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マレーシアのお土産の定番として、有名な、キャメロン高原で生産される、BOH紅茶をご近所の方から、いただきました。一流ホテルやオリエント急行でも使われているとか…。アイスティーを作っても、濁らないそうです。マレーシアには30年前ぐらいに家族旅行で行ったけど、その当時、そんな有名な紅茶があるなんて、知らなかったわ。
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お待たせしました。箱根ルネ・ラリック美術館の豪華列車「オリエント急行」の食堂車での貸切ランチを紹介します。食堂車内は綺麗な絨毯が敷き詰められ、ヨーロッパのどこかのホテルのレストランを思い起こさせるような豪華な雰囲気で窓際の壁にはルネ・ラリックのガラス工芸品が飾られていました。運ばれてきたフランス料理はどれも飽きさせることなく、今までに食べた経験のない美味しい味の連続でした。デザートも夏らしい雰囲気の爽やかなあじさい風仕立てのもので美味しくいただきました。にほんブログ村世界遺産
今回のツアーの最大のイベント、箱根ルネ・ラリック美術館のレストラン奥に設置された豪華列車「オリエント急行」の食堂車内での貸切ランチの場所にやってきました。時系列的にはランチは美術館見学前にとっていました。美術館が買い取った本物のオリエント急行の食堂車が今回のレストランでした。ランチの内容は次回に廻します。今回はランチの後にめっちゃ撮り鉄したので先ずはその写真から紹介します。(この展示車両は第二次世界大戦後、戦前のオリエント急行を復元した観光列車だそうです)注釈)オリエント急行の起源
御殿場の登録有形文化財・東山元岸邸の見学の後は箱根ルネ・ラリック美術館の見学と美術館内に置かれた豪華列車「オリエント急行」で貸切フレンチのランチでした。先にランチでしたが、ここでは順番を逆にして美術館から紹介します。美術館のロビーホール以外の場所の展示物は撮影禁止でしたので物足りなさはありますが、ルネ・ラリックのガラス芸術の片鱗が伝わればと思います。にほんブログ村世界遺産部門のランキングに参加しています。このブログが気に入ったら1日1回、こちらに応援クリックして頂けると嬉しいで
あの栄華はどこへ?現代の「オリエント急行」の実態乗客30人だけ、「走る社交場」は庶民の列車にあの栄華はどこへ?現代の「オリエント急行」の実態乗客30人だけ、「走る社交場」は庶民の列車にかつて華やかなオリエントエクスプレスが走ったソフィア―イスタンブール間。今では、その名残をかろうじて残す夜行列車「イスタンブール・ソフィアエクスプレス」が静かに運行されています。国境や時代を越えて受け継がれる鉄路の現状に、あなたは何を感じますか。本文に関連した写真は【写真を見る】からご覧いただけます。toyo
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ベネツィアに初めて訪問したのが、1984年3月。それ以来、何度もこの地を訪問した。ベネツィアに向けては、多くの機会に夜行列車を利用していた。早朝のベネツィアサンタルチア駅に向かう線路はアドリア海に直線に伸び、この時間両岸の海を見ながら、ベネツィアへの旅情を掻き立てた。時には、その周辺には、霧が発生して海と列車を覆い、凄く幻想的な景色だった。1989年6月に結婚した。院生の時だった。貧乏学生でありながら、新婚旅行は欧州を選択。ユーレルユースパスを使い、アムス、ブルージュ、ベネツィア、ミラノ
イスタンブールの殺人エリカ・ルース・ノイバウアー豪華客船オリンピック号で、イギリスから実家のボストンへ帰ってきたジェーン。もちろんレドヴァースも一緒。オリンピック号で遭遇した事件により2人の関係はより親密なものになり、この度、ジェーンの父ヘンリーに婚約者としてレドヴァースを紹介するつもりなのだ。しかし実家にヘンリーの姿はなく、どうやらしばらく家を空けている様子。銀行からの督促状を見つけたジェーンは、ヘンリーが銀行から家を担保に多額の借金をしていることを知る。ヘンリーは歴史学者として
何度も訪れている箱根ですが、美術館が多くてまだみていない場所があるのです。今回の箱根旅行では仙石原の「箱根ラリック美術館」に行ってきました。19世紀時代に活躍したフランスの「ルネ・ラリック」の作品の展示美術館。工芸作家というのでしょうか花瓶や香水瓶他アール・ヌーボ、アール・デコ時代に活躍したルネ・ラリック作品を1500点も展示した美術館。オリエント急行の内装も手掛けたようで、古いオリエント急行の実物があって、その急行列車の車内でお茶タイムを楽しんできました。日本人実業家が時間とお金を
.本日ご紹介はこちら!この商品は「ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行」の鉄道模型です。1988年に日本を走ったオリエント急行を記念して、日立製作所から配布されたノベルティグッズです!模型好きさんにはたまらない商品ではないでしょうか?
