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資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。京都府京田辺市薪里ノ内にある、酬恩庵(しゅうおんあん)です。とんちの一休さんのお寺として知られている酬恩庵(通称、一休寺:いっきゅうじ)は、もとは妙勝寺といい、大応国師によって正応年中(1288-1293)に禅の道場として草創されたのが始まりです。その後、元弘の戦火にかかり荒廃していたものを六代の法孫にあたる一休禅師(いっきゅうぜんじ=一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が康生2年(1456)に再興し、師恩に報いる意味で「酬
一昨日、大阪浮世絵美術館の帰りに一休さんガチャ(400円)をしました出たのは↑小銭入れ温泉の回数券と小銭入れにしようと思う…で、2回目をまわす見事!狙っていたキーホルダーが出ました\(~o~)/『ひとやすみ、ひとやすみ』これが最高NHKのアニメ『オトナの一休さん』は面白かった人相に性格が凄く出ていると思う有名な肖像画↓昔は、長渕剛に似ていると思っていたけど今は、林家木久扇師匠に似ているかも?って思います一昨日から
少し前に書いた最近毎日1問ずつ解いている脳トレのドリル。『マズイヨマズイヨ』先月、生協さんのカタログで見て、この本を買いました。(PHP)計算問題や漢字の読み書き、歴史、空間認識などの問題が、1日4~5題、出されています…ameblo.jpこのときは、知らない四字熟語がふたつもあってヽ(;´Д`)ノだったのですが、今日また四字熟語で、5問出ていて今回はどれも知っている言葉ですいすい書けてv(^-^)vでした。すいすい書けたつもり
2024年10月4日に巡った京都の寺社を紹介しています✨こちらのお寺さんは予定になかったのですが、鈴虫寺のすぐ近くだったこともあり、お参りさせていただくことにいたしました。『衣笠山地蔵院』通称:竹寺・竹の寺・竹の地蔵臨済宗単立寺院ご本尊地蔵菩薩創建貞治6年(1367)開山夢窓疎石開基細川頼之山門をくぐると両脇には美しい竹林が🎋竹寺のある場所は、元々は鎌倉時代に衣笠山内大臣といわれた歌人「藤原家良」が山荘を営んでいたところです。貞治6年(1367)には尼僧の妙性の所
蔵出し京都画像〜京都画像クイズNo.252は京都府京田辺市からの問題でした。それでは正解です少年一休像がある寺院といえば・・・霊瑞山酬恩庵もちろん一休寺でも正解です。酬恩庵は一休宗純が63歳頃から亡くなる88歳までの25年間を過ごした寺院。南浦紹明が正応年間(1288〜93)に創建した妙勝寺が前身。元弘年間(1331〜34)兵火に遭い衰退しましたが、康正二年(1456)一休宗純が中興し、開祖の遺風を慕い、師恩に酬いる意味を込めて酬恩庵と号しました。京都市内じゃなく
ミシンと手縫いどっちが得意?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう一休宗純-Wikipediaja.wikipedia.org1474年の今日は一休さんで有名な一休宗純が大徳寺の住持に就任した日です、。3月4日-Wikipediaja.wikipedia.org
「一休宗純は、足利義満の御落胤である」と、誤記している人、いませんか?特に我々の年代に。ごく子供の頃、一休さんのアニメを見ていた人に、一部、そういう誤解が生まれているらしい。なにしろ、一休さんの「母上さま」は、若いのに何故か隠居所みたいなところで暮らしていて、息子の一休さんとは滅多に会わせてもらえません。どうやら「誰かすごく偉い人の子供を生んだのだけど、おっぴらにできないので、子供は寺にやられ(それが一休さん)、本人は押し込められた」っていう境遇らしい、というあたりまでは、子供でも分かり
言ってもしょうがないことを言って嘆くことを煩悩と呼ぶ一休宗純言ってもしょうがないことを言ってますねぇ~メタボ和尚は😄皆さんはどうですか?こうなれば良いのに・・・うまく行かないなぁ・・・言ってしまってますよねぇ~😁これを煩悩と呼ぶらしいですよ煩悩を打ち消す、除夜の鐘まではほぼ一年間も有りますから、今のうちに言わないようにきおつけないとねぇ~😱言ってもしょうがない愚痴や泣き言、不平や不満も言ってしまっているように感じます。あぶないあぶない・・・
「門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」(一休宗純)今年の元旦、午前1時に、この一休宗純さんの短歌に書いて綴ったエッセイをブログに投稿した。正月はおめでたい。世間は浮かれた気分でいるけど、1年経ったことで、死に一歩近づいたんだよ、と一休さんは諭している。私は、この一休さんの短歌を知ってから、正月だと浮かれていてはいけない、というか、正月の元旦、三が日も決して特別な日ではなく、365日のうちの1日に過ぎないということを学んだ。誕生日が来ても、お
