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@イスラーム法売買2有効要件2.2禁止される売買買占め買占め(ihtikār)はイスラーム法において禁止されていますが、その根拠は主にハディースにあります。預言者ムハンマドは「買占めをする者は呪われている」と述べています。また、第2代正統カリフのウマル・ブン・アル=ハッターブも、市場での買占めを禁止し、遠方から商品を持ち込む商人を歓迎すべきだと強調しています。買占めの定義と各学派の見解ハナフィー派では、買占めは人々に害を与える行為とされ、特に食糧や家畜の飼料がその対象と
【世界遺産】北アフリカのチュニジアのチュニス旧市街(メディナ)を散策!TheoldcityinTuniscityinTunisiaチュニスの世界遺産登録の旧市街(メディナ)を散策
チュニスの世界遺産登録の旧市街(メディナ)を散策WalkinginTunis'sWorldHeritage-listedOldTown(Medina)
メディナのホテル、MOVENPICKは5つ星でしたが、建物は古く、水回りはちょっと下水の臭いがしました。デラックスキングサイズのベッド日本人あるあるだと思っているのですが、「わーい♪」とドーンと真ん中で寝たつもりが、朝気づくとベッドの端っこで寝てたりしません?日本人ならではの『謙虚な姿勢』が出ているのではないかと思っています。星5つの所以は、なんと言っても預言者のモスクの間隣りという場所。朝食もいっぱい食べて本日はジェッダへ移動です。サウジが満を持して建設したハラマイン鉄道にて移動
メディナ夜の部。いつものように、17時までは閉店がらがらの国ですので、ホテルで休憩してから再び観光へ。預言者のモスクにて既にだいぶ疲れちゃった。メディナは世界各国から巡礼者が来るので観光も充実しています。事前に観光バスがあるというのを調べてありまして、これに乗ってみましょう。市内をぐるっと回ってくれる乗り放題のチケットがあるそうで。12箇所に止まってくれます。こんなルートです。80SAR=約3,200円高いなおい。ですが、バス以外はタクシーしかないので、タクシー呼んで乗り降りす
色々ありましたが笑無事Medina到着。ついに私はイスラム教の第二の聖地に来てしまったのです予約しているMedinaのホテルチェックインは15時、とりあえずそれまで荷物を預かってもらって。。。と伝えたところ、まだ昼過ぎでしたが既に空いている部屋にチェックインさせてもらえることにラッキーホテルのカウンターでも目だけ出てる美しい女性が対応してくれました。ホテルを出るとすぐ、うわぁぁぁぁムスリムの皆様が世界から巡礼に来るという、預言者のモスクが目の前ではないかぁ〜信者
イスラム教の2大聖地である、メッカ、メディナ(預言者ムハンマドが誕生したのがメッカ、ムハンマドのお墓があるのがメディナ)と港町Jeddahを繋ぐハラマイン高速鉄道。2018年に運行開始されたそうです。灼熱の太陽に耐えられるよう、車輌、駅は0度から50度まで対応、最高時速300キロスペインの技術を導入。が、線路の上に砂が溜まる問題や、実際の工事を行う上での過酷な労働環境問題、またムスリムしか入れない聖地に向かう列車の運転士はムスリムでなくてはならない(当初はス
愚かな韓国、少子化、総裁選など、メディナ、仙台市、みょうが収穫2-SuperDuckGooのブログ【反日で滅びる、愚かな韓国】超異例の事態!韓国の光復節で、日本への悪口避けるも…韓国の目的は日本のお金とバレバレ!!&日本は韓国救済を断固拒否岸田首相、少子化の原因はコレだよ〜諸悪の根源“非正規公務員”の弊害を数字で解説[三橋TV第901回]三橋貴明・菅沢こゆき8/19(月)19:15~ライブ(尾形×望月)【自民総裁選スタート、小林鷹之氏会見を読み解く/統一…blog.goo.ne.jp
7月16日-Wikipediaja.wikipedia.org622年の今日は、預言者ムハンマドが、メッカの迫害から逃れメディナに移住(ヒジュラ)した日です。事実上、ヒジュラ歴が始まった日でもあります。ヒジュラ暦-Wikipediaja.wikipedia.orgちょっとした幸せを感じる瞬間は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようきょうもジョギングしてた。昨日のリベンジもかねて上り坂ダッシュした。距離220m+1kmx3+220m、たいむ5
ガイドが気を使ってくれて、食事の時間は何時?ちゃんと合わせてくれるカラウィンモスクが観れて👍前菜多い〜、一つ一つ美味しい😋野菜と鶏肉のタジン👍👍👍👍野菜トロトロ、干し葡萄の甘さがアクセント👍シンプルに串焼き美味しい😋😋モロッコはメロンが美味しかった風が心地良く、程よく休憩出来ましたとても美味しかった〜夜行きたくても自分では行けないけど💦
