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ただありのままを受け入れるということこのように、男性性と女性性というのは、相反する性質を持っています。なので、互いに理解し合うって、おそらく無理だと思うんですね。男性性は女性性が理解できないし、女性性も男性性を理解できません。これは男女の関係においても同じ。男性と女性では脳の内的な構造も違うと言われています。互いに理解し合うって、おそらく無理なんだと思います。なぜなら、人は自分に無いものは理解できないからです。それを理解しようとしたり、あるいは理解
なぜこの世界には男性性と女性性が存在するのでしょうか。なぜ宇宙はそのような仕組みになっているのでしょうか。生物界を見渡すと、オスを必要としない単為生殖で増える生物というのはとても多く、哺乳類を除いて、ほとんどの種でそうした生物を見ることができます。一方、哺乳類には単為生殖が見られないことから、生物として複雑になればなるほど、遺伝子の多様性が必要とされたのではと考えられているそうです。実際、人間の女性は、生物学的には完成されていて、男性なんかいなくても全く問題ないそうです。
チンパンジーとボノボ例えば、みなさんおなじみのチンパンジーには、ボノボという親戚の種が存在します。チンパンジーは、アフリカの赤道付近の熱帯雨林の、コンゴ川より北側に生息しています。これに対して、ボノボは、コンゴ川より南側に生息しており、この2つの種は、川を隔てて行き来することがありません。チンパンジーは、オス型の社会で、強いオスがボスとして群れを率い、性格は攻撃的で、猛獣とされます。一方、ボノボは、メス型の社会で、コミュニケーションを大事にし、争いを避け、調和を大事
ところで、この宇宙には、男性性と女性性があります。この原理は、この宇宙の中にあるすべてのものに当てはまります。そして多くのものは、その2つの性質が一つに合わさっている存在でもあります。たとえば、他の動物と同様に、人間にも、男性と女性がいます。しかし一人の人を見ると、私たちは2つのものからできていることがわかります。脳は左右に分かれていますし、目も2つ、鼻の穴も2つ、口と気道は一つにまとまっていますが、肺は2つ、心臓も内部で左右に分かれていますし、腎臓も2つ、精巣
宇宙とか、魂の視点から見ると、この世界には罪も悪もありません。それはただ、そのような体験でしかありません。たとえば、大地震が起きて多くの人が亡くなったとします。地球は人殺しなので、悪でしょうか。台風や大雨の被害で、家々が流され、また多くの人が亡くなったとします。地球は悪ですか?私は違うと思います。例えば、縄文人たちは、定住することは稀で、多くは狩猟採取をしながら、季節ごとに暮らす場所を変えていたと考えられています。その一番の理由は、気候に合わせ
さて、たくさんの人々がまとまりながら、かつ快適に生活していくためには、ある程度のルールは必要です。というのも私たちには、みな長所も短所もあり、また同時に失敗する生き物だからです。よく、人間は性善説か、性悪説か、ということが議論されます。現在、経済の世界で、業績を伸ばしている会社の多くが、性悪説を採用していると言われています。つまり、人間はズルをしたり、ごまかしたり、嘘をついたりと、トラブルを犯す可能性があるので、最初からそれを想定したやりかたでビジネスをしましょう..
