ブログ記事515件
お疲れ様です。川崎球場で青春時代を過ごしたサラリーマンです。記憶に残ってる思い出の中から、1番嬉しかった事を記します。私が小学校の4~5年生くらいの時だったと思いますが、いつの何の試合とかははっきり覚えてません。いわゆるいつものような閑古鳥のナイターだったのですが、私は少年野球の練習終わりで、ユニフォームを着たまま川崎球場にナイター観戦に来ていました。そして、1塁側のスタンドへ向かおうとすると、当時の川崎球場は1塁側に球場と少し離れたとこに、室内練習場やブルペンがありまして
BBM2009Backtothe80's牛島和彦直筆サインカード063/100牛島和彦さんの(たぶん)6種類目の直筆サインカードです。(たぶん)と書きましたがチョット自信がありません。カード裏面です。自信がありませんがここまでの牛島さんの直筆サインカードのリストです。誤りがありましたらインターネット、SNS上で声を上げていただけたら、と思います。※カッコ内は直筆サインカードの枚数です。□BBM2004剛腕列伝(50枚)□BBM2005横浜ベイスターズ(20枚)
地球へ感謝のメッセージを伝えよう!▼本日限定!ブログスタンプおはようございます。映画『栄光のバックホーム』、感動間違いなしの作品らしい。個人的に、慎太郎選手よりも、元・ロッテのお父様の真之氏のほうが印象が強い。昔、愛甲猛氏の著書の中で“入団当初は低姿勢だったが西村徳文の威光をカサにエラそうになったのでブッ締めた”みたいなことが書いてあって、真之氏というとそのイメージ。主演を務めた俳優の松谷鷹也、お父様が元・巨人の松谷竜二郎投手だとか。巨人同期ドライチ
お疲れ様です。プロ野球総選挙を見てから、頭の中が野球になってしまいました。またいつもの禁断症状です。ご容赦下さい。私にとっての野球の原点は川崎の地。プロ野球の聖地は川崎球場でした。セ・リーグ、巨人戦はテレビで見るもの。パ・リーグ、ロッテ戦は川崎球場でいつでも見れるもの。テレビで見る巨人戦は華やかで、お客さんも満員で…川崎球場と言えば、だいたいこんな感じの閑古鳥が名物。西武戦だけもうちょっとお客さんが入ります。当時はセ・リーグ、パ・リーグは本当に同じプロ野球なのか?と錯覚するく
BSTBS「高原へいらっしゃい」の再放送が終わってしもた〜やっぱり、何度見ても面白かったよ~バーテン役の古今亭八朝サンが2年前にお亡くなりになっていた当時は落語家サンだとも知らなかった御冥福をお祈りいたします。m(__)m今朝からは「想い出づくり。」楽しみ〜もう1回だけ見ましょうゴーゴーレッツゴーオリオンズ(分かる人だけに!)
