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旦那と亡き前妻の間には子供が3人いる。今、その長男(44歳)が肝炎。長女(39歳)がマイコプラズマ肺炎に罹患している。旦那が心配して心配してまあ、子供のことだから親が心配するのは当たり前だが、私に言った「言葉」にひっかかっている。「お前の時も心配したべ?」たぶん、13年前の私が「クモ膜下出血」で倒れた時の事を言っているんだと思うが、確かに毎日、見舞いに来てくれたがだったら、お前よー私の頭を殴るなよ💢4ヶ月前に私はお前から暴力受けたんだよ!しかも、大事な「
10月7日松山は地方祭。みなと食堂は定休日で休みですが、二男は注文のオードブルやもつ鍋をせっせと用意していました。私はなぜかこの時期、家の中をいじるのが常のようです。何年か前には部屋の壁、ペンキ塗ったり。今日はミシンやアイロンの部屋を模様替え。昭和56年に家族で泊った高知第一ホテルの領収書や義母がタクシーで整体に通ったときのタクシー1か月分領収書も出てきた。タクシー代だけで58,500円。13回。治療費は別。保健利かず。絶対よくなったり直ったりしない、と思っていたけどあとで行かしてくれんか
ごあいさつProfile(2024.10.5.更新)静岡市葵区北沼上(きたぬまがみ)築130年以上の古民家(夫の実家)に居住しながら古民家リラクセーションスペース麻陽〜あさひ〜を主宰しております、紡愛司(つぐみし)・しおざわまいこですわたしについて、自己紹介を致します。1967年うまれ静岡市駿河区八幡出身●娘2人を育て、それぞれ独立しています。●長女は地元の進学校卒業後すぐに結婚!彼女には今、7人の子ども、中1、小5、小3、小1、年中、令和3年生まれ(→生まれつきの
今日はこれから年に一回の「脳のMRI」撮影に行ってくる。「クモ膜下出血」で倒れてカテーテル手術によりコイルが詰まっている。そしてその4年後に違う血管にあった小さかった瘤が大きくなってしまいまた手術をする事になった。位置的にカテーテル手術は無理だと判断され開頭手術をした。クリップで留めてある。だから頭の中には二箇所、血管を修復した痕跡がある。年に一回新たに瘤ができていないかコイルとクリップはしっかり固定されているかを検査する。昨日、旦那がしんみりと
最初の結婚をするまでが私の「第一の人生」母親になり火事、娘の病気によって価値観がガラッと変わり「命」が一番大切なことに気づき、そして最初の離婚までが「第二の人生」再婚して「クモ膜下出血」から生還し生かされている事に感謝できるようになり、義母と義兄と同居しながら「暴れん坊」をコントロールしている今が「第三の人生」そして皆んな、あの世に旅立って私が「自由」になるのが「第四の人生」どこで暮らそうか?何をしようか?すごーく楽しみ!
三途の川があって彼岸には花が咲いていて‥‥というような事はなくただ、ただまっくらな「無」の世界だった。突然パッと目が開き目の前の壁掛け時計が見えた。「5時25分」外は少し明るい。夕方の5時なのか朝の5時なのか分からない。まず最初に思ったこと!「娘の学校に迎えに行っていない」💦「どうしよう?」すると看護師さんが来て「職場で倒れて、手術も終わりました。覚えていらっしゃいますか?」と言われた。倒れた翌日の朝、5時だった‥。20時間「無の世界」にいたらしい‥
一昨日だったかな?朝から2人でゴルフに行って「蚊」🦟のせいで最悪のスコアになりw帰宅後「ヤケ酒」に逃げた旦那w6月に私に暴力をふるった事を「深く反省している」と改めて言っていた。32年前に亡くなった前妻にも暴力をふるったと‥。やっぱりネ💦当時は旦那も若かったから今よりももっと「暴力的」だったんだろうナ💦「暴力」が直接の原因で前妻は亡くなったわけではないけれど日々、感じる「心理的ストレス」で持病が悪化したのだろう。私は14年前に「クモ膜下出血
2019年7月16日のリブログ記事です平成3年2月に69歳の誕生日を迎えた母その翌月3月15日にクモ膜下で突然死…69歳で他界した母への思いを綴る突然死と書いたが…その前に予兆があった。それを見落とした私は、今でも悔まれるその何ヶ月か前にバス停で立ってる母に自転車がぶつかって来て、ビルの壁に顔面を思い切りぶつけたらしい。顔半分が大きく腫れた状態で、整形外科に行ったと、電話があり迎えに行った。左瞼から頬あたりがお岩さんのように腫れていた。失態その1…その時なぜ脳
毎年一度は必ず買う花が有るそれは花かんざし風邪が吹くとサワサワと音がして揺れる様も可愛い手で触れるとカソッと乾いた音がする生花とは思えない不思議な花弁白い小さな花が次々咲いて可愛らしく私は大好きな花花かんざしこの清楚な小さな花が大好き3月11日は東日本大震災の日故郷岩手も大きな被害を受けた13年経った今も辛い思いをしている人が沢山居ると思