ヘトヘトの木曜日から激務の金曜日何とか1週間終えることができましたバンザーイ🙌昨日は禁酒して偉かった今日は解禁だー最近のお気に入り♡CMの真田広之カッコ良過ぎる♡今週は心が乱れることが多くて嫌なことに頭を支配されていました。寝ている時も休まらず勝手に家財道具を全て売り払われる夢をみたり笑起きた時気分最悪だったけど、「夢で良かった、現実はこれよりマシ」って思えたのでまあ、いっかとなりましたが。まだまだ精神修行中ですいつになったら「嫌いな人を気にしな
私たちの多くは、自分の人生がこうなったらいいのにと思っているかも知れません。しかし、思い通りになる時よりも、思い通りにならない事のほうが多いのかも知れません。目標に向かって頑張っていても、予期しない出来事が次々とやってきて、思ったように計画が進まないということもありますね。私自身、前世が宇宙人だったということもあってか、とにかく生き辛いことが多い。周囲の人たちと、思考の仕方が違うらしく、どうにも話が噛み合わなかったり、説明しても理解してもらえなかったりといったことが多かっ
私の家庭では、所属していたキリスト教会が菜食を推奨していたというのもあり、両親が玄米菜食を実践しておりました、そのため、私も子どものころから、玄米を食べ、19歳ぐらいまでは、ほとんどお肉を食べたことがありませんでした。余談ですが、玄米として食べるのであれば、ササニシキ系のお米が一番美味しいと個人的には思っております。コシヒカリ系や、その他のもちもち系のお米は、どうも皮が硬い。その点、ササニシキ系のお米は皮が柔らかくて、玄米で炊いてもふっくら美味しく炊きあがります。また、玄
生まれた環境も、今の境遇も、手に入れたものも、出会った人々も、学んだ知識も、積んだ経験も、その全てが自分が望んで獲得したものだと、心の底から言えたら。そして、他人の行動や言動まで、その全てをありのままに受け入れることができたら。エゴを手放す軽やかさもし、これら全てを、一点の曇りもなく「私が望んで獲得した」と受け入れることができたなら、どれほど心が軽くなることでしょう。他者の行動や言動に対しても、一切のエゴを手放して受け入れることができれば、そこに葛藤は生まれません。何か一つ
『人生は苦しい』お釈迦様はそう言われたけど…案外そうでもないかもよ仏教で言われる『縁起の法』をより分かりやすく伝えるための4つの目印があります。それを『四法印』と言います。その1『涅槃寂静』人々の目指すべきところ煩悩のない穏やかな状態つまり、仏教の「最終目的地」ということになりますね。その2『諸法
ブッダは悟りを開いた時、自分の人生は何一つとして自分の思いによっては作られていないことに気が付きました。何一つとして自分の思い通りにならないのですから、それに反して思い通りにしようとすると苦しくなるというわけで、「一切皆苦」という言葉を残したのです。私たちはみな、自分の人生は自分の思いで作っていると思い込んでいます。というのも、そのようにしろと教えられて来ているからです。しかし、よく考えてみましょう。例えば、東京にあるとあるレストランで、今まさに食事をしようとし
前回は、ものごとや状況を、自分の思い通りにしようとすればするほど、苦しみが発生するというお話をいたしました。自分の思い通りにしたいという思いについて、それをブッダは「煩悩」と呼びました。煩悩は三毒とも言われ、それは貪欲(とんよく)、瞋恚(しんい)、愚痴/無明(ぐち/むみょう)とされます。貪欲(とんよく)とは、貪りの心であり、様々な欲望のことです。〜が欲しい、〜になりたい、〜でありたいといった思いは、人を強く突き動かしますが、同時に苦しみの原因ともなっています。
努力は本当に必要か小学校1年生の、ある冬のことです。授業中に、急に鼻血が出てきてしまいました。そのことを先生に言うと、先生は怒り出したのです。私の通っていた小学校では冬でも半ズボンが当たり前のようでした。しかし、当時私は、体が弱くて、ちょっとしたことですぐに体調を崩してしまうため、母が心配して長ズボンを履かせてくれていました。先生は私の格好を見て、こんなに厚着をしているから鼻血なんか出るんだと言うのです。好きで鼻血を出しているわけでもないし、好きで体が弱
