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本日は弓削道鏡です!道鏡は一物が巨大だったという様な話を聞きますが、本当でしょうか?どの様な本に書いてあるのでしょうか道鏡の一物についての記述は、古くは平安初期の弘仁13年(822)成立とされる『日本霊異記』にみえます。『日本霊異記』は現存最古の説話集としても有名ですね道鏡失脚からまだ50年も経っていない頃に成立したとされるものです。ただし説話集なので、この中にみえる話が本当だったかどうかは分かりませんまた、『日本霊異記』ではまだ「巨根」という描写はあり
生石(おおしこ)神社について社伝では、崇神天皇の時代、国内に疫病が流行していたとき、石の宝殿に鎮まる二神が崇神天皇の夢に表れ、「吾らを祀れば天下は泰平になる」と告げたことから、現在地に生石神社が創建されたとしている。石の宝殿について石の宝殿は、岩盤を上から掘り抜いた作られたもので横6.4m、高さ5.7m、奥行7.2mの巨大な石造物。水面に浮かんでいるように見えることから「浮石」とも呼ばれる。竜山石は古墳の石棺に使われている事から家形石棺では?とかいろいろ説があるけど詳細は不明。重さは約400
窓を叩き付けるような強い雨風の今日の早朝。大谷選手の活躍を見ようと寝床から飛び起き、テレビの前に陣取りました。なかなかの活躍ぶりでしたが、オーバーランが余計だったのと、ホームランが欲しかった~次戦以降に期待しましょう。野球シーズンの幕開けが嬉しいです♪見ているだけでほっと安らぐものは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう『マリモの日』1952年(昭和27年)の今日、北海道阿寒湖のマリモが国の天然記念
(ちりおえんはなのリレーやしだれうめ)城南鳥居神明鳥居とも明神鳥居とも言えない鳥居ですね?額束が無い事や貫が柱と柱の間で収まっているので神明鳥居‥‥。両端が反る笠木が載ってるので明神鳥居‥‥。島木、笠木、更に覆い屋根が載ってますね。島木の中央に三光紋、左右に菊の紋章の金具が付いています。枝垂れ梅の見頃も過ぎていました
今日は朝から病院行き薬をもらって帰るつもりだったがまだ11時過ぎなんで近場を軽く散歩することにした。高砂運動公園に車を停めて竜山〜石の宝殿〜日笠山連山の北側〜御着南山〜御着駅の予定約14k4〜5時間ぐらいかなぁまずは砕石場の横から登り竜山眺めが良い生石神社に向かう途中砕石場の断崖絶壁生石(おうしこ)神社そして御神体の“石の宝殿“岩盤を上から掘り抜いで作ってある。古墳の石棺とかいろいろ説はあるけど詳細は不明。播磨国風土記や万葉集にも記載あり上から見るとこんな感じ山頂高御
よく見るとすこしは咲いている…みたいやね~⤴️🙂一分咲くらいかなぁ❔🌸ここからはガラス一枚なんで、よく見える。視野が狭いのが欠点やけど、結構良いアングル、良い景色🌸⤴️🤗1枚目は一番よく見られるカット。有名な景色やで❕⤴️🌸退院する頃には花盛りになっているやろ🌸🤗この病院は僕らの街、県の医療の中心やからこういう光景もよく見ます。3枚目はある河原に救急患者が運ばれて来てソレをドクターヘリに乗せ替えて応急処置をしてこの病院に救急搬送する様子です😧✌️こういう事は僕はよ
当初は早いと思われた開花が思いの外遅れてて、ヤキモキさせてるソメイヨシノ。さすがは春の主役です!たっぷり待たせてご登場?で、ふと、こんな歌が頭に浮かんでしまいました。〈在原業平〉世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし或いは。〈中務〉咲けば散る咲かねば恋し山桜思ひ絶えせぬ花の上かなそして、咲いたら咲いたで。〈紀友則〉ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむまたは。〈西行法師〉春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけりもう
◯2022年12月19日に、奈良県橿原市へ出掛け、大和三山へ登って来た。今回が八回目の大和三山登山だった。大和三山がどういう山であるか。なかなか理解していただけない。ある意味、日本を代表する山が大和三山なのである。第一回1992年3月28日第二回2003年8月11日第三回2005年5月10日第四回2009年3月29日第五回2010年4月3日第六回2011年5月3日第七回2017年9月5日第八回2022年12月19日
こんばんは、mmm(まーママ)です。3月17日(日)奈良観光、3ヶ所めはこちら。奈良県立万葉文化館奈良県高市郡明日香村飛鳥10「万葉集」を中心に古代文化をテーマにした体験型ミュージアム。無料でこの展示は凄いせんとくん、おはようございます。市のようす富本銭を作る職人一番古いお金は「和同開珎」と学校で習ったけど、今の教科書は「富本銭」に変わってるんだって。富本銭日本で初めての鋳造による銅銭。平成10年、奈
伽耶院は、大化年間、法道仙人が毘沙門天のおつげによって創建したという神秘的なお寺。本堂、多宝塔、三坂明神社本殿、木造毘沙門天立像は、いずれも国の重要文化財となっています。伽耶院兵庫県三木市志染町大谷410拝観・駐車場は無料平安時代中期には数十の堂宇と百三十余の坊塔をもち、花山上皇の行幸があったと記されるなど隆盛を極めました。山門を入った左手には、これからカタクリの花が見頃を迎え、桜が咲き、枝垂れ桜が見頃を迎えます。山門から社務所前を通り、本堂に向かう途中と、本堂方面
講演のため、福岡に来ました!お仕事のお話はまた別ブログに書きますので、まずは元号「令和」ゆかりの地である太宰府観光についてレポートしたいと思います。太宰府といえば、太宰府天満宮。まずは、こちらの太鼓橋を渡ります。太鼓橋は、このように、3つの橋から成るのですが、橋を渡ることで、過去、現在、未来の邪念がはらわれ、心身が清められるとのこと。橋を渡ると、桜門があります。御本殿は改修工事中のため、御本殿前でお参りしました。その後、この急な階段を登り、天開稲荷大明神を参拝しました。参道で
日々、一歌89/365+1窓よりもレーダーでまず空模様珍しく生活感で、一句!