R&B21マスターズリーグ2002-2003村田兆治直筆サインカード※今回の投稿は私の備忘録代わりのため大変長い文章になりますので興味のない方は読み飛ばしてください。-------------------------------------当ブログ前回投稿に続きマスターズリーグでの村田兆治さんの直筆サインカードについて投稿します。このマスターズリーグで村田兆治さんは3回、計7種類の直筆サインカードを書いてます。時系列で追っていきます。まず、2001-2002シーズンの
R&B21マスターズリーグ2003-2004F1稲尾和久当ブログ8月5日の投稿でロッテのユニフォーム姿の稲尾和久さんのカードを紹介しましたが西鉄ライオンズ以外のユニフォームを着用したカードがもう一枚あります。【R&B21マスターズリーグ2003-2004】■F-1稲尾和久(福岡ドンタクズ)カード裏面です。むかしむかし墨田区両国の両国駅前にR&B21というカードショップがありました。たぶん"アール・アンド・ビー・トゥエンティワン"が正式な店舗名だと思いますが正式な
2004ToppsAll-TimeFanFavoritesArchivesAutographs#PIPeteIncaviglia2004トップスオール・タイム・ファン・フェイバリッツピート・インカビリア直筆サインカード1995年の一年間のみ千葉ロッテマリーンズに在籍したインカビリアさんの直筆サインカードです。青いペンで豪快に直筆サインが書かれています。当ブログ前々回のマドロックさんの直筆サインカードは2003年の『2003ToppsAll-Time
もし宇宙に行けたら何したい?▼本日限定!ブログスタンプ月や火星でゴルフテレビで『プロ野球総選挙』を放送していたので観た。こういう番組って、ONや金田・野村克也はランクインするのに、稲尾・米田や張本・土井正博がランキングに入らないのは不公平なんじゃないの?記録だけでなくMLB挑戦など“凄い選手”という前提の上で敢えて言うが、ランクインしている新庄剛志よりも、これら前述のレジェンドたちがランクインしていない理由が分からない。福本・衣笠・山本浩二・門田や江夏・鈴木啓
2005UpperDeckPastTimePennantsBillMadlockAutograph(SignaturesSilver)2005アッパー・デッキパスト・タイム・ペナンツビル・マドロック直筆サインカード(シルバー)当ブログ前回に引き続きマドロックさんの直筆サインカード、アメリカのUppeDeck社での直筆サインカードです。2005年に発売された『2005UpperDeckPastTimePennants』に封入された直筆サインカードで
2003ToppsAll-TimeFanFavoritesArchivesAutographs#BMABillMadlock2003トップスオール・タイム・ファン・フェイバリッツビル・マドロック直筆サインカード当ブログ前回に引き続きマドロックさんカード、アメリカのTopps社での直筆サインカードです。2003年に発売された『2003ToppsAll-TimeFanFavorites』に封入されたToppsArchivesAutographsの一枚で
タカラ1988ロッテオリオンズビル・マドロック当ブログ昨日のカルビーのカードに続きタカラ1988ロッテオリオンズのマドロックさんのカードです。マドロックさんのNPB在籍時のカードは昨日のカルビー1988と今回のタカラ1988ロッテオリオンズの2種類になります。カードに表示されている名前についてですがカルビーは『マドロック』と表示されてますがタカラはNPB登録名のフルネーム『ビル・マドロック』と表示されてます。タカラのゲームカードの外国人選手は年度、球団を問わずフルネームで
カルビー1988№84マドロックMLBで首位打者4回の大物メジャーリーガー、マドロックさんのカードです。1988年はベースボールマガジン社のカードは無く(1991年スタート)この1988年のカルビーとタカラのゲームカードでマドロックさんはカード化されました当ブログ10月19日投稿の際に荘勝雄さんのカルビーのカードについて書きましたがこのマドロックさんのカードは『レアブロック』とまでは言いませんがカード市場にやや出回りにくいカードになります。カード裏面です。
