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〈Bー3初めての入院〉結果は、非代償性肝硬変(もう治ることのない肝硬変)との診断で、即入院。このころ夫は、まだバリバリ、仕事をしていましたから、病室に、パソコンを持ち込んで、半分、病人半分、仕事人状態でした。初めて投与された、利尿剤は、とてもよく効いて、一日ごとに、体重が500グラムずつ減り、それとともに、膨張していたお腹がへこんできて、「退院する日も近いね」と、二人で、喜び合っていました。日々、良くなっていく夫を、見舞うのは、うれしく、
〈Bー2初めての入院〉全身に赤いボツボツが出現して以降、夫は暇さえあれば、ゴロゴロと横になるようになりました。昼食の休憩時間には、会社から自宅に戻り、昼食もろくに食べずに、ひたすらゴロンと横になり、また仕事に戻る、という日々。そんな状態でも、夫は頑なに、精密検査を拒み続けました。「悪いと分かっているから、病状告知が怖い」「入院、治療となれば、会社が立ち行かなくなる」という心理が、病院行きを妨げていました。黄疸とともに、夫のお腹が少しずつ、
〈Bー1初めての入院〉夫の初めての入院は、平成25年9月。このころ、夫は、北関東の酒類販売会社の経営者として、休みなく働き続ける日々を、送っていました。そんな夫の体のあちこちに、入院の一年ほど前から、赤い大小さまざまな斑点が、出てくるようになり、皮膚科を受診しました。その日、私は夫とともに、皮膚科の待合室にいました。ふと、横に座っている夫の顔を見て、「あれっ、白目が黄色くなってる」と、驚いた声を出しました。夫は日ごろから、「目が黄色くなってい
〈Aー4はじめに〉それでも、退院後は、日々の外出歩行訓練で、体力をつけ、肝移植から、1年4カ月後、今度は、生体腎移植を受け、人工透析からの離脱を果たしました。その生体腎移植から一年後、夫の社会復帰が、可能になり、再就職活動を開始。58歳という年齢でしたが、それまでのキャリアが評価され、フルタイムで、勤務することになりました。新たな仕事人生がスタートしてから、三年が過ぎた現在、元気に出勤する夫のスーツ姿を見て、「一級の身体障害者手帳」所持者だと、気
〈Aー3はじめに〉早いもので、夫が55歳の時に、「肝硬変非代償期」と診断され、入院してから、6年が過ぎました。その後、肝硬変の恐ろしさと闘いながら、ぎりぎりのタイミングで、生体肝移植に漕ぎつけ、15時間半に及ぶ手術が、成功しました。けれども、肝移植の成功を喜んだのも束の間、夫は、病院内での細菌感染から、敗血症を起こし、再び「生死五分五分」の、危険な状況下に、戻ってしまいました。急激な腎機能低下(急性腎不全)により、人工透析が必要となり、シャ
今年は昨日が復活祭で、今日はその翌日だから復活節第一月曜日です。朝は碑文谷教会のごミサにあずかってきました。復活祭は毎年日付けが変わる移動祭日で(日付の決め方は「春分の後の最初の満月のあとの最初の日曜日」)、5年前の2019年の場合は例年になく遅くて4月21日でした。その翌日の4月22日、つまり復活節第一月曜日に、晴天の霹靂のようなニュースが飛び込んできたわけです。急性白血病公表の岡村孝子、現状と今の心境明かす|RBBTODAY今年は何があるか、わかりませんが、与えられたもの
〈Aー2はじめに〉医療関係者からの、紋切り型の、極めて少ない情報の中で、「死ぬしかないのかな。諦めるしかないのかな。医者には逆らえないのかな」と、気弱になることもありました。もっと、当事者からの情報があったなら、遠回りせずに、早く命を救うことが、出来たでしょうし、当事者にしか分からない、不安や恐怖も、解消できたことでしょう。その悲痛な体験から、「私たちが、当事者として、生体臓器移植の語り部になろう」と、決断し、平成28年末に、『ダブル移植の語り部
3月21日(木)は、下野市役所で行なわれた骨髄バンクドナー登録説明会に「骨髄バンク説明員」として出席してきました。献血バスとは別のバスに「ドナー登録説明会」のブースを設置し、骨髄バンクドナー登録について説明をさせていただきました。この日のドナー登録説明会の実績は、説明会受付をされた方2名ドナー登録された方2名また、
