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エディット・ピアフは、幼少期、決して恵まれた環境で育ったわけではなかった。母のリーヌ・マルザは、ストリート・シンガーをしていたが、家庭的な女性ではなかった。曲芸師だった夫のルイ・ガッシオンが戦争に召集されると、生まれて数ヶ月の娘を母親(エディットの祖母)の家に預けてしまう。これは育児放棄だった。つまり、エディットは、母に捨てられたのだった。不幸はそれだけではない。父の祖母のもとに引き取られ、ノルマンディーで育つことになるが、或る日突然、目が見えなくなってしまったのだった。だが、こ
エディット・ピアフは、伝説上の人物だ。ストリート・シンガーから世界の歌姫へ上りつめたこと自体、驚くべきことだが、事実に尾ひれがついて語られることも多い。さらに、ピアフ本人が自ら作り話をしている部分も否めない。ピアフの生家であったアパルトマンには、大理石のプレートが掲げられていて、そこには「この建物の入口の階段でエディット・ピアフが生まれた。」と刻まれている。つまり、路上で生まれたと言うわけだ。それは、本当なのか?noteの連載(第一回)で詳しく解説しているので、ぜひお読みい
エディット・ピアフの生涯についてnoteに連載しているのですが、本日から2週間、無料公開いたします。既に1~5をアップしています。ぜひ、この機会にお読みいただければ、と存じます。エディット・ピアフ1路上に生まれて|十川ジャンマリ路上で生まれた歌姫エディットエディット・ピアフは現代風に言えば、ストリート・ミュージシャンということになるだろう。通りで何年か歌っていてスカウトされて、キャバレーの専属歌手となった。まさに、路上から生まれた歌姫である。ところが、そういう意味
エディット・ピアフの生涯についてnoteに連載しているのですが、無料公開に先立って、私がこの連載を始めることになった理由について書いております。ぜひ、この機会にお読みいただければ、と存じます。エディット・ピアフの生涯を書きたい|十川ジャンマリピアフとの出逢いは偶然だった私の父は、自宅のステレオセットでクラシック、特にモーツァルトを聴きながら、フローベール(Flaubert)の小説をフランス語で読むような静かな人だった。一方、母は、フランス映画のファンで「望郷」のジャン・ギャ
【マリオン・コティヤール】MarionCotillardフランスの女優。2007年の『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』でエディット・ピアフ役を演じ、第80回アカデミー賞主演女優賞も受賞した。生年月日:1975年9月30日出生地:フランスパリ職業:女優ジャンル:映画活動期間:1993年-《主な作品》『TAXi』シリーズ『ロング・エンゲージメント』『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』『NINE』『インセプション』『君と歩く世界』『ダークナイトライジング』『サンド
エディット・ピアフの生涯についてnoteに連載しています。有料(百円)での講読となっておりますが、多くの方々にぜひ読んでいただきたいと思いました。そこで、ピアフの命日である10月10日の前後1週間(10月3日から10月17日)、一部(1~10)を無料で公開いたします。(一種のキャンペーンです。)ぜひ、この機会にお読みいただければ、と存じます。なお、昨日、エピソード21をアップしております。現在、マルセル・セルダンとの恋愛について書いております。エディット・ピアフ2
エディット・ピアフの生涯についてnoteに連載しています。今、一番難しい箇所を書いています。それは、マルセル・セルダンとの恋愛についてです。エディット・ピアフの生涯は、この短い期間の中身の濃い恋愛が一つのクライマックスなので、少しずつ慎重に筆を進めています。セルダンの飛行機事故死の後のストーリーについてばかり書こうとする作家がおられますが、もちろんドラマチックな展開ではありますが、彼らの恋愛を書かないで、突然亡くなった後のピアフの動揺ばかり描写してもあまり意味がないと思ってお
