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1街区は2003年竣工山本理顕さん55歳過ぎあたりの作品。。もう20年以上経つんですね。そろそろ大規模修繕の時期とかなのかな?。。(´┐`)建物のデザイン上、ベランダに布団干せるような構造になっていないので、洗濯物は見当たらないですね(゚∀゚)/サンルームみたいなのがあるんでしょうね。集合住宅シリーズ第3弾、江東区の東雲(しののめ)にある集合住宅群のひとつです(゚∀゚)/低層棟には商業施設もあるようです。上部はデッキになっていてウロウロできます。この写
1991年竣工マーク・マックさん40歳前ぐらいの作品(MarkMack/MackArchitects)ハンス・ホラインさんやエミリオ・アンバースさんのところにもいたんですかね。。(´┐`)集合住宅シリーズ第2弾、福岡は香椎浜にある集合住宅群のひとつです(゚∀゚)/コーディネーターは、故磯崎新さん。これらは2005年の12月に撮った写真です。。(´┐`)車の型が古いもんなあ。。建てて15年も経つのに、意外と色が褪せていないかも。。というか、赤いなあ(
2001年竣工石田敏明さん50歳ぐらいでの作品(゚∀゚)/幅が1.3~2.6mしかない3階建ての店舗併用住宅とのこと(建築マップ東京2)当時は自転車屋さん?だったような。。見に行った時もお店は空いていませんでしたが。。(´┐`)今もやっているのか不明です。外壁のステンレス板が、都会の風景を写しと。。。。ってないか( ̄∇ ̄;)ハッハッハこの写真は2008年頃撮ったものですが、経年で反射しなくなったってわけじゃあないなあ。。もともとこんな感じだったのかな?
2006年竣工中村拓志/NAP建築設計事務所中村さんが32歳ぐらいの時の作品でしょうか。建築雑誌に載った時は、わーこりゃあすごいのを豪雪地帯に創ったなあと思いましたが、実際、エントランスを除いて、居室部分は2階レベルに浮いているわけで、理にかなった構造と言えますね(゚∀゚)/この辺の住宅は、1階部分を鉄筋コンクリートで造った車庫などにして、2階以上を木造の住居にするのが一般的です。雪に対しての備えにデザインとお金をかけたのが、こちらの住宅というわけですね。素晴らしい。
2002年竣工遠藤政樹さんの35歳ぐらいでの作品でしょうか。細長いたまごが立ってるイメージ。建築雑誌に載った時は、このようなクレジット⇒遠藤政樹+池田昌弘/EDH遠藤設計室+MIASになっており、当時、構造家の池田さんとの共同設計が多かったような気がします。採光窓は天窓しか無くて、そこから居間などに光を到達させる空間になっているようです(゚∀゚)/詳しくはこちら住宅シリーズ第10弾。。古い写真ですね。デジカメが無い頃の。。(´┐`)ネットでググると、賃
2005年竣工、西沢立衛さん36歳ぐらいでの設計作品。もう20年も経つんですね。。敷地の中にこういう白い箱がポコポコ建っています。それが部屋だったり家だったりするという。。(´┐`)この日の夕方はまだ誰も帰っていなかったのかな?あ、何でこんなに暗い写真なのかというと、12月の天気が悪い日でしかも17時頃撮ったからで( ̄∇ ̄;)ハッハッハ決して夜中に撮りに行ったとかではありません。。(´Д`;)西沢さんのの講演会でのお話によると、オーナーの住宅と賃貸住宅を併せて
住宅シリーズ第7弾は、ちょっと毛並みが違う作品をご紹介(´┐`)アントニン・レーモンドさんが、西麻布に1951年に建てた2度目の自邸が気に入った高崎の井上工業の井上社長が、図面もお借りして大工さんに実測してもらい造ったのが、こちらの旧井上房一郎邸だそうです(他ブログよりの情報深い軒先に樋を付けずに、雨垂れが落ちるところに小石を敷き詰めて。。レーモンドさんは、なんて日本をわかっていらっしゃるんだろう。。って感じですよね(゚∀゚)/内部の写真は行方不明です
