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いよいよ来年に開幕が迫った大阪・関西万博は、現在急ピッチで建設が続いているものの、どうやら開幕に間に合うのか?と危惧されるほど工事が遅れていると聞きます。まあ、あまり先先のことを言うのも失礼かも知れないんだけれど、前回のEXPO70大阪万博の頃は、いわゆる高度経済成長期だったことと、戦後のベビーブーム世代が青年期を迎えた時期でもあったので、要はマンパワーに余裕があった時代でもあったんです。しかし、現在はきつい・汚い・危険が伴う3Kと言わ
補給のないまま、スバス連隊は死の撤退行を続けました。すでに手持ちの食糧も底をつき兵士たちは栄養失調でバタバタと死んでゆき、自殺を図るものもいました。しかも雨季は最盛期に入り、ジャングル内は至るところ、激流や泥地と化していました。しかしスバス連隊は半数近い犠牲をだしながらも、タムにたどり着きました。パレルを攻撃中のガンディー、アザード両連隊を増援しようとする一念に支えられて、再度の難行軍を乗り切りました。ところが、タムに到着するやいなや、シャ・ヌワーズ・カーン中佐は日本軍
特攻の命令があった訳ではないのに彼は何故英艦艇に体当たりを敢行したのか?『阿部信弘中尉のこと』寒くなってきた姫路の二回目の空襲の様子を書くつもりがなかなか入っていけないちょっと違った視点から書きたいから色々調べ物を進める途中で脱線してる脱線してる対象…ameblo.jp彼の最期の戦闘は1944年10月19日。この年の3月に『ウ号作戦(インパール作戦)』は発動され、7月には撤退している。つまり、彼はこの時期、シンガポール第一野戦補充飛行隊戦闘隊に在隊していた。という事
見えない世界の教科書セミナーおおさか昨日は、大阪府高槻市にて見えない世界の教科書セミナーがありました。あいにくの雨でしたが、来て下さった方、講師のしゅうさん、運営スタッフの我々には感謝申し上げます。(笑)今回は、何故か、お腹が減り、参加者さんが持ってきて下さったお菓子があっという間になくなりました。過去、そんなことは無かったのですが。私も恥じらいなく、むしゃむしゃと頂きました。えびせんべい・洋風お菓子がとても美味しかったです。さらに、私は寝不足だったので、睡魔に襲われていました。
私の古いブログ記事『ミャンマーに井戸を寄付』の記事にいいね!をつけて下さった方がいらっしゃいまして私も久し振りに自分のブログを読みました👇『ミャンマーに井戸を寄付①』また突然にミャンマーの事を書きたくなりましたディズニーに全く関係ありませんm(._.)m私の父はインパール作戦に従軍し無為無策な作戦ゆえに惨敗し白骨街道と呼ば…ameblo.jp『ミャンマーに井戸を寄付②』お読み下さって有り難う御座いますm(__)mミャンマーに井戸を寄付①の続きです『ミャンマーに井戸を寄付①』
Windows付属の生成AIであるcopilotに次のような質問をしてみました。「日本国の外務省等の政府機関やマスメディアは1945年から1956年のUnitedNationsへ加盟する以前の時期にUnitedNationsをどう日本語訳していたのか」copilotの回答は以下の通りです。「1945年から1956年のUnitedNationsへ加盟する以前の時期に、日本国の外務省やマスメディアは「連合国」という日本語訳を使用していました123。この名称
第一連隊(スバス連隊)の主力は、5月16日、危機に立っているコヒマの日本軍「烈」を支援するためにコヒマへ転進せよとの命令を受けました。コヒマまではカボウ谷地を抜けてナガ山地を突破する500キロをこす道程を行進しなければなりません。しかしインド国民軍のなかで最精鋭をもって任じ、副次的な役割しか担わされていないことに強い不満を抱いていた連隊長のシャ・ヌワーズ・カーン中佐以下の将兵は、コヒマ占領の報を信じていただけに、いまこそ祖国へ進軍できる時がきたと小躍りしました。野戦病院に入院中
