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[無形の神か有形の神のどちらを信じるかとの問いに答えた人に対し]どちらの面からでも、信仰を持っていれば十分だ。お前は形のない神を信じている、それで結構だよ。しかし、たとえ一瞬のあいだでも、これだけがほんとうで他は全部うそだ、などと考えてはいけない。形のある神も形のない神とまったく同じようにほんものだ、ということをおぼえておいで。ただし、お前自身の信念は固く守るようにしなさい。[なぜ母なる御顔は黒いのか、と問う人に]自分が彼女からたいそう遠く離れているから、黒く見えるのだ。そばに行け
忘れてしまわないように。。。インドの光聖ラーマクリシュナの生涯よりインドの光聖ラーマクリシュナの生涯Amazon(アマゾン)『前進しなさい』ちょっと目が覚めたからといって、すべてがわかったなどと思うな。一度や二度の霊的体験で、これが最高の境地だなどと夢にも自惚れるな。宿場を目的地として、いつまでも坐り込んでいてはいけない。常に学べ。より高く上がれ。より前へ進め。転んだからといって、がっかりするな。あきらめるな。谷底に落ちようと、密林に迷い込もうと、すべて神の掌の中である。あ
yogaインストラクターになってまもない頃に読んだ本インドの光聖ラーマクリシュナの生涯Amazon(アマゾン)あの頃にはまったく意味が判らなかったラーマクリシュナの奇行の数々も、自分の実体験と重なる部分もあり、今は染み込んでくるものがあるギーターのなかで、クリシュナ神がアルジュナにおっしゃっているー私(神)のところに来ようと思ったら、八大神通力の一つでも持っていてはだめだ、と。どうしてか、わかるかね?神通力などを持っていると、人間は必ず高慢になる。高慢、増上慢、これが神を忘れさせ
暫く他サイトに書いてた記事をアメブロにまとめ中。↓今回はサマーディ(三昧)に関してです。まずは私も過去、一部誤解していたサマーディについてのよくある誤解。↓※サマーディは高い境地ではあるが、=悟りではない。※サマーディでは、意識はあるが思考・感情はなく、恍惚状態=サマーディではない。※悟りに至るのに必ずしもサマーディ状態は必要ではないが、殆どの場合サマーディを経験する事が悟りへの経過になる。※一時的にサマーディに達しても瞑想から出れば、元に戻る。恍惚状態と言えば、ラ
再投稿です。2010年1月の話です。ヒデと一緒にコルカタに来たかった理由の一つは、大好きな人たちにヒデを紹介したかったから。今日は、10年前からかわいがってくれているカクーとカキーマのお家に遊びに行くことに。前回行ったのは、ジュート畑のある田舎の村の別荘の方だけど、『【インド】インドで初農村ステイ☆』2009.8.7インド88日目コルカタ37日目午前中はボランティア。今日は新しい日本人が4人も居た。男の子にシャワーの所を手伝って
↑彼はあらゆる神様は一つであると身を持って確かめた唯一無二の大聖者なのです!ラーマクリシュナが大聖者へとなれたのは一体、何故でしょうか??その答えは、Wikipediaにありました(笑)引用しますと…ラーマクリシュナはバクティを行い、ハタ・ヨーガも実践して見神の探究に没頭するようになり、弟子たちと数時間静坐し、食事も睡眠もあまり取らなくなった。…と、あります。ハタ・ヨーガとバクティ(ハタヨーガは身体を動かすヨーガ)(バクティは神に信愛を捧げるヨーガ)ですね😃↓トラ
今日はスワミ・ヴィヴェカナンダの言葉です。この人生は短く、世のつまらぬ事物は移り変わる。まず自分を、それから神信じなさい。もし君たちが自分自身への信仰を持たないなら、君たちにとって救いはない。君たち自身を信じ、その信仰の上に立ちたまえやっぱり人というのは狭小だと思い込まされているだけで、実は結構壮大な存在なんだなと宇宙とか神とかそういうものの縮小バージョンなんだろうなと思います。だから、承認欲求とか自己否定とかいろいろ現代的な話として
ラーマクリシュナは、ケーシャブという親しい人が咳の発作でおそわれ、一緒にいた誰もが、胸を締め付けられるほど、長い事苦しんで、壁をつたいながら病室に戻って行ったときこう言った「わたしは、病気が治る様に、なんていうようなことは、一切言えないんだよ。そういう力を大実母にお願いしなかったからね。私は大実母にいつも、清い信仰を授けておくれ。と祈るんだ。」クリシュナがアルジュナに言った。「弟よ、もしわたし(神)のところに来ようと思ったら、八台神通力のうち、一つでも持っていてはだめだぞ。」