昭和のプロ野球ファンでは有名だと思いますが…⚾️ジョージ・リー・アルトマン氏が11月25日(日本時間26日)に亡くなったと、アメリカ🇺🇸メジャーリーグ公式サイトが伝えました。92歳でした。ジョージ・リー・アルトマン氏はニグロリーグで3カ月間プレーした後に、1959年シカゴ・カブスでメジャーデビュー、日本には1968年NPB東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に入団、1975年阪神タイガースに移籍し引退しました。NPBでは8年プレーして、935試合通算打率.309本塁打205本656打点
本日はアルバイトでした…やはり毎日働かないといかんな…曜日がわからない😱LPを終活がてら聴いていたら、アルトサックスの素晴らしい無伴奏ソロが…この盤処分中止…ちょ待てよ(⬅️誰かさん風に)やはりYouTubeに上がっていました⬇️LP処分決定です(しかしディジタル音は味気ない)。アルトマンさん、ご冥福をお祈りします。記事によると大腸がんが判明したのは1974年…それから半世紀も生存されていた…ということであろうか…。〝足長おじさん〟ジョージ・アルトマン
ロッテで新人王となるとやっぱり私は三井雅晴を思い出す。背番号は36。木樽や成田、金田留広に村田兆治という投手王国の中に突如現れた巨大新星。大きく振りかぶって投げる豪速球は当時スピードガンがあったらどれほどの数字を残していただろうか。ノムさんや門田、長池といった居並ぶパの豪傑たちも三井の前ではすっかり沈黙し「こんな速い球見たことない」と無名のドラ2新人投手に白旗を上げた。その年の阪急とのプレーオフそして中日との日本シリーズでも好投を重ねるとオフには大方の予想通り新人王
山勝1978大判カード野村克也ロッテのユニフォーム姿の野村克也さんのカードです。このカードはいわゆるトレーディングカードサイズではなくポストカードサイズのカードになります。※サインは直筆ではなく、プリント(印刷)サインです。『山勝(やまかつ)』とは、駄菓子屋で10円引きのパックで発売されたカードでカードナンバー、発行年が記載されいないため年度の特定が難しいのですが野村克也さんがロッテオリオンズに在籍したのは1978年のみのため、このカードは1978年発行と確定できます。カ
カルビー197640450年度パ・リーグ個人賞(村田兆治)当ブログ前回で金田正一さんが写っているカルビーのカードについて投稿しましたが今回は村田兆治さんが写っているカルビーのカードです。前回の金田正一さんが写っているカードは1977年のオープン戦頃に発行されたカードですが今回投稿のカードは昭和50年(1975年)のタイトルホルダーのカードですが、昭和51年(1976年)に発行されました。村田兆治さんが写っている部分の拡大画像です。村田兆治さんはカルビーの本業について同
カルビー1977145オープン戦シリーズ№1長島茂雄(&金田正一)当ブログ前回までの『BBM2008ロッテ40年記念』に引き続き今回から私なりの『外伝』となるカードを投稿します。1977年のカルビーで長島茂雄さん(読売ジャイアンツ監督)と一緒に写っている金田正一さん(ロッテオリオンズ監督)です。カルビーのプロ野球カードは1973年から始まりました。1973年スタート時点ではカルビー社の本業について競合他社である・ヤクルトスワローズ・ロッテオリオンズの2球団の選手はカード
※カードについての細かい仕様は当ブログ11月15日投稿をご覧ください。----------------------------------------MD9西村徳文さんの『DreamTeam』インサートカードです。ロッテ歴代ベストナインで外野手×3人のうちの一人として西村徳文さんは選ばれました。カード裏面です。MD9西村徳文さんの『DreamTeam』の50枚限定の赤箔・花火のパラレルカードです。スマホの写真も貼っておきます。カード裏面です。MD9西村徳文さんの『D
BBM2008ロッテ40年記念MD8弘田澄男赤箔・花火カード15/50※カードについての細かい仕様は当ブログ11月15日投稿をご覧ください。----------------------------------------MD8弘田澄男さんの『DreamTeam』インサートカードです。ロッテ歴代ベストナインで外野手×3人のうちの一人として弘田澄男さんは選ばれました。弘田澄男さんは2008年をもって横浜ベイスターズのコーチを退任しフロント入りします。『BBM2008ロ
BBM2008ロッテ40年記念MD7アルトマン赤箔・花火カード26/50※カードについての細かい仕様は当ブログ11月15日投稿をご覧ください。----------------------------------------MD7アルトマンさんの『DreamTeam』インサートカードです。ロッテ歴代ベストナインで外野手×3人のうちの一人としてアルトマンさんは選ばれました。カード裏面です。MD7アルトマンさんの『DreamTeam』の50枚限定の赤箔・花火のパラレルカ
