ブログ記事192件
セルジュ・ゲンズブール(SergeGainsbourg)が作った"Lanoyée"(和訳すると溺れる人)は、イヴ・モンタン(YvesMontand)が歌うのを拒否したと言われています。その真相をセルジュ自らが語っていますので、ご紹介します。ゲンズブールは、ポランスキーの映画のために美しいワルツを作りました(作詞・作曲)。納得する作品でしたが、自分が歌うシャンソンではないと思いました。誰が歌うに相応しいのか考えた結果、イヴ・モンタンが良いと思いました。モンタンの家に行くと、奥さん
突然の訃報。悲しい。ジェーン・バーキンに勝手に親しみを感じて数十年。きっかけはシャルロット。高校生ぐらいの時はシャルロットが私のアイドルだった。そこからセルジュ、ジェーンと知っていった。最初は音楽から、セルジュとジェーンの関係も憧れたな。大学に入った頃に、「カンフーマスター」を映画サークルで鑑賞して、それが私の最初のジェーンの映画。そして、その頃ちょうどジェーンの映画がリバイバルで公開されてた。「ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ」「スローガン」「ガラスの墓標」「愛しのエ
この月曜日にはジェーンバーキンさんのお葬式がありましたサンロック教会は日本人街でもあるピラミッドの駅近くなのでいつも前を通ります【中古】ベスト・オブ・ジェーン・バーキン〜QUOI(コワ)/ジェーン・バーキン【中古】afb楽天市場フランス大統領官邸も同じ高級ブティックが並ぶサントノーレ通りにあるので歩いて15分くらいですがさすがに車でフランス大統領夫人が到着しましたカトリーヌドヌーブ
今回は、"Jet'aimemoinonplus"について書きたいと思います。ジェーン・バーキンは、この歌がブリジット・バルドーのために書かれたこと、レコーディングまでされていたのにリリースはできなかったことを知っていました。言葉は悪いですが、「二番煎じ」だと知っていながら、セルジュ・ゲンズブールの「歌わないか?」との提案を受け入れたのは、何故だったのでしょうか?それは、インタヴューによれば、他の女優に先に歌われるくらいなら、自分が先に歌いたいと思ったからでした。この歌
ジョンとヨーコ(JohnLennon&YokoOno)は、ニューヨーク時代、ラヴ&ピースを標榜する生きる伝説のカップルのような存在で、全米津々浦々から一目見たいと人々がやって来たそうです。「握手してください」は日常茶飯事で、子供を抱いてくださいとか、中には子供の病気を治してくださいというような救世主に神の恵みを求めるような勘違いの人もいたのだそうです。そこまでではなかったものの、セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンも一時期、フランスにおける若者が憧れる理想のカップルだったことは事
前回の投稿で、"L'aqoiboniste"は、セルジュ・ゲンズブールのジェーン・バーキンへのラブソングだと思っていると書いてしまいましたが、よく調べると違っていました。実は、フランソワーズ・アルディのために作られた歌だったのです!当時、フランソワーズは、ジャック・デュトロンが恋人で(後に結婚)、ファンには、歌詞の"aqoiboniste"についてジャックを想像してしまうことになります。ところが、フランソワーズは、歌うのを断ったそうです。歌詞に以下のような箇所があって、
ジェーン・バーキン(JaneBirkin)についてブログを書いています。今回は、セルジュ・ゲンズブールが彼女のために書いたシャンソン"l'aquoiboniste"の日本語訳が間違いだらけだという点を指摘したいと思います。jeそもそも、日本語タイトルの「無造作紳士」というのが何のことかわからない!aquoibonisteというのは、ゲンズブールの造語で、"Àquoibon?"(何がいいの?)ばかり言っている人のことです。それで、次に歌詞の方で、よく間違え
フランスの女優ジェーン・バーキンが、7月16日に逝去しました。享年76。フランス文化省が発表しました。同国メディアによると、パリの自逝去しているのが発見されたとのことです。ジェーン・バーキンは、1946年ロンドン生まれ。最初の結婚は、『野生のエルザ』や007シリーズの音楽で有名なジョン・バリーとで、長女ケイトをもうけますが、間もなく破局。60年代後半にフランスに移住します。そこで、歌手であり映画監督のセルジュ・ゲンズブールと運命的な出会いを果たし、ふたりのデュエット曲「ジュ・テーム・