先日(9月14日)、カトリーヌ・ランジェががこの世を去りました。彼女は、私と同い年で、1980年代以降、新しいシャンソンを創作し、パフォーマンスした人でした。歌や踊りだけでなく、作詞、企画・構成、そして演技力もずば抜けて才能のある人でした。我が世代の「エディット・ピアフ」と呼んでもよいかもしれません。日本では、あまり知られていないと思い、noteに「新しいシャンソン」とはどんな風だったか、カトリーヌがアーティストとしてどんな活動をしたかを詳しく書きました。ぜひ、お読みください。
セリーヌ・ディオンがパリ郊外のステージで6年ぶりに復帰しました。大袈裟に言えば、それはシャンソンの復活でもありました。なぜなら、セットリストを見れば、フランス語の歌が6割を占めていたからです。カナダのケベック州生まれのセリーヌは、もともとフランス語で歌っていました。そして、若い頃からパリをはじめフランス全土でツアーを行っていました。英語で世界的ヒットをとばすようになったのは、後のことです。その彼女が復帰の場所をパリに選び、フランス語で歌う、しかも抽選でチケット販売し、一夜で33千人を集める
セリーヌ・ディオンがパリ郊外のナンテールのプレニチュード・アリーナ(パリ・ラ・デファンス・アリーナ)」で復活コンサートを成功させました。会場を埋め尽くした約33千人の観客の前に、その人はついに姿を現したのです。私には、どうしても、病と闘いながらステージに上がり続けたエディット・ピアフが重なってしまいます。詳しくは、noteをご覧ください。セリーヌ・ディオン、どうしてパリ?|十川ジャンマリセリーヌ・ディオンが6年ぶりにステージに復帰した。でも、なぜその会場がパリ近郊だったのか?彼
明日、月曜日の朝はニューハッスルミュージックBS126:30~7:00(群馬テレビ毎週水曜日9:00~9:30)明日のゲストは加藤登紀子さんですハルピンでのコンサートのお話や9月23日のスペシャルコンサート「ピアフを歌う」フランスの国民的シャンソン歌手だったエディット・ピアフについて熱い思いを語って下さいましたほろ酔いコンサートも楽しみですね明日の朝、是非ご覧下さいませ
今日も雨模様でスッキリしない天気です。ただ気温が低いので助かります。昨夜エディットピアフ愛の讃歌の配信をみつけ観させていただきましたよー。いや正直ピアフの生き方に賛同はできませんでしたがそう言う人生もあるんだなと映画的には良かったです。そう言えばシャンソンのCDどこかにあるばず。今度探して聞いてみようと思います。大体のニャンルーティン。昼近くになると棚ベッドで爆睡。んー、可愛い❤️では皆様本日も天候と体調に気を付けてくださいねm(__)m
「Improvisation"HommageaEdithPiaf"~即興曲第15番ハ短調~エディット・ピアフを讃えて」「フランスの象徴」とも言われたシャンソン歌手:エディット・ピアフに捧げられた曲。エディット・ピアフの代表曲としては、「ばら色の人生」、「愛の讃歌」が有名。素朴な中に内に秘めたひっそりと輝く光そんなかすかな光がドラマチックに光輝く、そして・・・そんなイメージを感じる曲。娘がピアノのコンクールでこの曲を弾きました。あと少し・・・がほしかった。練習の間、しば
Piascore楽譜ストア『即興曲第15番エディット・ピアフを讃えて』(1959)F.プーランクが購入されました!https://store.piascore.com/scores/233208
インスタグラムのフィーダーに出てきた瞬間惚れ込んでしまいました。でも、こんなものに30ドルもかけるのもなんだなあ、と一旦はやめました。でも、その会社のマーケティングは、私がその商品に興味があることを既に知っていますから、毎日毎日インスタグラムを開けるたびにこれでもか、これでもか、というほど出てきます。そして、1週間考えた後、購入に至りました。メッセージ付きのTシャツです。昨日届き、今もこのブログを書きながら着ています。エディット・ピアフが歌った「私は後悔はしない」という有名なシャンソンの一
