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今日はボスニアヘルツェゴビナの首都サラエボを観光。これまで晴れの日が続いていたけど少し曇り気味。昨日訪れたモスタル以上に内戦時の砲弾跡が激しく残っている。内戦は第2次大戦以降最悪レベルと言われるほどひどく、たくさんの市民も亡くなった。スナイパー通りと言われる場所があり、動くものはすべて撃たれたとか。世界から集まったジャーナリストは防弾チョッキを着て、死んでも国連に訴えない誓約書と共に取材をし、電気も水もないホリデイインというホテルに集まって取材したそう。ひどい内戦の一方で、ここはサラ
今日はコトルのホテルで朝食。ビュッフェが多いなかここはサーブしてくれて味も美味しい。バルカン半島は全体的にご飯が期待以上に美味しい。パンやポテトは普通に美味で、オレンジやみかんなどもGOOD。肉類や魚類、サラダにスープ、ギリシャ風のしょっぱいチーズ、トルコ風のちょっと甘めのスイーツなど多彩に揃う。食後はまた国境をこえてボスニアヘルツェゴビナのモスタルへ。ボスニアヘルツェゴビナは複雑なユーゴスラビアのなかでも特に複雑で内戦跡も大きく残る国。モスタルには平和の象徴である石橋がかけられ、
首都はサラエボ。冬季オリンピックやったよね、、、
「EmirHot/SevdahMetal」・2008年・1st01Forspil02DevilsInDisguise03WorldSetOnFire04SkiesAndOceans05SevdahMetalRhapsody06StandAndFight07EndlessPain08HoraMartisorului09LandInTheDark10You●エミール・ホットボスニア・ヘルツエゴ
今日は雨予報だった筈なのに、今のところお日様出てます。これから下り坂なのかもね。春めいて桜目当てなのか松江城の周りは車が多いです。フライングですよね。でも私も旅立つ前に行ってこようかな。さて、今回のツアーはスロベニア、クロアチア、モンテネグロ、ボスニアヘルツェゴビナの4カ国を訪れるのですが、これと言った有名な場所もお土産も知られてないですよね。もちろんそれぞれに名所・名物もあるんでしょうから、色々調べた今はどこも魅力を感じていますけど、周りの人達にはなんとも説明が難しい
応援よろしくお願いいたします。お問い合わせ(平日08:00~17:00)大起証券㈱Tel:06-6300-5757(代表)谷本憲彦商品アナリスト・東京商品取引所認定(貴金属、石油、ゴム、農産物、オプション)、証券一種外務員おはようございます。▼注目経済指標・日本消費者物価指数[除生鮮食品][前年比]2.8%(予想2.8%前回2.0%)・英小売売上高指数[前年比]-0.4%(予想-0.8%前回0.5%)・独IFO87.8(予想85.9前回85.7)▼
今日の私今日もお仕事9連勤の8日目1月2月と休みばっかだったから長く感じるあと2晩頑張る毎日生理品の話して申し訳ない先日私が買ってきたデカいナプキンソフィ超熟睡ガード360ってヤツなんだけど(寝る時じゃなくて仕事用ww)ユニチャーム|unicharmソフィ超熟睡ガード360特に多い夜用羽つき36cm20枚楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}裏面に『2倍のび〜る』って書かれたテープがあってナニコレ?って検索してみたら使用後に開かないよ
“1992年、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争が泥沼化するなか、東部ボスニアの町スレブレニツァは、国連によって攻撃してはならない町に指定されていた。だが、セルビア人勢力のスルプスカ共和国軍が、国連の警告を無視し侵攻を開始。1995年7月11日、セルビア人勢力の侵攻によって陥落したスレブレニツァの2万人以上にもおよぶ市民が、町の外れにあるポトチャリの国連施設に押し寄せた。女性、子供、高齢者、負傷者で密な状態となる中、国連の通訳として働いているアイダ(ヤスナ・ジュリチッチ)
