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《本日のDVD鑑賞》いよいよ2025年も残り2週間となったが、2025年は3月に元ボクシング世界ヘビー級王者‘BigGeorge‘ジョージ・フォアマンが亡くなられた年。少年期は荒れた生活を送り学校も中退するが、ボクシングを始めると1968年メキシコ五輪でヘビー級金メダル。1973年1月にジョー・フレージャーを2RにTKOで降し全勝でヘビー級世界王座を獲得~1974年10月に、キンシャサの奇跡でモハメド・アリに8RでKO敗けし初黒星を喫し王座陥落。1977年3月に、伏兵ジミー・ヤングに判定
11月5日の出来事1598年(慶長3年10月7日)慶長の役・順天城の戦い:順天城を包囲していた明・朝鮮陸軍撤退する。1757年七年戦争:ロスバッハの戦いフリードリヒ大王指揮のプロイセン軍約22,000が、ヨーゼフ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン及びスービーズ公シャルル・ド・ロアンが指揮する約55,000のオーストリア(ハプスブルク君主国)・ザクセン・フランス連合軍に勝利した。1854年クリミア戦争:インカーマンの戦い1889年パリの自由の女
前回の続き。強打を打つには身体(腰)を上手く回転させる必要がある。しかし、スタミナのロスが大きい。代わりに身体が大きい分、耐久力と押す力で優位に立つ。つまり揉み合いに強い。仮説ではあるがヘビー級の耐久力は身体の大きさに比例するが、パンチ力は100キロ前後が最も威力を発揮するかもしれない。これよりも重いとスタミナ切れを起こしやすく、膝に負担がかかるのでは無かろうか?また、フォロースルーをしっかりすると身体が流れてバランスを崩しやすい。勿論、ヘビー級以外の階級、即ち同じクラスでもパンチ
毎月、買いはするものの読むのが遅いボクシングビート。今月号はジョージ・フォアマン追悼特集があり、そこだけ先に読んだ。フォアマンと言えば象をも倒すと言われたそのパンチ力。史上最強のパンチャー候補としてアーニー・シェーバースとの比較は面白かった。ニックネームが【ビッグ】であるフォアマンだが、現代のヘビー級に比べると並の大きさ………いや、寧ろ小さいかもしれない。シェーバースは小柄。現役時代から小さい。また、他の強打者ジョー・フレージャーやマイク・タイソンも小柄な方。そこで疑問が芽生えた。
一昨日発売されたボクシングビートの表紙↓ジョージ・フォアマンと………………何故か井上尚弥。寺地拳四朗VSユーリ阿久井、アンヘル・アヤラVS矢吹正道ならまだ分かるが意外な組み合わせ。個人的には70年代と90年代のフォアマンを並べてほしかった。後、フォアマンの左ジャブと井上の右ストレートはどちらが強いだろう………なんて頭が過った。階級制スポーツへの冒涜?とは言え頭に浮かんだのは事実だから仕方がない。
ジョージ・ファオマンの伝記映画でした。とても期待されリリースされたのですが惨憺たる興行収入で日本公開は見送られ、配信にいきなり上がってきました。何が起こったのか見てみましょう。世代的にはフォアマンの事は良く知ってます。幼少期~青年期へ、ボクシングを始めるきっかけがまず描かれ、職業訓練校にて様々な人と運命的な出会いがありました。生涯フォアマンのトレーナーを務めたドグ・ブローダスはフォレスト・ウィテカーが演じています。オリンピッ
ボクシング・ビート最新号(2025年5月)購入表紙はジョージ・フォアマン氏。ありがとうビート。本号は偉大なるフォアマン追悼特集となっている。約10ページに渡るフォアマン特集。「フォアマンはヘビー級史上最高の強打者だったか」(三浦勝夫氏)は、ほぼ自分と同意見。フォアマンの親日エピソード。感謝しかない。今月号の「チャンピオンの殿堂」は同じく70年代にヘビー級王座に就いたラリー・ホームズ。フォアマンとの対決が実現したらスリリングなシーンが起
《本日のDVD鑑賞》3月21日に、元ヘビー級王者ジョージ・フォアマンが亡くなられた。貧しい家庭で育つも、メキシコ五輪金メダル~1973年1月にWBA&WBCヘビー級王者のジョー・フレジャーを2RにKOして38勝35KO無敗で世界王者に輝く。さらに2連続KO防衛するも、1974年10月にモハメド・アリにキンシャサの奇跡と呼ばれた8Rに逆転のKO敗け。1977年3月に引退後にキリスト級の牧師となるも、1987年3月に復帰してファイマネーを更生施設の設立や教会の為に使い1994年11月にはマイケ