『失敗の本質』(中公文庫1991年)には、アジア太平洋戦争中における日本軍の組織的な判断や行動における「失敗」に関する研究成果がまとめられています。アジア太平洋戦争でのノモンハン事件・ミッドウェー作戦・ガダルカナル作戦・レイテ海戦・インパール作戦・沖縄戦の6つの戦況転換となった作戦に共通する日本軍の組織的判断・戦略的思考・作戦行動の分析から、失敗の共通原因について指摘したものです。その中には、〇空気や気分に支配され、科学的・論理的検討を行うための「言葉」が奪われた〇曖昧に設定さ
日本軍司令官は当初、日本軍がインドのインパール占領後、インド国内に進軍する段階になってからインド国民軍を参加させる計画でした。ボースはそれを知ると、1944年1月24日、国民軍を連隊規模で最初から作戦に参加させて欲しい、単なる謀略部隊ではなく、戦闘部隊として処遇して欲しいと要求しました。ボースは27日、第一連隊長のシャ・ヌワーズ・カーン中佐を呼び、彼の連隊が真っ先に実戦に加わるはずだから、全国民軍の模範となるよう、そして日本軍に国民軍の戦闘力を認識させる為、勇敢に戦うよう言い渡しまし
1943年11月5日から東京で大東亜会議が開かれボースは出席しました。オブザーバーとしての出席でしたがボースの動静や演説は他国の代表よりも日本の新聞は大きく報道しました。ボースの不眠不休の活動で、インド臨時政府とインド国民軍の組織固めが終わりました。このころ態勢を立て直してきた英軍はビルマ奪還のため戦力をビルマ戦線に投入してきました。英印軍のビルマ奪還の策源地がインパールでした。インド進攻に消極的だった日本軍関係者はこのインパールを攻略してビルマでの防衛線を前進させよう
高木さんは戦時中は陸軍報道班員だった人。インパール作戦に従軍するようになったのは、ビルマの第五飛行師団に配属になったから。その仕事は映画の報道班員として、航空作戦の実況を映画に撮影、記録することだった。現地に行ってすぐに雨季に入り、映画の撮影もできない。帰国しようとしたが、参謀が‘そのうち大きな作戦が始まるから待て’と帰してくれなかったという。戦後の取材を経ての事実を積み重ねていて、自分が現地に身を置いていたにもかかわらず自ら当事見聞きしたことの記述は多くない。大局的に自らが経験した事
非常に治安が良くありません。牛がゴミを荒らしています子供にゴミの荒らし方(ごはん)を教えていたようです秘境での牛の子育ても大変ですねここはインド北東部マニプール州インパール市秘境秘境と言いながらどこが秘境やねんとつっこみたくなるようなこのブログなんか秘境のイメージと違う実はまだここ“秘境”をあまりお知らせできない理由があります(お調べいただければわかると思います)これからの海外旅行観光地といえばインドですよね!人口世界一!インドブーム到来間近でしょう!!(もう
3月8日の出来事1669年イタリアのシチリア島にあるエトナ火山が噴火。主に溶岩流により、約1万人が死亡。1702年アンがイングランド・スコットランド・アイルランド女王に即位。1862年南北戦争:ハンプトン・ローズ海戦が始まる。鉄板で装甲された動力軍艦(すなわち装甲艦)同士の歴史上最初の戦い。バージニア南北戦争戦艦装甲艦28インチ模型完成品/EPICARMOURY¥価格不明Amazon.co.jp1868年(慶応4年2月15日)堺事件が起
皆さま、こんにちは私は先ほど、日課のストレッチとウオーキングを済ませてきましたのでこれからシャワーを浴びて、お仕事への準備をしたいと思います今日はどんな一日になるんだろうワクワクしながら過ごそう✨•••ではでは今日も皆さまにとって、笑顔と優しさに溢れる素敵な日となりますようにもらって嬉しいおみやげは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう•••••cut•••••・1944年(昭和19年)3月8日、インパール作戦が始まる→太平洋戦争でビルマ(現在のミャン