1966年完成。東孝光さん30歳の頃の作品(゚∀゚)/敷地面積20㎡に建てた5階建て。。いわずと知れた都市型狭小住宅を極めたヘリテージモノです(゚∀゚)/坂倉準三建築研究所時代に自分の家を設計し建てて話題をかっさらい、独立したと(wiki。。建築に関わる者なら誰でも夢見る道かもしれません。(゚∀゚)/素晴らしい。中の垂直空間も素晴らしい様です(写真やインタビュー記事でしか見ることはできませんが(´┐`))これは2011年頃に撮った写真です。サーブがぎり
1971年竣工ってことはもう、54年も経つのですね(゚∀゚)/素晴らしい。。宮脇檀さんが35歳ぐらいの作品です(゚∀゚)/若!!若い頃、建築雑誌で見た時に、「世田谷区上野毛」ってことが書いてあったので、後ろが崖で南向きだろう。。てそれだけを頼りに、探し回った記憶があります。。(´┐`)今のようにネットで探すとすぐ判明(゚∀゚)/。。なんて無い時代。。あちこち廻って戻ってって、ついに見つけた時は嬉しかったっけなあ。。(´┐`)見に行った時は1990年頃、バ
毛綱毅曠さんシリーズ第6弾。1972年竣工、もう50年過ぎてますね。毛綱さん30歳前ごろの出世作。。(´┐`)出世作でもあり問題作でもある本作品、毛綱さんのお母さんの住居として建てられました。玄関の表札には毛綱毅曠建築事務所釧路事務所とか書いてあったような。。。。(´┐`)これは1996年頃の写真です。室内にはこれと同じ形の箱があって、そこがまた部屋になってる感じ。マトリョーシカが3つあるみたいなの。住宅は基本載せないんだけど、もう観光名所みたいになってるよ
毛綱毅曠さんシリーズ第5弾。1995年竣工毛綱さん50歳過ぎごろの作品?。。(´┐`)平成バブル期でお金もあったし、どーんとデザインできたのが、この弘前のデパートだったということですね(´┐`)。。出来た時の存在感は凄かっただろうなあ。。あまりこういう色使いや意匠デザインは、これまでの弘前には無かったでしょうから。。いや、知らんけど。。(´┐`)中三と毛綱さん、何かつながりがあったんだろうか。。2011年に経営破綻して。。色々あったんでしょうけど。。2
毛綱毅曠さんシリーズ第3弾。。(´┐`)1989年竣工毛綱さん45歳ごろの作品でしょうか。。(´┐`)結構好き放題やっちゃってる感がありますが( ̄∇ ̄)ハッハッハ鉄骨で組んだ、この天使の羽みたいなの、いるんか?みたいな話、当時は出たんだろうかなあ。。いや、いまさらながら見ても、デカいですね。この施設。。今の今までよくもってるなあ(´┐`)ゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイいろんなもの壁にくっついていますが。。夜光ったりするんかな?(´┐`)竣工
毛綱毅曠さんシリーズ第2弾。。(´┐`)1998年竣工毛綱さん55歳ごろの作品でしょうか。。(´┐`)多摩美大の教授になった時あたり?堂々としているけど独特なデザインでカラフルでポップだという。。(´┐`)毛綱さんの後期の意匠。。ってことなのかな。。(´┐`)上の写真と同じアングルですが、違うカメラで撮ってみました(´┐`)上はPENTAXのデジイチ、下はPanasonicのコンデジです。コンデジの方が明るく撮れちゃってる。。_| ̄
1984年竣工毛綱毅曠さん40歳ごろの作品。。釧路市立博物館も、同じこの時期の開館。。波に乗ってたんでしょうねえ(´┐`)この頃。。バブル期だったし遠目から見ると、神殿みたいなイメージがありますが。。(´┐`)規模的には小さめな感じ。。内部はこんなん(゚∀゚)/よく創ったなー( ̄∇ ̄)ハッハッハちょっとわかり辛いですけど、あの段々になってるところの上からも光が射す。。みたいな。。(´┐`)建物のコンセプトがね。。結構
村野藤吾先生シリーズ第10弾。。(´┐`)波打ち際のような素晴らしいホール。。ここ、建物の中ですよ。。1990年開館の作品なので、御大が亡くなられてから6年後の作品ということに。。しかしもう、既に、現存していません。。(´Д`;)磯子の駅近くからだったかなあ。。山の上にドーンと見えたのって。。(´┐`)もう忘れちゃった。。1990年にできて、2006年に営業終了て。。16年しか使っていないですやん。。(´Д`;)もったいなー。。前回の西村記念館よりもっ
