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ロシアが誇る作曲家『Tchaikovsky/チャイコフスキー』。叙情的で流麗な旋律に華やかで効果的なオーケストレーション。バレエ「白鳥の湖作品20」や「ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23」の他に「ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35」「交響曲第6番ロ短調(悲愴)作品74」などが有名作品。鉱山技師(工場長)の次男として誕生し、1840年から1893年の時代を生きた。Tchaikovskyが同性愛者であった事も知られている。若き頃のTchaikovs
ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ(DmitriiDmitrievichShostakovich/1906-1975)の交響曲(全15曲)の探訪を7日(月)からアップしています。<交響曲第1番>(1926)が大評判となって、国際音楽界に衝撃的なデビューを果たした若き才能=ショスタコーヴィチは、1927年には、ソ連当局の一機関、国立出版アジアプロット局の委嘱作品として、前衛的な気概にも満ちた単一楽章構成による<交響曲第2番「十月革命に捧げる」>が作曲し、
ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ(DmitriiDmitrievichShostakovich/1906-1975)の交響曲(全15曲)を、今日から探訪していきます。CD:ショスタコーヴィチ/交響曲第1番&15番ウラディーミル・フェドセーエフ指揮/モスクワ放送交響楽団PonyCanyon/POCL-00351昨日にもアップしたこの写真のCDに収録されている、ショスタコーヴィチの出世作となった<交響曲第1番>は、レニングラード音楽院の卒業制作とし
プロコフィエフの交響曲探訪も、今日が最後となります。これまでに、<古典交響曲ニ長調(交響曲第1番)作品25>(1917年)<交響曲第2番ニ短調作品40>(1925年)<交響曲第3番ハ短調作品.44>(1928年)<交響曲第4番ハ長調作品47>(第1版:1930年)<交響曲第4番ハ長調作品112>(第2版:1947年)<交響曲第5番変ロ長調作品100>(1944年)<交響曲第6番変ホ短調作品111>(1947年)までを辿ってきましたが、今日はいよいよ最
L.v.ベートーヴェンピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」Op.53ChristophTraxlerLIVEinJapanクリストフ・トラックスラー渾身のベートーヴェン:ワルトシュタインソナタをユーチューブにアップロードしました!高評価、チャンネル登録宜しくお願い致します!ClassicalMusicProduction&ManagementArtCreativeJapanプロデュース&マネージメントアートクリエイ
プロコフィエフの交響曲の探訪を続けています。今日は<第6番>へご案内します。この曲を、私は40歳近くまで全く聴いたことがありませんでしたが、NHK交響楽団の音楽監督にシャルル・デュトワが就任して、そのコンビによる初のCDに収録された時に、初めて聴く機会を持ちました。ポピュラーな人気を博している<第5番>とは全く異る、ショスタコーヴィチの作品にも一脈通じる冷徹さと緊張感に支配された、玄人向けの作品です。1947年の初演は好評を博したようですが、翌年に例のジダーノフ批判に晒され
ロシア(旧ソ連圏)の作曲家=プロコフィエフの交響曲を探訪しています。今日は、最も有名な第5番の紹介です。セルゲイ・セルゲーエヴィチ・プロコフィエフ(SergeiSergeevichProkofiev)は、1891年生まれで1953年没のロシアの作曲家・ピアニスト・指揮者です。あらためて、交響曲作品を列挙してきましょう。<交響曲ホ短調>(1908年)<古典交響曲ニ長調(交響曲第1番)作品25>(1917年)<交響曲第2番ニ短調作品40>(1925年)<交響曲第3番
