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えー、もう5月なの?で、どんどんつなげます。最初に訪れたのが、横穴古墳でした。3月末頃に行っていて、まだ寒かったですね~。ここは一人で行ったんですけど、一人では行かない方がいいですねー(普通行かないでしょうけど)箟岳丘陵南側の崖に造られた大規模な横穴墓群です。他にも古墳や遺跡はありますが、ここが一番よく見える古墳です。※遺跡にはゴルフ場がつきもの・・・ここの横穴古墳群がいろいろと教えてくれたことがありました。なぜ、ここに来たのかは、最後に書くつもりで、
◆火吹く人たちの神~21背中痛の再発…今回は腹痛もかなり酷いのですが…どうやら峠を越えたようでかなり回復に向かっています。新しい対策を練ったおかげもあるのですが。机上の敬神活動も参拝の敬神活動もともに精力的に取り組みたいと思います。過去記事一覧はこちら。↓↓↓↓↓~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事一覧『◆【過去記事一覧】火吹く人たちの神』◆【過去記事一覧】火吹く人たちの神谷川健一氏の渾身の作!今もなお多くの古代史・民俗学研究者等のバイブルであり続ける
◆火吹く人たちの神~20過去記事一覧はこちら。↓↓↓↓↓~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事一覧『◆【過去記事一覧】火吹く人たちの神』◆【過去記事一覧】火吹く人たちの神谷川健一氏の渾身の作!今もなお多くの古代史・民俗学研究者等のバイブルであり続ける不朽の名作!この書をテキストに、発行後のめざ…ameblo.jp~*~*~*~*~*~*~*~*~*~第一部青銅の神々第二章目ひとつの神の凋落■天目一箇神が統合する片目と金属のイメージ前回の記事では柳田国男氏
『『王子神社』出張の合間の神社巡り阿波徳島編~猫神サマと根子神サマ~』『『朝宮神社』出張の合間の神社巡り阿波徳島編~猿田彦、瀬織津姫の川へと至る~』『『宅宮神社』出張の合間の神社巡り阿波徳島編~神踊りが伝える邪馬壹国の女王~…ameblo.jp↑のつづき。さて、徳島市街での仕事を終えて徳島駅からバスで約30分。『多家良』のバス停で下車。ここは『多家良(たから)町』。この多家良地区は、徳島市の南部に位置する農村地帯である。そして、側には『八多川』。隣には『八多町』。多家
出かけたのがよくなかったのか、突然気温が下がったおかげか、明日の荒天の先取りか、なんだか具合がよろしくない。今日は簡単に一つ。+++++++++++++【詳しく】日銀植田総裁記者会見マイナス金利政策解除日銀の植田総裁は金融政策決定会合のあとの記者会見で「マイナス金利政策などこれまでの大規模な金融緩和策は、その役割を果たしたと考えている」と述べた上で、当面は緩和的な金融環境を続けていく考えを強調しました。この中で植田総裁は「賃金と物価の好循環を確認し、2%の物価安定の目標が
セレステです次男くんとたたらの勉強会「奥出雲たたらと刀剣館」に続いて向かった鉄の歴史博物館コチラでは昭和45年に作製された『和鋼風土記』という30分の映像が見られます大正時代に廃絶したたたら製鉄その長「村下」は当時80〜90歳になられ数名存命されているのみその方の協力で、たたらを蘇らせた貴重な映像古めかしさは否めませんがこのドキュメンタリーDVD化を希望館内にはたたらの断面モデルもありめちゃ勉強になる順調に勉強を終えたので出雲大社に参拝ご神馬にご挨拶をしたら
◆火吹く人たちの神~19「民俗学」とは狂気の沙汰の学問だ…と常々書いておりますが。柳田国男氏のせいか?もうこんな炎のような情熱を抱き、奔走するような人物は出てこないのでしょうね。彼の偉大な遺産を有り難く享受したいと思います。過去記事一覧はこちら。↓↓↓↓↓~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事一覧『◆【過去記事一覧】火吹く人たちの神』◆【過去記事一覧】火吹く人たちの神谷川健一氏の渾身の作!今もなお多くの古代史・民俗学研究者等のバイブルであり続ける不朽の名作!この書
