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タムが生まれて、あっという間に半年が過ぎた。首もしっかり座ったし、離乳食もそろそろ始めようかという頃。私も、以前と同じく週3とはいかないまでも、10日に一度くらいは、王妃様の診察の為に出仕するようになっていたんだけど……実はまだ、王妃様にも王様にも、タムをお見せ出来ていなくて——お2人は、生まれたらすぐにでも会いたい、とおっしゃってくださっていたけど、臣下の子どもだもの、その為だけに参内するのも……そんな身内みたいに気安くは出来ないし。かと言って、お2人にウチ(チェ家)へ来てもらう訳にも
腹一杯乳を飲み、イムジャの腕の中で満足げな顔をしているタムを……後ろからイムジャごと抱き締めて、その肩越しに愛らしい姿を眺めていると、イムジャが何やら気になる事がある、と言い出した。「ずっと思ってはいたんだけどね。タムも生まれたし……そろそろ変えたほうがいいと思うのよ」「何をですか?」それよ!イムジャが、肩に乗った俺の顔めがけ、鼻息荒く続ける。「貴方、ずーーーーーーーっと敬語よね?」「は?」「出会った時からずっと。まぁ、私の方が年上だったから、何となくそのままきちゃったけど……もう
今日も戻りが遅くなってしまった……俺は、既に薄灯りの寝所へ音も無く入ると、ぐっすり寝入っているイムジャの…額にかかる絹のような髪を、そっと撫でつけた。そしてすぐ側の、べびーべっとで静かに寝息を立てている息子の傍に立ち、その微かに聞こえる呼吸の、心地よい反復音に耳を澄ます。……何とも愛らしいことだ。我が子とは、このように愛おしいものか。聞いていた話ではあったが、まさかこれほどとは——己れの子というだけでなく、最愛の女人(ひと)との間に授かった子だ。タムは俺とイムジャの……違う刻を生き
あったかい…午後の陽射しが、春の訪れを告げている。柔らかな光に顔を向けると、まるで大きな手の平で優しく包まれているよう。時を600年以上遡り、高麗の地で一年を過ごした。ひとりの武士と恋もした。幾度も危険な目にあい、その度に助けられ、ある時は命を救った。だが、今は離ればなれだ。それも、100年という時を隔てて…今日みたいにあったかな風が吹いてて、白が混ざったコバルトブルー色の空だった天涯…、あなた、そう云ってたわ☆☆☆「おだやかねぇ〜」「ええ
木々の緑も鮮やかな、新芽の芽吹く季節になった。タムがこの世に少しだけ慣れて、私もオンマ業に少〜し慣れた頃。夜中に泣いて起きる事が、ほぼ無くなったタム。おかげで私も、朝までしっかり眠れるようになっていた。(有り難いわ〜)そこで、タムのベッドを子ども部屋から夫婦の寝室へ移し、夜も親子3人で過ごすようになってしばらく。…ふ、と目を覚ますと、じっ…と、タムのベッドを覗き込んでいる人が——「お帰りなさい、ヨンァ。いつ戻ったの?」私は寝ぼけ眼を擦りながら、帰宅した夫の側へ寄った。「少し前
「・・・そういう事情で、しばらくこの娘をこの屋敷で預かることにしたの」その日の夜、屋敷にアニを連れて帰ったウンスは、帰宅した夫にこれまでの経緯を話した。「お世話になります…」消え入りそうな声でアニが頭を下げる。ウンスの夫とはいえ、鬼とも呼ばれる大護軍を前にして緊張するなと言う方が無理な話だが、仕方ない。あのまま典医寺にいれば、ウンスのいない間に勝手に役人に突き出される恐れもあったし、また何かが失くなった時、再び彼女のせいにされる可能性もある。結局、今日は一日かけて典医
典医寺に戻ったウンスは、早速侍医の部屋へ向かった。「ソク先生、アニのことでお話があるのですが」声をかけるとすぐに通される。そこにはオム医員もいて、すでに話をしていた様子だった。座るよう促され、ウンスも腰を下ろす。「丁度良かった。私も医仙殿をお呼びしようと思っていたところです」「ええ、何でしょう」「あの下働きの娘ですが、辞めさせることにしました。本来なら役所に突き出すべきなのでしょうが、あの娘が反省して盗んだ物を返すならそれは勘弁しましょう。ですが、反省がな