皆さん、こんばんは。今宵フレンチはいかが?ブログ主は誰も見向きもしていなかったストリートでメジャーデビューする前の彼女が歌っていたときの姿がとてもかっこよくて大好きです。エディット・ピアフの再来!と当時は言われてました。<ZazàMontmartreLespassants>(再生時間:4分20秒)-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。w
エディット・ピアフの生涯について、第19章を書きました。いよいよマルセル・セルダンが登場します。彼と出逢った頃のピアフはまだ若く、体調も良く、歌についても充実していて、絶好調の時でした。それまでのピアフは、音楽関係の人とばかり恋愛していたのですが、ここでいきなりボクサーに惹かれることになります。どうしてそういうことになったのか?その理由(わけ)について詳しく書きました。ぜひ、お読みください。エディット・ピアフ19ピアフとセルダン、愛の序章|十川ジャンマリ伝説
エディット・ピアフの生涯について、第18章を書きました。イヴ・モンタンと別離したばかりのピアフに全米ツアーの提案が舞い込みました。レ・コンパニオン・ド・ラ・シャンソン(シャンソンの友)を引き連れて、パリのサンラザール駅から出発しました。ピアフの彼らとのコラボは、約2年間しか続きませんでした。全米進出に成功したのに、何故突然共演を解消してしまったのか?その理由(わけ)についても書きました。ぜひ、お読みください。エディット・ピアフ18誰がための全米進出?|十川ジャンマリイヴ
今日もお越しくださいましてありがとうございます。最近の歌や音楽がみんな一緒に聞こえるのは、歳のせいなんでしょうね。笑グループの歌手の人は皆おんなじに見える。笑きっと,感性が違うんでしょうけど、昔の音楽はよかった。WWWWW身体によいヘルツがありますが、それを聞いているより、以下の音楽を聴いているとほんとにリラックスして、満たされます。若い時にはこの世界で一番美しい楽器は人間の声だと確信してました。今日はエディットピアフを紹介。この人の言語が大好きでフラン
今週末26日(日)、鹿児島でコンサートです!酷暑の中、バリバリ音を立てて走り回っています!先週末は土曜日に名古屋、日曜日に大阪で「ピアフを歌うコンサート」がありました。自分でいうのもなんだけど、凄いコンサートだったわよ!(笑)ピアフになりきった90分、一気に歌った17曲でした。二つ戦争を生きたピアフが47歳で死去するまで、死闘と言ってもいい妄執で歌を追求した、渦巻きのような思いが私を歌わせてくれた、と思います。最晩年の歌「響け太鼓」「愛する権利」、結局ピアフ自身は歌えなか
エディット・ピアフの生涯についての連載を再開しました。実は、イヴ・モンタンとの突然の別離について、なかなか自分なりに納得できずに、上手く書けないでいたのですが、漸くその真意について自分なりに理解することができました。さて、どのように解釈したのか、ぜひお読みください。また、2週に一度くらいのペースで書き進みたいと思っています。エディット・ピアフ17恋人なのか弟子なのか?|十川ジャンマリピアフは、それまで弟子を取ったことなどなかった。自分が一流の歌手になることで精一杯で後
無意識が愛の讃歌を流したか?真夏の暑さ思考も停止
おはよう☀シャンソンの女王エディットピアフさんの代表曲、愛の賛歌を繰り返し二胡で練習するうちに少しずつ心境に変化が・・・・練習を重ねる度に、改めてこの作品が名曲であることを実感というか体感し始めたんですよするとそこに、この曲を冒涜してはならないという感情が芽生えましたさぁ、そうなると、さほど長くはないこの曲の難しさがわかってくるんですよね実力のある音楽家にとって、この曲を演奏することは容易だと思います実際、愛の賛歌を美しく演奏しているヴァイオリニストやピアニストや歌手は数え切れないほ