セレステです週末は早起きして出雲縁結び空港へ次男くんとの2人旅でたたら製鉄の勉強会不安だった機体はペラじゃなくて安心空港に着いたら車を借りて奥出雲へ途中、鬼の舌震に寄り道急遽立ち寄ったので見るべき所は分からず恋吊橋だけ渡っておきましたなかなかの絶景そして最初の目的地奥出雲たたらと刀剣館立派なヤマタノオロチが出迎え右の本館が改装していて「閉館中?」と思ったけど左手から入れるようになってた館内は撮影不可ですがこちらの日本刀と玉鋼はSNS🆗日本古来の鉄づくりと日本刀
◆火吹く人たちの神~18過去記事一覧を作成しました!↓↓↓↓↓~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事一覧『◆【過去記事一覧】火吹く人たちの神』◆【過去記事一覧】火吹く人たちの神谷川健一氏の渾身の作!今もなお多くの古代史・民俗学研究者等のバイブルであり続ける不朽の名作!この書をテキストに、発行後のめざ…ameblo.jp~*~*~*~*~*~*~*~*~*~第一部青銅の神々第二章目ひとつの神の凋落■柳田国男「一目小僧その他」の大胆な仮説■柳田以降の諸説の
つばき群生林を後にして明治日本の産業革命遺産を求めて恵美須が鼻造船所跡へ。世界遺産登録された場所とは思えないひっそりとしたところ。案内看板もへしゃげています。洋式軍艦の建造に先駆的な役割を果たした場所。どこかのお兄さんが歩いていますが、(このお兄さんこの後、行く先々で見かけました)この道は溶岩を集めたもので、滑りやすく、とにかく歩きづらい。多分専門家にはワクワクするようなところなのでしょうけど。スクーネル打建小屋。多分これはその小屋のミニチュア??いやいや、その説明書き
公式ハッシュタグ令和6年2月20日骨董品ランキング2位先週は宮城県南の丸森町でタタラ製鉄の調査をしていた。その時に,山里のご家庭でお煮しめを御馳走になった。お煮しめと言えば,半世紀前は,人寄せなどの時の花形料理だった。杉浦日向子さんによれば,江戸時代,お煮しめを炊けない女は鳶の頭の嫁にはなれないと言われたそうだ。宮城県丸森町のお煮しめ凍み大根のまん中にある穴は,長い串を刺し通した跡,その名も,ヘソ大根。丸森町のお煮しめには,この冬に作った凍み大根も入っていた。そのお家で
外国人観光客が少ない?島根県千と千尋の神隠し鬼滅の刃があんなに外国人に人気なのに?外国人向けのPRが間違ってない??刀鍛冶の里たたら製鉄、玉鋼聖地巡礼客を呼び込まないと!!
島原藩6万5000石の藩主松平忠房公は,関流砲術に入門し二十歳の時から三十一歳までの間に,四度にわたって関流の秘事を授けられた。関流は礼儀に厳しい砲術流派であるから,大名といえども忠房公も関流の掟を守り指導に従う旨の起請文を関宗家に入れたはずだ。関流砲術の起請文(現代版)起請文は,関家の家紋である向い揚羽が摺りこまれた和紙が用いられている。島原藩主松平忠房の鉄砲の腕前は,相当なもので鉄砲の稽古にも熱心だったと記録されている。寛文七年(西暦1668年),四十九歳の忠房は,島原城二
前回、「クババ」「キューブ」について書きました。↓『投げられた「キューブ」?』前回、アナトリアの大地母神「キュベレー」を取り上げました。↓『「雄獅子2」+「女神1」?』以前「3頭の獅子」と「3人の女神」について書きました。…ameblo.jpその時関連する気になるキーワードに「鉄」をあげました。「鉄」はこのブログでもたびたび取り上げてきて、いろいろ調べていたら辿り着き、何か重要な意味がある気がするんですよねー。「鉄」といえば「磁石」・・
日本に製鉄技術が伝わったのは5世紀後半だといわれています。わからない事があります。日本に伝わった「たたら製鉄」は古代ヒッタイト人が3000年以上前に行っていた製鉄技術と大差のないものです。しかし、当時の中国ではそんな原始的な技術は既に廃れていたのです。『製鉄の歴史』冶金学について全く無知なのですが、興味深い資料をみつけたので「なぜ日本にだけ折り返し鍛錬・たたら製鉄が残ったのか」について自分なりに考えて書いてみたいと思いま…ameblo.jp↑過去に書いたものです