ご訪問ありがとうございます😊今日はボクシングの話し遅れましたが、ジョージフォアマンが逝去されました。私が世界のボクシングに興味を持ったのが、キンシャサの奇跡ジョージフォアマンVSモハメドアリ私が小学生の時です。あの時のフォアマンは強かった。それに勝ったアリも強かった。あの試合は今でもはっきりと覚えています。あの試合のポスター。高校生まで自分の部屋に貼ってたなぁ。二人とも亡くなってしまった。それと、フォアマンは45才でもう一度世界チャンピオンになっています。あの試合はスポ
にほんブログ村世知辛い世の中だからこそ、、、。こんにちは夢を実現させるために常にあなたと向き合っていくコーチングTêteàtête(テタテットゥ)です。世知辛い世の中です。物価の上昇、なのに給料上がらず。自分のせいじゃないのに自分のせいだと思い込んでしまいそうです。だからと言ってあきらめません。こんな世の中だけど捨てたもんじゃないよ。私の人生など、さほど重要ではない。未来を形成していく次世代の若者にこそ、価値がある。若者が生きやすい社会を
昭和49(1974)年10月30日(水曜)。アフリカ・ザイール共和国キンシャサから独占衛星中継されたプロボクシング世界ヘビー級タイトルマッチ王者ジョージ・フォアマンvs挑戦者モハメッド・アリ(カシアス・クレイ)(NETテレビ)の番宣広告。当然ながら、広告に「キンシャサの奇跡」なんて文言はない。アリが勝利して~奇跡と謳われ、ボクシング界のみならず、米国社会に復権。この試合中に観客席から巻き起こった「ALIBOM-BA-YE!(アリ、やっちまえ!)」の歓声を元ネタに、アリの自伝映画の
偉大なるジョージ・フォアマンが天国に旅立った。私が最もボクシングに熱狂したのは1991年3月から4月にかけての1ヶ月間。1991年3月にはマイク・タイソンVSドノバン・レーザー・ラドックが激突。4月にはイベンダー・ホリフィールドにジョージ・フォアマンが挑んだ。あの夢の様な1ヶ月間のボクシングに対する情熱に比べれば………今の私のボクシングに対する熱量は無いに等しい。例えるならば砂漠の太陽と春のそよ風。いや、それ以上の情熱差があった。ジョージ・フォアマンと言えばモハメド・アリ、ジョー・フ
ヘビー級史上最強パンチャーの一人。元世界ヘビー級王者ジョージ・フォアマン氏が逝去(76歳)。御多分に漏れずハングリーな家庭環境に育ったフォアマンは、16歳の時にボクシングに出会い、わずか2年で全米アマ王者、その一年後メキシコ五輪ヘビー級金メダルに輝いた。プロ入り後も連戦連勝。1973年1月、時の王者ジョー・フレイジャーを計6度倒し(キングストンの惨劇)、38戦目にして世界ヘビー級王座に就いた。その後、東京での防衛戦、ケン・ノートンも瞬殺。「強打フォアマン
「象をも倒すパンチ」元世界ヘビー級チャンピオンのジョージ・フォアマン氏が、3月21日に御逝去されたとのバッドニュースが・・・・・(TдT)享年76歳。心より御冥福を祈りたいと思います。合掌氏について。小生、中学三年時の1973年1月。確か昼間の放送だったので、学校の用務員室でテレビを観た記憶があります37戦37勝(34KO)の戦績を引っ下げて王者ジョー・フレージャーに挑戦2RKOで、タイトル獲得後に「ジャマイカの惨劇」と言われた一戦でした因みに王者は、あのモハ
ボクシングの元ヘビー級王者、ジョージ・フォアマンさん死去76歳モハメド・アリと伝説の試合ボクシングの元ヘビー級王者、ジョージ・フォアマンさん死去76歳モハメド・アリと伝説の試合ボクシングのヘビー級世界王者に2度輝き、五輪では金メダルを獲得、モハメド・アリのライバルとしても語り継がれるジョージ・フォアマンさんが21日、死去した。76歳だった。www.cnn.co.jpプロボクシング元世界王者ジョージ・フォアマンさん死去76歳https://www3.nhk.or.jp/news/