旧国旗ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の旗です。旧ユーゴスラビアの崩壊に伴い1992年に制定されました。1998年、民族融和を目的にした新しい図柄に変更されました。『ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗』オリジナルです。黄色の斜めに沿って、配置されている星が表現しきれなかったです。三角形なのは、国土の形と、ボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人の融和と共存を…ameblo.jp『ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の旗』ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の旗です。ボスニア・ヘルツェゴビナ🇧🇦の一地域で
大勢のお客様にご来場いただきありがとうございました。大変盛り上がりました!🥳🎉次回は4/28㈰に決定しました。🎊17:00STARTです。(16:00OPEN)誠誕祭前夜祭40代最後の全力誠さん🎂旅人=スナフキンファッションのポンチョ高木さん🪇お部屋にお花を欠かさない✨海沼さん🌼4/28㈰大塚GRECO🎻🎸🥁🎤高橋誠(Vln)高木潤一(g)海沼正利(perc)府馬和歌子(Vo)Open16:00Start17:00¥4,300(季節の一品付き)http:
あらすじ旅行でバルカン半島を訪れたマカオ出身のエヴァは、そこで映画監督のジェイと出会う。その後、パンデミックと戦争が世界を襲い、ジェイはエヴァにメッセージを残して姿を消してしまう。彼を捜すためバルカン半島を再訪したエヴァは、かつて自分が出演したジェイの映画が「いつか、どこかに」というタイトルで完成していたことを知る。ジェイの行方を追ってセルビア、マケドニア、ボスニアを巡る中で、エヴァは彼の過去と秘密を知る。感想リム・カーワイ監督による『どこでもない、ここしかない』(2018)、『い
1990年代に起こったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のスレプレニッツァの虐殺事件を背景とした作品。通訳として働くアイダの住む街スレプレニッツァにセルビア軍が侵攻し、虐殺が繰り返される。必死に夫と二人の息子を守ろうとするアイダだったが、セルビア軍の魔の手が容赦なく一家を襲う…。親子や夫婦が切り離され、別々のバスで施設に運ばれる。そしてそこで待っているのはマシンガンの連射であった。これは正しくアウシュビッツの再現であり、民族浄化である。今イスラエルのガザに対する行為も同じく民族浄化であり、ロシ
旧旗ユーゴスラビアの国旗です。現在はスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、北マケドニアに分かれており、さらにセルビアの自治州からコソボが独立宣言しています。下の写真右下です。『スロベニアの国旗』オリジナルです。スロベニアの国旗も汎スラブ色です。左上の紋章には南アルプスの山と川、山の上には星3つが配してありますが、ビーズの国旗では、左上に白い山を何とな…ameblo.jp『クロアチアの国旗』オリジナルです。中央に位置するチェック柄の国章の雰囲気が
ドゴアルヘェンティーノ、人気はあるが、思った以上には普及しない(^^;;なぜなら、飼い方を間違えると危険犬種になる事No.1犬種と言っても間違いない犬、そう認識してもらっても大丈夫です🙆♂️元来持ち合わせている猟欲を刺激する作業を日々やれる人間が飼うならば非常に魅力的で頼りになる犬種です。しかし、ペット感覚で飼うと大なり小なり問題を抱える犬種でも有ります。ボスニアのドゴfriend⬇︎もう達人と言っても良いでしょう(^_^;)ドゴを使ってのハンティング、マウンテンウォークガードドッ
ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の旗です。ボスニア・ヘルツェゴビナ🇧🇦の一地域です。セルビア人のシンボルが存在しない旗です。昨日上げたスルプスカの旗は逆にセルビア人のシンボルのみの旗となっています。『ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗』オリジナルです。黄色の斜めに沿って、配置されている星が表現しきれなかったです。三角形なのは、国土の形と、ボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人の融和と共存を…ameblo.jpボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の国旗-Wikipediaja.wikipedi
