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③の続きですアムステルダム滞在2日目。この日は14時にアンネ・フランクの家の予約を入れていました。アンネ・フランクの家は,ホームページから予約できます。ここもミュージアムカードが利用できますが,ミュージアムカードを利用の上で時間指定の予約を取らなくてはなりません。また,子どもも料金がかかるので,その分も事前に購入しました。ハイシーズンは,特に予約がなかなか取れないとのことで,予約開始日の時間きっかりにホームページを開いて取りましたアンネ・フランクの家·Amste
「神戸ニニンガ日誌」(第3,533号)○『アンネの伝記』(M・ミュラー)。『アンネの日記』を補完する書として、密告者の特定や、関係者のその後の人生などを含む驚きの内容である。○著者は日記を改めて読み、迫害に「強烈な疑問」を抱き、アンネはどんな体験をし、どんな友達の中で成長を始めたのか。考え方に影響を及ぼしたのはどんな経験か、という疑問も湧く。○日記には、架空の友人相手に話し合う形の記述がある。限られた空間に隠れ住む環境で「日記は気持ちの揺れを鎮めるのに、そして心のバランスをとる
「神戸ニニンガ日誌」(第3,529号)○桐野夏生の『日没』を買いに行く。新聞か何かで日本ペンクラブの会長に就任しているのは『日没』に関係しているとか何とか、という記事をみた。そういえば『日没』が出たとき、早速読みたいと思ったが、文庫が出るまで待とう、と踏み止まったことを思い出した。○桐野夏生のウィキでは【日没(2020年9月岩波書店)】となっていた。文庫化しておれば例えば【バラカ(2016年3月集英社/2019年2月集英社文庫】等と記されるので、日没はまだかと思ってよくみれば岩波現代
父と娘の二人旅オランダ③1995・7・23アムステルダム街並みA運河システムカフェアンネの日記元中央郵便局中央駅飾り窓
2025.11.15こんばんは🌉夜は気温が下がり冷えますね。土曜日の夜、暖かくして過ごしましょう🐰以下、フェイスブック「心に響いたらシェア」から一部引用します。~~~~~~~~~~~~~~~~~『15歳で命を落としたアンネ。彼女が残した10の言葉』(1)私達は皆、幸せになる事を目的に生きています。私達の人生は一人ひとり違うけれど、されど皆同じなのです。(2)怠慢は魅力的に見えるけど、満足感を与えてくれるのは働く事。(3)あなたのまわりにいまだ残されている、すべての美しいものの事を
『アンネの日記』の著者であるアンネ・フランクはあまりにも有名で、一度でも名前を聞いたことがある人は多いだろう。第二次世界大戦時、ナチスドイツによるユダヤ人迫害から逃れるために隠れ家に避難し、ナチスに見つかるまでの日々の出来事を綴った彼女の日記は、戦争という暗くて不安の日常だけでなく、戦争が終わったら、という未来の願望や、少女だからこそ体験する恋心なども綴られている。ホロコーストの生存者の1人である、アンネの父親であるオットー・フランクの手によって出版され、全世界で翻訳された。そのア
『アンネの日記』読み始めはいつだったろうか。まだ、夏が始まる頃だったような気がする。かなり読み終わるのに時間がかかってしまった。10代の中ばで、戦争を体験し大変な生活を送って、最後は生きる希望が無くなっていってしまったような気がする。彼女が作った作品を読んで、10代でこの表現ができるのは、ただ単に".すごい”と思うしかなかった。50代の半ばになろうとしている手は、全然、文章が、まとまらずただ迷走している。戦後80年のこの年に、この本を読む事になり、何かやれる事はないだろうか。やり
と、思わず口ずさんでしまう今日の東京でも私はもうしばらくは、夏の旅行の余韻に浸る絶賛読書中絶賛勉強中クラクフに行ったのに、アウシュビッツに行く時間がなかった。否勇気がなかった。のです。