はるか昔大学生だったころ授業はほとんど出なかったので最低出席数と最低履修単位で卒業しましたw本だけは・・・沢山読んだなぁ当時の学生に人気があった、J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』は有名ですねサリンジャーが伝説となったのは時代の寵児だったのに突然田舎に引っ込んでその後、一切、作品を発表しなくなったからまともに出席した数少ない授業で何故サリンジャーが作品を書かなくなったか・・・先生の独特の視点が面白く興味津
完全な人を見つけてしまった・・・悟った人を見つけてしまった・・・その人は、他の全ての人たちと違っていて、唯一人だけ、疑いもなくて、それをやってのけたのだった!!自分で決める・・自分で判断する・・自分を生きる・・嗚呼、彼こそは今この瞬間にだけ生きていた。嗚呼、彼こそは思考のない自己に従っていた。・・・・・・・・・・・・・少し前、近所で火事があった。大きな破裂音黒煙炎サイレンの音消防車たくさんの車が駆
近頃は、ラーマ・クリシュナという名前の、インド人の覚者の言葉を読んでいました。すると、私自身が持っている証言と、やっている事と、同じ趣旨のことが書かれているところがありました。ですので、この話が、彼の、霊的な体験に基づいていている事を実感し、違った角度で、より深めることができました。今回は、そのお話をしてみようと思います。引用は、奈良康明著作、ラーマクリシュナです。・・・・・・・・・・・・・・昔、インドに、一人の親愛者がいた。彼は情婦
今回は、「真我の実現より大切なもの」を教えてくれた、愛すべき、ラーマクリシュナのお話です。人間は、楽しむために来た?神への愛、神への奉仕を楽しんでいる時。その行為者とは誰でしょうか?人間の自由意志は認められているのでないか!引用は、奈良康明著、人類の歴史遺産53、ラーマクリシュナです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「私は悲しい情けないお前という母親がついていてしかもハッキリ目がさめているのにわが家に盗人がしのびこむ」これ
「12時までは勉強頑張ってる」というご家庭からのご報告に「なんと!!」と驚く。まぁ驚くこと自体が失礼といえば失礼なんですが。。。長い付き合いだからこそ感動する事実。数ヶ月前のあなたと比べたら、、、、なんとも変わったねぇ。同時に自分に目が向く。自然と向かわざるを得ない。「私のふんどしはゆるんでないかい?ゆるゆるになってないかい!?」この前の勉強会で出てきたラーマ・クリシュ
予定の空きは埋まりましたが、まだ募集します。このお得な価格は今月中です。来月は少し変わります。『11月末ヒプノセラピー前世療法モニターセッション募集中です』11月末ヒプノセラピー前世療法モニターセッション募集中ですモニター価格で料金がお得になっていますので、この機会をご利用ください。3つのコースが有ります。12…ameblo.jp全ての道は神に通じる。その道は神ではない。ラーマクリシュナはそう言いました。何をしても、いつかは、神に通じるというお話です。ヴ
『11月末ヒプノセラピー前世療法モニターセッション募集中です』11月末ヒプノセラピー前世療法モニターセッション募集中ですモニター価格で料金がお得になっていますので、この機会をご利用ください。3つのコースが有ります。12…ameblo.jpこのモニター価格は、今月いっぱいの価格になります。沢山の方に、幸せいっぱいになっていただくように、クリスマスのセッションを企画します。1時間ほどのセッションですが、幸せだった時にフォーカスして向かいます。初めて前世療法を受けられる方も大
今日も気持ちよくプラーナ吸いました今日は最初に「角がつかえて」の話から始まりました。ラーマクリシュナ・パラマハンの話です。学校なんかいかなくてもいい人が世の中にはいます。ラーマクリシュナは、全く学校に行っていません。全く必要ない超越者です。農夫が瞑想したことがないけれどどうしたら良いか、尋ねたそうです。一番大事なものを想像しなさい、と。それで、農夫は、大切な水牛のことを考えて瞑想しました。一週間後、その農夫の妻が主人が出てこないと、ラーマクリシュナのところへやって
序文宮崎駿のアニメ映画、もののけ姫を、神秘主義的な視点で、スピリチュアリズムの視点から見てみると、とても興味深いのです。インド的神秘主義でも、キリスト教神秘主義でもない、かといって、オリジナルなものでもない、ただひたすらな、機械性、パターン性が、展開されているのです。まことに、「私は特別だ」とか、「私は悟った」とか主張されているお人の御本やブログであっても、日本人の思惟のただのパターン性の範囲内であることが、泣けてくるほど分かってしまいます。これを知ることで反対に、アルメニア