「くもりなき一つの月をもちながら、浮き世の雲に迷ひぬるかな」一休禅師の名言である。一休禅師の言葉、「くもりなき一つの月をもちながら、浮き世の雲に迷ひぬるかな」は、人間の心の本質を端的に表している。この句は、誰もが持つ清らかな心の存在と、それを覆い隠す世俗の迷いを見事に対比している。月は古来、真理や悟りの象徴とされてきた。一休さんが言う「くもりなき一つの月」は、誰の心にも宿る純粋な本性を指している。人は生まれながらにして清浄であるが、世の中の煩わしい欲望や迷
前回からの続き(11月9のこと)で、真珠庵の続きです『一休さんが開祖のお寺-前編-(真珠庵)』今回から11月9日のことになりますこの日も京都モダン建築祭に参戦(だから1人です)したのですが、この日はモダン建築祭の前に特別公開してたとこへ寄ることにしまし…ameblo.jp次の間へ向かうとき、建物沿いにあるのが「七五三の庭」こちらの庭は、史蹟名勝で、村田珠光作と伝わっているそうですその北側の塀に入り口がありますが、そこが茶室・庭玉軒(ていぎょくけん)へと続く入り口となりますもちろん降り
心とは如何なるものをいうならん墨絵に描きし松風の音…一休宗純幼い頃、口伝で教わった。確か、まつかぜの「こえ」と記憶している。この言葉…宇宙に行ってしまう笑見えなくても在るんだよ…なんで聴こえるん?なんで視えるん?なんでしゃべれるん?なんで理解できるん?……それって、誰がやってんの???
新年早々、髑髏を置くなんて…縁起でもない!と怒られそうですが。いいえ、きわめて現実的な話です。門松や冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし“一休さん”こと一休宗純(1394-1481)禅師が正月に、髑髏のついた杖を持ち京の町中を行脚した際に詠まれた歌と伝わっています。もちろん、一休さんの奇行にはそれなりの動機があります。
「世の中は食うて糞して寝て起きてさてその後は死ぬるばかりよ」一休宗純の名言である。一休宗純の言葉、「世の中は食うて糞して寝て起きてさてその後は死ぬるばかりよ」は、人生の本質をあまりにも率直に、そしてユーモラスに表現している。この言葉に、一休の人生観が凝縮されていると言えよう。人間はしばしば人生を大それたものと考え、目的や価値を追い求めて苦悩する。しかし、一休さんは、それをあえて平凡な営みの繰り返しとして語る。この視点は、人生の根本にある「ただ生きる」というシン
1月9日は・・・。【とんちの日】とんちで有名な一休さん(一休宗純)から、「いっ(1)きゅう(9)」の語呂合せ。【一休】(1394-1481)室町時代中期の臨済宗禅僧。名は宗純、号は狂雲子。後小松天皇の落胤といわれる。生涯定住することきわめて少なく、各地を巡って貴賤士庶の別なく布教。晩年の1474年ようやく京都大徳寺住持となり、応仁の乱で荒廃した同寺の再興に尽くした。天性洒脱で奇行逸事に富む。著書に『狂雲集』がある。【とんち】(頓知・頓智)機に応じてはたらく知恵。機知。wit。「トラ
おはようございます。今日、1月9日は・・・。とんちの日とんちで有名な一休さん(一休宗純)から、「いっ(1)きゅう(9)」の語呂合せ。
ここで一句頓智ある想像力もある証拠今日はとんちの日です。1月9日、いっきゅう、室町時代の僧、一休宗純に因んで、とんちの日とされています。其れでは、とんちとは何か考えてみましょう。先ず、とんちとは、その場に応じて即座に出る知恵、ですから、テレビのコメンテーターや学校の先生、講演を行う様な方はとんち、つまり頓智のある人と言えるでしょう。其れでは、頓智があるとどんな良いことがあるでしょうか?其れは、答えを直ぐに出せると云う事です。答えが出せると云う事は、正解が出せると云う事ですから、相談相手に
「この世にて慈悲も悪事もせぬ人は、さぞや閻魔も困りたまはん」一休宗純の名言である。この世に生きる上で善悪の基準は常に曖昧である。一休宗純の言葉、「この世にて慈悲も悪事もせぬ人は、さぞや閻魔も困りたまはん」は、その曖昧さに切り込むものである。慈悲も悪事もせず、ただ平坦に生きる人間とはどのような存在であろうか。一休さんが問うのは、そんな人間の本質である。慈悲は他者への思いやりであり、善行として称賛される。しかし、それは同時に自分自身の欲望や快楽の一部でもあるかもし
「踏み出せばその一足が道となる、迷わず行けよ、行けばわかるさ」一休宗純の名言である。一休宗純の言葉、「踏み出せばその一足が道となる、迷わず行けよ、行けばわかるさ」は、行動の大切さを端的に説いている。この言葉には、迷いを振り払い、まずは行動することで道が開けるという深い教えが込められている。人生は時として迷路のように感じられる。しかし、一休さんは静かに教える。頭で悩むだけでは何も始まらないのだと。最初の一歩を踏み出す勇気があれば、道は自然と現れる。その