明けましておめでとうございます。能登半島地震で被災されてる方々が1日も早く安心して暮らせますように。会社で支援金を募っていたのでほんの少しだけですが支援の希望を出しておきました。2024年1月の分配金は10,709円でした。再投資設定になってるので特定口座での買い付けです。11,709口増えましたこんな感じです。↓↓↓↓↓↓基準価額も上がってるのでトータルリターンは増えてます。ちょっと上がりすぎな気もしますが旧NISAが終わって燃え尽き症候群風な感じに
ここぞと言う時、願いが叶う神社仏閣をご紹介させてください。2年前に、妹がクモ膜下出血で倒れました。私が病院に着いた時には、死ぬ確率50%、生存しても、下半身麻痺と言われて、ショックでした。それから、一ヶ月、生死の境を彷徨う妹、毎日のように、浅草の待乳山聖天様にお祈りに行きました。妹には、たくさん子供がいるので、助けてくれと、どうか、命だけは、お願いします。助けてください。と祈り続けました。その後、妹は、1ヶ月後、意識を取り戻しました。しかし、失明していました。更に、聖天様
HLMちゃん、おめでとうございます2006/03/08HLM様お誕生日、おめでとうございます。すっかり忘れていました。しかしいつも元気一杯なのに、退職されるのはどうしてですか?引退ですか、それとも何か新しいことでも始めるのですか?15年間も勤めていたとは、思いませんでした。私が大学に務めて13年ですから、それより古いのですね。ところで三月には、Z子の姉の誕生日もあります。HLMさんと同年同月の生まれです。彼女は後数年、TZ真珠
(この記事の写真は本文の内容との直接の関連はありませんが、賑やかしに入れています。)先日、会社員時代の友人と飲む機会がありました。わたしと同い年の人ですが、コロナ禍以降会っていなかったので、4年振りか5年ぶりだと思います。元気だった?とのわたしの問いに、実は死に損なったとの答えが返って来ました。わたしは全然知らなかったのでびっくりです。退職した年の12月になんとクモ膜下出血で倒れ、四日間意識不明だったそうです。よく聞く頭が割れるような激しい痛みでは
気圧変更がありすぎてますね(・_・;なんか今日の頭痛は今までの気圧変更よりも酷いみたいで思わず久々に頭痛薬飲みました。動脈瘤破裂重症クモ膜下でVPシャント8年目の影響がで始めたのかな??とちょっと心配😟後悔のないその時に感じたことをする❣️と決めて楽しく過ごします😃
今日はいい天気。昨日やり残した神社参道の草払いを終わらせました。集落事業をあれこれやって。今日は妻がクモ膜下出血で倒れた日。生まれ変わって14歳。14歳だけどワインとお寿司で2度目の誕生日祝いでした。脳疾患は通常の病気と異なり身体・思うようにできないという後遺症が残る場合が多いですが、予防できる場合もあります。思うように話せない、思うように身体が動かないことは想像以上に辛く、介護者が必要になります。55・60・65歳と5年毎での脳検診をお願いします。今日も訪
こんにちは!看護部です!毎年、10月29日は「世界脳卒中デー(WorldStrokeDay)」とされています。これは、2006年10月、南アフリカ共和国ケープタウンで開催された脳卒中国際会議で、世界脳卒中機構(WorldStrokeOrganization,WSO)が結成されたことを記念して宣言されたものです。世界脳卒中デーの目的は、脳卒中予防に関する普及啓発を行うこと。脳卒中に関する正しい情報を発信することとなります。脳卒中の発症者は全世界で1年間に1700万人に
私が脳神経外科医になって21年が経とうとしております。なぜ脳神経外科医になったか、、それは、私が小学校2年生の時、おじさんA(当時37歳)がクモ膜下出血で一晩で亡くなったこと、そして、その時のお通夜での出来事がきっかけ。そうして、もう一つ衝撃的な出来事。別のもう一人のおじさんB(当時40歳)が私が小学校高学年の時に同じくクモ膜下出血で倒れ、手術をして九死に一生を得たときにお見舞いに行った時の出来事です。おじさんAは自らの異変に気付き、自ら救急車を呼び着替えながら、実
投稿ネタです。入院した経験あ~ありますね。まずは子ども達の出産で3回。そのうち次男の時は早期胎盤剥離で緊急入院、緊急帝王切開で母子ともに危険と言われ、バタバタだった記憶があります。そんな経験があったので、三男の時は次男が整形外科で通院していた大学病院にして自分から帝王切開での出産を希望しました。あとはクモ膜下出血での入院。意識がない日が何日かあり、その後はせん妄で最後の一週間くらいかなぁ。意識がハッキリしていたのは。その1年半後にカテーテル検査で検査入院しました。
先日のブログの後こんな話も出ました。九死に一生で戻ってきた方が目が覚めるなりこう言ったそうです。「どうして起こしたんだ」見てる人にとってクモ膜下出血で倒れてる人を見ていると苦しそうに見えるが、本人の中では脳内の信号が狂うようで痛みや苦しさはないそうだ。起きた方が体のあちこちが痛いし、一部体の機能が麻痺したりしているからだ。眠ったように寝ている間や苦しそうに見えても本人にはそうとは限らないらしい。でも別れが出きるのは、ガンなんだろうなぁって考えさせられま