7月23日に創造主クリシュナから、卒業を言い渡されたが、昨日7月28日付で、ダメ押しのメッセージが届いた。「もう大丈夫だ。すべて備わっている。すべてお伝えした中にある。」と。その後、「瞑想(祈り)をしなければ」と、クリシュナの神殿の前に座った。ラーマ・クリシュナ、バール・クリシュナとまでは到底及ばないだろう。私は、意識でクリシュナと共にある事を体験した。あぁ、この境地にくるまで、19から始めて35年も掛かった。あぁ、前団体2012年から離れて9年掛
昨日とはまったく違う切り口ですがカーリー女神の愛についてかかせていただきます。3年ほど前のこの出来事ですが、カーリーを熱心に信奉する「今生では、普通のインド人女性」にカーリーが微笑みかけてくださった出来事なのだと私は解釈しています。なぜって通常の私はそこまで優しくないので・・笑。たぶんカーリー女神が私の無意識領域に何らかの働きかけをされたのだろうと思います。無意識に善行を積まさせていただいた私にも、祝福をいただけたようで、間近で拝むカーリー像は本当に美しかったです。
ラーマクリシュナの本が音を立てて倒れてきたのは、「愛の道に立ち還りなさい」という訴えかけだと理解しました。ラーマクリシュナという聖人は、愛と信仰の道である、バクティを説いています。バクティの本質をつかむ鍵は、「子供のような、開かれた純粋な心」です。隠者となって、古代史であったり秘教の思想系譜を追ってきましたが、ここでいったん、荷を軽くする必要があるようです。秘教史を追いかける中で、思索によって真理の光を捉えようとした人々の
インドの思想では、悟りに至る道は大きく分けて、二つあると言われています。愛の道(バクティ・ヨーガ)と智慧の道(ジュニャーナ・ヨーガ)です。どちらのルートが正解というのでもなく、「どちらを通っても、最終的に目指すところは同じである」というふうに考えられています。※これに行為の道(カルマ・ヨーガ)を加えることも多いです。(『バガヴァット・ギーター』など)行為の道とは、正しい行ないによって徹底的に、心身を清めていくルートです。今回はよりシンプルに、愛と智慧に
先日、娘と2001年に公開された、フランス映画の『アメリ』を観ました。私がかつて観てよかったので、娘に紹介したんだけれど20年ぶりに見直して、これって世界と和解する試みだな、と改めて思いましたよね。空想の世界に生きる、閉ざされた少女・アメリ。ある日、バスルームのタイルの裏に、誰かの少年時代の宝物が入った箱を見つけ、その持ち主を探し当てます。とてもとても回りくどいやり方で、持ち主に返してあげるんです。まるで奇跡のように、目の前に少年時代の宝箱が現れて、
私の住んでいる場所から、最寄りの図書館は3つあります。A区とB市とC市の図書館が、ほぼ均等な遠さにあるのですですので、この3つの図書館を回って、探究の史料をかき集めていますA区の図書館はこじんまりした、平均的な地元の図書館。B市の図書館は蔵書の多い、やや大きな図書館です。B市は住むのも人気のエリアで、おそらく図書館のような文化的なことにお金をかけているんだと思います。比較的蔵書も新しめに見えます。これに比べると、C市の図書館は蔵書が結構古く、置いて
自我を求める際に、インド哲学ではアートマン(真我・霊魂・内在的神性)ではないものを、私と思うな。と、教え、アートマンとの合一を求るよう促します。もし私がこれらのものでないなら、私は誰でしょうか?今述べたことすべてを「これではない」、「これではない」と否定していったあとに、ただひとつ残る覚醒――それが私である。ラマナマハルシ(ラマナ以前にも、ラーマクリシュナも初学者に向かっては、同じ瞑想法を解いています。)インド哲学特有の、否定形で入って行きます。「ありのままの私」を回
人は確信を得るまでは、けっして、自分で考えることはできない。知っているつもりなだけで、実は無観念で、決断することはできない、前回はそんな事をお話しました。『自分で考えるとは・・』旅をしていれば、固定概念を揺るがしてもらえる出会いをいくつも体験するものです。今回紹介するのは、10年くらい前のバンコクでの出会いでありまして、「自分で考え…ameblo.jpアイデアなんて、だれでも持てる・・知っているつもりの、考えているつもりの、現状分析と知識の分類・・堀尾忠氏~小山評定での山
ありがとうございます。リブログのリブログで御座います(*^^)v他にもFacebookに投稿してくださった方もおられて本当に感謝です。ラーマクリシュナに惹かれるようになったのは元々ヨガの師の影響が大きいのですが、その人となりを知れば知るほど凄い聖者だと思うようになりました。深い瞑想でサマーディ(三昧)に入ると、(それがあまりに素晴らしい世界なので)もうずっと出てこなくなり、そのままだと死んでしまうので、弟子が叩いて起こして食事などをさせる。。。、というのは、もう