ブログ記事63件
近代の聖人と言われる人たち。インド人なら誰でも知っている、ラマナマハリシ、シヴァナンダ、ヴィベーカナンダ、ラーマクリシュナ。ラーマクリシュナのセンターは、日本の支部が逗子にもあるの。以前訪問した時に、インド人スワミ(僧侶)がいらっしゃり、お祈りの歌がとても印象的だったな聖人と呼ばれる人たちは、みんなサマディ(解脱)に至った人のこと。今回訪問したのは南インドのラーマクリシュナのアシュラム。ピンクの建物で、まわりにたくさんの花が咲いていて、とても心地よい風が吹く場所。聖人ラーマクリシュ
・「成吉思汗(ジンギスカン)ハ源義経ナリ」“…義経はアフガニスタン、ベルヂスタンにも行き、遂に甘粛(かんしゅく)にて死んだ。元のフビライはその子孫である。元というのは源の字音からくるのである”(「月鏡」)“…では王仁三郎はどう考えていたのだろうか。つまり、義経=ジンギスカン説を史実として、それだけを主張していたのだろうか。筆者には、そうではない感じがする。史実か史実でないかではなく、王仁三郎の場合は、そのような伝説があり、現実に生きていることを大事にし、その生きた物語の上
・写真を見ただけでも結縁できる“…「愛善新聞」への聖師の写真掲載について○○○さんがその中止を申し入れ、それに対して聖師は「わしの顔みせたら皆助かるのにわしの写真をのせんのならやめろ」とも仰っているんですよ。”(「神の国」1999年9月号『入蒙の真実とは何だったのか!』より)・浄土宗の聖僧、山崎弁栄上人の言葉(大正9年6月於広島心行寺)“県知事若林氏は申し訳に上人を招待し、朝二、三十分のはずなのが昼食になっても帰らせず、とうとう二時までお話しを承った
[無形の神か有形の神のどちらを信じるかとの問いに答えた人に対し]どちらの面からでも、信仰を持っていれば十分だ。お前は形のない神を信じている、それで結構だよ。しかし、たとえ一瞬のあいだでも、これだけがほんとうで他は全部うそだ、などと考えてはいけない。形のある神も形のない神とまったく同じようにほんものだ、ということをおぼえておいで。ただし、お前自身の信念は固く守るようにしなさい。[なぜ母なる御顔は黒いのか、と問う人に]自分が彼女からたいそう遠く離れているから、黒く見えるのだ。そばに行け