プロコフィエフの交響曲の探訪を続けています。今日は第3番をご紹介しましょう。1927年に完成させた歌劇「炎の天使」は、今日ではプロコフィエフのオペラの名作として確固たる地位を築いていますが、1928年当時はまだ全曲完全上演の目処が立たない状況にありました。(結局、このオペラの全曲完全上演は、残念ながら作曲家の死後になってしまいました。)そこで、組曲版を作成して、組曲版の上演を先に画策することを考えたのですが、次第に、交響曲の作曲に傾いていきました。「炎の天使」の中のテーマ
一昨日の記事での予告通り、プロコフィエフの交響曲の探訪を始めています。古典派のハイドンの技法を基に、「もしもハイドンが今でも生きていたら書いたであろう作品」という発想によって作曲した「古典交響曲」に続く第2番の誕生は、7年後の1925年になりました。ペトログラード(サンクトペテルブルグ)音楽院で研鑽を積んだ後、祖国を離れてアメリカに渡り、更に1923年からパリを拠点とするようになったプロコフィエフでしたが、そのパリでの評価は芳しくなかったようです。当時注目を集めていたフラン
昨日の記事での予告通り、プロコフィエフの交響曲の探訪を始めましょう。プロコフィエフには、サンクトペテルブルク音楽院時代に作曲したホ短調の交響曲がありました。当初はしれを「第1番」にするつもりでしたが、未熟な作品であると判断して、この「古典交響曲」を「交響曲第1番」と呼ぶことにしたという経緯があります。音楽院在学中にニコライ・チェレプニンの下で学んだ古典派のハイドンの技法を基に、「もしもハイドンが今でも生きていたら書いたであろう作品」という発想によって作曲したことにより、自身
スクリャービンの交響曲の紹介もこの記事で最終回になります。<交響曲第5番「プロメテウス」>です。YouTube/A.Scriabin:PrometheusorthePoemofFire-ProméthéeoulePoèmedufeuop.60(Boulez)(先年に逝去されたピエール・ブーレーズの指揮による録音のYouTubeを先ずリンクしておきましょう。)アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービンは、1872年に生まれて1915年に
アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービンは、1872年に生まれて1915年に没したロシアの作曲家です。ピアノ作品ばかりではなく、シンフォニストとしてももっと注目されて良いのではないかと、私は思っています。スクリャービンの交響曲の楽章数の推移を見てみると、興味深い傾向が直ぐに判ります。第1番「芸術讃歌」が合唱つきで6楽章第2番が3部構成で5楽章第3番「神聖な詩」が3楽章通奏と言う具合に次第に楽章数を減らしています。そして遂に、最後の2曲では・・・第4番「法悦の詩」で単一
スクリャービンの交響曲の紹介、第3弾です。アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービンは、1872年に生まれて1915年に没したロシアの作曲家です。ピアノ作品ばかりではなく、シンフォニストとしてももっと注目されて良いのではないかと、私は思っています。私がスクリャービンの交響曲の魅力に目覚めた切掛は、1992年9月の東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会でした。当時、常任指揮者就任直後の大野和士氏の指揮による、氏が提唱して開始された「若手作曲家委嘱シリーズ」の第一弾としての
スクリャービンの交響曲の紹介、第2弾です。アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービンは、1872年に生まれて1915年に没したロシアの作曲家です。ピアノ作品ばかりではなく、シンフォニストとしてももっと注目されて良いのではないかと、私は思っています。私がスクリャービンの交響曲の魅力に目覚めた切掛は、1992年9月の東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会でした。当時、常任指揮者就任直後の大野和士氏の指揮による、氏が提唱して開始された「若手作曲家委嘱シリーズ」の第一弾としての