以前本ブログで、旅行ポスター風の画像をAIに作成してもらってアップしていましたが、今回は他社(G社)のアプリで、戦前、いわゆる1920-1930年代(第一次世界大戦から第二次世界大戦の間ぐらい)のオリエント急行の黄金時代のイメージポスターを作成してもらいましたのでアップしたいと思いますまずは、↑英国の旅行会社の店内に貼り出すポスターのイメージで(英国内にもオリエント急行に接続する列車・連絡船があったのですよね)↑パリ・リヨン駅のイメージで↑
期間限定で箱根仙石原のラリック美術館にある「オリエント急行」でディナー。ラリック美術館には何度か訪れていてオリエント急行の存在は知っていて、アフタヌーンティーをしたいと思いましたが、毎回時間が合わずにいましたが、今回貸切でディナーをいただけるということで参加しました。ウエルカムドリンクは、青いゼリーにイエローのンアルコールを入れ、生クリームをのせて自分でオリジナルのカクテルと作ります。オリエント急行は「青いプリマドンナ」の愛称で親しまれています。
「007~ロシアより愛をこめて」1963年作品監督=テレンス・ヤングタイトル音楽=FromRussiaWithLove(インストゥルメンタル)ジェームズ・ボンド/ショーン・コネリーボンド・ガール/ダニエラ・ビランキ2012年ロンドン五輪の開会式の演出にも登場したジェームズ・ボンドを主人公と映画「007シリーズ」の、第2作は、日本の初公開時には「007危機一発」という邦題がつけられていました。イアン・フレミングの原作では、東西冷戦の状況を反映した英国秘密
日記ブログにご訪問ありがとうございます😊雨のこちら地方です☂️朝早く起きてサッカー⚽️の試合を見たくてテレビのタイマーしておきました。…が車の中で寝ちゃっていたので寝れなくてサッカー特集見たりで大谷サン一打席めまで起きちゃっていて💦ほとんど寝てないので仕事中寝ないか不安ですが←えっ最後また日本同点🇯🇵❣️までもってこれたときは嬉しすぎて叫んでました🙌スポーツでパワーもらえます箱根旅行備忘録です。御殿場プレミアムアウトレットでロイヤルコペンハーゲンを買って
探偵小説は江戸川乱歩とルブランしか読まないので、アガサクリスティは初めて。登場人物はかなり多いのでメモを取りながら読みすすめるが、結局それは役に立たなかった。ラストは予想外の展開だった。しかしつっこみどころもあり、すっきりしなかった。推理よりも興味をひかれたのは、アメリカ人の扱いである。まだ戦後ではなく、一応大英帝国の威厳が保たれているのでアメリカ人は軽くあつかわれている。まあイタリア人はすぐにナイフを取り出して刺すという表現もあったが。オリエント急行といえば上流階級が乗る
先日、カトーさんから発車したオリ急装飾のデゴイチ。2016-DD51498オリエントエクスプレス’88¥14,6302026年5月発売●D51498号機は、昭和15年(1940)に製造され、本州各地で活躍し、昭和47年(1972)に廃車となって上越線・後閑駅前で保存されていましたが、その16年後の昭和63年(1988)11月にJR東日本の手で動態復活を遂げ、全盛期さながらに活躍を再開しました。その復活最初の牽引列車が当時来日中だった話題の「オリエントエクスプレス’88」で、その国内
●メインキャラクタージャクリーン•ゴルディスさんの『メインキャラクター』読了いたしました。大好きなオリエント急行が舞台になるということがきっかけで拝読しましたミステリというよりかは、壮大な歴史小説として面白く読めました壮大過ぎて、めっちゃ時間かかりました訳は読みやすいですので、挫折はしにくいと思いますけど最後の一文が印象的で、心に沁み渡ります身近なところで本格ミステリマニアの方との貴重な出会いもありまして最近、少しご無沙汰していた“ガッツリ本格ミステリ”をまた拝読して
美しい地球を旅するあなたへ飛行機でビュン✈️と行ける時代になったけれど、やっぱり列車の旅は楽しい。新幹線に食堂車があった時代、憧れましたね😍ワゴンいっぱいに詰め込んだ食べ物や飲み物を売りに来るのも楽しみで😋高校時代、よく一人で新幹線に乗っていたのですが、隣のおばちゃんがアイスを買ってくれたりして🍨今となっては懐かしい思い出です。さて今日は、フィリップ・スパークのオリエント急行という吹奏楽作品を。その昔、フランスからトルコを結んでいた豪華列車🚂スケール感が
七分間に及ぶ取っ組み合いの激闘シーンが見もの!たしか小学五年生のときだったと記憶している。自分たちの教室ではなくて、そのときは低学年の教室の掃除を担当していた際に些細なことで級友と喧嘩になった。それは漫画本の貸し借りが絡んだトラブルが発端であった。最初は互いに罵倒し合っていたのだが、興奮してどちらからともなく手が出てその場でどったんばったんの取っ組み合いの喧嘩になった。喧嘩が始まっても周りの級友たちはまったく無関心で、誰も間に入って止めようとはしなかったし関わろうともしなかった。元気