そりゃ~もうあれですよ。ファイナルデットシリーズ。あれは怖いと言うよりキモい?グロい?あとはあれねSAWシリーズ。あれも中々にグロい(笑)この手の映画は元々は見れなかったんですよ私。もうね、気持ち悪くなっちゃってあまり酷いのだと戻しちゃったりして💧でも旦那さんはそういうの好きだから旦那さんに鍛えられました😅だってさ怖かったら目を瞑ってろって言うけど気になって見ちゃうじゃん(笑)今は全然平気(笑)なんならそういうシーン見ながらご飯食べれる🤭ってこの手の
日本に住んでいると何のことかわからなかった。本当に同じ時間軸で起こっていることなんだろうか。映像を撮られているサラームさんも世界は見てるだけで感じてはくれなかったと言われてた。子どもの栄養失調の映像が悲劇だった。アンネの日記が好きでした。2回感想文で入選しました。いつかアンネの隠れ家に行きたかった。アウシュビッツにも行って見たかった。でも今は見るのが怖いです。悲しみの中にもきっとよいこともあったと思いたい。
アムステルダム一日目の昨日は寒かった😆まずは週末だけ開催のマーケットへ。ここがアンネ・フランクのウォーキングツアーの待ち合わせ地点だったんだけど。早めに行ってブラブラ。運河がものすごく多い。運河の街。ユダヤ人地区を通り、所々でアンネの日記を読んでくれながら、当時の暗い毎日に思いを馳せる。アンネの像アンネの家は写真禁止だったので何も撮ってないけど、すごい人。オンラインで予約しておいても待つし、中もゆっくり進んでいく。隠れ家は思ってたより広かった。でも想像を絶するストレスだったろうね。
池上彰さんの著書です。「アンネの日記」で戦争と民族、「聖書」と「コーラン」、「イスラーム原理主義の道しるべ」「種の起源」で宗教とその背景、宗教に根ざした対立、「沈黙の春」で農薬と放射能を、最後に、「資本論」など4冊で民主主義に関して解説をしております。簡潔で分かりやすく、さすがは池上さんといった感じです。読み物としても面白くささっと読めます。世界を変えた10冊の本Amazon(アマゾン)
アンネの日記1959年9月8日公開日本でも翻訳出版されて好評を博したアンネ・フランクの『アンネの日記』の映画化。あらすじ1945年、ナチ占領下から解放されたアムステルダム。強制収容所を出たオットーは、想い出の屋根裏部屋に戻って来た。そこで娘アンネの書いた日記をみつけた。日記は1942年7月9日から始まる。アンネの父オットーはユダヤ人で、母はオランダ人だった。姉マーゴットとアンネはドイツで生まれた。ヒットラーが政権をとるとユダヤ人の排斥が始まった。アンネ一家は親友のバン夫妻と息子ピー
アンネの日記2004年6月23日DVD発売チラシ1942年6月12日から44年8月1日までに書き綴られた日記をもとに、アニメ化され1995年劇場公開された。戦争の狂気と人種差別の犠牲となった、少女アンネ・フランクのあまりにも有名な日記をアニメ化した感動作。あらすじ1942年、第二次世界大戦下のオランダはアムステルダム。ここにもナチスの侵略の手は伸び、そこに暮らすユダヤ系の人たちはいつ呼び出されるやも知れぬ反ユダヤ政策(ユダヤ人狩り)の恐怖に脅えていた。13歳の少女アンネ・フランク一家
朝の涼しさ、冷んやり感が堪らないです♡引っ張り出してきました、ぬくぬくアムステルダムは既に朝晩は寒いくらいでした旅先の急な気温差対応にはもっぱらユニクロライトダウン!コンパクトだから、必ずスーツケースに入れるえっ?こんなにお高かった?アムステルダムのユニクロ、素敵な建物今回のオランダ旅行で1番行きたかった場所アンネフランクの家予約が1番早く埋まると聞いていたので旅行決めて直ぐに予約サイトへ残っていたのは19時半以降が少しだけ(ちなみに22時までです)ラッキー、取れま