先ずは基本https://www.tatara-navi.com/%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%82%89somosomo/%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%A8%E9%89%84/人類と鉄地球誕生の時、重い鉄は地球の中心部に沈み込み、その大部分は地核に存在し、鉄は地球の総質量の3分の1を占めています。地表にある鉄は酸化されたもの(酸化鉄)で、鉄鉱床としてあったり、磁鉄鉱として岩石(火成岩)の中に存在し、人類はこれらを利用して鉄を作り、利用してきました。ww
◆火吹く人たちの神~1新しい企画物記事をもう1本立ち上げます。当ブログで最も引用している著書。私にとっては永遠で最上の教科書。偶然なのか、神の仕業なのか…。日本古代史に興味を持ち始めた、まだ右も左も分からない頃のこと。古本屋でたまたま手に取った3番目の書が「青銅の神々の足跡」(谷川健一著)でした。1番目は「神々と天皇の間」(鳥越憲三郎著)2番目は「水底の歌」(梅原猛著)これらも今から思えば奇跡でしかないのですが…3番目は奇跡中の奇跡でした。初版は今から34年前。
真理子とすぎみきの旅は続きます。広電に揺られて二人は広島市内へ。せっかく広島に来たらもう「広島風お好み焼き」を食べよう!しかも地元の人しか行かないような店をと井之頭五郎になって探し回ろうと思ったら、すぎみきさんがいとも簡単にスマホで探し当てたから、いざその店に・・・店の名はカープ!もうこれ以上にわかりやすい店はないです。地元のしかもこてこてのカープファンしか行かない・・はず。間違っても縦じまの服着て行ったら、ボコボコにされそうです。
こんばんは、天野隆征です。今回は引き続き、もののけ姫が抱える、その物語の複雑性ゆえのジレンマについて探っていきたいと思います。ただしそのためには、まずたたら場について、特に、その生のあり方における矛盾について整理しなければなりません。まずたたら場とは、字の通り(というか作中の描写の通り)たたら製鉄を行うところです。場所は恐らく山陰地方のどこかでしょうか。砂鉄や鉄鉱石から鉄を作り、それを売って金銭を得て、それで米や食糧を買って集団生活をしているのですね。その女長がエボシ。
2023年6月18日今日のワード『金屋子神』朝、洗濯物を干している時に「かなやこ」と来た。そして、その事を忘れてたら、また入って来たので検索しました。金屋子神(かなやごかみ)金屋子神とは、中国地方を中心に鍛冶屋に信仰される神で、たたら製鉄の総本山である金屋子神社では、鉄の神・火の神として、三宝荒神の姿で描かれた掛け軸も残されている。一般的には女神であるとされるが、男神とする説もあり、金山彦・金山媛や天目一箇神と同一、もしくは何らかの関係がある神とされるが、全く別神とする説もある。
【日本刀の鍛錬について】実物に触れる機会はあまりないかもしれませんが、日本刀とはその名の通り日本固有のもので世界の鉄工芸品の中でも最高峰に位置付けされている工芸品です。日本刀の素材は玉鋼とと言われる「たたら製鉄」によって作られます。「たたら製鉄」に関しては私もよく理解していないので自身で調べてみてください。現在、島根県の奥出雲町で「たたら製鉄」が復元されているようです。玉鋼を作るには「たたら製鉄」の技法で3昼夜70時間作業を続けないといけないそうです。そうして
出雲大社参りをした次の日に、奥出雲に行きました。まず、「鉄の歴史博物館」でたたら製鉄の歴史や製法、道具の展示を見学しました。たたら製鉄とは、砂鉄と木炭を原料として粘土製の炉の中で燃焼させることによって鉄を生産する製鉄の技術だとか・・・奥出雲では、ずいぶん昔から純度の高い鉄を作っていましたが、鉄を作るのに、とても長い年月と労力が必要で大正の終わり頃には、作られなくなったのだそうです。当時の作り方を再現するビデオを観ましたが、昔の人の知恵に大変驚きましたその後、たたら製鉄の経営者