さて、今日は「なぜ人は苦しむのか」というテーマでお話して行きたいと思います。キリスト教の家庭に育った私は、子どもの頃から毎週、親に連れられてキリスト教会に通っておりました。教会が珍しくない都会ならいざしらず、その時に住んでいた場所はとても田舎の方でしたので、教会に行っている人は周りにおらず、そのせいで学校で奇異な目で見られることが多く、他の生徒からからかわれるのはもちろん、教師からも厳しいことを言われてしまう始末です(私の小学生の頃は教師による体罰は当たり前の時代)。当然友だちはでき
こんばんは♪今日は蒸し暑かった…今週もあと1日勤務すればおしまい疲れにくい身体作りを心がけてからは木曜日の疲労感が違います『生活改善プログラムをChatGPTに組んでもらった』こんばんは今日も信じられないくらい暑かったですね皆さんお疲れ様でしたとっても暑かった水曜日、体力消耗していませんか?体力のない私はヘトヘトです寒いの平気だけ…ameblo.jpとは言え、やはり疲れはある私は疲れるとジャンクフードが食べたくなるタチです笑なので夕飯はこうなりました😙しかもカトラリーは使
《一切皆空》ご訪問いただきありがとうございます∞今日のテーマは皆一切の空私は、自営業で家政婦を主軸に介護、風水、整体(ヒーラー&セラピスト)の仕事をしています本当に身につけたい習慣ほど、なぜ、こんなにも難しいのでしょうか。たとえば、「頭を空にする」「頭をとる」というシンプルな行為。瞑想やマインドフルネス、または「無になる」という感覚は、今や自己啓発やスピリチュアルの世界でも注目されていますよね。それなのに、日々の中で実際にやろうとすると、
仏教の出発点である教えの「一切皆苦」は、単純な苦しみを指しているわけではありません。では、一切皆苦が指している「苦」とはどのような苦しみなのでしょうか?まずは、自分ではどうにもならない「四苦八苦」です。「四苦」とは「生老病死」のことで、誰もが避けられない苦しみを指しています。生きる苦しみ老いる苦しみ病気の苦しみ死ぬ苦しみそして「八苦」は誰もが必ず経験する4つ苦しみのことです。5.求不得苦(ぐふとくく):お金、地位、名誉、物など手にはらない
人間関係の悩み、将来への不安、病気の苦しみ、愛する人との別れ、死ぬことへの恐れ・・・人生には様々な苦しみがつきまとい、自分の思通りにならない事に対して怒り狂ったり途方に暮れることもあるでしょう。すべての人が生きてゆくうえで味わう苦悩についてブッタは「一切皆苦」と説かれました。一切皆苦は仏教の出発点であり、最初に知るべきことです。仏教では最初に、世の中は自分の思い通りにならないことを知ります。そして仏教では、思い通りにならない苦しみの原因は、「諸行無常」と「諸法無我」にある
こんにちは、コトノリョウジンです。今日もこのブログに来ていただき、ありがとうございます。あなたとのご縁に感謝いたします。イライラしてしまう原因とは?物価は上がり、いやなニュースばかりで、ついイライラしてしまうことありますよね。仏教では、このイライラは心からの大切なサインです。こうなってほしいという願いと、思い通りにならない現実とのギャップが生まれたとき、今、私は苦しんでますよ!!という心からのサインです。
三途の川三途の川は祓の川罪穢れを洗い流す川罪穢れが多き人は流されて罪穢れが少なき人は向う岸まで辿り着く三途の橋を渡れる人はこの世で罪穢れを祓えた人天に昇れる人は罪穢れを持たぬ人この世に命があるうちに祓え給へ清め給へ祓え給へ清め給へおしまい今日もブログを読んでくださってありがとうございます。
天地人人は天と地の間で生きている天より生まれ地に還る人天より生まれ天に還る人人は天と地の真ん中で一生を送る天は光・地は闇人はその真ん中中道である人心が乱れれば天地も乱れるただそれだけの事弥勒の世とは天地人が一体となる事ただそれだけの事人が天地と一体となるかどうかいまがその大峠おしまいきょうも良い一日を