#自分を満たす100日②day43すごく久しぶりにアンネの日記を読み始めてる✨️高校生の時に買った本だからボロボロだけど私の人生観を大きく変えた1冊📚️当時はアンネと変わらない年齢だった私がアンネのお母さんに近い歳になったんだなぁ⋯読み終わったとき今の私は何を感じるのかな🍀pic.twitter.com/rnOipRi9J3—山中みさと🐉🍕💪💋通信制高校3年生の親🐾(@xMhlWWWl05hVwwP)September24,2025高校生の時はアンネの気持ち
ジュジュの中学校の国語(フランス語)の授業で、指定の7冊の自伝の中から1冊を選んで読む課題があり。。。選べないジュジュ、1冊でよいのにこの3冊を買って欲しいと言われて、買いました左からマルセル・パニョール(フランスの作家)、アメリ・ノートン(ベルギー人だけどフランス語の作家)。右のアンネ・フランクのアンネの日記は、世界的にも有名なユダヤ人一家の少女が第2次世界大戦中に書いた日記ですね3冊も買ったし、せっかくだから便乗して、私も読んでみることにしました~まず、ジュジュはアンネの日記を読
ブログを始めたきっかけは?▼本日限定!ブログスタンプ作品を書きたかったから気軽に自由に正直に時事問題について必要な事を発信したかったから
アンネのバラ原名:Souvenird'AnneFrank出年:1955年(発表は1960年)作者:ヒッポリテ・デルフォルヘ(ベルギー)バラの母親はレーブ・ド・カプリ、父親がシャントクレアという品種で、8年の歳月をかけて作出。フロリバンダ種で花型は丸弁盃状咲き。花は変色する性質があり、蕾のときは赤色、開花するとオレンジ色に黄色がかった黄金色に、やがて花弁の先からサーモンピンクに、さらに濃くなり赤色に近くなる。四季を通じて咲き、5〜8輪の房咲き。アンネのバラの教会西宮市甲陽園にある聖イ
おはようございます最近益々、読書離れ、進んでいるそうです子供の頃、本が好きで毎日、図書館へ行ってましたネットの無い時代でしたから本、読みましたよねガザのニュースを見るたびに心が沈みます餓死していく子供の姿を知っていて、何も出来ない…イスラエル、ユダヤ人、宗教など色々と思う時にある本を思い出しましたある時の読書感想文に選んだ本「アンネの日記」私達世代なら読んだ方多いでしょうか?今の子供達は読むのでしょうか?アンネ・フランク第二次世界大戦の時に、ナチスドイツが約600万人
聴こえますか?こちら、「凪まち通信」です。今のあなたの心の波模様、どんなでしょうか?今晩も、凪まち通信局では、「非戦81年に向けて」と題し、平和と非暴力を想う記事を連続投稿しています。前後の記事とシンクロする曲のご紹介もお楽しみいただけたら幸せです💓アニメーション映画『アンネの日記』TheDiaryofAnneFrank(1995)日本語音声、英語字幕。https://youtu.be/gd6N_OssLj0?si=QckPK4GnVanmCe
好きなごはんのお供は?▼本日限定!ブログスタンプ好きなごはんのお供は?はい、トマトでございます業務スーパーでお手頃価格トマト見つけましたラッキー🤞トマトが好きなのでごはんにもトマト🍅カレー皿にご飯を盛りスライスしたトマトと納豆を乗せ(納豆はしっかり混ぜ混ぜしますよ)ポン酢をかけてスプーンで食べますそんなに変なものではないですよはい、それでは最近観たDVD📀アンネ・フランクを忘れない「アンネの日記」を残し15歳でこの世を去った少女アンネ・フランクの生涯を初めて完全に紹
私が『アンネの日記』を初めて読んだのは7~8年くらい前だった。割と最近のことである。自分がアンネと同じ年頃だった時は怖くて読めなかった。迫害され、何年も隠れて生活していたという事実は恐ろしく、想像すると辛くなるし、収容所に入れられて15歳の若さで病死してしまうなんて…すごく悔しい。やり場のない気持ちをどうやって消化させたら良いのか、途方に暮れてしまう気がした。アンネの日記増補新訂版Amazon(アマゾン)そんな私が、『アンネの日記』を読んでみようと思い至ったのは