彫刻が眼を楽しませてくれて此処に手を開いて当てたら願いが叶う?モスクには入れないけど、外から写真は良いそうです、有難い🤲美しい🤩素晴らしい銅細工の説明を受け、職人さんのイメージでカンカン打っているそうです🤲欲しいけど、バカ高くて買えません💦💦
アルガンとサボテンオイルをリクエストしておいたので👍この店は何かに載っていた🤲しかしグイグイ来るのよね〜肩をオイルでマッサージするから座って❣️そこまでは良い、ケドチップを要求💦後で分かったのですが、陳列してある物を私達に塗って、そのまま商品として売る😨サボテンオイル15000円位の物を購入したけど、自宅で見たら、3分の2しか入っていない🥲アルガンオイルも6000円の物、容器がプラスティック😨瓶入りを買いたかったのに、テンパって居てそこまで頭が回らなかった🥲続いて景色の良い屋上に案内すると
今回フレッシュオレンジジュース一日3杯は飲んでました👍👍歩きながら写真撮るのが精一杯
いよいよメディナ散策だ〜こんな所はツアーじゃ通らないよね?目まぐるしく歩く、抜けて抜けて、近道?市場かな?カラフル、自然のヘナや、サフラン等で染色モスクの入口?我々は入る事が出来ない続く
いよいよマディーナを離れ、マッカへ向かう日が来ました。ここからが小巡礼(ウムラ)の本番になります✨家に帰るまでが遠足……じゃないですが😁、マッカへ到着する前から巡礼のリチュアルが始まります。この図のような手順で進めていきますよ〜👣まずは、マディーナのホテルでグスル(沐浴)🚿を行い、男性は巡礼衣イフラームを着ました。聖域の境界線を越え入る者♂はイフラームの着用が義務です。縫い目の無い2枚の布イフラームのほかは、下着もふくめ衣類や装飾品など、一
マディーナの中心街は、巡礼者むけのホテル🏙が立ち並び、近代的な雰囲気。非ムスリムにも解禁されたとはいえ、街ゆく人の99.98%がムスリムじゃないかな。色んな人種・さまざまな服装の、多様な人間が世界中から集まっているのに、みな同じムスリムという、なんとも不思議な連帯感・安心感。夜の22時に女1人でモスクからホテルに帰っても、まったく安全でした私はkelinggo'ringとナゼかウズベク語で呼び込まれました😂いや通じたケドさ。建物の一階はびっしりと、巡礼
マルタ滞在もあと1日になりました。私たちは今回は首都ではなく、イムディーナ(L-Imdina、Mdinaとも言われる)という街に滞在しています。ここはマルタの最古の都市で、マルタ島の中央部にあり、かつてはここが首都だったそうです。城壁に囲まれた丘の上にあり、中世の家々が並び、路地も中世そのまま。「静寂の街」とも言われているそうです。こちらの写真はネットから拝借させて頂いてます。遠くから見るとなんて美しいの!こう言った城壁に囲ま
今日は、サウジ滞在中の食べ物のことでも。巡礼で滞在したホテルは、どこもブッフェ・スタイルの朝・夕食がついているタイプでした。毎朝、朝食はアラブ朝食の定番、ファラフェルを食べていました💕世界中からやってくる巡礼者に配慮して、アジアン🍜、南アジアン🍛、トルコ🥙、アラビック🌯、パスタ🍝など幅広いラインナップで、エスニック料理好きの私には楽しい限りこの地域ならではの料理、カブサكبسةとかマンディمنديも、もちろん美味しくて私が作り続けてるチキン・カブサのレシ
ムスリムにとって、聖地マディーナでの1番の目的は、預言者ムハムマドﷺのお墓に詣でること。前の記事👈でも書きましたが、マディーナで暮らした預言者ﷺは、住んでいた家🏠兼モスク🕌の一角に埋葬されました。家といっても、預言者ﷺの個室は無く、妻たちの部屋が並んでいました。それが青丸で囲ったところそれが今日の、預言者モスクの正面にある、ぽこっと飛び出した、緑のドームがある部分です。この霊廟内へ入るために、今年から専用アプリでの予約が必要になりました📱世
いよいよ、ムスリムにとって第二の聖地であるマディーナの街にやってきました🥺正式名称はアル=マディーナ・アル=ムナッワラالمدينةالمنوّرةで、「光り輝く街✨」という意味です。↑マディーナは「街」の部分メディナ、メディーナと表記されることもありますが、マディーナの方が正則語の発音に近いかとマディーナは、マッカ🕋とともにハラマインالحرمين(=双つの聖域)と呼ばれる聖地ですので、長いあいだ異教徒禁制🚫でした。が、2022年から解禁され👀、聖域以外の
リヤドに夜中の3時半について、国内線に乗り換え聖地メディナへ。今回泊まることは出来なかったけど、連絡を取り続けていたMazinさんが「会いたい」と言い続けてくれて、空港までわざわざ迎えに来てくれました。Mazinさんはとっても親切な方で、サウジに行く前のメールでのやり取りで、「何か助けが必要だったら言ってくれ」と言われていました。ダメ元で、昔アメリカ留学中にサウジアラビア人のルームメイトがいて、彼に会いたいけど連絡先がいまいち分からないと相談すると、親身になって
