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節子原
正月映画にも?ご来訪ありがとうございます昨夜からの冷え込みでお腹の調子が悪い麻依ですおはようございます!急な温度差だと体調も悪くなり、といって重ね着も度が過ぎると肩凝りの原因になり『万全な冬コーデでも…』疲れたぁご来訪ありがとうございます今しがた退社した麻依ですこんばんは!さすがに夜は寒いね万全な冬コーデなんじゃけどね、まだまだ寒いんよ今夜はお買い物止めよ!最…ameblo.jp帰宅時間が遅い私はコーデ選びが大切なわけで…ヒートテッククルーネックT/9分袖UNIQL
1人が良いです。理由は、無理に誰かを誘ってつまらないと、嫌だからです。逆パターンがありました。誘われて観た映画。自腹つまらん長い意味が分からんケツ痛い家で、鼻くそでもほじってた方がマシでした。
コレはいないんだよね。1人で観たい主義。
「どんな人も美しいどんな人も才があるあなたの運命は泥の中の蓮(はす)のように再び芽を出し花を咲かすだろうだってあなたの種は五千年の時を経てここにいるのだから」(私)種を魂と変えると分かりやすいか。私もあなたも五千年前からの御縁で繋がっているのです。
悪いけど、コレは誰もいないのよねぇ💦
あ〜、彼女欲しい〜
「君は苦しむために生まれてきたんじゃない。苦しみから抜け出し生きることの素晴らしさを知るために生まれてきたんだ。苦しみの先に喜びがあるんだ。人生はイチゴの味さ。」(私)甘酸っぱい味がするから。
最近話題のスポーツ選手、俳優、歌手、ノーベル賞受賞者などに勇気をもらいました。「人の功績を求めず人の目指したものをを求めよ。」(私)これは先人達の尊い教えです。私は皆様の「明日を生きる力になれば」と常に考えています。
キリスト様の十字架はどのぐらい重かったでしょうか。大体300キロと言われています。ほとんどの人は背負いきれない。しかし、わたしはその物理的な重さより、人類の犯した罪の方がはるかに重かったと思います。ちょっと考えてみましょう。***“主よ、私たちの犯した罪の償いのために重い十字架を背負われました。どうか、私たちひとり一人は自らの十字架を背負うことが出来るよう力付けて下さい。み名によって。アーメン。”ペトロ神父私はたくさんの罪を犯した
見てる最中は静かに見てる人例えばん?今のって何?どういう事?とか聞いてこない人あと見終わったら評論家になって重箱の隅をつつくように批判する人ちなみに、上映中にスマホを開いて画面光らせる人は論外ね
樅の木伝説。雨の日キリストが森を歩いていました。樅の木はキリストを雨から護るように枝をのばしたことから、キリストはお礼に冬でも緑の葉を与えたといいます。また、香りが邪気を祓うことから悪魔払いの木といわれています。樅の木で作った杖欲しいな!『神の杖』パワーがありそうだ。願いがかなう杖。魔除けの杖。皆の心の中に持つんだ!
人生には必ずある。思い通りにならない事。そのような時に自分を責めてはならない。不満を言うのも愚かです。思い通りにならないから人は何かを学ぶのです。だから「ありがとう」と受け入れましょう!きっと楽をするなと教えているのですから。さて、古文(奥の細道他)に出てくる言葉に「風騒(ふうそう)の人」があります。詩歌を作って楽しむ風流の人のことです。このような心で、一時でも過ごしたらいいなと思っています。
少年の頃、「世界の人形展」で見た一人の美しい天使に見とれてしまった。アメリカの作品だった。天使は子供のイメージがあったが、その天使は魅惑的でセクシーで美しい大人の天使だった。木の枝に座って、ギターを弾いていた。透けたドレスに素足を組んでいた。大きな瞳に、真っ赤な唇時々ウィンクする。マリリン・モンローを可愛くした天使。写真禁止のため、何回か見に行ってしまった。ある日、夢にその天使が現れた。そして、こう言った。お久しぶり覚えてる?天使はね「天使の梯子(はしご)」(雲の
渡辺和子シスターの「美しい人生の実らせ方」1.「の」の字で相手を受け入れる。「ああ今日は疲れた」と夫が言った時に、「ああそう、疲れた、の」と相手の気持ちをそのまま受け入れてあげることが大切。(受容の心ですね)2.時間の使い方は命の使い方。この世の中には「雑用」というものはなく、私達が用を雑にしたときに「雑用」が生まれます。丁寧な時間を使うと、丁寧な人生が残ります。愛のこもった時間、憎しみのこもった時間、それはそれぞれの人生を変わったものにしていくと思います。(雑用の意
自分と視点がちがうひと
アロマなど自然療法の教室を主宰するまるまるアロマパンダ3号のブログですブログ内容は…自然療法・芸術鑑賞・地球にやさしく・食が主。基本毎日更新。はじめましての記事はこちらまずはおうち映画。サブスクで映画やアニメ、ドラマ等々気軽に観られる時代なので同じリビングにいても違うものを観ちゃったりしますが。やっぱり家族で一緒に観るのは楽しい。話題共有にもなるし。ちなみに…家で夫とふたり一緒に観たのは『教皇選挙』教皇選挙【Blu-ray】[エドワ
