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遠い記憶を辿ると、元山駅を出た長尾行が大きく左に曲がり、春日川を渡った地点で撮ったようです。実は2年前、長尾線の車窓からこの地点を探したのですが、高架化により様変わりして場所の確認に手間取りました。この30年で、沿線風景とともに電車も変わってしまいましたね。山形交通、宮城電鉄、東濃鉄道、玉野市営、それに京浜急行と、寄せ集め感がたまらなかった・・
五井駅から2駅目、所要8分で海士有木駅に到着。(2026.7.18小湊鉄道海士有木駅)いったい如何なる由来があるのか、「あまありき」の駅名に想像を巡らせてしまいます。駅舎内は、出札窓口、木製ラッチ、長ベンチ、手小荷物受付口と、典型的な「小湊スタイル」でした。もちろん、昔ながらの汲み取り式便所も健在。ホーム側から駅舎を仰ぐと、やはり農家の家屋さながらの「小湊スタイル」ですね。貨物側線が良い雰囲気・・倒壊しそうなボロボロの農業倉庫は撮影失念!40分程の滞在で上り列車に乗車、自宅最寄
「新消えた轍ローカル私鉄廃線跡探訪関東4」から引用甲府駅前駅ホームに停車中の電気貨車1。【2026.8.5撮影】甲府駅前駅を南東側から撮影電気貨車は、一つ目小僧と呼ばれていたそうだ。簡易救助柵や灯火など使用は、モハ1〜6と同じ。YKタクシー。山梨交通タクシー。一つ目小僧を見たことありますか?いや。なかなか、いない。
9時9分、下り列車が里見駅に到着、列車交換のため9分間の停車。上総牛久駅を過ぎると運行本数が激減し、里見駅が唯一の交換可能駅になります。(2026.7.18小湊鉄道里見駅)普段は使用されていない中線(2番線)に役目を終えたキハ200が留置中。キハ40への置き換えと、列車編成の短縮化により、キハ200の稼働も少なくなりました。当日、通票キャリアを肩に掛けた駅員が上り列車を待っていましたが、なかなか列車が現れず・・それでも、5~6分の遅れで上り列車が現れました。国内のローカル線の殆
<5月15日>島根県出雲市の「電鉄出雲市駅」へ来ました。このローカル私鉄は「RAILWAYS」の舞台になったところ。主演は中井貴一さんでした。窓口で切符を買います。券売機は2台。出雲市駅からは「松江しんじ湖温泉」と「出雲大社」の両方面行きが出ています。7時38分の電車に乗ることにしました。もう一度戻って来なければならないので、切符は往復を購入。つまり2枚出て来ます。
買収や廃線で話題となっている和歌山の紀州鉄道。全長2.7㎞の日本一短いローカル私鉄。今まで行ったことがなく、早く行かなければ後悔すると思い初の撮影に出掛ける。記念すべきファーストショット。6月初旬の田植えの時期。まだまだ残る第4種踏切住宅街にポツンと佇む学門駅周辺には団地や民家が多く建つが過疎化が進んでいるのか廃屋が目立つ。古くからの商店や民家が並ぶ昭和の風景が残る路地。終点の西御坊駅。ここで感じるのは人と鉄道
「えっ、電車が主役じゃないの?」本業以外のビジネスが9割を占める静岡西部のローカル私鉄、なぜ今グループ経営を変えるのか(Merkmal)|自動車情報・ニュースatGooglenews中道改革連合で日本人滅亡外国人参政権反対、中韓朝、帰化人、創価学会は生活保護を食い物に、ヘタれのタカりヤクザは、自分の国に帰らず働かず、自立しないなら、自分の国に金を出して貰え、そしてその金を苦しんでいる日本人へその1https://ameblo.jp/rikkken/entry-12953635
琴電長尾線の元山駅が、明治期に建造された木造駅舎というので下車しました。(2026.7.19琴電長尾線元山駅構内)駅舎の軒下を飾る「ノコギリ」のような形状が往時のデザインとの事だけど、言われなければ全く気づかない地味な意匠・・・開業時は出札窓口だった建物が、現在は待合室に改造されたもの。便所のような小屋が開業当初からの駅事務室で、近距離区間のローカル私鉄らしい佇まい。待合室の内部を観察すると、出札窓口の名残りがありました。ちなみに背後には、1畳ほどの押入れの跡があるのですが、列車