夫は家に帰ってから寝室にひたすら引きこもり、はじめは私の作った食事を食べていました。ものすごく食事に気を使いました。血圧計も買いました。しかし、しばらくすると、また「味が薄い」と言って外食やコンビニ弁当を食べ始めたのです昼はラーメン屋に行き、しょっぱいスープまで完食3ヵ月に一度の定期健診も、結局一度行っただけでした。それから3年経ち、「頭が痛い」と言って行ったのはつい最近ですちょうど夫が家で療養を始めた頃は、コロナで学校が全国的に一斉休校
こんな完全復帰は、クモ膜下出血を起こした人の何分の1だろう。その日死ぬかもしれなかった命。後遺症がどこにも残らなかった奇跡。それをイマイチ理解していない男私の仕事つながりの知人は、私の友達でもなく、夫に会ったこともないのに、夫のことを心配してくれて、無事退院したと伝えた時は声をあげて(その人の職場で)号泣して喜んでくれました。私、そういえば気を張りすぎて一度も泣いてなかったわもらい泣きして、その人の優しさに感謝しました。私に関わる人、みんなみ
なんか訪問する方が減らないな~と思ったら今回のシリーズもアメトピに載っておりました他のブログの病気の話は私も読んでいてハラハラします。ただね。。。ここからオチが始まっていくというのに、初めて読んだ方には申し訳ない私のブログは何から何まで深刻なようで、後から深刻ではなくなるんです。そういう性格なのでイェーイ夫が携帯を持った。これから歩く訓練をするが、とりあえず言語や記憶の部分は問題なさそう。そう義母に告げると、さっそく義母が息子に電話をかけ
手術は(一応)成功。脳の中に5cmほどの動脈瘤があり、それが破裂したため、クリップで止めたということでした。ということで、同じ個所に動脈瘤は二度と出来ないそうですが、血管がもろくなっていることは間違いない手術後、夫は手足を4本頑丈にベッドに縛り付けられました。頭もベッドにしっかりと固定まだ意識が混とんとしている中で、頭から出ている管を抜いたり、暴れたりする恐れがあるからだそう「ということで、私物は一切いりません」と言われ、コロナ禍のため様子を見
結局、11時間ほどの大手術を経て、夫は生還しました。集中治療室に5分ほど通してもらいましたが、そこには衝撃すぎる姿が。。。頭のこめかみからおでこを通ってこめかみまでメスで切り開かれて頭蓋骨を出されていたらしく、その切った部分がホチキスで何十カ所も止められていたんです。フランケンも真っ青。。。こんな感じで切ってた。グロ過ぎた医者ってすごいしかも、そのホチキスの間からは何本も管が出ている。透明な管は真っ赤に染まり、管の先は床に置かれたバケツに向かっていて、血が
何かいろいろなものに署名させられ、その後、手術が始まりました。おそらく8時間くらいかかるだろうと全力を尽くすが、生きて出てくるかすらわからないと釘を刺されました。。。コロナ禍になった年で、病院自体が一般人の出入り禁止だったので、待合室から出ないことを厳命されました。実は私、いろいろワケあって丸2日眠っていませんでした。で、ようやくこれから寝ようと思っていた矢先に、病院から呼び出しされたのです。人って48時間寝ていないと、もうわけがわからない
クモ膜下出血と診断され、緊急手術することになった夫。私は事故らずになんとか病院に着くことができましたが、案内された先には意識不明でストレッチャーに横たわる夫の姿が。。。「血圧が上がって頭の中の血管が切れたので、眠らせて血圧を下げている最中です。今のところ安定はしていますが、このまま手術まで目が覚めることはないので、お話はできません」と看護師から説明を受けました。とりあえず生きてた。。。しかしその後、医師から衝撃の説明が。「クモ膜下
先日の私の就活話が、アメトピに掲載されました『私の就活の結果は。。。③』ハローワークでは、履歴書の他に「職務経歴書」というものを書かされました。文字通り職務経歴の他、活かせる能力この頃、もう5~6回ハローワークに足を運んでいた…ameblo.jpアメブロスタッフさん、私のみっともない体験談を載せてくださってありがとうございますこの話にからめて、ひとつ、あえて書いてこなかった話を私、それなりに稼いでいたので、別に新しい仕事を見つけなくても良かったんです。
☆此度紹介致す店は在りし日の名店とは些か趣が異なりまする、がしかしこの店の元オーナーの為にその名を留め置きたいのじゃ!焼鳥もりしたの長兄が長年やりたいと願うておられた焼肉屋、何とそのオープンの日に長兄はクモ膜下出血を患い店は一日で終了。前以て開店日を聞いておった拙者が訪れ、もりした長兄の夢の実現を確認したのじゃ。真新しい焼き台に真新しい食器類、命こそ助かったものの長兄の夢は一日で潰えたのじゃ。じゃが流石はもりしたの至宝と称された長兄じゃ、肉を見極める目は一流でござった!今では長兄もの