セキゴホで先ほどまで伏せっていまして、連載物が遅れています。てか、今週も色々とヤバいのね。あっさりですが、弁財天さまの予想数字は以下のとおり。4910113340おさとしはスペードの10。弁財天さまのおさとしと、つづく宇賀野御霊さまのおさとしがヤバ目なため、今週も気を付けるほうが良いでしょう。初老も少しでも皆様の運気を上げるべく、戦災関連の方々の成仏の為に動いていたのですが、さすがに海外となるミャンマーの奥地やらタイやらの国境沿いで亡くなった、旧日本
日本の人手不足がここまで深刻化したワケ。現場の声に「けしからん」経済界トップが発言...日本の人手不足がここまで深刻化したワケ。現場の声に「けしからん」経済界トップが発言...|社会の今、未来の私|mi-mollet(ミモレ)|明日の私へ、小さな一歩!(1/2)物流2024年問題に代表されるように、今の日本では人手不足が深刻化しており、基本的な経済活動の維持すらままならない状況に陥っています。なぜ日本でだけこのような特殊な問題が発生するのか疑問に思っている人も多いと思いますが、そ
中野さんの本は一冊読んだことがあったけれど詳しくは知らない方。もう亡くなっているが、横浜にお住まいだった文筆家だ。その一冊が、飛び出して行方不明になった愛犬を探す‘ハラスのいた日々’で、そのやさしい目線とやわらかな文章に魅せられていた。ときおりその名を目にする人だったこともあり、二冊目はいつか読まねば、と思っていた。書名からなんとなく想像がついていたが、やっぱり‘おみやげ’として戦場で日本将兵から取り上げられた日章旗についてだった。ただ、専門家でもない中野さんがわざわざ本まで書くことに
萬山天鬼のメキシコの写真↓(Sauce:MultimediosTV)本日20024年2月18日(さんでい)のメキシコシティ連邦区の昼間の最高気温さまは22℃でした。例年ですとメキシコの2月は夏ですから凄く暑く成るんですけど寒冷前線が来たとかで温度が下がってTシャツ1枚では寒い感じに成って上にブルゾンを羽織る人が城太郎の家の近所では多かったみたいです。昨日は珍しく夕方に雨が降ったんですけども今日は持ち直して降水確率さまは0%に戻りました。(↑著者近影😣)御賢台さま方に於かれまし
皆様、ご機嫌YOです!旧帝国軍の中には、軍の上下を盾に好き勝手にパワハラかました挙句に、戦後手痛いお礼参りを食らったクソ士官やクソ古参兵が多くいた事は以前に書いた通りです。しかし、当然ながらそう言う輩だけでは無かったのもまた真実です。今回は地獄の戦場でも部下を守り続け、自らも地獄の戦場から生還した真っ当な士官の一例のお話です。太平洋戦争後期、調子に乗って戦線を広げ過ぎた南方戦線において旧帝国軍は各地で地獄絵図を味わう事になります。今回の主人公である宮崎繁三郎がいた戦場はインパール
佐藤和夫さん主催の講演会が続々と開催されます。久野潤先生の「アジア解放と防共の大東亜戦争」大変興味のある内容です。私も参加予定です。ぜひご参加ください。佐藤和夫★☆★鈴木荘一氏講演会開催時間変更のお知らせ★☆★2月17日(土)13時30分開演の予定でしたが、同日17日(土)18時30分開演、20時30分終了に変更となりました。既にチラシ配布済みで、ご迷惑をお掛けして大変申し訳ございませんが宜しくお願い致します。
直木賞の八月の御所グラウンドを今日一気読みしましたいつもの万城目ワールドとは違い読後は妙にしんみりしてしまいました…ネタバレしてはいけないので内容は書けませんが大学に入学して僅か1ヶ月後に、学生から軍人に。それから5ヶ月後には戦死してこの世から消えてしまう。そんな生き方を強いられた若者がいたという事を万城目さんの手法で描いてました私は父からインパール作戦の無茶苦茶ぶりを聞きましたその伝え聞いた私が今この年齢です戦争を体験した人がほぼ居なくなりつつある日本で
太平洋戦争の愚将たちワースト4今回の歴史じっくり紀行は、『太平洋戦争の愚将たちワースト4』ついて紹介していこうと思います。【目次】0:00オープニング1:11第4位部下を見捨て、自分だけ逃げ出した愚将『富永恭次』7:17第3位暴力・恫喝・〇〇強要なんでもアリのパワハラ将軍『花谷正』12:07第2位無謀なインパール作戦を指導した無...youtu.be