神社と酒蔵を巡る出雲の旅、出雲大社のあと訪れたのは…同じく出雲市にある、韓竈神社。「出雲国風土記」には『韓銍社(からかまのやしろ)』、延喜式には『韓竈神社』と記載されている、歴史ある神社。その昔、祭神の素盞嗚命が新羅に渡り、植林法やタタラ製法、鍛冶技術などを伝えたとされています。駐車場から神社に向かって、まずなだらかな山道を800mくらい歩くのですが、川が道沿いに流れていて、せせらぎを聞きながら美味しい空気を思いっきり吸いたくなる心地よさそして
今回は、写真が復活しているので記事も付け足して復活してみますーーーーーーーーーーーーーブログからーーーーーーーーーー2014年07月22日梅雨も明け、暑い夏がやってきました。7月の3連休は久々の旅。島根県の温泉を訪ねる旅でした。お目当ての温泉は、温泉津温泉と小屋原温泉。18日の夜から出発し、加西SA泊。19日は、まずは松江へ。島根県は、案外好きで何回か行っているのですが、何せ温泉とおいしいもの目当てなので、観光地はPassすることが多く、松江市内は今までPassしてばかりでしたが
たたら製鉄沼の名前がついた新田多数少し寂しい古い資料館です。八千代町は沼が多数ありました。その沼を干拓して新田を多く作っていきました。有名なものは飯沼新田です。鉄も作られていた場所でたたら製鉄方法が採用されていました。尾崎前山遺跡が有名です。
連休の初日に、娘と遠出をしました。島根県にある『鉄の歴史博物館』へ。ちょっと早めの6時過ぎに出発。山陽道から尾道道へ(無料区間)やまの中を走るので…霧で前が見え難い…しばらく走ると…紅葉🍁が。途中…道の駅高野へ寄りましたが、開店前で欲しかった林檎🍎は、買えず…残念😢しばらく走ると…目的地に到着。鉄の博物館中に入って…鉄が出来るまでの画像を見てから、見学をしました。製鉄するまでの流れの模型や、使われていた道具類が展示されてました。たたら製鉄は、土で作った製鉄炉の中で砂鉄と、
↑環首刀(素環頭大刀)ざっくりいうとこれが日本刀の直接の先祖なんですよね。これの環の部分を切り落として木の柄をつけて反らせたのが日本刀。近年の研究の結果をまとめるとそういう事になるはずです。日本刀の源流が蕨手刀のような共鉄柄の刀ではなく方頭大刀なのであれば。前漢~後漢時代は中国でもまだ「たたら製鉄」や「折り返し鍛錬」が行われていたはずなので、作り方でいっても直接の先祖になるはず。5~6世紀になると可鍛鋳鉄の使用がはじまるので中国ではたたら製鉄や折り返し鍛錬が廃れていくわけですが、その時期
さて、「鉄の歴史博物館」の続きです。博物館自体はそれほど大きなものではないのですが、たたら製鉄に関する道具がたくさん展示されていました。とくに入ってすぐの映像コーナーで、15分くらいかな…ちょっと古い資料映像でたたら製鉄の復元の様子を見てから見ると、「さっき使っていた道具やな」というのがわかるので非常に面白いです。とにかく、砂鉄から鉄を生み出すってものすごい手間がかかっていたようです。「砂鉄を溶かして精製」とひと言では表しきれないですね…炉の組み方から何から、とにかく規模が
見てくださってありがとうございます三連休、秋を求めて島根県奥出雲町へ行ってきました可部屋集成館江戸時代、たたら製鉄で財を成した櫻井家の敷地にある可部屋集成館へ『可部屋』というのは、屋号。櫻井家の創始者、櫻井直胤が福島氏に仕え広島の可部に住んでいたことに由来します。広島とも縁があるのは、なんだか親近感。集成館には櫻井家とたたらの歴史などが展示されています。大坂夏の陣で豊臣方で討ち死にした塙團右衛門(ばんだんえもん)の嫡男が母方の姓を名乗ってできた櫻井家。天下分け目の
11月に入ったのに、夏日だーとかこの時期の最高気温を更新だーとか…暑いんじゃ。そんな中ですが、三連休だし。標高の高いところなら紅葉狩りできるんじゃないかなってことで…霧の中を北上。やまなみ街道をぐんぐん登って行きました。高野辺りからは、さすがに山も秋らしくなってきていました。そして到着したのは、こんな雰囲気のいい街並みです。島根県雲南市にある「鉄の歴史博物館」です。たたら製鉄のたたら場が数多くあったこの地域。あの『もののけ姫』のモデルにもなったことで有名ですが、なかなか来る機