オリエント急行の「時刻表情報」を、淡々と追いかけていくシリーズです。本章では、1980年代までとはやや異なる観点からオリエント急行を見ていきます。それまでの章では主に時刻や編成の変化を中心に追ってきましたが、1990年代以降になると列車の運転区間そのものが大きく変化していきます。ここではその過程をたどりながら、列車の役割がどのように変わっていったのかを見ていきます。►再掲:このブログで行うこと目次ご覧になる際の注意事項ブダペスト止まりの時代(1991年)「残像」としての
💕今年も年末に寄付いたします💕箱根エモア・テラス【PR】ラリック美術館に併設されているレストラン箱根エモア・テラスをご紹介します。2023年3月にリニューアルオープンしました。美術館に入館しなくても、レストランだけ利用することも出来るんですよ。別荘や企業の保養所も多いエリアなので、モーニングに訪れる方も多いそうです。営業時間は9:00~17:00モーニングメニューはこちらです。1,760円からと箱根でこのお値段?ビックリです
オリエント急行の「時刻表情報」を、淡々と追いかけていくシリーズです。1980年代に入っても、運転区間そのものに劇的な変化があったわけではありません。パリ〜ブカレスト間という大きな枠組みは保たれたまま、その内側で運転時刻や編成内容が少しずつ調整されていきます。そのため今回は、運行時刻と編成を中心に、この10年間で何が動き、何が動かなかったのかを丁寧に確認していきます。対象は1980年夏ダイヤから1989〜90年冬ダイヤまでの約10年間です。ひきつづき、手元にある時刻表をデータ化し、その
💕今年も年末に寄付いたします💕箱根ラリック美術館【PR】箱根にあるラリック美術館をご案内して頂きました。ラリック美術館は2005年3月開館、敷地面積3,500坪ジュエリーとガラス工芸の至宝アール・ヌーヴォーとアール・デコの両時代で活躍したルネ・ラリックの作品が約230点展示されています。繊細なブローチや髪飾りなどの宝飾品から、優美な香水瓶や花瓶まで、女性に人気の高い麗しいコレクションが揃っています。お金が戻るロッカーあり、手
行きました。ルネ・ラリック(1860~1945)は、繊細なガラス工芸家としてアール・ヌーボー、アール・デコ時代に活躍されました~先日、NHK日曜美術館にて紹介されていましたが、フランス・シャンパーニュ地方の小さな街に生まれたルネは、パリでジュエリーの修行をし、22歳で独立しました。↓玄関ホールの照明です。当時、電気が登場し、彼はガラス工芸に電気の光を使い、新たな光をあてたそうです(^^♪彼は宝石よりもデザインを重視、モダンジュエリーの先駆者と言われています←特別展「ルネ・ラリックにみる日本と
3日、東京・西新井のギャラクシティにある西新井文化ホールにて、めんぼうブラス第2回定期演奏会が行われました。昨年ゴールデンウィークに開催された第1回定期演奏会ではコンセプトを決めずに実施したとのことでしたが、今年は「ComeBack青春」をコンセプトに行うといった趣向が凝らされました(藤田智也団長の挨拶による。プログラムに掲載)。指揮者はめんぼうブラス常任指揮の毛浩淼(もう・こうしん)さん(東京音楽大学指揮科在学中)が担当。藤田智也さんもフィリップ・スパーク作曲「オリエント急行」ほかで指
オリエント急行の「時刻表情報」を、淡々と追いかけていくシリーズです。1969年後半から1980年代にかけての動きを見ると、ブカレストへ延伸運転がはじまった点が大きな変化ではありますが、それ以外は細かな変化が積み重なっていく時代となります。そのため今回は、運行時刻と編成に軸足を置きながら、列車の姿がどのように移り変わっていったのかを見ていきます。対象は1960年代後半から1970年代にかけての約10年間です。紙面の都合もあり、手元にある時刻表をデータ化し、その内容を整理・分析した
新しいシリーズを立ち上げました。過去記事でオリエント急行を取り上げたことがあったのですが、今回は「時刻表情報」を淡々とおっていく、というまたしても地道なテーマです!ここからは、さらに時代をさかのぼり、1950年代から60年代のオリエント急行を見ていきます。ただし、この時期については手元にある時刻表の点数が限られています。年代ごとに連続して追えるわけではなく、いわば断片的な資料をつなぎ合わせる形になります。そのため今回は、後年のように細かな比較や傾向分析を行うのではなく、まずは紙
新しいシリーズを始めます。過去記事でオリエント急行を取り上げたことがあったのですが、今回は「時刻表情報」を淡々とおっていく、というまたしても地道なテーマです!►私のまとめたオリエント急行ブログシリーズを開くオリエント急行とは?オリエント急行は、19世紀末に誕生したヨーロッパの国際列車の名称。もともとはパリと東欧方面を結ぶ長距離列車として登場し、国際寝台車会社であるCompagnieInternationaledesWagons-Lits(CIWL、ワゴン・リ