23-24ブンデスリーガで第16節終了時で勝ち点18で11位と、及第点の成績を収めているFCアウクスブルク。シーズンの目標として僕が設定しているのは勝ち点36。シーズン半分で、目標勝ち点の半分を獲得できているのは悪くない。シーズン終わりに残留にほっと胸をなでおろせるかどうか。さて、そのアウクスブルクをけん引しているのは、今季よりハーウェレーウから主将を引きついたデミロビッチだ。22-23シーズンより、グリゴリッチュとトレードのような形でアウクスブルクに加入。背番号「9」を背負う頼れ
友達と、前に旦那と行ったボスニア料理屋さんでランチしました。『ボスニア料理を食べに行ってきた!』9月に旅行に行ってきたボスニア・ヘルツェゴビナですが、そこで食べた名物料理チェヴァピ。『②名物料理で朝ごはん』絶賛時差ぼけ中です。昨日は夜0時に起きてしま…ameblo.jp前回は旦那とシェアだったからチェヴァピのLサイズを頼んだけど、今回は自分用なのでSサイズ(肉5ピース)にしたら、パンまで小さかった。やっぱり一人でもLにすれば良かった・・・でも相変わらず美味しかったわ〜
元はユーゴスラビアだった国々セルビアクロアチアボスニアヘルツェゴビナ北マケドニアスロベニアコソボモンテネグロサラエボ冬季オリンピックを覚えている方もいるかなぁと思う1984年なのでもう40年前‼️そのサラエボがボスニアヘルツェゴビナの首都オリンピックの後間もなく民族紛争が起き元ユーゴの自国民同士が殺し合う悲惨な状況にとはいえ今はそれぞれの国が少しずつ再生し観光も大きな収入源となっているよう…さてドブロヴニクから訪れたのが「モスタル」位置関係はこんな
9月に旅行に行ってきたボスニア・ヘルツェゴビナですが、そこで食べた名物料理チェヴァピ。『②名物料理で朝ごはん』絶賛時差ぼけ中です。昨日は夜0時に起きてしまったので、今日こそはちゃんとするために昼寝もせず、夜7時半ごろまで頑張りました。が、そこで寝てしまって目が覚め…ameblo.jp『⑪自己責任ケーブルカーで山頂へ。冬季オリンピック、ボブスレーのトラック跡。』私の中でものすごく意味のあったトンネル博物館ツアーは、『⑩命を繋いだ地下トンネル、TunnelofHope。そして
セイヴィア2000年4月8日公開ボスニア紛争をベースに生命の尊さを問う。人間性を失いかけた男が、ひとつの良心で救われる過程を丹念に描写していく。あらすじギイはイスラム原理主義者のテロにより妻と子を失ったため、罪のないムスリムを射殺、数年後に外国人部隊の兵士としてボスニア・ヘルツェゴビナに配属されていた。狙撃兵としてセルビア側についていたギイは捕虜の一人であるヴェラを実家に送り届けることになる。ヴェラは敵軍にレイプされ妊娠していた。途中、ヴェラは産気づき、女の子を出産する。子どもとヴ
宿に荷物を置いてから、少しモスタル旧市街を歩いてぶらぶらすることにしました。皆さんご存知の通り、ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナは、1992年から1995年にかけて民族紛争がありました。30年前のことですから、ごく最近の話です。私たちの宿の隣には、その時のものと思われる銃撃の跡がまだ生々しい廃墟がありました。この古都モスタルにあった、オスマン朝時代16世紀に作られた石造りの美しい橋(スタリ・モスト=古い橋の意味)も、1993年に爆撃によって破壊されてしまった
・・・・・・・っということで、ボスニア・ヘルツェゴビナとは何かを書くのはサラエボとは何かを書くのと同義です。チトーが目指した理想国家が、何故これほどに悲惨な運命を辿ったのか?歴史の皮肉を思いっきり考えさせられます。あまりに考えさせられるものですから、頭がパンクしそうになります。・・・・・・・サラエボという名前は、トルコ語の「サライ」から来ています。キャラバンサライのあれですね。オスマントルコに占領されていたのはセルビアと同じです。初日で驚いたのは、
