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今日は、イースターです毎回、書いてるけど!イースターは、たまごの日でもうさぎの日でもないよー!間違えないでねイエスさまが、私の(私たちの)罪の身代わりとなって、十字架につけられたの!そうして、3日目によみがえって下さったの!だから、嬉しい⁽⁽*(*˃̶͈̀ᗨ˂̶͈́)*⁾⁾んだよ
HappyEaster青空あたたかい風あたたかい日差し気持ちいい黄砂も飛んでるけどでも待ってましたこの季節🌸祭りも賑わったかな私はクリスチャンなので友人母娘と連れ立ってEaster礼拝へ本当に穏やかで心地よい日曜日でも昨日は仕事を終えてめっちゃ疲れてネガティヴの淵にハマり込んであれを辞めようか私はもう無理だお腹すいた誰かご飯作ってUberは食べたくないとかベッドに倒れ込んで呻いていたのでもお腹空きすぎてやれやれって立ち上がったら結構なんと
🍀happy龍の自己紹介🍀今週は自分を何時間、内観しただろう本当にいろんな事違和感を感じたのにグッと堪えて行動に移さなかった事と言うか正確には移せなかった納得できない事の中に答えはあるそこに何故を持ってくると負のループにハマってしまうから自分だけじゃ無い今はそのタイミングではないそう届くし私自身もそう思う何度も『今ok』と聞いてもタイミングの神様に却下された❌その答えを知ってるのに人間は確認したくなるよね自分にベクトル向けてたらイエ
復活日に教会創立40年を迎えた。1984年の3月31日が教会「創立」の日である。この日は土曜日。「伝道所開設式」が行われたのは1985年3月31日、この日は主の日(日曜日)。三好先生のゲストハウスの春爛漫の庭でパーティーが開かれたという。それから40年。「荒野の40年」という言葉があるが、「40」は試練や苦難が満ちる年月日を指す意味で使われる。教会の40年の歩みを想う。甲子園の地に落ちた一粒の「福音の種」。確かに、嵐の日も大雨の日も地震もあった。しかし、そ
それでは聞いてください福音をლ(`∀´ლ)イエス様は私たちの罪の身代わりとなり十字架につけられ3日目によみがえられた。この福音を信じる者は死んだ後天に帰ることができる。救いの祈りは画像から救いの祈り「イエスさまわたしは罪人でした。その罪のためにイエスさまが十字架に架けられ、わたしたちの身代わりとなって死んでくださったことを私は信じます。それ故、わたしの罪が全て、完全に赦されたことを信じます。またイエスさま、あなたは十字架に架けられ死なれ、そして墓に葬られた後、3日目によみがえり
イエスさまは、昨日の午後3時に十字架の上で死なれ、夕方から安息日がはじまるのであわただしく墓に納められました。今日のこの日は、イエスさまは「陰府(よみ)」にくだられたと言われています。「陰府(よみ)」とは、死者が行く世界のことです。ふだんは、この世界のことと天国のことしか考えませんが、今日だけは「陰府(よみ)」のことも考えてみます。「よみ」は、「黄泉」とも書きますが、こちらの字は中国からの影響のようです。「よみ」は、必ずしも「地獄」という
もうそろそろ出ないといけないです!!もうそろそろ出ないといけないです!!外出です!!帰宅時間は何時になるかわかりません、たぶん夕方でしょうか?今日は1日イエスさまの受難日です!!イエスさまの受難日を見てきます。私にも少しの受難の日になりました。秋篠宮佳子さまの事を神にお祈りいたします。祈り捧げにキリスト教会に行きますね!!
ふと気付いたら一週間くらい秋篠宮佳子さまの事を書かなかった!!私は秋篠宮佳子さまの事を書かなかったらみんなから凄く心配されていたよ…。私は秋篠宮佳子さまの事を書いていないとどうもむず痒い!!愛子さまの事も少しは書いた方が良さそうだ。テレビの見る頻度がこの頃半端ない愛子さまが日赤で働かれることと神社参拝したニュースが何度も何度も見たよ…私は役立たずではなかった、少しでも秋篠宮佳子さまや愛子さまの事を書いて、喜びを分かち合わなければ行けないのかなあ。私のお仕えする仕事の一つだ
今日はイエスさまが十字架にかかり処刑された日、「受難日」です。「そしてイエスをゴルゴダ、その意味は、されこうべ、という所に連れて行った。そしてイエスに、没薬をまぜたぶどう酒をさし出したが、お受けにならなかった。それから、イエスを十字架につけた。そしてくじを引いて、だれが何を取るかを定めたうえ、イエスの着物を分けた。イエスを十字架につけたのは、朝の九時ごろであった。イエスの罪状書きには「ユダヤ人の王」と、しるしてあった。また、イエ
おはようございます今日、イエスさまは、頭に荊の冠をつけられ御自分が、磔けられる十字架を背負いヴィア・ドロローサを歩いておられる時間です…そして…イエスさまが、言葉にしたEli,Eli,LemaSabachthani今日も、感謝して過ごしますありがとうございます
こんばんは!今日はゲッセマネの夜!!ということで、ワタクシは教会に泊まります!!😆😆😆ひとり徹夜祈祷会であります!!!🎊🎉🙌🙌(ひとりの教会!誰もいない会堂はお気に入りなのです😆会堂中を歩き回ったり、ぐるぐる回ったり、大の字に寝転がったり、足を踏み鳴らして賛美したり…臨在の中で自由に神様と交わります🙌🙌🙌)イエスさまは、この夜に徹夜で祈られて寝ずに裁判に連れて行かれ、その後に鞭打ちを経て十字架へと行かれたわけです…。…半端ないなぁ。今日、明日と、イエスさまの十字架の