こんばんは、本日も暑い一日でした、7月もあっという間に後半ですねジェーン・バーキンが7月16日、星になってしまったとの報、哀しい、バーキンとセルジュゲンズブールの映画「スローガン」、こんなの観たことない(ストーリーはいかにもフランス的で、ちょっと、もやもやしますが、映像がとにかくオサレ満載で素敵。)って、初めて観た時の興奮は今もここにしっかり残っている、この映画の撮影で出会って、色々とスキャンダラスな話題の絶えないカップルだったけれど、時代のアイコン的な
また一人、大事な人が宇宙に還ってしまったな。「大人になったらフランス人になりたい!」と、思っていた高校生のころから、ずっとずっと憧れて止まない女性。繊細さと大胆さ。ハイエンドとカジュアル。少女と少年。知性と無邪気。いろんな相反するものが同居する。LIVEを観に行くというより、聖地巡礼のような気持ちで幾度となくオーチャードホールに足を運んだ。2013年のLIVE後、念願叶って御本尊と邂逅を果たした。あのとき、肩に回してくれた細い腕の感触
ジェーン・バーキンについて調べていたら、彼女のことではなくて、エディット・ピアフの驚きのエピソードを見つけましたので、ご紹介します。1962年10月、フォンテーヌ劇場でRaymondDevos(コメディアン)の芸歴40周年のフェスティバルがあって、ミュージック・ホールのスターたちが集まりました。出演者が一同に集まり、それぞれの楽器でセッションがあり、クロード・ヌガロがパーカッション、ギ・ベアールがアコースティックギター、そして、セルジュ・ゲンズブールは、エレキギターを弾きました。
歌のスタイルを遡るシリーズの4回目。今回は、ジェーン・バーキンを遡ってみます。彼女は、自ら突如として出現したわけではありません。そこには、セルジュ・ゲンズブールの好みの系譜があったのでした。sセルジュ・ゲンズブールと親しかった俳優のジャン・クロード・ブリアリ(Jean-ClaudeBrialy)は、ジェーン・バーキンの歌声を初めてラジオで聞いた瞬間、アンナ・カリーナ(AnnaKarina)を思い出したのだそうです。実は、アンナは、ブリアリが広告代理店に勤めていた時に、たまたま
人間誰しもいつか天に召される。ジェーンは今頃きっとセルジュと再会し、熱い抱擁をしているのではないだろうか・・・。格好よく、美しく、しかし人間臭く、そして、自分の気持ちに正直な人たちだった・・・。ただでさえ遠い存在だったのに、更に彼方の届かないところへと昨日逝ってしまった・・・またひとり、一時代を築いた象徴がこの世を去った・・・ジェーン、安らかに・・・。
ジェーン・バーキンが亡くなった。ちょっと前にノッポさんこと高見映氏が亡くなられたのも地味に悲しい、、というか寂しかったのだが、彼女の場合体調不良らしいのは知っていたので、あぁやはり、、という感じで、でもやはり寂しい。以下、ながーい思い出話思い返すこと○十年前、念願かなって京都で学生ライフを送り始めた頃、たまたま入った北白川のカフェで読んだ雑誌に載っていたのがゲンスブールだった。「世の中にはこんな面倒臭いけどカッコいいオッサンがいるんだなぁ、、」(当時既に亡くなって久しかった)と何故か
私はゲンズブールの大ファンなので、どうしても彼との絡みでしかジェーン・バーキンを見ていないのですが、彼女の知性を表すエピソードがありますので、皆さまにご紹介したいと思います。s若い頃のジェーンは、見た目がセクシーだし、フランス語も舌足らずな感じなので、知性を感じないかもしれませんが、実は、とてもインテリジェンスに溢れた女性(ひと)でした。彼女が初めてセルジュ・ゲンズブールに出逢ったのは、映画"Slogan"の撮影開始時だったのですが、その前に書店に行って、セルジュのシャンソンの
猛烈な暑さの三連休の最終日。予定が流れてしまったので何をしようか?と考え巡らせていたときに、ジェーン・バーキン逝去のニュースを見ました。実際は英国人ながらも、ジェーン・バーキンといえば、肩ひじが張らないオシャレさとコケティッシュなフランス人女性のイメージを思う方も多いのではないでしょうか?彼女の名前で世界的に知られているバッグを思い出す方も多いでしょうね。実際にニュースではそういう切り口だったし…。私はというと、女優としての彼女の作品はもちろん何本も観ているけど、歌手としてのイメー
ファッション、そしてカルチャーのアイコンでもあったジェーン=バーキンが亡くなりました。ジェーン・バーキンさん死去、76歳フランスで愛された英国出身の女優・歌手フランスで活躍した英国出身の女優で歌手のジェーン・バーキンさんが死去した。76歳だった。CNN提携局のBFMTVが関係者の話として16日に伝えた。-(1/2)www.cnn.co.jpジェーン・バーキンが死去。享年76歳イギリス出身の歌手で俳優のジェーン・バーキンが、7月16日(現地時間)に76歳で亡くなった。www.vogue.