そういう経緯もあるこの器具はウンスにとって、とても大切なものだった。だが、だからと言って、決して誰にも触らせないと囲いこんでいた訳ではなく、傷口から石を取り除く時や、刺さった棘を抜く時などはピンセットを貸すこともあったのだ。だから、誰かが使って返し忘れている、という可能性もなくはない。(だけど失くなってるのは鉗子なのよね…)ウンス以外、そう使う者がいるとは思えない。夫には笑われるかもしれないが、こう見えてウンスは平和主義だ。揉め事は出来れば避けて通りたい。何となく漂うトラブ
(あれ…?足りない…)ある日、王妃の回診から典医寺へ戻って来たウンスは、手術用の器具が一つ消えていることに気付いて、首を傾げた。回診に行く前は確かにあった。訓練中に腕を負傷した禁軍兵の傷口の治療で使ったから確かだ。洗って消毒した後、錆びないように箱の蓋は開けたままにしてあったのだが…。「ねえ、アニ」「はい、医仙様」ウンスは近くにいた下働きの娘に声をかけた。このアニという娘、例の猫事件後に典医寺に移動になった元女官見習いだ。(※参照猫編)ウンスにいたく恩を感じていて、
やけに静かね。雪でも降ってるのかしら……深い眠りからゆっくり戻ってきた私の意識は、まだ浅い所でゆらゆらと揺れていた。冷え込む冬の夜の寝室。外はおそらく雪……でも、ここは温かい。背中に感じるヨンの温もり。私を抱き込む腕の重さが愛おしくて。もう少しこのまま眠っていたい……私は瞼を閉じたまま微睡んでいた。無事に息子——タムが生まれてひと月あまり。嬉しくて幸せで……そして、子育てがどれだけ大変な仕事かという事を、私はイヤという程、身に沁みて感じていた。子どもは自分のお乳を飲ませて、自分の
「なぁ…やっぱ、あれかな。子どもが生まれたら、ヨンの旦那でも変わっちまうのかな?」シウルが、スッカラをクッパの椀に沈めたまま、ボソリと口にする。朝から飯抜きで走り回って、腹ペコすぎて我慢ならねぇ……勢いよくクッパを掻っ込んでいたオレは、「何がだよ?」と、手も口も動かしながら聞いた。「今まではさ、何があってもウンスが一番だっただろ?ヨンの旦那」「おぉ、だな」「だけどさ、何つっても跡継ぎの息子が生まれたんだからさぁ。チェ尚宮様なんかもう……手放しで喜んでただろ?」「スンアジュンマもな。
奥様のご出産が近い。毎日、今日ではないか、今日こそは、と思って過ごしている。私だけではない、旦那様も奥様も、ウォンスク様…チェ尚宮様も。チェ家に仕える者、関わる者、皆がそう思って——その日の夜半、旦那様から奥様が痛みを訴えられている、と、お知らせをいただいた。非礼をことわり、ソニと共にご寝所へ入らせていただくと、陣痛が始まったようだ、と、ご自分で脈を診ながら奥様がおっしゃる。その奥様を後ろからお支えしながらも、落ち着きのない旦那様……いざその時が近づいてきた、と、さすがの旦那様も狼狽え
あれ程きつかった悪阻が、嘘のように落ち着いて……私は、戻ってきた食欲と闘う日々を送っていた。もともと、スンオクやソニの作ってくれるご飯は美味しい。王妃様や叔母様からいただくお菓子も美味しいし、マンボ姐さんの差し入れもとびっきりで。何より、私が食べられるようになったのを、ヨンが喜んで喜んで……毎日のようにお土産片手に帰ってくるから——「ヤバイわ……」「やばい?」チェ家でのランチタイム。横で給仕をしてくれているソニが、小首を傾げている。ソニはとても好奇心旺盛で、私がつい漏らす天界語にいつ
典医寺の外からドドドッという幾つもの靴音と、携えた剣が鳴る音がする。「何?何が起きたの?」「捕り物ですね。武官たちが正殿へと向かっているのでしょう。ああ、こちらは心配ありません」チャン・ビンの言葉にウンスはホッと息をつく。いざって時は武閣氏も韓先生武もいるし、于達赤だって…あっ!まさか…今のが?「韓先生、正殿ってことは…于達赤?」チャン・ビンは書き物の手を止めて、ウンスの方を振り返ると…「于達赤はあのような騒々しい足音を立てませぬ。おそらくは鷹揚軍かと」
大護軍様が己れにおっしゃった事を聞かせると、妻は曇った顔で目線を下げ、しばらく黙ってから…ちら、と掬うように俺を見た。「——あなたもそうでしたの?」「ん?」「あなたも……私がテヨンを産んだ時、大護軍様と同じようにお考えでしたの?万が一の時は、我が子よりも妻を選ぶおつもりだった?」「それは……」妻は、じぃ…と探るように俺を見つめた。先に破水した上に、赤子は頭ではなく足からの…難しい出産だった妻。だから、俺には大護軍様のお気持ちが痛いほど——俺は、ぐ、と妻の目を見つめ返した。「俺は