本日のお題:できるものなら一度してみたい旅豪華なクルーズ列車やクルーズ船での旅も、一生に一度の贅沢ということでの魅力は感じるけれど…やはり私としてはゆっくり時間をかけて改めて日本のあちこちを鉄道で巡りたいですね。一定期間自宅を離れて旅から旅へと乗り鉄旅を続けるのもいいし、今回は○泊○日で北海道へ、それから帰ってきたら○泊○日で九州へ、というように一定の地域をゆったり目の行程で訪ねる旅を何度もするというたびもしてみたいです。あとはやはり死ぬ前に一度はどこか海外の鉄道にも乗りに行きたいですね
本家家元の東急5000形の「青ガエル」の愛称に対して、岳鉄は「赤ガエル」と呼ばれていました。旧型車両の塗装を踏襲したものながら、個人的には好みのカラーで、何度も撮りに出かけました。本家「青ガエル」が現役だった頃には一切撮らなかったのに・・・当時を振り返ると、岳鉄だけを撮りに行った記憶は無く、毎回「青春18きっぷ」で、中京や関西圏からの帰路、「2時間程度の寄り道」としては重宝な私鉄でしたね。
太宰治記念館すぐ近くに三味線会館がありますこれは三味線会館ではなくて津軽鉄道の金木駅ローカル私鉄で駅前なのに静まり返っていましたで、これが津軽三味線会館実演を見る事が出来ますまんじ流と言う流派らしくて、家元さんとお弟子さんが演奏されました。15分ほどだったかなあそういや三橋美智也も三味線の使い手だったんだなあと、会館内のコーナーを見て知りました浪曲みたいなものを歌う歌手のようなイメージでしたが、津軽三味線の名手だったらしいです
上野駅5時10分発の勝田行に乗車、石岡駅到着6時28分。6ヶ月後の廃止を控えた石岡駅構内、平日というのに静かな朝でした。(2006.10.30鹿島鉄道石岡駅構内)ホームの終端にある事務所を訪れて当日の運用をチェック、目当てのキハ430形の運行時刻を確認して安堵。しかし、出庫時間までの2時間をどう過ごすのか思案し、街道沿いの看板建築の街並みを眺め時間つぶし・・鉄道全廃を目前にしつつ、淡々と職務をこなす若い乗務員達はいずれも穏やかな表情でした。(後に、再就職先が決まっていたことを知り
有田鉄道(2002年廃止)の末期は1日2往復と散々たるものでした。在籍運転士は1名、隔週土曜と日・祝日は運休、およそ公共交通機関とはかけ離れた運行体制でした。JR紀勢本線のホームの片側を間借りしているため、やたらと長いホームの先端部は雑草に覆われており、レールバスの停車位置だけは除草。無人の出札窓口、手書き時刻表には10:00、12:00の2本が記載していました。湯浅までの乗り入れ廃止後も暫くの間はJRへの渡り線が残っていたのですが、さすがに撤去されていました。車止めがJRとの境界地点な
月潟駅は、部分廃止(1993年)に伴い、終着駅になると1面1線の「棒線」となりました。おそらく開業以来、全く手を加えていないであろう駅舎は必見でした。一切のアルミサッシが無い木造の扉や窓を熱心に記録に残すべきでした・・築堤上のホームから階段を降りると「月潟商店街」のアーチが現れました。畳店、時計店、食堂などの看板の数々、駅前を中心に集落が形成されていた昔の姿をとどめる佇まいです。商店街の並びに「雪吊り」が施された松の木や黒塀のある重厚な料亭建築が残っていました。地元の観光協会のサイト
南部縦貫鉄道を撮影した帰路、石越駅から2駅先の若柳駅まで乗車。栗原電鉄の車両は好ましいスタイルだが、最後まで大きなヘッドマークが外れることは無かったです。軽便時代のELを改軌したED201、元.西武371系等々、留置車両を一巡しても上り列車まで時間があるので、徒歩で石越駅まで戻りました。若柳から石越まで約3km、途中にあった映画館を改装した自動車整備工場が凄い存在感でした。正面と左の2箇所に唐破風がある立派な民家、おそらくは以前は旅館だったのでしょう。