キリスト教は、信じる人に生きている間、夢を与えることができる宗教と言えそうだ。宝くじに当たるような確率?で本当に「永遠の命」が神からいただけるからだ。だれが、当たるか最後まで分からない。信じない者はくじを買っていないので当たらない。地獄行きというわけだ。イスラエルの民が、エジプトから救出される「過ぎ越しの夜」があった。子羊の血を鴨居に塗ってあれば、中にだれがいても、助かった。しかし、中にいた者たちは、ヨシユアとカレブを除いてだれも、ふさわしくなかった。その証拠に、彼らはわがまま
昨日、スマホの「機種変」をしました。心配だったのは、データやアプリの移行。それでも2時間もあれば終わるだろうと思っていました。それが…10時の予約時間に行って、すべて終わったのが、なんと閉店間際の夜8時前でした…というのも、LINEの移行にものすごく時間がかかってしまったからです。動画や写真がいっぱいでアップロードできなず、スマホを使い始めてからたまりにたまった写真や動画を削除して…そんな作業のために10時間もかかったのでした…そもそも私は、
おはようございますなんか、寒く感じる朝です今日は、なんとも言い難い日ですなのに、朝ごはんは作りますお弁当サラダ🥗🍱も、作ります朝ごはんも食べますイエスさまに感謝して…今日も良い日になぁれ
今日は、聖木曜日。ヨハネ13.1〜15がよまれます。イエスは私達の一番汚い足を洗ってくださる方。イエスは、私達を清めてくださる。カトリック教会では、洗足式がおこなわれ、信者が、神父に足を洗ってもらう儀式があり、ミサがあります。イエスは、いいます。わたしがあなたがたにしたように、あなたがたも、互いに足を洗い合わなければならない。さらに13章をよむと、わたしがあなたがたを愛したように互いに愛し合いなさい。34節わたしは、周りの人を大切にしているか、自分のことばかりになっていないか、考
今日は水曜日なので、今週の日曜日の礼拝メッセージを載せさせていただきます。今週は「棕櫚(しゅろ)の主日」、「受難週」に入りました。イエスさまは、今週の金曜日に十字架におかかりになります。「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちでもっとも大いなるものは、愛である」(コリント人への第一の手紙13章13節)私たちの教会の年間聖句です。2024年3月24日のメッセージ「まことにこの人は神の子であった」聖書:マルコによる福
おはよう寝起き顔は洗った笑ひき裂かれるような過去の記憶と共にそのとき抱いていただろう感情・想いが蘇るかのように現在も目の前でそれら記憶の出来事たちが再現されているようなそのような感覚になるなかったことにしようとするのではなく(↑試したが出来なかった)苦しくもなるがその記憶のVTRをそのまま再生するしばらくするとSalvationのことが浮かんでくるというか目の前にイエスさまが磔にされている姿が現れてきていま抱いているすべてを差し出そうと素
今週は、「受難週」を過ごしています。昨日は、カトリック教会で行われている受難節(四旬節)の信心である「十字架の道行」の祈りに参加してきました。「十字架の道行」は、イエスさまの御受難の14の各場面を描いた「像」の前にとどまり、愛と痛悔の心をもって黙想する祈りです。プロテスタントでは、たぶん行われていません(私が知らないだけかも…)カトリック田辺教会の信徒である玉置さんが、隔週の月曜日にお一人で「グレゴリオ聖歌」を歌っておられるのですが、昨日は「十字架
何でもない時なら、人は何でも言える愛しています、イエスさまと神の掟を守れるかどうかは危機が襲って来た時ださあ、やって来た今があなたが本物かどうかが問われる時だここ、このとき、あなたの信仰が試される敗者は神に背を向け、勝利する者は神に目を向ける14感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。15苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。16しかし、悪者に対して神は言われる。「何
昨日から「受難週」に入りました。イエスさまは金曜日に十字架につけられ、来週のイースターの朝にご復活されます!月曜日、イエスさまはエルサレムの神殿で商売をしていた人たちを追い出しました。それも、けっこう激しく…「イエスは宮に入り、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし、また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった。そして、彼らに教えて言われた、「『私の家は、すべての国民の祈り
いや、なんでこんなものがあるんだ?若い頃の日記ということだけは認識していたのだがついぞ読み返したことがなかった。4冊のノートにわたって書いてある自分の日記。大学時代の日記だと思っていたのだが暇すぎて読んでみたら最初の1冊は高校時代!とても恥ずかしいがよくこんなこと考えてたんだなと思う。まあ仕方がない。ルピナスの花が真っ盛り。この花は強い。
イエスさまとともにだから決して孤独ではない罪と咎を主の十字架に手放します私の主としてお迎えいたします
今日は棕櫚(しゅろ)の主日、群衆がイエスさまがユダヤの王となることを期待して、棕櫚の枝を振って歓喜の声をあげて迎えた日だ。しかし、そのわずか5日後には群衆はイエスさまを「十字架につけよ」と叫んだ。イエスさまを妬むリーダーたちに扇動され、付和雷同してしまったのだ。「群集心理」はいつの時代にもある。お上が言うから、みんながしているからそれが正しいと思い込む。マスコミも、真理の伝達よりも利益を優先する。知り合いの新聞記者から聞いた話だ。ネット社会にはいっそう真理