「なぁ、お前……俺はもう、駄目かもしれん」目の前の夕餉に手を付けず、俺はつい妻に愚痴を——いや、愚痴などではない、本当の事だ。しかし妻は……いただきます、とスッカラを手に取り、熱々のチゲをふぅふぅ冷ましながら口へ運んでいる。「ん〜♡今日も美味しく出来たわ。あなたも冷めないうちに召し上がって」俺の愚痴など聞こえていないのか(いや、だから愚痴ではないのだ)、妻は美味しそうに飯を食べ続けている……「おい、聞いてるのか?夫がもう駄目かもしれない、と言ってるんだぞ」「聞いてますよ。何が駄目な
イムジャの悪阻はいつまで続くのか……変わってやれない分、気が気でならない。アン・ジェの奥方もそうだったが、腹に子がいる時の女人の様子というのは、明らかに普通ではない。もちろん、皆がそうではないらしいのだが、現に目の前のイムジャは、弱々しくて苦しそうで……いつものお元気な様子を思うと、本当にどうにかしてやれないものか、と思う。「お腹の赤ちゃんが元気だっていう証拠よ」「病気じゃないんだから」などと、イムジャはおっしゃるが……もともと白い肌は青みがかり、細い身体は更に細く……何よりも、あれ程
「…うぅう〜…気持ち悪い………」——蝉の鳴き声が煩い。夏の日差しは突き刺すように濃く、蒸された土の匂いが、汗ばむ身体にじっとりとまとわりつく。だいぶ慣れたけど、高麗時代の服は暑くて……不快指数が半端ない——妊娠が分かってからひと月あまり。そろそろつわりが始まるかも、と思い思い過ごしてきたけど、全然大丈夫だったから、私はつわりの無い人なのかなー、なんて油断していたら——急に、来た。……こんなに辛いものだったなんて。病院で気分の悪そうな妊婦さんを見て、大変ね〜、でも病気じゃないんだか
ヨンヒョンと医仙様にお子が出来たって——嬉しい知らせを言付かって、オレは大急ぎでチェ家を訪ねた。安州(アンジュ)での軍事訓練を終え、トクマンさん達が帰京するのに合わせて、オレも同行させてもらい都へ来て……普段は禁軍の兵舎で寝泊まりしているけど、チェ家にお世話になる事もしばしば。チェ尚宮様やヨンヒョン、医仙様も、「ドンジュは身内同然だから」と言ってくださって……用人の皆さんも親切で、チェ家の方々には、本当によくしてもらっている。今日も、ギチョンさんが、「おぅ、ドンジュャ。どうした?そんなに
こんなにも日差しが眩しくなっていたのだな——大護軍とドチ達を伴い、王宮の庭園をゆっくりと歩く。大きく息を吸い込んで、じっくりと吐き出してみる……気分が良い。ゆっくり見る間もなく花の季節は終わり、新緑を覆う雨もようよう落ち着いて……暑さも感じるが、それでも水面を上がってくる風は爽やかだ。日々国事に忙殺されてい……いや、君主としては当たり前の事であるのだが……心穏やかに過ごせる時間は多くない。今日は久々に、チェ・ヨンが護衛に参った。迂達赤隊長であった頃もそうそうは無かったが、護軍、大
1994年セントバレンタインデーのふたり…「バレンタインデーにいい映画だったわね」「そうだな」「エンパイアステートビルの展望台エレベーターにどうしても乗りたくて、アニーが言うじゃない。1分でいい、行くだけで気がすむって」「うん、エレベータの警備員もナイスリアクションだった」「そうそう、『ケーリー・グラントでしょ?』だったかしら」「『妻が好きな映画』ってひと言が、バツグンに効いてたな」「あっちは美男でトム・ハンクスはファニーフェイスで…そこが良かったのよ」「あはは、それは云えて
チュンソクは、言われた通りに触れ書きを開京中に出した。キチョルの私兵は、俄には信じられず屋敷を訪れたりしたが、禁軍兵が立っており、屋敷の扉は開けられ、荷物を運び出していた。おい!亡き骸はどうする?ああ、どうせ国境は通れぬ!山奥にでも埋めておけ!キチョルが死んだとわかると、散り散りになった。イ・セクは、自分の師とも呼べるイ・ジェヒョンを隠居させた。新しい重臣は、信の置ける領主や、禁軍と官軍からも選び、チェ・ヨンを崇拝する貴族や商人からも選んだ。民の事を知らなければ