カウチサーフィンを使って初めて「ハングアウト」で誰かと対面。赤いマツダの車で🚗迎えに来てくれたセルミール君。ナイス👍まずオールドタウンから遠くない場所にあるルーフトップカフェ(アルコール置いてない!!)に連れてってくれた。な〜いす!寒いので中でコーヒーを飲みながら楽しくおしゃべり。駐車場からルーフトップカフェまでの間にあるエターナルフレイム🔥世界平和を願って永遠に消えないんです。そして夜景第二弾のモスタル行った時に行った電車の駅の近くにあるタワーへ。こちらの夜景もな〜いす!!👍👍
ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボから、セルビアの首都ベオグラードまでのツアーは12時間。ガイドさんの自家用車で私たち2人だけだったため、車の中ではガイドさんがボスニア人の歌手の音楽をかけてくれて一緒に歌ったり🤣そして何よりも色々話をしました。彼が1993年生まれと聞いてびっくり。ボスニア紛争は92年から95年までだから、そのど真ん中で生まれてるってこと。よくぞこんなに大きく成長したなぁ(ガイドさん190cm以上ある)ガイドさん家族、その当時はサラエボじゃ
さ〜て、今朝も「Beg」さんでボスニアンコーヒーを飲んで1日をスタート!!今日のロクム(ターキッシュデライト)はピンク色〜😍😍大きさがいつもの2倍だったので、そこだけが気になって、何味が確かめるのを忘れました😅😅そのあと、その裏通りにあるオススメされた「バクラバducan」でスイーツタイム。↑この写真は前日の夜、通り掛かった時に陳列されているショーケースを撮ったもの。まだボスニアンバクラバを食べてなかったので、お一つ店内でいただきました。店員のアレンに、トルコのバクラバ、、ボス
今日は朝、全然起きれなかった!!朝4℃!先入観からか、ベッドから出る気ゼロだった。冷蔵庫はないお部屋なので、窓の外に保管🤣やっと部屋を出たのが13:00過ぎ!!もはやモーニングボスニアンコーヒー☕️じゃなくてアフタヌーンボスニアンコーヒー☕️だった。午後でも寒いので日向の席に座ったら、直射日光が暑すぎて、日陰にすると肌寒い。。。😅どうすりゃあ良いのさ〜🤷🏻♀️結局、日陰に移動してコーヒー飲み終わった。AirPodsを忘れたので一旦部屋戻ってから両替する為にまた街ブラ。ユダ
ボスニア・ヘルツェゴビナからセルビアへ行くツアー、ボスニア側の観光は終わりです↓『⑫絶対に行きたかった世界遺産だけど・・・』この日はボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボから、セルビアの首都ベオグラードに向かいます。途中にあるヴィシェグラードという街にどうしても寄りたい、、、で…ameblo.jp『⑬ヴィシェグラードのもう一つの見どころ&修道院』ヴィシェグラードで見るものといえば、例の橋と、もう一つ、「アンドリッチグラード」というところがあります。アンドリッチグラードは、「ドリ
サラエボの旧市街に惚れてちゃって、長居してるゆっきぃです💕💕ここでは、一泊€12なのにクレジットカードで支払いできる安宿を見つけたので、ホステルには泊まらずに2日目からはそこに居ついちゃってます。ホステルでの生活は色んな国から来た人に出会える事が醍醐味!でも今の宿だとほぼ一人ぼっち🥲そんな時は貴重な自分と向かい合う時間!大事、大事!残念ながらオーナーのミルザは数ヶ月では辞めちゃうようなので、その後のオーナーによって値段変わってくるのかな〜。。。ところで、2泊で行ったモスタルから戻って
ヴィシェグラードで見るものといえば、例の橋と、もう一つ、「アンドリッチグラード」というところがあります。アンドリッチグラードは、「ドリナの橋」を書いたノーベル賞作家イヴォ・アンドリッチの名前を冠したもので、サラエボ出身の映画監督のエミール・クストリッツァが作った複合施設。アンドリッチグラードの前にある2人の像は、兄弟↓オスマントルコの占領時代、セルビア人ソコロヴィッチ家の息子の一人は人頭税としてイスタンブールに連れ去られ、後に宰相となりました。彼がメフメド・パシャ・ソコロヴ
モスタル最終日(3日目)、ランチをしよう。どの店にしようか迷って、待ち人続出のこの店にした。有名なスタリモスト橋からそう遠くない場所にある「SADRVAN」。入り口に民族衣装を着てる女性のマネキンが座ってるのがトレードマーク。案内人の女性も民族衣装だ。写真撮ってないね。。。😅初日の晩、歩いてたらバックパッカーらしき若い女性2人が入っていくのが見えて、その後満席で待ってるのを覚えていた。なので、きっとツアーガイドオススメのレストランなんだろうと直感。食べてる間もツアー団体がいくつも