〈Aー1はじめに〉「ダブル移植の語り部」、このタイトルを見て、「どういうこと?」と思われる方が、ほとんどでしょう。「ダブル移植」には、二重の意味があります。一つは、臓器移植を受ける、レシピエントと呼ばれる人が、異なる二つの臓器の移植を、受けているということ。もう一つは、臓器の提供者、ドナーが、異なる二つの臓器を、提供しているということです。実は、私たち夫婦は、ダブル移植のレシピエントとドナーです。夫は、肝臓と腎臓の生体移植、二つの臓器の移植
お知らせ2024年4月29日(月・祝)骨髄バンク登録推進運動「命のつどい」に出演致します今回のショーは、全員ロングドレスでテーマは「エレガンス(elegance)」今期レッスンのテーマでもある「エレガンス(elegance)」とは?上品な美しさ、優雅、気品、、、外見だけでなく内面から溢れる美しい姿、それらをすべて舞台で表現致します。こちらの参加費は「骨髄バンク登録推進運動」に寄付され、今回で11回目の参加となります。入場無料です。ぜひ、足をお運びくださいませ
「ああ、これこそが、失ってみて初めて健康の有り難さが分かるっていうことなんだなあ」…そう、しみじみと感じました。私が、2度のドナー体験で得た、最大の収穫だったのかもしれません。10年前(2014年)の私は、とにかく必死でした。その必死さは、「なんとしてでも、夫の命を救いたい!」という、執念にも似ていたので、断られても断られても、諦めずに、食い下がり続けました。そんな10年前の、なりふり構わなかった自分を、今はなんだか、「いじらしい」と感じています。明
ドナー(臓器提供者)という存在は、本当に不思議な立ち位置のままで、手術を受け、入院生活を送ることになります。身体的には、メスが入り、臓器を切り取られたり、摘出される訳ですから、当然、痛みはありますし、カテーテルやドレーンといった、さまざまな管も挿入され、まさに「病人」そのものです。ですが、元々ドナーは健康体なので、時間の経過とともに、健康を取り戻すことは、半ば、保証されています。その上、手術後の身体の痛みはあるけれども、それと引き換えに、大切な家
楽しみにしていたhideトリビュート@柏パルーザ大変遅くなってしまいましたが、自分の記録にもしたいので記事を上げさせていただきました。ライブ参戦の相棒、今年はチビぬい出演:★河村隆一SpecialBand★Vocal:河村隆一Guitar:菰口雄矢Bass:SexxGeorgeBass:AKIKeyboard:DIEDrums:岩丸正Chorus:河村ゆみセットリストピンクスパイダーROCKETDIVETELLMEDICEBeaty&S
大地震後、初めて、断水が解消した家庭の映像で、特に印象に残っているのは、おばあさんが、水道の蛇口に向かって、手を合わせて、お礼を言っていた姿です。…もともと、信心深い方なのでしょうが、水の有り難さ、それも、蛇口をひねればいつでも水が出てくる有難さが、身に染みた末の、「水道の蛇口への礼拝」だったのでしょう。蛇口に向かって手を合わせる、おばあさんの謙虚な姿を見て、ハッと気付かされることが、ありました。~失ってみて初めてその有り難さが分かる~その最たるものが
それからもうひとつ…読者の方々に私たちのリアルな体験を、知って頂きたい、という思いと同時に、私たち当事者にとっても、2014年4月に行われた、生体肝移植手術から、丸10年という節目を迎える現在、今一度、激動の2014~2015を、振り返りたいという、熱い思いがあります。現在、私たちは2人とも、健康で幸せな生活を、送ることが出来ています。それは、とにもかくにも、夫の体内の移植肝臓と移植腎臓が、順調に機能してくれているからなのですが、ともすれば、それを忘れてし
区役所に居ますねん。色々と野暮用がおますねん。そろそろね、臓器提供の事を考えてますねん。そろそろ、わての寿命もそろそろかなとね?ドナー登録しようかな?そんな話もしにね。わてので良かったら使っておくれやす!
