田慶次を模した犬のキャラなんだとか。比較的新しい兜むくりモニュメントなるものがあります。兜をくるくると回すことができますが、これを「むくる」と言うんですかね?米沢駅では慶次が迎えてくれます。車に戻り散歩は終了。慌ただしく着替えて、まだ止まない雨の中今度は傘を指して東光の酒造へ。僕は
越後の龍・上杉謙信は、莫大な富を得ていた織田、武田、毛利よりも経済的には優位1570年代後半以降は、織田信長が謙信を上回る経済力柏崎港、直江津港は越後国は日本海交易の要衝関税収入だけで四万貫(30万石大名収入と同等)正確な収支記録が残っているわけではない佐渡金山、高根金山という有数金山所有佐渡は金よりも銀山として一部開発されていた可能性あり1601年に世界有数の金山となり、徳川家康が直轄化越後上布という有数の特産品に課税
武田信玄と上杉謙信が争っていた、川中島の合戦では、永禄四年の戦いがもっとも激しいとされている。何回目かの戦のとき、上杉方が不利となり、上杉謙信は数人の家来を従い逃れた。安田の渡しにたどり着いたとき、謙信と一人の家臣だけであった。謙信は急いで船頭に命じて船を出させ、飯山にたどり着くことが出来た。そのころの渡し船は両方の岸に張られた太い綱を伝わって運行するようになっていた。謙信は飯山の岸にたどり着くと自らの刀で綱を切り落とし、追手が船を使えないようにした。この渡しがあっ
「カミムスヒ10周年記念ライブ」(Photos:松谷さん)ご来場、ご視聴いただき、本当にありがとうございました会場、そしてオンラインを合わせて270名もの皆さまと、この節目の日を共に迎えられたことを、心より感謝申し上げます当日は、結成当初から見守ってくださった方々に、温かいご祝辞をいただきました全国各地から舞手の皆さまが集い、それぞれの祈りや想いを舞にのせてくださいました。その姿は、本当に美しく、胸を打つものでした10年前、油川さゆ
【東大教授が読み解く】上杉謙信が「義の武将」と持ち上げられ、武田勝頼が「無謀な愚将」と貶められた"後付けの痕跡"【東大教授が読み解く】上杉謙信が「義の武将」と持ち上げられ、武田勝頼が「無謀な愚将」と貶められた"後付けの痕跡"上杉謙信は「義の武将」として語り継がれる一方、その実像は信仰や理念だけでは語り尽くせない複雑さを秘めています。武田勝頼の「愚将」イメージもまた、時代や家の物語によって形作られたもの。歴史が生み出す英雄と敗者の像、その裏に隠された真実とは?(このリード文はAIが作成しました)
こんにちは!前回は昨夜のワールドカップ観戦のお話でした↓『ワールドカップ〜夜中の歓声〜』こんにちは!前回はジナンのロングシュート?のお話でした↓『わが家の壁はゴミ箱じゃない。ジナンの脱ぎ捨てロングシュート。』こんにちは!前回はのお話でした↓『…ameblo.jp今日は学校で、眠いだろうな。共働き男子3兄弟、我が家について↓『我が家のざっくり紹介。』こんにちは今回は、我が家の紹介です。我が家は5人家族で、とある地方都市に住んでいます。地方都市なので普段の生活には何の支障もありませ
偉人・敗北からの教訓第146回上杉謙信・生涯最大の惨敗を喫した臼井城の戦い「自分がどれだけ優れていても、価値観や常識が違う人々を思い通りに動かすことは出来ない。同じ目線で相手を理解することから始めよう」同じ目線は、大事↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
偉人・敗北からの教訓第146回上杉謙信・生涯最大の惨敗を喫した臼井城の戦い「人の心は遠く離れた場所からでは掴みきれない。どんなカリスマでも、大事業を成し遂げるには一人の力では限界がある」それが、難しい….↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
偉人・敗北からの教訓第146回上杉謙信・生涯最大の惨敗を喫した臼井城の戦い「壮大なビジョンを掲げても、誰もがそれに共感するとは限らない。自分の理想ばかりを語るのではなく、相手の実情にも耳を傾けよう」傾聴、大事。↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
昨日のBSイレブン「偉人敗北からの教訓」では、「上杉謙信」による「臼井城の戦い」で何故「謙信」はこの戦いで大敗北したかを、小説家の「伊東潤」さんが解説していました。この番組は毎週見たりビデオに収録して後日見たりしますが、「伊東潤」さんの解説は、毎回選ばれた偉人の歴史と共に現代に通じる教訓が示されるのが解りやすくて勉強になります。「上杉謙信」は「義」に篤い人で領土拡張は望まず、国衆の要望(援軍)に応じた戦いに出向くスタイルを取り続けていたことは良く知られています。越後から「三国峠
懐中温泉です、歴史シミュレーションその1白浜の夕暮れの海を眺めながら、結はページの端を指でなぞりました。古本屋で見つけた学研の歴史群像シリーズ『上杉謙信』その巻末に載っていた「もし謙信が死ななかったら」という歴史シミュレーションは、思っていたよりもずっと具体的で、冷静でした。天正六年。本来ならば、ここで上杉謙信の時間は途切れます。しかし、そのシミュレーションの中で謙信は、ただ「死なない」だけではありませんでした。北陸平定を進めながら、
許された.......およそ1億と2000年ぶりに「7の付く日」の丸恨系列に入店を許された.......ッ!!!()これは天文学的な確率ですよ、皆さんッ!!!().......などという【茶番劇】を脳内で展開しながら、努めて冷静にMHw店の「戦国乙女5」を確保へ。およそ「勝ち」を意識するのであれば個人的に相性のいい「カバネリ海門」を選択するのもアリだったんですが、やはり
今日はminne補充用のはんこ作成😤上杉謙信の旗と頭巾の3点セット。わが水鳥堂の数少ない売れ筋賞品です😅#消しゴムはんこ#上杉謙信
【驚愕】上杉謙信は女性だった!?戦国最強の「軍神」として知られる上杉謙信。織田信長や武田信玄をも震え上がらせた、まさに男の中の男…というイメージが強いですよね。ですが、そんな謙信に「実は美しい女性だったのではないか」という、驚くような歴史のミステリーがあるのをご存知でしょうか。ただの都市伝説だと思って侮るなかれ、当時の記録を紐解いていくと、なんとも奇妙な事実がいくつも浮かび上がってくるんです。まず有名なのが、謙信の「謎の体調不良」です。謙信は毎月10日前
懐中温泉です、長篠の戦い史実では、武田の騎馬が織田・徳川連合の鉄砲隊に打ち砕かれた戦い。教科書にも載る、あの有名な構図です。同じ場所、同じ条件。ただし、登場人物と編成は違う。「同じ状況でも、同じ結果にはならない」それを証明するような戦にしたい結はそう考えました。織田・徳川連合軍。鉄砲を多数並べ、柵を築き、迎え撃つ陣形。見慣れた風景です。一見すれば、有利なのも変わりません。ですが。「それ、読まれてるよね」今回、その