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私は仏教を信仰としては勿論ですが、哲学・生き方としての思想にも興味を持っています。そこで、仏教における「苦しみの本質」を色々調べながら書いてみました。仏教では「一切皆苦」と言ってこの世は苦しみに満ちた世界であり、人は誰しも苦しみからは逃れられないとされています。まず、その「苦しみ」の根本的な原因は何なのか?と言うとそれは「自分自身」にあるのです。自分の心にある、物事を思い通りにしたいという「執着心」が他ならぬ自分で自分を苦しめているのだと仏教では説いています。物事は「諸行無常(全ては変
人間も他の生きとし生けるもの全てと同じように、もともと思いに深く入り込んで、悩んで苦しみ、迷妄することが出来ない様になっているのです。この世界にはもともと、解決すべき問題など鼻っからないのです。考え上で実体のない創り事をたくさんして、あなたが狭いちっぽけなところで悩み、問題をこしらえ続け、解決すべく何かしらの観念、考え方、メソッド等でさらに思いや感情を膨らまし、想念を肥大化させ、
【ブッダの真の悟り、解脱を体現したい方のための専門指導】中村幸ムとは!?簡単なプロフィール、数十秒でわかります。2500年前のお釈迦さんが遺したものは糞尿のついた袈裟と坐る姿のみです。お釈迦さんの法話を細かく記憶する者はいたようですが、お釈迦さんは何一つ言葉や文章を遺していません。般若心経や仏教をお釈迦さんが遺したものであると、世間ではそう思われていますが、事実ではありません。ただ、お釈迦さんの自己の真相を言葉、観念知識で表すと
【ブッダの真の悟り、解脱を体現したい方のための専門指導】中村幸ムとは!?簡単なプロフィール、数十秒でわかります。悟りの実践の指導をしている者で、自分と向き合って気づきや智慧、何かしらの理想的なものを得ようとやっている指導者は、ブッダが指し示した本物の悟りではない。180度真逆であり、その向き合って都合の良いものを求め得ようとしている実体なき観念そのものが消滅すべき自己なのである。悟りに一定の無我の境地だとか、悟りの状態などは
寺子屋20250325|アオキアヤカ申し訳ありませんが、この会議の文脈からは「苦」の具体的な説明は見つかりません。ただし、文脈から以下のことが分かります:「苦」は仏教用語の一つです。「苦」は般若心経に出てくる言葉で、「一切皆苦空」という表現の一部です。「苦」は仏教でよく使われる言葉で、「苦しみ」を意味します。より詳細な「苦」の説明や定義については、この会議の文脈では提供されていません。…note.com
ハッキリするのにかかるのは、理に長けた人です。解りたがるからです。このような解ろう、理屈で納めようとするのはビジネスなどの問題解決では、力を発揮出来ますが、お釈迦さんの悟り、解脱と云うものは、いっさい考え方を必要としない、観念知識をいっさい必要としないのです。お釈迦さんの悟り、解脱はこれから知識を学んで、技術を磨いて、上手になって努力して、精進して積み重ねた先
【ブッダの真の悟り、解脱を体現したい方のための専門指導】中村幸ムとは!?簡単なプロフィール、数十秒でわかります。どんなに坐しても仏果に与れない事例として、「この身は誰よりも、宇宙上においてどんな事にも代え難い存在価値があるものだ」そのように意図して思い、何者かになろうとし、存在価値があるとか、存在価値がないとか、自分について考え続け、自分と向き合い問題にし、自分を見つめ続け、坐を通して、都合の良い、ちっぽけで
ポプラ社ISBN978-4-591-10346-3グレード:小学低学年絵本ハサミムシのお母さんは命がけの子育てをする。最後には、なんと子供たちに体をすっかり食べられてしまう。卵から出てきた子供は活きた母の体を餌とみなすよう遺伝子にプログラムされているのだ。食いちぎられぼろぼろの姿になっても、最期まで外敵から子供たちを守ろうと巣内をはいずりまわって息絶える母。感動的だ。しかし、よく考えてみると、その子供たちもやがて伴侶を見つけ、交尾して、また子供に食い殺されて……を
2500年前、お釈迦さんが菩提樹の下で真の如来禅の実践をする前に、ガリガリの骨と皮になるまで、酷く苦しんでいた事があります。それが、思考、感情、感覚身体に起きている事を観察して観ている自分が消えなかった事です。瞑想者や内観者は、気づきと称して自分を観察して観ていますが、お釈迦さんは真逆であり、観ている者を消滅させたかったのです。難行、苦行に明け暮れていたその頃のお釈
のびのびと生きてますかー?✨✨そう聞かれたら、ほとんどの人はモヤッとすると思います。それだけ、氣が合わない人がいるって事なんです。楽しい関係もあれば、憎みあう関係もあって、生理的に受け付けない関係もあるでしょう。そんなあらゆる「関係」の中で生きていると言っていいでしょう。「氣の合う人だけいたらいいのに」なんて言って、ひとりで部屋にこもって、ゲーム三昧で生きていけるわけはありません。買い物、食事、排泄、光熱費の支払いやら税金などなど絶対に「関係」の中で生きていくしかありません。