やはり、ジェーン・バーキンファンの友達は落ち込んでいました。その友達からJ・バーキンの映画の情報を教えてもらいました。(全く知りませんでした)「ジェーンとシャルロット」元気だったら、親日家のバーキンはキャンペーンで来日してくれたかもしれないのにね。長女のケイト・バリー(ジョン・バリーが父親)が亡くなって、もうすぐ10周忌ですね。母親の誕生日の3日前にテラスから投身で亡くなりましたが、事故か自殺かは分かりません。この映画は次女のシャルロット(セルジュ・ゲンズブー
2023.7.17WATERFALL(ウォーターフォール)|レコードワッペンの服×音楽ユニセックスブランドのSUGARです。ブログを読んで下さっている方はご存知と思いますが、ブログ自体がカラッとサバッとしたブログ(内容に触れない形での最新音楽映画のブログでの紹介が多い。それメイン。)で、あえてファッション関係の話はもちろん音楽関係などの訃報に関してなど、また世間での様々な社会問題の議論など人によっては、取りようによってはなことに関しては一切触れないブログでしたが、今回は触れざるえないというか、
ジェーン・バーキンさん死去エルメスのバッグ「バーキン」由来(朝日新聞デジタル)-Yahoo!ニュース英国生まれの俳優で歌手のジェーン・バーキンさんが16日に亡くなった。76歳だった。フランス文化省が同日、発表した。news.yahoo.co.jp
一人の日本人として、貴女の日本に寄り添う優しさ思いやりの気持ちを頂いた事に感謝致します。それからきっと貴女は全ての動物に対しても愛情を注いできた事でしょう。ゲンスブールと共に歩んだ美しい歌と映画をありがとうございました。ヘイ、ジョニー・ジェーンゲンスブールのあの映画を覚えてる?「ジュテーム」を「ジュテーム・モワ・ノン・プリュ」を、いい話だった「ジョニー・ジェーンのバラード」
ジェーン・バーキンさん死去エルメスのバッグ「バーキン」由来(朝日新聞デジタル)-Yahoo!ニュースhttps://news.yahoo.co.jp/articles/0f5d5c16fbe6b23e8e01d58651fa752c5354e6881時間くらい前、ネットニュースで知りました。しかしこのコピーには納得いかない!!!!『エルメスのバッグ「バーキン」由来』って!この記者、多分ジェーン・バーキンのことを知らないだろ💢私は高校生〜大学生の頃、ジェーン・バーキンが大好き
ジェーン・バーキンが亡くなったそうですもちろん、私はエルメスのバッグに縁はありませんが、人気バッグ由来バーキンさん死去-Yahoo!ニュース英国生まれの俳優で歌手のジェーン・バーキンさんが16日に亡くなった。76歳だった。フランス文化省が同日、発表した。news.yahoo.co.jp今よりずっと若い頃にヨーロッパのポップスクラシックを聴いて彼女を知りました。JaneBirkin/L'aquoiboniste(ジェーン・バーキン邦題:無造作紳士)歌詞付Lyrics
MSNwww.msn.com英国生まれの俳優で歌手のジェーン・バーキンさんが16日に亡くなった。76歳だった。フランス文化省が同日、発表した。(中略)東日本大震災の翌月に来日し、その後も世界各地でチャリティーコンサートを開いた。娘のシャルロット・ゲンズブールも俳優で、初監督作で母の素顔に迫るドキュメンタリー「ジェーンとシャルロット」が8月に公開を控えている。記事でも解説されているエルメスの「バーキン」はジェーン・バーキンさんの名前が由来というくらいに