ロシアの作曲家の交響曲紹介を続けましょう。ラフマニノフの次の話題はスクリャービンにしました。アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービンは、1872年に生まれて1915年に没したロシアの作曲家です。近年の状況としては、ほぼ同世代のラフマニノフに比べると、作品の演奏頻度にはやや物足りないところもありますが、もっともっと認知されてレパートリーとして取り上げられて良い作曲家ではないでしょうか。ピアノ曲はそこそこ演奏されていますが、実は、スクリャービンはシンフォニストとして非常に重
ラフマニノフの交響曲の話題の第4弾、そして最終回です。ラフマニノフの交響曲の紹介を、第1番から第3番まで、全て掲載してきましたが、最後に、<交響的舞曲>に触れておきましょう。タイトルこそ「交響曲」ではありませんが、この作曲家の最後の輝きとなった“白鳥の歌”でもあり、また作品自体の質と量の両面に照らしても、交響曲に匹敵するような存在感を有する名曲と言えるでしょう。この<交響的舞曲>は、晩年の作曲家によって、1940年にニューヨーク州ロングアイランドで作曲が進められられました。
セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフは、1873年生まれで没年は1943年の、ロシアの作曲家、ピアニスト、指揮者です。<交響曲第1番ニ短調>は、1985年に完成されましたが、1987年の初演が大失敗となり酷評を浴びせられ、生前の間は再演されることはありませんでした。その第1番への惨憺たる評価によって、精神的にも痛烈な打撃を受けてしまった作曲家は、暫くはほとんど作品が書けない状態に陥りました。その後、あの有名な<ピアノ協奏曲第2番>や、今日ここでご紹介する<交響曲第2番>の
メールありがとうございました。Mozartの真骨頂は最晩年の作品にこそあるというご指摘、異論ありません。私もいつも好んで「マッチョ」なMozartばかり聴いているわけではありません。********例えばK.622イ長調のクラリネット・コンチェルト。これはまさに奇跡のような作品です。イ長調という調性はなにか現実感のない、夢の中のようなあるいは過去の回想のようなセピア色のフィルターを感じさせます。そのイ長調で書かれた第1楽章を聴いて感じるのは、なべて移ろいゆくものの美しさ。一体これ
昨日の記事で予告をしていたラフマニノフの交響曲の話題です。セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフは、1873年生まれで没年は1943年の、ロシアの作曲家、ピアニスト、指揮者です。<交響曲第1番ニ短調>は、1985年に完成されましたが、1987年の初演が大失敗となり酷評を浴びせられ、生前の間は再演されることはありませんでした。しかし、最近は演奏も聴かれるようになりました。聴いてみると、若書きの粗削りな面があるとはいえ、活気に溢れた作品として評価できると思います。第1楽章は、
チャイコフスキーの交響曲探訪シリーズも、早いもので今日が最終回になりました。皆様のご精読に感謝いたします。さて、第6番「悲愴」は、最晩年の1893年に作曲され、同年の晩秋にサンクトペテルブルグで、作曲者自身の指揮によって初演されました。あまりにも独創的な極限的なディミニュエンドで閉じる終楽章に戸惑いを隠せない聴衆もいたということですが、チャイコフススキー自身はこの作品に対して絶大なる自信があったと伝えられています。しかし、数日後にコレラに罹患したことが原因で病の床に就き、初
チャイコフスキーの交響曲を探訪するシリーズもいよいよ終盤に入ってきました。今日は三大交響曲の二曲目、第5番の紹介となります。交響曲第1番と第2番の初演がそれぞれ大成功となって、またシンメトリックな5楽章構成を持つ第3番も発表して、ロシアで最初の本格的なシンフォニストとしての地歩を確固たるものに固めていったチャイコフスキーは、メック夫人のパトロネージュによって経済的安定を得て大作の作曲に没頭できた成果が、第4番の強烈でドラマティックな音楽に結実しました。しかしその後は楽想の枯渇や
チャイコフスキーの交響曲を探訪するシリーズも、回を重ねて、昨日から有名な三大交響曲の紹介に入りました。交響曲第1番と第2番の初演がそれぞれ大成功となって、またシンメトリックな5楽章構成を持つ第3番も発表して、ロシアで最初の本格的なシンフォニストとしての地歩を確固たるものに固めていったチャイコフスキーは、メック夫人のパトロネージュによって経済的安定を得て大作の作曲に没頭できた成果が、第4番の強烈でドラマティックな音楽に結実しました。ここでもう一度、チャイコフスキーの交響曲の作曲