2500年前の世間にいっさい出回っていないお釈迦さんの真の如来禅の実践は世間一般の有名な坊さんや禅僧のやられてる実践とは天地がひっくり返るほど180度真逆なのですZoom無料40分実践説明会&相談会を開催しております。お気軽にご予約ください。LINE公式ページ始めました。LINEAddFriendline.me何かわからない事、ご質問等があればLINE公式ページでお気軽にどうぞ☆彡LINEでしか観れない、提
世界には昔から「苦は楽の一部分」という、事実に反する世間話が根強く流布してる。ブッダは人類史上初めて全てはドゥッカである(一切皆苦)という、事実そのものを示した。しかし残念ながら事実を示すことでは、事実に反する世間話は消えなかった。のみならず「一切皆苦は初心者向けの仮の教え」という、ブッダの教えを覆い隠すさらに愚劣な世間話が作られ、新たに流布する結果になった。こうなってしまった今、一切皆苦の事実をこれまで通り説くだけではもはや打開できないかもしれず、この一段と愚劣な世間話
身体側に自分がいると認め思い、実体のない自分や心に、良い悪い好き嫌いと言って、問題にして取り上げ、心理学や潜在意識や何かしらの方法や瞑想や世間一般の座禅でどうにかしようとしたり、宇宙の発露として、人生について老いについて病気について死についての一念が浮かんだ時、過ぎ去って実体のない一念を考えで扱って、その事を問題視して正しい答えを出そうとしたり、判ろうとしたり、どうにか
わたしとは物理的に存在していない観念そのもの考えそのものです。身体の中に人が存在して生きているのではないのです。身体は無常に移ろう宇宙の一部であり、あなたがやっているのではなく、「わたしは生きているなぁ~」とその時にどこからともなく、宇宙の発露として思いが生じて、どこからともなく跡形なく流れ去っていったのです。だからどうではなく、そのようになっていて
お釈迦様によると、三毒の煩悩を止めるためには「気づき」が必要なのだといいます。まずは「モーハ(痴の豚)」によって180度変えられてしまっているこの世界認識の前提に気付くことであり、その前提を変えることで三毒の束縛を遮断するのです。お釈迦様はおっしゃいました。●Anicceniccasaññinodukkhecasukhasaññino,Anattanicaattātiasubhesubhasaññino.無常なものに常だと、苦であるものを楽だと認識し
人生に気づきを与えるメッセージ~一切皆苦~「一切皆苦」とは、読んで字のごとく「この世のあらゆる物事は苦しみである」という意味です。しかし、この短いフレーズには、私たちをはじめ生き物が皆経験する苦しみの普遍性と、その苦しみを乗り越えるための深い洞察を示唆しています。この教えは、仏教の基本的な見解「三法印」の一つであり、生きることの本質としての苦悩を理解し解放される術を伝えてくれているのです。本編:https://youtu.be/I5VGJJS9hCE#苦しみ#生命
『人生は苦しい』お釈迦様はそう言われたけど…案外そうでもないかもよ仏教で言われる『縁起の法』をより分かりやすく伝えるための4つの目印があります。それを『四法印』と言います。その1『涅槃寂静』人々の目指すべきところ煩悩のない穏やかな状態つまり、仏教の「最終目的地」ということになりますね。その2『諸法
恥をかかないように、見栄、プライドを持って、笑われないように、馬鹿にされないように、怒られないように、失敗しないように、迷惑かけないように、怒らないように、人にどう思われているか、変に思われていないか、傷つかないように、周りに認められているか、これらのように自分が傷つかないように、悪く思われないようにと守るために周りや世間にどう評価されているかどうか気にして、このような事は、幼少期からの親との間で構築された精神的、心理
自己の真相の体現に与るのに、認識を止めたり、思い、考えを止めたりいっさいどうにかしようとする必要はないのです。起きている時の意識があるまま、記憶の認識、思い、考え、感情、心と言った生じては滅している実体のない働きがあるままに認識が落ち切り、実体なき自己が消滅したままになるのです。自己が消滅した本来の法としての法身の在り様は、絶対に怒らないとか、愛と感謝だとか、そのような覚者や聖人聖者と世間では呼ばれるているような在り様ではありません。