私の苦の正体ここ最近、苦についての投稿が多くなってしまいました。その訳は自分の苦の正体を分析し楽になりたいと思ったからです。毎日ブログを書くことにより自分をより客観的に観察出来ます。親鸞聖人の言葉を借りれば年老いて目も悪くなり、物忘れも多くなり人に説くほどの身でもないのですが、何となくおぼろげに自分の苦の正体とやらが見えてきた気がします。「縁らずば生ぜず」「これなければこれなし、これ滅すればこれ滅す」自分にこれなければ自分にこれなしであ
苦の正体を知る苦とは十二縁起より生ず「縁りて生ず」あなたがいるからわたしがいる「これあればこれあり、これ生ずればこれ生ず」これを順縁といいその逆は「縁らずば生ぜず」「これなければこれなし、これ滅すればこれ滅す」逆縁というつまり苦の正体はあらゆる物を持つがために生ずるのです。生まれて来ることは肉体を持って来るわけですから生まれて来ること自体が既に苦ということになります。では亡くなれば苦は無くなるかというとそうではありません。肉体は手放しても生前中
人生の経験昨日、ある宗派の僧侶の方とお話をする機会がありました。この方は普段は営業マンです。お寺は百人以上の檀家さんをお持ちの方です。この方は最初はお寺に入るつもりでしたが、人前に出て話をする事が苦手なこともあり現在の仕事とお寺の二束の草鞋を履くことのしたようです。営業職は数年で辞めるつもりが気が付けば25年、最近は続けていて良かったと思えるそうです。営業職のお蔭で話術も磨かれ、また世間の事がよく分かるようになったと仰られていました。僧侶でありながら
ゆりかごから墓場まで人生は一切皆苦と言いますが、赤ちゃんが生まれて来る時いままで羊水の中で守られていたのに、狭い参道を通り抜けやっと生まれて、すぐに命綱のへその緒を切られるわけですから不安と恐れで産声を発します。その後、乳を欲して泣きます。赤ちゃんでさえ生まれてすぐに苦という経験をします。生まれたての赤ちゃんは、既にこの世の苦を知っているのです。そして年老いて病の痛みや死への不安・恐れという苦を経験してこの世を去っていきます。これは誰も逃れる事の出来な
「一切皆苦」とは経文で「一切皆苦」は、簡単に言えば、生きている人間の存在すべてにおいて苦というものでおおわれている。よく言われる「四苦八苦」です。四苦は生老病死、八苦は四苦に次のものを加えて愛別離苦あいべつりく怨憎会苦おんぞうえく求不得苦ぐふとくく五蘊盛苦ごうんじょうく簡単に言えば生老病死の苦しみと愛しいものと分かれる苦しみ憎み嫌うものと会う苦しみ求めても得られない苦しみ心身の苦しみしかしこの中で絶対的の逃れられないのが生老病死の四
お地蔵様2昨日お墓詣りの際「いつもお地蔵様にお花をお供えして頂きありがとうございます」と火葬場の方から声を掛けられました。その折にお地蔵にお供えされるお賽銭をお花代の足しにして欲しいと申し出がありました。渡されたお賽銭は小銭で瓶に納められていました。事情を聞いたところ、今まではコンビニの寄付の箱に入れたり歳末の募金に使っていたりしていたとの事。おそらく小銭を銀行に持って行って両替してもいまでは両替手数料の方が高いのでそれもどうなのか。以前お寺に
病氣とは「私は病氣になった事がない」という人がいます。その人は肉体的な病氣の事を言っているのであり心の病は入っていません。病氣は肉体的なもの・精神的なものがありそのどちらも氣(エネルギー)不足の結果起こってくる不調です。まず疲労の蓄積と不安・恐れなどにより肉体と精神のバランスが崩れた結果、起きてくる症状です。コロナの数年間は、まさしく不安や恐れによって社会全体が病に罹り肉体的に異常がないのに薬や医療に依存した結果起きた事なのでしょう。私の周り
段取り八分日頃、仕事をする上で意識していることは、「段取り八分」それでも残り二分が問題になります。現場に行くとたいてい想定外の事が起き、頭はリスク回避の為にフル回転、毎日がこの連続です。そんな時こそ自分のこれまでの経験が助けてくれます。あらゆる場面を想定し対処して柔軟に今を生きる事この世は「一切皆苦」として捉えていれば思い通りにならないこの世を楽しむ事が出来るのです。今日、仕事に向かう途中足のご不自由な方を見かけました。杖を突きながら歩いてお