アンネ(1)捏造の歴史を叫び続ける醜態2020-05-13https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12596774291.htmlアンネ(2)「アンネの日記」は単なる小説2020年05月14日https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12596869279.htmlアンネ(3)アンネ・フランクは生きていた2020-05-15https://ameblo.jp/minaseyori/entr
高校生のころ姉の書棚から見つけて読んだ一冊の本アンネの日記皆藤孝蔵訳*原題はオランダ語で『隠れ家』という意味のHetAchterhuisアンネ13歳から15歳にかけての隠れ家生活を綴った日記当時の私より1or2才年下の少女の洞察力の鋭さに驚いたと同時に戦争というものを真剣に考える切っ掛けとなった書です*大学生になって英語版TheDiaryofAnneFrankを読みましたがアンネの息吹を感じる原書(オランダ語)には手が届きませんでした
📺アンネの日記観ていたらふと、昔はアンネって言ってたな…そしてメンス月経調べたらメンスはドイツ語で生理アンネはアンネの日記から日本生まれのアンネナプキンが生理をアンネと言いましょうキャンペーンをしたからとの事ヘェ〜閉経して○十年も経って初めて知った(韻を踏むつもりでは無かったのに図らずも踏んでしまいました)今では信じられないでしょうが私が初潮を迎えた頃、まだナプキンはなく(貧乏で買えなかったのかも❓)脱脂綿(化粧コットンの中身)を当ててました。脱脂綿の良い点は厚さ
「アンネの日記」完全版を読みました。昔は一部書かれてなかったらしく何でだろうと思ってたら女性の性について書かれてるからだろうか。思春期の女の子が性について日記に書いてるので問題になったのだろうかと思ってしまう。まぁ性についてはちょっとだけなのでそこまであからさまな表現は出てきません。それ以外は女の子らしく連行されるまでの期間の日記が初々しい。勉強や食べ物などひっそりとユダヤ人としての生活が書かれてます。人種差別もなぜみんな仲良くできないんだろうかと思う。自分のみが正しいという思想
今年初めてのメロンです🍈たまらなく美味しかったです北海道赤肉メロンこれはちょっとお高いこっちの山形県産赤肉メロンをchoice🍈手頃な価格で品質も良くちょうど食べ頃でございましたそして頂きものの韓国海苔開けるとこんな感じでビックリしました‼️思わずあれ、海苔は?て言っちゃいました🫢こんな海苔が缶の中にギッシリ詰まった日本ではあまり見ない海苔でございました韓国海苔にしては少々うす味でしたそして土・日観る予定のDVD映画サウルの息子アンネ・フランクを忘れない「戦争
◎このブログの目次はこちらこんにちは今回は6月のオランダ旅行レポート、アムステルダム後編をお送りします。<2025年6月オランダ旅行レポート>(1)マーストリヒト前編(2)マーストリヒト後編(3)アムステルダム前編(4)アムステルダム後編今回はココオランダ旅行、最後のディナーこの日は旅の実質最終日だったので、レストランで打ち上げディナーをしました。ニューマルクト広場にあるこのお店DeyacosRestaurant&Barブルスケッタチキンサラダ
最初の年は(30過ぎてからですが、怖いのものは苦手です。ホラー映画は見ますが)何故ナチスが出来たの?生徒に聞かれたらどうする?ということで、YouTubeで見始めたのが最初です。意外にもYouTubeには海外のドキュメンタリーが沢山あるし、英語字幕を付けてくれてるものも有ります。私はまさかルール炭田を取られたことによる貧困がスタートだとは知りませんでした。手当り次第見ていた気がします。今年は自分が戦争に鈍くならないように、と見ました。1部は変えられていると思いますが、割と見応えありまし