北陸新幹線敦賀延伸後の第三セクター鉄道をめぐる旅。今回はIRいしかわ鉄道の乗り潰しをいったん中断して、金沢駅から寄り道です。向かった先は北陸鉄道浅野川線。以前訪問した際に撮影できなかった駅名標や駅の様子を記録するため、終点の内灘駅から各駅を巡ってみました。前回までのお話北陸新幹線敦賀延伸開業後に在来線を移管した区間をめぐる旅。前回はIRいしかわ鉄道の大聖寺から小松までの乗り潰しを終え、新幹線で金沢に移動。そこから移動した路線は……本日は、いつもの寄り道旅、こちらの
2026年7月5日が滋賀県知事選挙の投票日現知事が掲げる項目の一つ交通税が今回の選挙の争点?ローカル私鉄の運営援助を交通税として滋賀県民から合法的に徴収するのが目的そしたら県予算の内訳数字を把握していると思うのに一般人に分かりやすく説明されていない点が残念でならない現職の知事が掲げる公約に他の候補者もただ反対するばかりで県民の暮らしを具体的にどうすれば今以上に良くなるのか等独自策がないのでしょうか?例えば交通税を徴収してローカル私鉄のインフラを存続させて市
景色の変化が少ない野上電鉄も、紀伊野上駅から貴志川沿いを走るあたりから一変します。動木駅の手前に架けられた短い橋梁周辺の集落の佇まいが良く、何度か訪れています。ただ、日中の2運用とも単行のデ10形、しかも側面の広告看板が目障りなので数カットを撮っただけで退散しました。今となっては、「もっと粘って撮れば良かった」と後悔しきりなのですが・・
1362)『1362)茨城の消えたローカル私鉄(19)3回目の日立電鉄-5久慈浜で銀座線2000系ほか』1361)『1361)茨城の消えたローカル私鉄(18)3回目の日立電鉄-4田園風景の大橋~茂宮~南高野』1353)『1353)茨城の消えたローカル私…ameblo.jpの続きです。1991(H3).11.26の日立電鉄1991.11.26久慈浜駅構内の東側(海側)に留め置かれえたモハ11。右側パンタ搭載側が常北太田方同モハ11の鮎川側。あれ、い
1353)『1353)茨城の消えたローカル私鉄(17)3回目の日立電鉄-3大橋~茂宮、川中子~大橋』1352)『1352)茨城の消えたローカル私鉄(16)3回目の日立電鉄-2営団2000系の初日運行を追う』1351)『1351)茨城の消えたローカ…ameblo.jpの続きです。しばらく間があいてしまいました。1991(H3)年11月26日の日立電鉄。川中子~常陸岡田で撮った後、モハ12に乗って茂宮にやって来ました。クルマは大橋の駅前に置いてあります。撮るだ
1359)『1359)岡山の消えたローカル私鉄(4)同和鉱業片上線-4片上駅で思わぬ異常事態に遭遇!』1358)『1358)岡山の消えたローカル私鉄(3)同和鉱業片上線訪問-3DD13+客車+気動車を』1357)『1357)岡山の消えたローカル私鉄…ameblo.jpの続きです。訪問日は1989(平成元)年6月27日。同和鉱業片上鉄道片上駅で側線の撤去工事をみたあと、夕方に旧型客車編成が運用に就くまでのあいだに岡山県でのもう一つのローカル民鉄として
山陽本線土山駅で下車、別府鉄道土山線の2軸客車に乗り換え、14分の乗車で終点の別府港駅に到着。次に乗車する野口線は、車両の前後に荷台の付いた「バケットカー」のキハ2でした。(1982.5.3別府鉄道別府港駅構内)当時、「バケットカー」が在籍するのは、別府、筑波、加悦鉄道の3社だけで、筑波と加悦では稼働実績が殆ど無く、最後まで乗車の機会がありませんでした。機械式気動車で、右手でクラッチレバーとブレーキ弁、左手で真鍮製の丸ハンドル、そして右足でクラッチペダルを操作する異次元の運転方式でし