元統一ヘビー級王者ジョージ・フォアマンさんが死去した。76歳だった。フォアマンさんの家族がインスタグラムで3月21日(日本時間22日)に亡くなったと報告した。1968年のメキシコ・オリンピック(五輪)決勝でヨナス・チェプリス(リトアニア)を倒して金メダルを獲得。プロ転向後も世界ヘビー級王座を2度獲得するなど名勝負を繰り広げた。やはりジョージ・フォアマンといえば、【キンシャサの奇跡】と言われたモハメド・アリとのザイールでの決戦!!チャレンジャーの力の衰えたモハメド・アリVS絶対王者ジョー
プロレスラー、アントニオ猪木の入場曲である「炎のファイター」は、1976年6月26日に格闘技世界一決定戦で対戦したプロボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリが、友情の証として自身のテーマ曲を猪木に贈った…と、伝えられていました。実際には、同曲をアリが自身の入場曲として使用した事はありません。この曲は、モハメド・アリが自身を演じた伝記映画である『アリザ・グレーテスト』のテーマ曲だったのです。モハメド・アリは現役のプロボクサー時代に俳優としも活動しています。大半はドキュメンタリー作品であっ
◆ルイス・アルベルト・ロペスが月末の29日に再起戦昨年8月、アンジェロ・レオ(米)に痛烈なワンパンチKO負けでV4を阻まれ王座陥落した前IBFフェザー級王者ルイス・アルベルト・ロペス(31=メキシコ:30勝17KO3敗)が、現地時間の今月29日に地元メキシコのバハ・カリフォルニア州メヒカリで再起戦。試合はスーパーフェザー級10回戦で行われ、対戦相手は同国人のエドゥアルド・モントヤ(31=21勝14KO7敗1分)。レオ戦で10ラウンドに左フック一撃で沈められた“ベナド”
先日記した世界戦ラッシュ。2月24日の二大世界戦(中谷潤人、堤聖也防衛戦)3月13日三大世界戦(拳四朗VS阿久井統一戦、オラスクアガ、岩田防衛戦)の中で3月29日矢吹正道世界フライ級王座挑戦3月30日重岡優大世界ミニマム級王座挑戦また5月28日武居由樹防衛戦は、現状単独世界戦の興行形態の予定。井岡一翔リベンジ戦も同様だろう。いつしか我々は二大世界戦(時に三大)に慣れてしまった。より強い薬を求めるが如く・・・これはある意味怖い
ボクシング・ビート最新号購入表紙は中谷潤人【井上尚弥VS中谷潤人】この日本拳闘史上最高にして最大のカード。実現しなくては後世のファンに顔向けできない。特集ではP堀口VS笹崎~畑山VS坂本までの伝説の試合5つを紹介。この超絶カード。敗者を蔑むファン、識者はいない。勇気ある対決にリスペクトしかない。これが分からずライバル対決、次世代選手から逃走した井岡は最後まで大衆が何を求めているのかが分からなかったな。【井上尚弥VSサム・グッドマン展
前回の続き。来週行われるリカルド・ロペス&大橋秀行のサイン会&撮影会。素晴らしい試みだが………5万5千円は高い。そう思うのはロペス、大橋のサイン入りグローブをお世話になっている方からプレゼントされているからだろうか?↓私は友人に恵まれており、本当に多くの方から様々なプレゼント(映像、サイン入りグッズ、プログラム、記念Tシャツ等)を頂き感謝の気持ちでいっぱいです。さて、本題。私達かお金を出してでもサイン会、撮影会をやってほしいのはこの2名。是非、2月11日にマイク・タイソンとバスター
昭和50(1975)年7月8日(火曜)。それまでの『サイボーグ危機一髪』から改題された600万ドルの男(TheSixMillionDollarMan)(NETテレビ)の番宣広告。改題一発目の特別ゲストは、プロ・ボクシングの元世界ヘビー級王者のジョージ・フォアマン(当時26歳)だった。サブタイトルも「激闘!フォアマン+サイボーグ」と目を引く感じ。ちょうど前年(1974年)10月30日にモハメド・アリに敗れて世界王座から陥落した“キンシャサの奇跡”から間もない時期の撮影と思わ
11月17日金曜日〜その3出嶋さんのBDに抱き合わせで入っていた『クローズアップ現代〜闘魂よいつまでもアントニオ猪木※R4年10月5日放送分』も見る。(写真)"燃える闘魂"やっぱりカッコイイなぁ。こちらは、H6年12月12日、レギュラー出演していたラジオ大阪『どんどん歌謡曲』にゲスト出演して頂いた際の猪木さん。生放送終了後、翌年に控えた北朝鮮での『平和のための平壌国際体育・文化祝典』に向けての記者会見でのひとコマ。(写真)この時点で、猪木さんの対戦相手はハルク・ホーガンが有力でした。それ