「世の中の生死の道に連れはなし、ただ寂しくも独死独来」一休宗純が詠んだ短歌である。人が避けられない「生」と「死」という道を、たった一人で歩む孤独が静かに描かれている。この歌には、厳しくも温かい現実がある。生きることも死ぬことも、誰かと完全に分かち合うことはできない。たとえ家族や友人に囲まれていても、その最も深い部分は、自分一人で向き合うしかない。しかし、一休の言葉はただ悲観を語るものではない。「独死独来」の「独」とは、孤立ではなく、個としての尊厳を示してい
「生まれては死ぬるなりけり、おしなべて釈迦も達磨も、猫も杓子も」一休宗純の名言である。一休宗純の言葉、「生まれては死ぬるなりけり、おしなべて釈迦も達磨も、猫も杓子も」は、人間の運命の普遍性を簡潔に言い表している。この言葉には、生と死という避けられない現実への深い洞察がある。どれほど崇高な教えを説いた釈迦も、禅を極めた達磨も、日常の中の猫や杓子のような存在も、皆等しく生まれては死ぬ運命を持つ。一休さんは、この平等性に目を向けることで、我々に思い上がりや執
昭仁親王、後の第115代桜町天皇は、正月元旦に生まれました。元旦生まれの天皇は、神武天皇と垂仁天皇のみ、また聖徳太子も元旦生まれだったので宮中では格別大喜びだったそうです。桜町天皇が即位されたのは江戸時代、徳川吉宗が将軍の時でした。長い間中断していた大嘗祭が復活したのは、桜町天皇の時でした。和歌を好まれ、『桜町院御集』を残されています。聖徳太子は第31代用明天皇の皇子で、第33代推古天皇の時代に皇太子で摂政としても活躍されました。「冠位十二階」や「十七条憲法」の制定で知られています。
今日は今日純白の初陽めでたくもありめでたくもなし瞼を閉じて今日を見送り目が開けば今日を迎える今日は残りの人生の最初の日今日は人生という旅の千穐楽今日は今日夢幻の生涯めでたくもありめでたくもなし乙巳歳朝KANAME【関連記事】2024年1月1日投稿『乾坤正気天地皆春』天保らかにこころ穏やかに過ごせますようにどうかお鎮まりください祈りを
「門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」一休宗純の名言である。一休宗純の言葉、「門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」は、新年の慶祝と死の無常を同時に見据えた深い洞察である。この短い句に、一休さんの哲学と風刺が凝縮されている。門松は新年の象徴であり、喜びや希望を感じさせるものである。しかし、一休さんはその意味を逆転させるように語る。門松を「冥土の旅の一里塚」と例えることで、人生が常に死へ向かう旅路であるという無情の現実を突き
テキストを入力「正月は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし。」一休宗純
今日のことば一休宗純さんの言葉「丸くともひとかどあれや人ごころあまりまろきは転びやすきぞ」円満温厚な性格は素晴らしいが、それだけだと、つけこまれたり軽んじられたりすることがある。ちょっととがったところ、少々のこだわりがあるほうが生きやすい。(禅僧)
立ち止まることは、悪いことじゃない。辛いときは少し休憩して、またもう一度歩き出せば良い詠み人知らず●パパのひとりごと少し休憩しよっ!また歩き出してその先に行くために。
「今日褒めて、明日悪く言う人の口、泣くも笑うも、嘘の世の中」一休宗純の短歌である。一休宗純の短歌は、嘘の世の中と人間関係の真実を指摘している。この言葉は、日常生活の中でしばしば目にする光景を思い起こさせる。人は、他者の評価や意見に敏感であり、時にはその言葉に振り回されることもある。この短歌が示すように、社会には、表面的な称賛と裏腹な批判が共存している。今日の友人が明日には敵となることも珍しくない。私たちが生きる「嘘の世の中」の一部であり、真実や誠実さが
美しき竹林と紅葉―竹の寺・地蔵院は1367年創建―美しい竹林に囲まれた静かなお寺で、かの一休さんこと、一休宗純禅師が幼少期に過ごしたことでも知られます画像引用元(22)静秋京都・地蔵院QuietautumnーBambootempleJizoininKYOTOー美しき竹林と紅葉癒しの風景-YouTube
テレビアニメとして、1975年から1982年までの約300話も放映された”一休さん”(禅僧・一休宗純の子供時代)が晩年に隠棲した臨済宗大徳寺派の禅寺である、酬恩庵一休寺が京都府京田辺市にあることを先日知ることができたので行ってみました。インターネット上で調べてみると、お寺さんの中にある”方丈庭園は名勝で、苔の緑と自然石の取り合わせが美しい名庭である”という情報と、ここの紅葉が今が見頃との情報があったので、これは是非行ってみたいと思いました。酬恩庵一休寺"京田辺市酬恩庵一休寺の公式