削っても削っても、減らない様子を見かねた、野村さんが、「ご本人だと、思い出や文章に、愛着があって、なかなか削れないでしょうから、私がお手伝いしましょう」と、申し出て下さいました。そのおかげで、なんとか2020年3月に、究極のダイジェスト版として、まとめ上がり、「命の贈りものPart3」という、タイトルで、出版にこぎ着けることが、出来ました。(ちなみに、野村さんは、愛媛新聞社勤務だったので、文章校正には強い方で助かりました)そして今、ブログ開設時から、7年
…こんな経緯で、2016年12月に始めた、「ダブル移植の語り部」ブログ。本編は、2年3か月にも及び、(というとカッコよく聞こえますが、実際は、単にダラダラ書いただけ…)最後は、すっかり元気になり、会社勤めも難なくこなせるようになった、夫とともに、高知県に〈だるま夕日〉を見に行く、という最終章『だるま夕日』で、幕を閉じました。その後も、続編として、「どなドナDONOR」と銘打った、地味なブログを、書き続けていたところ、えひめ移植者の会会長の、野村さんから
(昨日の続き…)(3)移植した肝臓は、その後、敗血症を乗り越え、機能するようになったものの、敗血症によって、突然、急性腎不全になった夫の、2つの腎臓は、その後回復することはなく、腎機能がダメになってしまった夫は、人工透析生活を、余儀なくされるようになりました。↓(4)「夫を何とか人工透析生活から離脱させてあげたい」という、私の思いや学びや行動が、実を結び、肝臓に続いて、2度目の臓器移植手術である、「生体腎移植手術」を、受けることが出来ました。
若き主治医の、緊迫しつつも、きっぱりとした口調は、夫の命が、危険水域に入ったことを示していました。「明日の朝、亡くなっているかも…」という言葉を聞いた私は、とっさに、「私がドナーになりますから、肝移植をしていただけないでしょうか」と、言ったのですが、このドナー志願の申し出によって、事態は急きょ、動き始めました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇私たち夫婦は、10年前の2014年と2015年に、2度、臓器移植手術を受けていますが、私たちが辿った、激
こんにちは。これを機会にどんな障害者も普通の人間だと解ってもらえると嬉しいです。私達の場合は脳の信号に問題があり、自由に身体を動かす事ができなくなりました。症状によっては、意思とは関係なく身体の一部が動いてしまうこともあります。障害者も考えていることは、みんなと同じですこの病気の方は今まで普通の生活を送っていた人達です。関東地方の方々くれぐれも地震にお気を付けください。普段負けるもんかというブログを書いていたのに、私自身が進行性だからといって諦めてた事に気付か
【羽ばたき振戦】通常、体内でたんぱく質を分解する過程で生成される、有害物質のアンモニアは、肝臓で無毒化されて、尿素に変わり、尿として排泄される。ところが、肝硬変などによって、肝機能が低下した場合、肝臓がアンモニアを、処理できなくなり、脳に運ばれたアンモニアが、肝性脳症を引き起こす。羽ばたき振戦は、肝性脳症の神経症状のひとつである。…このように、振戦は、重度の肝硬変であることを知らせてくれる、大事なシグナルだったのです。そして、この振戦の症状こそが、結果的に、夫を
今から思えば(←この表現ばっかり!後悔先に立たずの連続です)自分の意思で身体の制御が出来ない、というのは、大問題だったのです。「振戦」と言っても、寒くてガタガタ震えたり、極度の緊張で震えたり、といった経験は、誰にでもあるので、こういった振戦は、生理的(正常)振戦で、問題にはなりません。一方で、何らかの病気が原因となって、震えが生じる場合があります。アルコール依存症や脳卒中、パーキンソン病やバセドウ病などで、震えが見られることが、多々あります。夫の「振戦