村野藤吾先生シリーズ第9弾(゚∀゚)/御大、80歳過ぎでのこの作品。1975年開館、2011年閉館と、36年の命だったケンチク。。(´Д`;)短命な建築ってホント残念だなあ。。経営統合によって本社が東京に(JFEスチール)そのためこちらは解体と。。川崎製鉄(現JFEスチール)の初代社長である西山弥太郎の顕彰のための施設だったようで(wiki多目的ホールや大ホール、記念室などがあったということです。。(´┐`)そんなに大きく見えないけどねー(´┐`)。。
村野藤吾先生シリーズ第8弾(゚∀゚)/やっぱりここですよね。千代田生命本社ビル(゚∀゚)/1966年の竣工。。村野さんが75歳ぐらいでの作品(´┐`)生命保険会社の本社ビルとか一般の人なら入れない空間が、目黒区の粋な計らいにより区役所の庁舎に。。(´┐`)ありがたや~~この外壁パネル版(アルミ鋳物)の連なりが美しいこと。。(´Д`)ハフンハフントイデジで撮ったやつ前も載せたけど、これはCONTAXのTVSデジタルで撮ったやつさいころ石もカ
村野藤吾先生シリーズ第6弾(゚∀゚)/1988年の竣工。。というと、村野さんが93歳で亡くなったのが1984年なので、この作品はスケッチなどを基にスタッフさんが作品として残した感じでしょうか(´┐`)。。中はそんなに凝っていなかったように感じました。アレかなあ。。外観のイメージだけ描いて、内観のスケッチとかは描いていなかったのかなあ。。(´┐`)知らんですけどね。。糸魚川の谷村建設が、中国庭園と日本庭園を干潟を埋め立てた場所に造った天寿園。。(´┐`
村野藤吾先生シリーズ第5弾(゚∀゚)/1982年竣工。ということはもう40年以上経ってるモノですね(゚∀゚)/谷村美術館と同じくらい?村野先生が90歳前ぐらいの作品。。ホント。。素晴らしい。。この連続する白亜のバルコニー、足元の曲面の処理の可愛らしさに、そして高輪という名前にビビったっけなあ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ内部も素晴らしい。。。エントランスホールの「うずしお」に大宴会場「飛天」だっけか?見たかったなあ。。(´┐`)いや、今もバリバリ
村野藤吾先生シリーズ第3弾(゚∀゚)/旧横浜市庁舎は1959年の竣工、村野先生65歳の頃の作品でしょうか。。(´┐`)新しい横浜市庁舎(8代目設計槇文彦+竹中+NTTファシ他)が、別場所で2020年に竣工し、ここはどうなるのかと思ってたら、跡地は再開発され、行政棟のみ保存・活用される予定であるそうです(wikiへー。。(´┐`)そうだったんだ~村野さんといえば、階段、手すり、タイルとか色々。。ここも素晴らしい意匠でした(゚∀゚)/も
ミュージアムシリーズ第29弾(゚∀゚)/前記事、棟方志功記念館と同じ切妻屋根。。2009年開館、前からあった根津美術館の新館として建替えみたいな感じで本館に。(´┐`)設計は隈研吾建築都市設計、施工は清水建設さん。隈さん55歳前くらいの設計。エントランス前の長いアプローチ。。よく写真で見ますよネー(´д`)(´┐`)ネー初代根津嘉一郎さんは東武鉄道や南海鉄道とかの鉄道王なんですね。。。へー。。(´┐`)そうだったんだ~根津財閥とか。。凄いです
残念ながら、棟方志功記念館は2024年3月31日をもって閉館いたしました。。。(´Д`;)ミュージアムシリーズ第28弾(゚∀゚)/建物の概要がどこにも書いてないんですがね。。誰の設計なんでしょうか。。49年モノだったのかな?閉館後はどうしちゃうんでしょうかねえ。。資料や作品は青森県立美術館の方に行ってるみたいですね。。(´┐`)サイトはまだ続けるのかな?↓棟方志功記念館場所が行き辛い所にあるんですよね。。周りには何も無いし。。車で行くしかないし
こちら芹沢銈介美術館も松濤美術館と同じ頃、白井晟一さん75歳くらいの作品でしょうか。1981年開館。。ああ、そういやあ、ミュージアムシリーズ第27弾です(゚∀゚)/芸術家でもあり哲学者でもあった白井さんは、開館後の1983年に亡くなっており、没後40年も経つのですね。。白井晟一建築研究所はご家族で継承されているのでしょうかね(´┐`)。。柱や柱脚、壁の石積みの深い陰影、素晴らしいですねえ。。(´┐`)こちらの施工は大成建設さんのようですね。