7月14日はフランス人にすれば特別な日。その日を指す言葉として日本では、「巴里(パリ)祭」と呼んでいる。世界広しと言えど「巴里祭」と呼ぶのは日本だけ。フランス語の”QuatorzeJuillet(7月14日)”は1789年に起こった市民革命を記念する日。かつて、ルネ・クレール監督の映画作品『QuatorzeJuillet』を売り出すため、邦題を『巴里祭』としたところからこの名が一般化したという。ちょうどいい、キャッチーな呼び名を考案したというところだろう。その日から数えて
●【2018年】舞台『愛の讃歌』ピアフの魂が降りて来た、最上の愛の物語こんにちは、佐藤理砂です。毎月15日更新のレビュー記事、美輪さまが天に召されてからは初めてのレビューです。先日NHKさんが放送してくれた3つの美輪さま追悼番組は、すべて観ました。『老女優は去り行く』を歌う美輪さまを見てたら、「もう会えないんだな」という思いがこみ上げて来て自然に涙が出ました。最後に一目、お会いしたかった。そして最近は三島さんの戯曲『黒蜥蜴』を手に入れて読んでいるのですが、舞台を観た当時の記憶が鮮やか
今週末名古屋、大阪で「ピアフを歌う・コンサート」です。カザフから帰った11日、千葉県文化会館でのコンサートは、すごく盛り上がりました。何だかいろんな思いが溢れ、胸いっぱいで!千葉市では、これまでコンサートが少なかったので、初めての方も多かったようで、サイン会には若い世代もたくさん来てくれました。お客さんからいただいたひまわりの花を帰ってすぐ部屋に活けました。元気いっぱい、咲いています。今回のプログラムでは、1部の最後に選んだオリジナル曲「Nowisthetime」と、2
7月7日、七夕先月の6月20日に美輪明宏さんが亡くなられました。たまたま6月下旬に自宅の収納ケースを整理していて美輪さんの舞台のパンフレットを目にした所だったので、“あの時はもう亡くなっていたのか…”と寂しい気持ちになりました大人気番組だった『オーラの泉』、舞台の『黒蜥蜴』や『毛皮のマリー』『エディット・ピアフ』歌のコンサート・紅白歌合戦…。いろいろ見せて(聴かせて)いただきました。訃報を聞いてから毎日美輪さんを思い出しました。あと、九州を訪れた時に見た天草四郎像
JolieMôme-Lavieenrose(ÉdithPiaf)ジョリ・モーム(フレンチ・バンド)-バラ色の人生[ミリアム・フィロのボーカル]投稿者概要欄から翻訳紹介「バラ色の人生」は、フランスのキャバレー歌手エディット・ピアフの代表曲であり、1945年に作詞作曲された。メロディーはマルグリット・モノとルイ・グリエルミによって作曲された。ミリアム・フィロは、国際的に知られるフランス系カナダ人の女優、ジャズ・シンガー、ダンサー、キャバレー歌手です。パフォーマーとして
亡くなった美輪明宏さんの事を書きながら、私は自分が美輪明宏さんが歌っていたシャンソンが大好きな事を思い出しました。母に会った時、「美輪さん亡くなったね」と話したら一緒に行った美輪さんのコンサートを覚えていて嬉しくなりました😆💕シャンソンはフランスで生まれた音楽で、私はエディットピアフの生涯を紹介した番組をテレビで観てその彼女の歌声と音楽に惹かれました。今はあまりシャンソンを知ってる方は少ないかもしれないけど、美輪さんも歌っていた「愛の讃歌」「ばら色の人生」が特に好き❤️何故か心惹かれる音
昨年2025年10月にコロナ過以降初めてパリに旅行に行ってきました。そして、今回は滞在していたパリのホテルから地下鉄に乗って、ショパンやピアフが眠るペールラシェーズ墓地に行ってみました。時間が経ってしまいましたが、備忘録として投稿させていただきます。英語もフランス語も話すことができないので、過去のパリ旅行はツアーや旅行会社でチケット/ホテル予約をしてもらっての遠方観光か自力では滞在中のホテルから徒歩で移動できる範囲だったのですが、今回はエディットピアフファンの友人の勧めで地下鉄に