自費出版って、推敲も自分でしなきゃならないし、何よりお金がかかる!!!でも、私の友人は、息子さんが骨髄バンクのドナーさんから骨髄液をいただいてお元気になられたので、感謝、感謝の一心で、素晴らしい一冊を書き上げました。ホント、すごい筆致でした。グイグイ引き込まれ、そして、心からドナーさんに感謝されていることを表現されていました。息子さんに命をいただいたのですから、まぁ、それは、当たり前と言えば、当たり前ですが、なかなか、その感謝を表に出すチャンスは少ないものです。文章力もさることながら、ドナ
生まれて初めて見た、この黒い中華饅頭は、衝撃的過ぎて、今でも、そしてこれからも、忘れることは出来ません。そんな(腹水過多による)おヘソ周りの異常のことなんて、どの肝臓病の本にも、出ていませんでしたから、夫特有の変化なのかと思っていたら、肝臓の専門医は、「この出っ張った部分が、服に触れると痛いですから、腹巻を買って、保護してください」と、慣れた様子で、事もなげにいうのです。慌てて、腹巻を買いに走り、おヘソの黒い中華饅頭を、守って(!)あげました。そ
動物病院によっては輸血が必要な事態に備えて供血犬を飼育しているところもありますが全国的にみても供血犬のいる病院はまだほんの少数。東京都八王子市の英会話講師【ケリー・オコナー】さん(57)は供血犬シロたちを救った人です。前記事で、シロが昨年11月亡くなった事をお知らせしました😓😓😓その後も、ペットを救うために働き続けてきた供血犬に【せめて引退後は穏やかに暮らしてもらおうと、飼い主を探す活動】を続けています。↑オコナーさんと生前のシロオコーナーさんは、院内で大切に飼われている供血犬
腹水が、どんどんたまってくると、心肺まで圧迫されるらしく、夫は「心臓が苦しい」と、言うようになりました。慌てて病院に行って、座っているのも困難な夫を待たせて、やっとのことで、心臓のレントゲン撮影をしてもらっても、「心臓には、何の異常もありません。ですので、出せる薬はありません」と、医師から淡々とした口調で、告げられるだけ…二人でトボトボと帰宅するも、症状が好転するわけもなく、夫はますます、横になっているだけの毎日を、過ごすようになりました。『難治性
精密検査の結果、病名が判明しました。~肝硬変(非代償期)~もはや元に戻ることの出来ない時期に、入ってしまった、肝硬変でした。翌日、初めての入院。この時は、投与された利尿剤が、よく効き、腹水が体内から無くなり、めでたく退院したものですから、夫も私も、この病状は改善するものだと、信じてしまいました。現実は、そんなに甘いものではなく、ほどなく、消えたはずの腹水で、夫の身体は膨張するようになりました。『沈黙の臓器』と呼ばれる肝臓も、さすがに耐え切れずに、沈黙を
このように、全身の皮膚に出現した赤紫の斑点や、お腹周りの膨張、そして、食欲不振の常態化、ゴロリと横たわる回数の増加、など、今にして思えば、元凶はすべて、肝臓の極度の機能低下によるものだったのですが、それに気付かないまま、漠然とした不安を抱えながらも、それを打ち消すように、我慢強い夫は、仕事に没頭していましたから、私はそんな夫を見て、危機感を募らせることは、ありませんでした。(本当は、かなりしんどかったのだと、夫は後述していましたが…)そんな膠着状態が一変し
後日談になりますが、近所のおばあちゃんに、この医者のことを話すと、おばあちゃんはビックリして、「あの医者の所に行ってたの!?」「バカ息子だから殺されちゃうよ!」と、即答したので、やっぱり「とんでもないヤブ医者」なのだと判明しました。どおりで、駐車場と待合室が、いつもガラガラだったはずだ~(あーあ)飲食店なら、こんなにガラガラ状態が続けば、間もなく閉店・撤退となるのでしょうが、開業医ならば(それも、父親が評判の良い医者だと、その跡を継いだ息子は、患者も引き継げ