BBM2008ロッテ40年記念MD5有藤通世赤箔・花火カード34/50※カードについての細かい仕様は当ブログ11月15日投稿をご覧ください。----------------------------------------MD5有藤通世さんの『DreamTeam』インサートカードです。ロッテ歴代ベストナインで三塁手として有藤通世さんは選ばれました。カード裏面です。MD5有藤通世さんの『DreamTeam』の50枚限定の赤箔・花火のパラレルカードです。スマホの写真も
BBM2008ロッテ40年記念MD4山崎裕之赤箔・花火カード25/50※カードについての細かい仕様は当ブログ11月15日投稿をご覧ください。----------------------------------------MD4山崎裕之さんの『DreamTeam』インサートカードです。ロッテ歴代ベストナインで二塁手として山崎裕之さんは選ばれました。カード裏面です。MD4山崎裕之さんの『DreamTeam』の50枚限定の赤箔・花火のパラレルカードです。スマホの写真も
BBM2008ロッテ40年記念MD3落合博満赤箔・花火カード08/50※カードについての細かい仕様は当ブログ11月15日投稿をご覧ください。----------------------------------------MD3落合博満さんの『DreamTeam』インサートカードです。ロッテ歴代ベストナインで一塁手として落合博満さんは選ばれました。落合さんは二塁手、三塁手、一塁手とポジションが変わりましたがここでは一塁手としてロッテ歴代ベストナインに選ばれてます。
BBM2008ロッテ40年記念MD1成田文男赤箔・花火カード18/50『BBM2008ロッテ40年記念』ではインサートカードとして『DreamTeam』というカードが封入されました。※インサートカード・・・通常のレギュラーカードに比べて封入率が低く設定されたカードです。インサートカード『DreamTeam』は・インサートカード・150枚限定の花火パラレルカード・50枚限定の赤箔・花火パラレルカードが存在します。パラレルカード・・・通常のカードにキラキラ光る加工等を施
稲尾和久1937年6月10日~2007年11月13日大分県別府市出身右投右打、投手。幼少期とプロ入り前稲尾和久は1937年、大分県別府市に7人兄弟の末っ子として生まれた。父は漁師であり、稲尾氏は幼少期から漁の手伝いとして伝馬船の艪を漕ぎ、この経験がマウンドで動じない度胸と強靭な下半身を培ったと語っている。少年時代には別府を本拠地とする実業団チーム、星野組のエース、荒巻淳に憧れて野球選手を目指した。1950年に中部中学校に入学し野球部に入部。当初は捕手だったが、1
BBM2008ロッテ40年記念MP6小宮山悟フォトカード45/50小宮山悟さんのフォトカードです。『BBM2008ロッテ40年記念』が発売された2008年においては小宮山さんはまだ現役選手でしたが存在としてはレジェンド化してました^^カード裏面です。『BBM2008ロッテ40年記念』の小宮山悟さんのレギュラーカードの画像です。『BBM2008ロッテ40年記念』のカードナンバー81~99までは2008年当時の現役選手がカード化されました。【BBM2008ロッテ40年
村田兆治1949年11月27日~2022年11月11日広島県三原市出身右投右打、投手村田兆治は、小学5年生で観戦した広島市民球場のナイターをきっかけに、野球への道を志した。当時の広島の高校野球界は広商・広陵の二強時代でしたが、村田は「無名でも大型チームをつくりたい」という誘いを受け、福山電波工業高校(現:近大福山高)へ進学。通学時のつま先歩きや深夜までの走り込みといった人並み外れた鍛錬で足腰を徹底的に強化した。この鍛錬により、高校時代には既に球速は150km
BBM2008ロッテ40年記念MP5初芝清フォトカード03/50初芝清さんのフォトカードです。カード裏面です。初芝清さんの『BBM2008ロッテ40年記念』のレギュラーカードについては当ブログ9月11日に投稿済みですのでベースボールマガジン社のカードで一番古いカード、1991年の画像を貼っておきます。【BBM1991】■137初芝清カード裏面です。『BBM2008ロッテ40年初芝清直筆サインカード・青版01/25』BBM2008ロッテ40年記念初芝清直筆