1月8日、五十一番屋でやきもちを購入してから、石手寺周遍を散策しました。石手寺の隣10年くらい前まで石手寺の隣りに製粉工場がありましたが、今は廃業しており、その跡地には仏像が置かれています。山門横の募金箱石手寺の山門横に能登半島地震支援の募金箱が置かれていました。義援金は支援団体を通じて石川県と富山県に送られると記載されていたので、本の少額ですが寄付しておきました。山門の巨大草鞋山門にはお遍路さんの長い旅路を象徴する巨大な草鞋が掛けられていました。草鞋には無数の1円玉が差し込まれてお
秋田の知事さんよ自衛隊災害派遣が”後手後手に回ってる”とかよく言うなぁ。アンタがなんにも分かってないだけですよ。やみくもに進んでたら逆に肝心な支援活動が何も出来ません。アンタが”作戦”とか”部隊活動”とか素人なだけですけど。アンタが言ってるのは”インパール作戦”と同じです。進路や兵站を確保しないで進ませてどうするんですか?!隊員だけ徒歩で行かせりゃいいんですか?勇敢な彼らはそれでも行けと言われりゃ行くでしょうよ。で、器材何にもなしで行って
「上司の意図を達成することには、積極果敢であった私としても凡将であるという非難は甘受するが上司の指示に対し、これを背いたといわれることは私の信条を損なうものでありまた当時豪(ごう)も我を通す考えがなかったことを重ねて明言する」牟田口廉也『インパール回顧録』まえがき序章陸軍のメカニズム「任務重視型軍隊」と「環境重視型軍隊」巨大な組織の宿痾戦争の六つの機能指揮官に求められるもの理不尽な環境下
スバス・チャンドラ・ボースは、インドの独立活動家でインド国民会議派議長、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官などを務めました。インドの人々は尊敬の念を込めてネタージ(指導者)と呼びます。彼は、第2次世界大戦の後半、日本軍と協力してインパール作戦(1944年3月8日-7月3日)を実行し外部からインドに侵攻してインド独立のきっかけを作りました。インドは1858年からイギリスの植民地となり、第2次世界大戦でイギリスが疲弊したのをきっかけとして1947年に独立しました。
10月に読んだ本は6冊(図書館本6冊)でした。今年度?の太平洋戦争シリーズ読み収めです。+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++<お気に入り順>★★★オススメ★★面白い★収穫少なめ『極楽征夷大将軍』垣根涼介(文藝春秋2023.5)【満足度】★★★【概要・感想】直木賞受賞作です。足利尊氏・直義の兄弟とその執事の高師直などの視点から室町幕府成立を描いた時代小説。549ページ、しかも1ページ2段構成という超大作。一般的に鎌倉末期~室
令和五年十二月八日に思う。八十二年前の昭和十六年十二月八日!我が国の空母機動部隊が、アメリカ海軍の基地ハワイの真珠湾を奇襲しなければ、我が国は、大東亜戦争に敗れなかった!今になって、何を言い始めるのかと言うなかれ。敗北のなかにある勝因を見つめ、勝利のなかにある敗因を見つめることは、我が国の将来の為に重要なことだ。この海軍の真珠湾奇襲から始まった戦争を、我が国は「大東亜戦争」と呼び、アメリカは「太平洋戦争」と呼ぶ。そして、負けた我が国は、勝者の奴隷の如く「太平洋戦争」と
毎年々々この日を蔑ろにするサイバーエージェントに対して抗議のリブログ。
インパール作戦これは今から振り返れば終戦の前年、日本はかなり追い詰められていた時に決行された作戦である。無謀とも言われるが、一説によると、インドに起きた飢饉でチャンドラ・ポーズから日本へ支援を要請し日本軍が食糧を運ぶ作戦だったとも言われている。その悲惨な結果だけに注目されているが、本当はこんなことが起きていた。靖國神社に備えているパンフレットから。昭和16年12月8日、日本は米英に対し戦布告し、大東亜争に突入した。開職初期、日本はハワイ真珠湾、マレー、シンガポール作等で職果を挙げたが、