魔法の言葉大腸がんで半年闘病生活した作曲家の財津和夫さんが、頑張って!じゃなく力になった言葉は先生から掛けられた「大丈夫!」という言葉だった。それから復帰した時、元気にする事はメロディじゃなく「言葉」だと感じた。≪大丈夫!≫という歌を作曲したと朝のNHKラジオで放送していました。聖書に始め言葉ありき…。(ヨハネ伝)があります。この意味は神の言葉という意味です。言葉は神の魂が入っていますから大事に使いましょう。今日は大丈夫!大丈夫!心配ないからね。
【胸の冠】「胸の奥で夢を見た。悲しみは数えきれないけど胸は青空の青さを知り大空を抱く果てしなく道は続いてもこの手に光を浴びるだろう生きる夢を描こう悲しみは口に出すより胸に埋めよう星のかなたに輝くものはいつもここにある光輝く胸の冠を見つけるから」(私)
いまの時期は自然を感じるには最適です。頭も心も無にしてみましょう。『非思量(ひしりょう)』という言葉があります。頭の中を空っぽにして、心を無の状態にすることをいいます。物事を自分の中にとどめない状態を指す言葉です。頭を空っぽにして、空を見上げてください。流れ行く雲が見えるでしょう。耳を傾ければ、鳥の声、風の音が聞こえるでしょう。自然を感じることで、心が落ち着き、体の底から力が湧いてきます。ほんの数分でも『非思量』を実践してみましょう。また、災いも福も、好きも嫌いもま
私の日記に「だけど生きるのがつらい」と書いてくる女性がいます。両親家族を亡くし一人生活苦の中で生きているからです。それを読むたびに今日も生きていると安心しています。私に愚痴書くのがせめてもの生きがいなのかも知れません。江戸時代の元禄文学の三大文豪に、芭蕉・近松・井原がいます。井原西鶴の「好色一代男」に「死なれぬ命のつれなくて、さりとは悲しくあさましき」があります。毎日毎日が辛くて、死ねるものならいっそ死んでしまいたいが、死のうにも死ねないせつなさは、まことに悲しくも浅まし
「あなたの人生の目的は今歩いている道の先にある。」(私)今悩み苦しんでいる道かもしれませんが、きっとそれがあなたの人生の目的であり使命であると気づくと思います。生涯をかける道。自信を持って今を生きて欲しいです。きっと多くのものを得ることができると思います。
「冬や来る紅葉咲くとも知らざりき川の底なる埋もれ木の身は」(私•和泉式部から引用)埋もれ木とは川底に埋もれて、化石のようになった木から、世に知られず見捨てられた身の上のことを言う。今で言う無告の人(悲しみ、苦しみを告げる相手がいない身寄りのない人)のこと。身近にもいませんか。声掛け、聞く耳を持ましょう。川底の埋もれ木の声を。
映画はひとりで観たいなぁ「ニノさん」見てるなう(笑)
失ったものを数えるな。残されたものを最大限に活かせ。(ルートヴィッヒ・グッドマン、パラリンピック創始者)失った手、足、目、耳…。全て受入れ、残されたもので前向きに行きましょう!この年になると兄弟友人を含めたくさんのものを失った。でも前向いて歩き出そう。
使いまわし画像で父親(主人)登場長男を自分の趣味に付き合わせようとしたようです。即答同性の親でもこうなる。LINEでの長男は母親(私)にも素っ気ないというか、私が気を引くためにメッセージを連投しすぎなのが原因だってわかってるLINEのアナウンス機能でメールチェックの習慣やスケジュール管理を促進!という名目でとにかく返事を催促!親子の会話はありますがLINEのやりとりは少なくなりがち約束や計画は可視化するためにあえて使っています今夜は金ローで『
「いつかは誰もがこの星とさよならをする。しかし、いつでもみんなの心に戻ってくる。それは生まれて来た意味があるからだ。」(私)私は砂浜に半分埋もれていた石碑から声を聞いて、フランス女性のバレリーナのドキュメント番組を制作しました。その声は「主人に会いたい」でした。私はあなたの願いを叶えましょう!と手を合わせました。フランスでその番組を観たご主人が日本に来てその碑に花束を捧げました。第二次大戦末期の恋愛物語です。日本の天女の舞をヨーロッパで公演していた舞姫です。
「幸運は準備された心に宿る」(パスツール)「私が目標を達成できた秘訣は絶対に諦めないことだ」(ノーベル化学賞受賞北川進)目標を諦めずに生きて行きましょう。
10月の言葉に「霧の香(か)」があります。霧の香りという意味ではなく、霧が立ちのぼる様子を、お香の煙が立ちのぼっていくのに見立ててこう呼ぶのだそうです。素敵な表現だと思います。昔は今ごろに起こる現象のようです。現代の気象用語では、視界が1キロメートル未満のものを霧。それ以上のものは靄(もや)。陸上で、100メートル、海上で500メートル以下の視界を濃霧といいます。私も富士山や、箱根で濃霧にあい途方にくれたことがありました。人生にもありました、霧が立ちのぼる時や、濃霧に出会う時