ミュージアムシリーズ第25弾(゚∀゚)/安藤忠雄さんの作品4連チャン目は、2013年開館、御大が70歳ぐらいの作品です。外観はすっきりとシンプルに四角に列柱付き。。(´┐`)この日は、青いレオナールさんと赤い水玉さんがお出迎えしてくれました(゚∀゚)/エントランスホールには廻り階段が(゚∀゚)/ちょっと近くて。。普通の広角(RX100)だと入らないじゃん。。(´┐`)この頃のアイポンに超広角なかったもんな~。。トップライトは三角形モチ
1994年開館。。。安藤忠雄さん50歳ぐらいの時の作品。ミュージアムシリーズ第24弾(゚∀゚)/バブルの頃のバンバン建築だったんでしょうなあ。。(´┐`)。。RC打ち放しの表現から、いろんな素材と工法を入れてきた頃なんでしょうかね。。大きな卵も入っております(゚∀゚)/2010年にサントリーが撤退して、一回閉館してるんですね。。そのあと大阪市へ譲渡されたり、2012年にオリックス不動産が取得したり、今は株式会社日中文化経済事業団が管理運営と(wiki。。
ミュージアムシリーズ第23弾(゚∀゚)/2007年開館。。。安藤忠雄さん65歳ぐらいの時の作品。三角形にタテ線描いたスケッチを見たような気がしますが、これをスタッフみんなで実現させるんでしょうか(´┐`)美術館というかミュージアムというか、いや、ここは。。。。。デザインのサイト。。なんでしょうね(゚∀゚)/巨大な一枚鉄板を折り曲げて屋根を造り、ガラスも複層ガラスの11mとかいうものを使っているという(´┐`)三宅一生、イサムノグチ、安藤忠雄の構想から20年を経て
2002年開館、愛称は芸術の館。。(´┐`)ほほう。。安藤忠雄さん60歳まえぐらいの作品。2019年には、常設展示施設として「AndoGallery」を安藤さんがお金出してつくったとのこと(wiki。。(´┐`)ほほう。。このRCの庇。。よくやるなー( ̄∇ ̄)ハッハッハこの頃はこういうのにご執心だったようで。。。フォートワース現代美術館にも見られますね(゚∀゚)/あ、兵庫県美だって、1回しか見に行ってないから、何も偉そうなこと言えませんがね(´┐`)。。
ミュージアムシリーズ第21弾(゚∀゚)/あー。。また隈モノになっちゃったなあ。チッ(´┐`)。ここは杉の木のルーバーとかじゃないので、朽ちてはいないですね。経年劣化はあるでしょうけど。。(この記事の写真は2006年の1月頃のものです)昔は「石の美術館」だけだったと思うんだけど(´┐`)。。いつのまにか、那須・芦野って頭についてるんですね。。いつ名前変えたのかな?昨年2024年の11月にリニューアルオープンしたみたいですね。2000年開館だけど、隈研吾さん
まあ、前回からの流れでここに来るかなあって感じでしょうか。。(´┐`)とりあえず縦ルーバー付けとこか~。。(´┐`)ゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイ2007年の開館。美術館は隈研吾さんの設計作品とはいえ、東京ミッドタウンガレリアの一部分として、設計は日建設計さんがメインでしょうかね。施工は竹中さん、構造とか設備とかも日建設計さんが絡んでるのかな(wikiいつものデザイン監修だけ?いや知らんから何も言わんどこ。。(´┐`)。。せっかくだから縦に長く撮った写真でも(゚∀゚)/
ミュージアムシリーズ第19弾はここです。(´┐`)開館が2005年、隈研吾さんと山下設計さんのJVみたいですね。前回記事の馬頭広重美術館が2000年開館だから、比べるとちょっとね。那珂川町が可哀そうになるなあ(´┐`)ゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイ長崎水辺の森公園って、埋め立てしたところの2ブロック使っているんですね(゚∀゚)/海抜、4mぐらいになるんかな?運河沿いは2mも無い感じだけど。。運河を渡り、ブリッジで繋いでいるんですね(´┐`)。。とりあえず縦ルーバ