1358)『1358)岡山の消えたローカル私鉄(3)同和鉱業片上線訪問-3DD13+客車+気動車を』1357)『1357)岡山の消えたローカル私鉄(2)同和鉱業片上線訪問-2清水~片上間で気動車や客車を』1356)『1356)岡山の消えたローカル…ameblo.jpの続きです。1989年6月27日の片上鉄道。清水~片上間で撮影後、清水9:01発の23D、キハ303に乗って片上に戻ります。ここは最近交換が不可になったようです。今立っているホームは使
「日本一短いローカル私鉄」和歌山・紀州鉄道が事業譲渡へ厳しい経営、改善難しく事業譲渡の方針が示された紀州鉄道=昨年11月「日本一短いローカル私鉄」として知られ、和歌山県御坊市を走る紀州鉄道が、事業譲渡する方針であることが5日、明らかになった。厳しい経営状況が続いており、事業継続は困難と判断したとみられる。同市などは今後の支援策を検討していく方針だ。以下略・引用元此処迄は産経新聞6月5日付記事以下記事詳細全文紀州鉄道の譲渡先決定へ。廃線危機から一転、存続へ向け最終協議和
静岡鉄道静岡清水線の全駅をめぐる途中下車旅も、いよいよ後半戦。JR東海道本線や新幹線を跨ぎながら、駿河区から清水区へ。草薙総合運動場の最寄えきや、静岡県立美術館の玄関口、そして“こんな駅舎がまだ残っていたのか“と驚く超個性派駅まで、静鉄らしいローカル感と都市近郊私鉄の顔が入り混じる区間を走りました。(本文)h2前回までのお話名鉄と静岡県内の私鉄未乗路線を乗り潰す旅。この旅、最後の路線となる静岡鉄道・静岡清水線の全駅に下車して訪問中、前回は、新静岡駅を出発して古庄駅まで、つまり
名鉄と静岡県内の鉄道を巡る旅もいよいよ最終章、舞台は静岡市内へ。新静岡駅から始まる静岡鉄道の世界に足を踏み入れます。地上の喧騒を背に、新静岡駅に立つと、JRとは違うリズムで動く鉄道の空気が流れています。短い路線ながら高頻度運転、そして個性的な車両たち。今回は駅めぐりの前に、静岡鉄道という路線と車両の魅力をじっくり見ていきます。目次前回までのお話静岡鉄道とは略称と地域での呼び名路線概要運行形態と本数歴史と路線の変遷JR東海道本線との関係使用車両A3000形100
かつては雑多な旧型車天国だった石川線でしたが、東急や京王のステンレスカー投入により、予備車両として3両だけが残りました。2両のモハ3750形は、晩年にノーシル・ノーヘッダーの車体に更新され、良好なコンディションなので予備車に選定されたのでしょう。ごく稀に定期運用に就いたようですが、私が訪問した頃には休車然として動いた様子なし。モハ3760形も自社工場での車体更新で「手作り感」ある外観なのがご愛嬌。しかしながら、自社で車体更新できるスキルに敬服します、果たして現在も技術が継承さているのか?
大学サークルの四国合宿のついでに下津井に寄りました。路線短縮でアクセスが悪く、丸亀港からフェリーで下津井港へと向かいました。下津井港から徒歩2〜3分で下津井駅に到着、ただ、雪が止まず・・(1984.2.17下津井電鉄下津井駅構内)構内にはガソリンカー改造のクハ5や井笠鉄道のホジ3が残っていました。まぁ雪が降る中、撮れただけで満足。慌しくモハ1001に乗車、終点の児島駅まで17分で到着。車窓から瀬戸内海の絶景を期待しましたが、チラッと海が見えただけでした。
『ちょこっと雑学』[[昭和の時代にこんな事が?]]ICカード乗車券が主流となった今では、駅の改札口といえば「自動改札機」が当たり前の光景となった昨今。改札口に駅員さんが立って“カチカチ”と音を鳴らしながら“切符”にハサミを入れていた光景を、見たことがないという人もいる時代になってしまった。いまでもローカル私鉄のなかには、このハサミを使用している路線もあり、昭和の改札風景もまだまだ健在だ。自動改札機が多くの鉄道で取り入れられるようになったのは、昭和から平成に時代が移り変わったころのこと。当時