今日は歌舞伎座で1日を過ごし歌舞伎の話を書く予定だったのだがジェーン・バーキンの訃報を聞きそんな気分がすっ飛んでしまったまだ76才、また日本に来るかと思っていた東日本大震災のチャリティにも積極的だった震災直後に支援のため来日、一流ホテルの代わりに東京日仏学院の一室に泊まり込んだという逸話も一般的にはエルメスのバーキンバッグのイメージが先行してるけど、ロスチャイルド家の血を引くイギリス貴族の出ヘビロテ感満載なジェーン愛用のバーキン2番目の夫セルジュ・ゲンズブールと新宿❓でお腹
大人になるとセルジュ・ゲンスブールの良さが分かる様になる。若い頃は酔いどれの薄汚いジジイくらいにしか思わなかったけど、女たらしの自然体でアナーキーなこのオッサンはこれはこれで実にカッコいい。もっともこんな風には生きれないけど。(笑)この歌は元々ブリジット・バルドーとのデュエットの為に書いたものだが、不倫関係にあった二人の事が旦那にバレるのを恐れてバルドーがリリースを拒否。その後二人は別れてオッサンはジェーン・バーキンとこの歌を更にエロティックにしてリリース。この曲を聴くと目も眩む様な明け透け
花嫁の皆様、花嫁のママさま、花嫁の猫ちゃんたち天気予報では、雨なのですが、とりあえず今のところは大丈夫みたい。今日は、2人の花嫁さんのお仮縫いがありました。どちらも、小柄でキュート。かわいいお嬢さんたちです。ブラネは、ちゃんとトワルチェックをする超~常識的なアトリエなのですよ!フランスでは、これがスタンダード。プレタでお買い求めしても、必ずリタッチで縫い直しがはいります。さてさて、ブラネおばさんはブランド品を最初に持ったのは、高校1年生くらい。その時期は、レノマがめちゃめ
「ガラスの墓標」(原題:Cannabis)「ガラスの墓標」プレビュー1970年公開。セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの共演。脚本:フランツ・アンドレ・ブルジョ監督:ピエール・コラルニックキャスト:セルジュ:セルジュ・ゲンズブールポール:ポール・ニコラスジェーン:ジェーン・バーキンエメリー:クルトあらすじ:明け方。殺しは終った。二人の青年の荒い息遣いと足音だけが生きていた。一人はセルジュ(S・ゲンズブール)相棒はポール(P
たとえ才能に溢れたSergeGainsbourg(セルジュ・ゲンズブール)であっても、最初からすぐに売れっ子になったわけではありませんでした。彼の最初のヒットは、1960年のL'eauàlabouche(唇によだれ)で、10万枚のレコード売上でした。その時のピアニストが証言しているのですが、彼は、パリ中のキャバレーで毎日のように歌おうとして、いろんな処で出演交渉をし、歌わない日を少しでも減らそうとしていたそうです。どんどん無口になって、少し病的と言えるくらいストイックに歌
セルジュ・ゲンズブール(SergeGainsbourg)の歌に、InitialsB.B.というのがあります。このイニシャル、B.B.というのは、BrigitteBardot(ブリジット・バルドー)であることは明らかです。昔、山田邦子がテレビのバラエティ番組でイニシャル・トークをやっていましたが、「大手のJ事務所のK.T」なんて言うと、ジャニーズ事務所の木村拓哉だと直ぐ分かったのと同じで、セルジュ・ゲンズブールは、InitialsB.B.という曲を作り、ブリジット・バルドーとの離別