康安殿(カンアンデン)へ行ってみると、何やら重苦しい様子が見てとれた。扉の前に立つ内官が、俺を見るなり、下げていた眉根を一層下げ、あぁ、と息を吐きながら頭を垂れた。どうやら先客がいるらしいが……何事だ?と俺が問うより早く、内官が「大護軍、チェ・ヨンが参りました」と取り次ぐと、すぐに「通せ」と主の声がした。開けられた扉の向こうには、王様とアン・ドチ内官。脇にはチュンソクが控えてい……そしてもう1人。竜顔を前にして、俺に背を向けて立っている大柄な男——ゆっくりと振り向いて俺を睨めつける、キ
ヨンとウンスは、マンボの店に行った。テジャン!どうでしたか?ああ、侍医も皆んなも、典医寺に戻っても大丈夫だ!師叔!キチョルの屋敷に行って、亡き骸を片付けてくれ!えっ?死んだのか?恐らく、そろそろ息絶えておる。この前来たあの方の話を聞いただろ?長年の恨みから、物凄い力だった。雷攻が抜けず、身体の中をズタズタにしたようだ。なんだってぇ〜。すげぇな?ああ、物凄い力だ!風攻まで習得したそうだ。何の話ですか?いや、徳興君だが、叔母上が昨日、茶と酒にテンランを盛ったそうだ。
イムジャをテマンに託し、迂達赤兵舎へ戻る途中も——俺の頭の中は、イムジャの事でいっぱいだった。大切なのはこれから先の事。イムジャが心安く過ごせるよう、万事整えたい。俺自身、いざという時に身動きが取れるよう、まず王様にご報告と嘆願を……王様はきっとお許しくださるだろうが、五月蝿いのは禁軍の奴らか……別に構うものか。コモにもよくよく目を光らせてもらおう。何しろ王宮での諸事雑事は、チェ尚宮の手の上だからな。それから、イ・セク……あの男、天の書についてあれこれ尋ねすぎる。イムジャの負担になら
凄いわ!叔母様!いや、つい夢中になり、偶然揃った。ヨンも凄いわ!これは、頭を使うな?イ・セクさん?惜しかったわ。もう少しだったのに。はい。これ程考えさせられる物は、なかったです。政も同じ事なのよ?考えて考えて、人々を動かし、まとめるの。どこをどう動かすかで、間違いだと気付くでしょ?なる程…そういう事ですか。嫁御や。私は忙しいので無理じゃ!俺も忙しい!じゃあ、イ・セクさんに決まりね!異論は?ないです!いや、医仙様が相応しいかと…。私も忙しいのよ!イ・セクさん
ウンスの堂々とした態度に押された徳興君。教授とは、確か…仙人のようだと西域で聞いた事がある。(誰に聞いた?)何千?私を庶子だと?しかし、チェ家とはそんなに凄いのか?私が愛人だと?これは…府院君が必要だ。誰か!府院君キ・チョルを呼んでまいれ!ああ、キチョルか?無理かもな。今は、動けぬ!は?ちと、雷攻を強くしすぎて、臓器に穴があいたかもしれぬ。氷攻を出すとどうなるか?わかるか?そんな物は、関係ないであろうな。バカなの?は?水と電気が交われば、どうなるかもわからな
四人で楽しく夕餉を食している時、チェ尚宮が来た。ミギョン様!申し訳ございません。良い!良い!嫁御のする事には、意味があると知っておる。叔母上?上手くいったか?ああ、茶にたっぷりと混ぜたが、嫁御が毒にやられた事を思い出し、酒瓶にもたっぷり入れてきた。あーあ、飲ませすぎではないか?いいんじゃ!明日の朝議には、来るのだろ?ああ。それでじゃ、嫁御や!はい!叔母様。その…もっと夫婦らしい呼び方をした方が良いと思ってな。あっ、そっか!テジャンじゃ、変ですよね?あ、あなた
ヨンは……今どんな顔してる?さっきから、抱き締められたままだから……嬉しいけど、顔が見えない。見たい。出会った頃と比べると、随分表情豊かになったヨンだけど……固まって私を見つめていた顔は、嬉しいのか驚いてるのか…多分どっちもよね…まさか、嫌では無いと思うけど——「ヨン……嬉しい?喜んでくれる?」余りにも、ハグ以降の反応が無いものだから、私は心配になって口を開いた。すると、黙って私を抱き締めていたヨンの身体が、ピクリと震え…ほんの少し、一瞬だけ震えた気がして…ヨンが腕を緩めて、私の顔を
大方の事は聞いた!信じ難いが、実際、同じ顔が此処にあると言う事は、本当だろ?医仙は、少し髪が短くなったけどどうしたんだ?あっ、逃げる時に、ムガクシの恰好をするのに、髪を切って、墨で黒くして逃げたんです。師叔?元から断事官が来てるか?いや、まだそんな話は聞いてないな。では、急ぐぞ!はい!五人がまた消えた。国境に着くと、手本を見せるかのように、雷攻で大穴を開け、地割れが起き、全く通れなくした。次は山道へ行った。やってみるか?力は漲っておるだろ?はい!大丈夫?テ