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Q、考えが止まらなくてしんどいのですが、止める事は出来ますか!?A、普段から目と呼ばれているものも知らずに、目が目の前の視界を見えちゃっているそのような働きがあります。普段から耳と言うものも知らずに、何もかもが聞こえちゃっている事実があります。空の無常に移り変わる天気のように、感情と呼ばれているものも、身体の感覚と呼ばれているものも、宇宙の発露として、生じては滅していて、連続性はなく、常に新しい「今」が生じています。思
呼吸が苦しみだと実感できた時のメモ。外気を吸い込む時、始めのうちは心地よさがある。しかしこの心地よさは錯覚だ。吸いきった時、その「心地よさ」は完全に消え、なんともいえないもやもやした苦しさが現れるからだ。苦しさに耐え切れず息を吐く。吐く時は吸う時ほどの「心地よさ」はない。しかし苦しみはひとまず薄れていく。吐ききった時、再びあのもやもやした苦しみが現れる。苦しさに耐え切れず息を吸う。(最初に戻る。この繰り返し)ヴィパッサナーは「さとりたい」と思ってやる者より「この苦しみを無く
人生は自己責任。何でこんな事が起きなきゃいけないの!?そう思う事は沢山ある。認めたくはないけど全ては自分が選んでいる。そこで何かに出会えたり学ぶ事が沢山あるから。だからお釈迦様は「一切皆苦」と言ったのかな?生きているだけで立派な修行です。
【ブッダの真の悟り、解脱を体現したい方のための専門指導】中村幸ムとは!?簡単なプロフィール、数十秒でわかります。どんな思いや考えの内容か、悟りに関する事か、健康、お金、人間関係の個人的な事か、内容はそれぞれで、分かりませんが、その時の今のその身の実物の様子のままに坐るのです。誰かの見性や本で読んだものに沿って、やろうと実践するのではないのです。すでに即身成仏のこの身の在り様の提唱を聞いて、本当の自分、自己の真相、
自分の感情がわからないということが、しばしば誰しも経験があるのではないだろうか。今日は、何もかもが煩わしく感じられる。こうして書くこともなんだか億劫で、、、ただ、何がそんな気持ちにさせるのか。自分でもわからないのだ。一切皆苦。人生は思い通りにはいかないことのほうが多い。この言葉は救いの言葉だ。うまくいかなくて当たり前だと、この言葉を盾にして前に進める時が何回もあった。今日また、この言葉を思い出す。万能なものなんてないが、仏教の教えは時々わたしを助けてくれる。まあ、教えというの
人生に気づきを与えるメッセージ~一切皆苦~「一切皆苦」とは、読んで字のごとく「この世のあらゆる物事は苦しみである」という意味です。しかし、この短いフレーズには、私たちをはじめ生き物が皆経験する苦しみの普遍性と、その苦しみを乗り越えるための深い洞察を示唆しています。この教えは、仏教の基本的な見解「三法印」の一つであり、生きることの本質としての苦悩を理解し解放される術を伝えてくれているのです。本編:https://youtu.be/I5VGJJS9hCE#苦しみ#生
ごきげんさまです。あなたの”脱皮”を応援するやましたひでこ公認断捨離®トレーナーの福士エリカです。このブログをご訪問くださり、有り難うございます♪ランキングに参加しています。友だちのワンコをぽちっ!と、応援いただけたら嬉しいです♡にほんブログ村応援、有り難うございます♪1週間前くらいから黄葉しはじめたわが家のウンベラータ。そのままにしておきましたが今日、自然に、はらりと一枚の葉が落葉しました。他の黄葉の、茎の付け
その後わたしは、わが霊を、すべての肉なる者に注ぐ。あなたがたのむすこ、娘は預言をし、あなたがたの老人たちは、夢を見、あなたがたの若者たちは、幻を見る。自分自身の善き事柄に対しては、【目出度く】生き!自分自身の悪しき事柄に対しては、【《お》目出度く】生きよ!!!!そして…この世の、苦難に満ちた【一切皆苦】の【苦】の、娑婆を【《お》目出度く】生きよ!!!!例え!それが…一切の【幻想・妄想・幻】で、あったとしても…
ご縁で絵本セラピー2回め#栄和興産さんのモデルハウスさんで玄関にこんな看板作ってくださって初めての方にはレインボーのシマウマの大きな看板あるよッテお知らせしたのですが先日の内覧で売れそうだから大きな看板は撤去されてました玄関やリビングにクリスマスモード参加者さんのわ〜の声で始ました月曜日に中日新聞で紹介されていた本も入れてみました1年の終わりびっくりしたこと笑ったことどんなことでも設計図面通りに思い通りにはいかないのが人生だよね#一切皆苦そんなこと
あっという間に12月早いですねぇ。私の住んでる千葉は紅葉が今!な感じですよ。さて、私たちは『うまくいく』ことを無意識に、意識的に常に求めていますよね。仕事がうまくいく家庭がうまくいく恋愛がうまくいくパートナーとうまくいく人生がうまくいくそういうの求めてるよね?でさ、うまくいくってなんでしょう??きっと自分の思い通りに事がすすみ思い通りの結果を受け取るそんな感じかな?なんだけども人生、中々思