「穢れ」と「言霊」の謎:その31神農、炎帝神農は、古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人とされ、人々に医療と農耕の術を教えたことで、神農大帝と尊称されていて、医薬と農業を司る神とされている。薬王大帝、五穀仙帝とも呼ばれる。さらに神農は初代炎帝ともされる。初代炎帝は、古代中国の王で、120歳まで生き、長沙に葬られたといわれている。120歳まで生きたなんて話はモーセだけである。神農の神話には、確実にモーセが投影されているとみていい。なにせ神農にもモーセと同様、なぜか頭に2本の角まで生えている
こんにちは。前回は桜のお話をさせていただきました。春、春本番、花見というと大概の方は桜のことを連想されると思います。昔は花見というと梅であったようですね、万葉集にも梅を歌ったものがあります。それが次第に桜へと変わっていくようですが。梅というと2月、暦の上では春となりますね。暦記録上で……と、あるように余寒がすさまじいですからね、立春は冬至とお彼岸の中間になるのでしょうか?光の方では春らしさがあるのですけどね。その光と梅(の花)等で辛うじて春を感じていたのでしょうかね?一方で桜が開花、満開と
春はすぐそこ…何日ぶりなんだろうスゴく良い天気…久々の青空に誘われ野に出るそこは…秘密にしたい絶景の地シッテルヒトハシッテルケレド…見上げれば高い蒼空…眼下に広がる長い玉石の海岸線には白波めっちゃ気持エエやん珈琲でも飲もうかな実は何を隠そうナンイモカクセヘンケドこっそりこんなモンを用意してるこっそりと…気分はアウトドア・カフェタマにはこんなんもエエかもそれにし
bylui'smom3月28日の誕生花🌼はやまぶき花言葉は気品崇高金運バラ科ヤマブキ属古くは「山振」やまぶり細くしなやかな枝が風に振られるさまに因みこの「やまぶり」が「やまぶき」に転訛「やまぶき」は春🌸の季語で、万葉集にもたびたび出て来ますその中から高市皇子の歌を…“山振の立ちよそひたる山清水くみに行かめど道の知らなく„"やまぶきの花🌼が咲いている山の清水を汲みに行こうと思っても道がわからない"これは異母妹の十市皇女が亡くなっ
枝垂れ柳(シダレヤナギ)の花ー都立水元公園タナゴ釣の帰りに撮りました!今日のタナゴ釣りの前に初めて撮りました。最初若葉に見えましたが、望遠で見たら花なので嬉しかった。原産:中国中南部科/属:ヤナギ科/ヤナギ属開花期:3月〜4月日本へ渡来した時期は不明だが、春を告げる植物として万葉集に詠われていること、平安京の街路樹として使われた記録があることから、奈良時代後期以前に伝わったと考えられている。byGoogle
精霊の森のアセビの花です今年のガーデンで一番最初に咲いた花でもありますガーデンにまだ残雪がある時期にご覧のような小さな壺型の薄紅色の美しい花を咲かせます(白花もあります)ツツジ科/アセビ属常緑低木花言葉献身・清純な心誕生花3月9日アセビの落ち葉には他の植物の成長を抑制する物質が含まれておりアセビの下では他の植物が育ちにくいので注意が必要ですアセビ(馬酔木)の名前の由来は馬がアセビの枝葉を食べると呼吸中枢が侵され、酔ったよ
◯2022年12月18日から21日まで、第四回京都旅行をした。題して「大和三山・醍醐山参詣旅」と命名した。ここのところ、京都とその界隈を歩き続けている。その第四回が、今回の「大和三山・醍醐山参詣旅」で、ちょっと足を伸ばして奈良県橿原市に存在する大和三山を歩いて来た。今回が八回目の大和三山登頂になる。第一回1992年3月28日第二回2003年8月11日第三回2005年5月10日第四回2009年3月29日第五回2010年4月3日第六回201
日々、一歌88/365+1山桜匂い立つ日を待ちかてに春はいずくと鳴くぞウグイス寛平の御時、后の宮の歌合の歌【在原棟梁】春立てど花も匂はぬ山里はものうかる音に鶯ぞ鳴く古今和歌集春上より
「桂本万葉集」の臨書です。