交響曲第1番と第2番の初演がそれぞれ大成功となって、ロシアで最初の本格的なシンフォニストとしての地歩を固めていったチャイコフスキーでした。そして、続く交響曲を1875年に作曲しました。この作曲家の交響曲としては唯一、長調で開始される音楽であり、また唯一5楽章構成を持つ作品になりました。標題のポーランド(Polish)は、終楽章がポロネーズ調の音楽であることに由来するようですが、作品そのものの成立や性格を象徴するものではありません。むしろ最も絶対音楽的な性格が強い作品と言えるでし
交響曲第1番の初演の成功で、ロシアで最初の本格的なシンフォニストとして認知されることになったチャイコフスキーは、続く交響曲を1872年に作曲しました。3つのウクライナ民謡を作中に引用していることから、ウクライナを意味する「小ロシア」という呼称を初演当時のモスクワの音楽評論家から与えられたそうです。第1番よりも小振りで演奏時間約30分の規模ですが、なかなか魅力的な作品です。当時のロシア楽壇は、西欧派と民族派に二分されていました。チャイコフスキーは西欧派の代表格と目されていました
チャイコフスキーの初めての交響曲は1866年に作曲されました。演奏時間は約45分に及ぶ堂々たる風格を備えた雄大な作品となっています。第4番~第6番の三大交響曲には旋律の印象で一歩を譲りますが、なかなか素晴らしい交響曲です。第1楽章に「冬の日の幻想」という副題が付されているのでしばしば交響曲第1番「冬の日の幻想」と呼ばれますが、正式には単純に交響曲第1番で良いようです。1866年と67年に行われた部分的な初演は不評だったらしいですが、1868年に行われた全曲初演は大成功を収めたそう
堂々たる標題交響曲と言えるロマン的大作〜R.コルサコフの交響組曲《シェへラザード》ボロディンの交響曲の紹介に続いて、R.コルサコフの作品に触れておきましょう。ニコライ・アンドレイヴィチ・ェリムスキー=コルサコフは、1844年生まれで1908年没ですから、チャイコフスキーとほぼ同世代です。ロシア五人組の一人ということで、ボロディンに続いて紹介します。このシリーズではロシアの交響曲の系譜を辿っています。R.コルサコフも若い時期に交響曲第1〜3番をものしていますが、今日では
サブテーマとしてシリーズ1ソナタからフーガへ2とのこと2025年11月11日(火)18:30開演銀座王子ホールとのこと【プログラム】ベートーヴェンソナタ第3番ハ長調作品2−3ソナタ第8番ハ短調作品13悲愴〜休憩〜ソナタ第20番ト長調作品49−2ソナタ第28番イ長調作品101本日のソナタは4曲のうち、最初の3曲は練習したことがありました。なん番のソナタを練習したかという記憶がないので、最初のメロディーが出てきて
昨日の記事に続いて、ボロディンの交響曲を紹介します。ボロディンは、1833年生まれで1887年没ですから、あの有名なチャイコフスキーよりもむしろ先輩格にあたります。しかし、これらの交響曲を聴くと、モダニズムの時代(機会文明の到来)を予感させる新古典主義的なロマン派後期の作風とは一線を画すような新鮮な息吹を感じることができます。日本ではあまり演奏される機会に恵まれませんが、時々は聴きたくなる佳品であると私は思っています。この第2番は、第1番に比べると幾分洗練された印象を持つか
昨日の記事で、19世紀末から20世紀初頭に活躍したロシアの作曲家に思いを馳せましたが、その中からボロディンの交響曲に焦点を当ててみましょう。今日と明日の記事で、二つの交響曲を紹介します。ボロディンは、1833年生まれで1887年没ですから、あの有名なチャイコフスキーよりもむしろ先輩格にあたります。しかし、これらの交響曲を聴くと、モダニズムの時代(機会文明の到来)を予感させる新古典主義的なロマン派後期の作風とは一線を画すような新鮮な息吹を感じることができます。日本ではあまり演奏
ドヴォジャーク(ドヴォルザーク)の交響曲の探訪もいよいよ終盤になってきました。今日は、名曲として広く知られる「交響曲第8番」です。イギリスの出版社から楽譜が刊行されたために、一時期は「イギリス」等という作品の本質とは全く無関係な副題が付されていたこともありました。しかし、音楽的にはむしろ最もボヘミア的な、ドヴォジャークならではの魅力の宝箱のような交響曲です。この曲の初演の直前の1888年に「交響曲第5番」がジムロック社から出版された事にも関連性があると推察されるのですが、この