サウジアラビアのるは、入り口が四方にあり、女性と男性の入り口が別になっている。非モスリムは、建物内に入れないので、入り口付近まで近づいて、中の様子を伺っていると「入っていいよ」と言われた。でも、その人が許可されたからと言って中に入っていいのかはわからない。サウジアラビアには、モスリムの聖地マッカがあるし、チュニジアやウズベキスタンでも、建物の外観しか見れなかった。それに、ちょっと前にも、非モスリムがメッカ🕋に入ったことで、メッカに入れた人と入った人が、サウジアラビアの法律で、処罰された記事を見
アルウラで、世界遺産堪能して次は預言者のモスクがあるメディナへ移動する日です。世界遺産ではないけれど、エレファントロックは、アルウラの見所の一つです。アルウラからメディナへ移動は、バスになります。バスのチケットを購入したのだけど、メディナ行きのバスは、SAPTCOバスが分社してできたNorthWestに変わりました。SAPTCOのバス停は、閉鎖されたようなのて、NorthWestのHPに掲載されたバス停の位置は、GoogleMapの航空写真では、バスは全くなく、瓦礫だらけ。バス停にほんとにあ
サウジアラビア周遊9日間⑥<聖地メディナへ>7日目12/13でメディナへ移動347kmを走り聖地メディナに到着。メディナは最初のイスラムの首都であり,神の使徒ムハンマドにとって最も重要な啓示の場所の1つ預言者の墓でイスラム教徒にとって世界で2番目に神聖な場所。彼が人生の最後の日までメディナに住んでいた後,彼の墓がある。イスラム教で最初に建てられたモスクイスラム教の二大聖地であるメッカとメディナへはイスラム教徒以外の入域が許されず,2023年から
恐らく先日の地下墓地と思われる写真がありました。階段を降りて地下墓地に入ると床や壁に人の大きさの穴がくりぬかれています。さて、火曜日ですが、Mdinaという町へ行きました。昨日同様、街並みは変わらずです、が、その前に海が見下ろせる場所に灯台のような小さな教会があり、そこへ行きます。露店のお土産屋さん。有名なサボテンの実を売っています。とても小さな教会。その向こうは地中海です。さて、市内(町内?)に入りました。こちらは中世の赤ちゃんポスト。どの時代にも
ランチのあとは、定番『ブー・ジュルード門』からスタート。ゲートをくぐると道の両端は露天がいっぱい。野菜とか果物とか。『ブー・イナニア・マドラサ(神学校)』は本来開いてる時間なのに閉まっていて通り過ぎてしまった買い物終えて出てきた現地の日本語ペラペラなおじさんが連れて行ってくれました。『Daral-Magana』も入り組んだ路地を見上げると上にあって、1人だと気付かなかったかもおじさんと別れたあと、『タンメリ』見に行こうと路地の隅でガイドブックを開いたワタシ。「ここから3分。50Dh」
カサブランカからフェズ行きのONCFの片道切符...Booking.comでかなり評価が悪いのでビクビクしてたのですが、無事メール📩に届いた🎫で乗れたので人安心手数料はかなりのってましたが…。でも早めの予約だったからか、窓際の席💺が予約されてたので景色を見ながら移動できてます近くに見えたのが、『ムハンマド6世タワー』。遠くに見えたのが、『ハッサン塔』。2等車との差はシートの間に腕をのせるスペースある分、席間が空いていること。1部屋6席の向かい合わせで通路が確保されていること。あとは自席
メディナ生まれ育ちのノルディンさん。詳しく解説しながらドンドン歩きます。こんな細い道があったりメディナのゲート(1番有名なブルーゲートではありません)このゲートのすぐ横でユーロ→ディラハム両替をしました。とても良いレートでした。空港送迎とツアー代金は、ドライバーさんやガイドさんに直接現金支払いで、例えばこのツアーなら40ユーロ(6400円)または400ディラハム(5600円)ディラハムで支払う方がかなりお得。なので、ユーロを両替して手数料払っても得になるレートなら両替しようと。
リヤドの方が、7:30が日の出だよ、屋上から見るといいよ、と教えてくれました。朝焼けが美しく街がピンクに染まり太陽が昇り始めモロッコの朝です。朝食は8:30から。屋上からこの景色を眺めながらの朝ごはん。昨日はシャウエンツアーのお弁当のパン祭でしたが、こちらの朝食は超充実。幸せ過ぎる朝です。今日はフェズのメディナツアー。昨日は金曜日でイスラム教の休息日。フェズのメディナはお店はほぼ閉まってしまうので、昨日(金曜日)はシャウエン、今日(土曜日)にメディナにしました。ツアーガイ
朝のフランス門、市壁は残っていないがこの先が旧市街メディナ。門を入った広場、正面は老舗ホテル中に進むアーケードに覆われた通り甘い物屋オリーブのモスクモスク内の広場とミナレット、預言者生誕日の礼拝を待つ人々でいっぱいモスク礼拝室、横に広い基本の形この後チュニジアの風景を見ていて、ミナレットは四角柱が標準で、円柱型がほとんど無いのを奇異に感じた。が、チュニジア北部にはアンダルシアのイスラム教徒が1492年のグラナダ陥落以降に多く移り住んだという記述で、ハッと思う事が有った。セヴィリ