学生時代に古典和歌のアンソロジーを作ったことがある。勅撰和歌集と万葉集それぞれから四季の歌と恋の歌を選んだものだ。それが、数十年の時を経て出て来た。選んだ歌が懐かしく、考証は恥ずかしい。懐かしくはあるが、好きな歌というのは変わらない。今選んでも恐らく似たようなものになる気がする。「恋」の歌は違うかもしれないけれど。「去年の春あへりし君に恋にてし桜の花は迎へ来らしも」(『万葉集』若宮年魚麿)「春雨はいたくなふりそ桜花いまだ見なくにちらまくを
【神道における死とは】神道では、神と同様に、霊魂は永遠に残ると信じられています。神社庁は、「霊魂はその働きによって存在を信じられて来たのであって、実体的に捉らえられるものではない」との見解を述べています。古事記・日本書紀・万葉集などには死後についての記述があって、神社庁は、これらの死後についての内容を否定していません。死後の世界は、天国のような理想的な場所でも、地獄のような苦しい場所などではなく、現実の世界と全く変わりがない。しかも神道では、神や祖霊は我々子孫が祭りを絶やさない限り、我々子
【万葉集に残る散骨の詩】古くから日本で散骨が行われていたことを示すものに、万葉集の中に和歌があります。「万葉集」の和歌には、散骨した際の心情が美しく詠まれています。「玉梓能妹者珠氈足氷木乃清山邊蒔散」(玉梓の妹は玉かもあしひきの清き山辺に撒けば散りぬる)「玉梓之妹者花可毛足日木乃此山影尓麻氣者失留」(玉梓の妹は花かもあしひきのこの山蔭に撒けば失せぬる)この読人不知歌は、妻の遺骨を散骨した際の心情が詠まれています。「愛しい妻は玉(宝石)になったのだろうか、花になった
【日本では大昔からあった散骨】「散骨」は、新しい供養方法と思われがちですが、実は、その歴史は日本の奈良時代にまで遡ります。「山に遺骨を撒く」という葬送方法は、まさに「死んだら土に還る」の言葉通りに、自然に還る最もシンプルな方法であって、むしろ現代のようにお墓に埋葬するというやり方のほうが新しいものであったのです。「散骨」は、仏教が生まれたインドが発祥地といわれ、実は昔から行われてきた供養方法なのです。インドから仏教の伝来と共に日本に上陸しました。散骨は、既に奈良時代には庶民の間で行われて
日々、一歌87/365+1山桜咲く頂を時ならぬイカズチ襲う谷間にひとりそぞろな歌になっとる、、、
運の佳い友はいますかみなさん、おはようございます大雨ですお出かけには注意をしてください今日はゆっくり人間関係を考えるのもいいです運の佳い友は財産です新しい春は佳い人間関係をつくってくださいアリガトウ「3月26日」の國史です「新古今和歌集、完成」元久2年(1205年)平安時代末期に後鳥羽上皇は藤原定家等6名に編纂を命じます万葉集(7~8世紀)古今集(12世紀)についで新古今和歌集ができました新古今調は名詞止めや初句切れ、三句切れで平安
いづこの歌にかは、花に風を待ち、月に雲を願いたるはあらん。
・万葉集に残る散骨の詩古くから日本で散骨が行われていたことを示すものに、万葉集の中に和歌があります。「万葉集」の和歌には、散骨した際の心情が美しく詠まれています。「玉梓能妹者珠氈足氷木乃清山邊蒔散」(玉梓の妹は玉かもあしひきの清き山辺に撒けば散りぬる)「玉梓之妹者花可毛足日木乃此山影尓麻氣者失留」(玉梓の妹は花かもあしひきのこの山蔭に撒けば失せぬる)この読人不知歌は、妻の遺骨を散骨した際の心情が詠まれています。「愛しい妻は玉(宝石)になったのだろうか、花になったの
・日本では大昔からあった散骨「散骨」は、新しい供養方法と思われがちですが、実は、その歴史は日本の奈良時代にまで遡ります。「山に遺骨を撒く」という葬送方法は、まさに「死んだら土に還る」の言葉通りに、自然に還る最もシンプルな方法であって、むしろ現代のようにお墓に埋葬するというやり方のほうが新しいものであったのです。「散骨」は、仏教が生まれたインドが発祥地といわれ、実は昔から行われてきた供養方法なのです。インドから仏教の伝来と共に日本に上陸しました。散骨は、既に奈良時代には庶民の間で行われてい