Googleアシスタントに『きんしゃさのきせき』って言ってみたら・・・えっ?こんな名前の競走馬がいたんですかこっちが出てくると思ってたんですが・・・ジョージ・フォアマンvsモハメド・アリフォアマンはカムバック時の印象しかないですこんなのを買ってましたペヤング×ウマ娘ゴルシ印のソースやきそば×メイショウドトウの超激辛具材のにんじんたっぷりが気になりますウマ娘はやったことないけど・・・『キンシャサノキセキ』はいるんですか?キンシャサと言ったら・・・SHINSUKEN
アリ/ザ・グレーテスト1977年10月22日(土)公開プロボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメッド・アリの半生を描く。あらすじ1960年夏、18歳のクレイは、ローマ・オリンピックのボクシング部門で金メダルを獲得した。彼の故郷、ケンタッキーのルイヴィルでは、ホリスら百万長者たちが集まり、クレイが世界チャンピオンになるまで後援しようと決定していた。そして有名なトレーナー、アンジェロが雇われる。やがてクレイは22歳になり、チャンピオンとなった。「俺は世界一強いんだ!」。数カ月後、ク
1949年01月10日(月曜日)生まれ結婚する人(パートナー):陰占にパートナー(乙)正妻となる干があります。子供っぽいところもありますが、家系・家庭の中で中心になっています。夫婦は情のある剋しあいをし絆を育む有情剋の関係になります。プライド、自負心、優越感に支えられ、それが気品や良識、責任感そして自尊心となって現れ、時にパートナーや家族と競うところがあります。家族、体制側に立ち、目的に向かうと自制心が働きます。古典的な考え方をするため時代の変化にはついていきにくいのです。出処進退をわき
ボクサーの引き際は様々。ただこの30年で確実にボクサーの心慮は変化した。その昔は世界王座を失うと静かにリングを去るボクサーが何人もいた。これは当時の世界王座価値が高く、希少であり、オプション云々は別にし、おいそれと世界再挑戦機会を得られるという時代ではなかったことも有る。また選手寿命も総じて短く30歳を超えればもう限界という様なバイアスも存在していた。現在ではその流れは一新され、「昔の名前で出ています」的なボクサーも数多く存在している。それが故、ボクサーの引き
やっぱりアリって凄いなぁって思うニュースを昨日観ました2016年に亡くなった元世界ヘビー級王者モハメド・アリのチャンピオンベルトが8億円以上の金額で落札されたらしいですね↓↓↓(゜ロ゜;ノ)ノhttps://news.yahoo.co.jp/articles/0a2bbb16b4cebee5be86ca538c99c7c30a435055モハメド・アリ伝説のチャンピオンベルト、8億2000万円で落札される5年前から50倍の暴騰(ENCOUNT)-Yahoo!ニュースボクシングの
今日は、ボクシングに興味はなくてもその名を知る人が多い、そして昭和世代のボクシング・ファンには忘れられないであろう元WBA・WBC統一世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリMuhammadAliの命日、日本流でいうなら七回忌にあたります。アリ(イスラム教に改宗前はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア)は、1942年にケンタッキー州ルイビルで生まれました。小学生の頃、父親からバースデー・プレゼントでもらった自転車を盗まれて警察に届け出た際、応対した警
前回の続き。日本はボクシングファンと言うよりボクサーファンが多い。これは某最大手ジムの某代表とお話をした時に仰っていたが全く同感だ。過去にモハメド・アリ、ジョージ・フォアマン、レオン・スピンクス、マイク・タイソンが日本のリングに上がったがそれはヘビー級だから。中量級のスターが外国人選手を相手にリングに上がる事は基本的にない。あっても所属は日本のジム。外国人選手同士の試合はチケットが売れない、と昔から言われている。最後に日本のリングに上がった外国人対決のビッグイベントはジョージ・フォアマン