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美人画家として有名な横尾芳月の下絵になります。2回目の紹介になりますが、今回の作品は160×135㎝と非常に大きな物なので中々広げて写真を撮るのも大変で、あまり上手く撮ることが出来ませんでした。こんなにも大きな作品は普通の家では、とても飾る事など出来ません。展覧会に出品した作品の下絵なのか、もしくは雅叙園に飾られている作品の物なのでしょうか。横尾芳月(よこおほうげつ)(明治32~平成2)は福岡県出身の、
加藤清正公図「加藤清正公図」紙本本紙114×56㎝とても大きな作品で迫力がありますが、その状態は非常に痛んでいた作品を修復して軸に仕立てた作品だと思われます。先頭の画像を拡大してもらうと、破かれていた痕が分かると思いますが、自然と劣化したのではなく人の手によって破かれた様に感じます。表装を見ると、これがまたボロボロに痛んでいて、かなり古い物だと思われるので修復、軸装されたのは江戸
英泉の掛物絵(大判の縦2枚続)です。浮世絵に興味を持ち始めた頃に買った物で、この頃は何処に行けば浮世絵が売っているのかも良く知らない頃で、近所の骨董屋に週一度ぐらい顔を出しても中々浮世絵は入いらず、ふてくされている時に神保町に浮世絵の専門店が集まっている事を知り、出かけて購入した物です。今思えば高価な買い物でした。その当時の給料一ヶ月分位だったと思います。今ではオークションに同じ物が出て来ても、落札価格は十分の一位でしょう。当時は、とにかく
旭陵彪「藤娘図」旭陵彪「藤娘図」作者については詳細不明。絹本に繊細な筆致で鮮やかな色彩にて藤娘を描き上げています。着物の模様に金泥で水草を描き、その間を多数の小魚が泳ぐ様が描かれていて大変おもしろいと感じます。藤娘と言うと日本人形や羽子板で良く見ますが、良くは知らなかったので調べてみると元々は大津絵の画題の一つ
最近バタバタ忙しく、ブログの更新ができてませんでした。2月の小山Fellowsのイベント情報をおしらせします♪強烈に熱く、圧倒的なスケールと繊細さを兼ね備えた演奏で世界の音楽ファンを驚嘆させている椎名豊がフランスからアルト・サックスの最高峰、ピエリック・ベドロンを迎えて結成された椎名豊SpecialQuartet2008年、同バンドでアルバム「BalladImaginations」をリリース。燈めき冴えわたるピアニズムと迫力のホーンサウンドは必聴!多くの聴
国貞東海道五十三次之内吉田(画像提供:国立国会図書館ウェブサイト)前回は広重と江漢の東海道五十三次について書きましたが、江漢の作品は過去に伊豆高原美術館(いまは閉館しています)で展示されていました。江漢の肉筆画帳は広重の東海道五十三次を、写して作られた可能性が高いという見方が一般的ですが、江戸時代に江漢が広重を写した物ではなくて、近年に江漢の落款を入れて作られた可能性が高い物だと思われます。しかし美術館に展示されていたのですから、当
ああ、明日は出社だ。嫌だ。それは忘れて、今日という休日を楽しもう。金はかけなくとも遊べるはず。【2020年1月28日7:31】40m作品にまた手を加えた。布に布用ではないペイントを使って描いているので、以前描いたものはボロボロ落ちてくる。毎年一色ずつ描き加えて、7年目だろうか。東日本大震災祈念作品であるため、風化させないように作品を描き、毎年3月11日に展示している。そのため、色が落ちては描いていくのは趣旨に沿っている。だが、部屋の汚れ方がものすごい。今年はいいペースで描き進め
前回の続きです。司馬江漢の肉筆画帳に描かれた東海道五十三次は本物で、広重の名作と言われる東海道五十三次は、それを見て広重が盗作した物なのでしょうか。広重は江戸から京への旅。江漢は逆に京から江戸への道中を描いている55枚の作品ですが、はたして真実はどちらなのか。広重池鯉鮒江漢池鯉鮒広重と比べると江漢の方は馬の数が少なくて、とても寂しい感じになっています。他の作品にも言えるのですが、江漢の作品は広重よりも人が少なく描かれています。馬も良く見ると
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広重東海道五十三次桑名宿歌川広重の東海道五十三次と言えば、広重の代表作であり出世作でもある浮世絵風景画の傑作と言っても良い連作です。切手の図案にも多数採用されていて、あまりにも有名な浮世絵です。それが近年(28年程前)新たに司馬江漢の肉筆画帳が発見されたのですが、内容が広重の東海道五十三次の内容と殆ど同じだったから当時は大変話題になりました。司馬江漢は広重よりも半世紀も前に生まれた人ですから、これが本物ならば広重は江漢の絵を写した事にな
「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿菊川琴明「猿田彦神図」オークションでこの作品に目が留まったのは、落款の菊川という文字が気になったからでした。天狗図で出品されていた物でしたが、もしかしたら浮世絵の菊川派の絵師なのではないかと思ったからなのですが、残念ながら落札後に調べてみましたが何も分かりませんでした。江戸時代からの紙製の表装の掛軸でしたが、長い間掛けられていたのでしょう、紙の劣化や痛みが
旭川駅7時発札幌行き高速バスだいぶ明るくなりましたね。でもやはり冬道は夏より時間がかかってしまうので次は6時のバスに乗ろう。荷造り新型コロナウイルスの影響で中国人観光客はずいぶんと減ったようです。この日の出店者さんは全員マスク着用お客様もほとんどマスクをしていました。お久しぶりの出店者さんにお会いしたり、そしてチカホの出店者さんは地下鉄移動で来る方もずいぶんいらっしゃるので荷物をまとめて運びやすくするというのにかなり工夫されてる方が多くていつも勉強になります。私ももう少しコンパク
勇村一甫(いさむらいっぽ)「立美人図」江戸後期の画家。京の人。名は義貞、秀蘭斎と号す。文化頃の人。享和3年とあるので1803年の春に描かれた作品だと分かります。平安人物志(文化10年版)に、僅かに記載されているだけで詳しい事は何も分かりませんが、浮世絵師ではなく真面目な京絵師だと思われます。検索しても作品は、何も出てこなかったのですが、美人の顔立ちを見ると円山派かなとも感じますが、詳しくは分か
ポール・ジャクレーゴビの星モンゴル(木版画)ポール・ジャクレー(PaulJacoulet、1896年-1960年)は、フランス人の版画家。1896年、パリに生まれる。父親が東京外国語大学のフランス語講師になった為3歳の時に来日。ジャクレーは病弱であったため幼い頃から絵を描くのが好きな子供だった。11歳の頃から浮世絵版画に興味を示し、黒田清輝と久米桂一郎からデッサン及び油絵を学び、13歳の頃には浮世絵の流れをくむ池田輝方及び池田蕉園に師事した。
無落款の作品ですが、箱には鳥居清長筆、「酒宴の図」と書かれた紙が貼ってあります。しかし美人の顔などには清長らしさの、欠片もないので違うのは明白です。所々に金砂子や、酸化して黒くなっていますが銀砂子が撒かれています。遊郭で花魁(太夫でしょうか)を隣に酒を飲む若侍の絵のようです。骨董品や古い掛軸などは、怪しい品が多く流れていますが今回の作品のように落款がないものには、勝手に有名な絵師の作品と決め込んでしま
菊川英山人形を抱く娘掛物絵浮世絵美人といえば頭の中に浮かんでくるのは、歌麿の描いた美人画と言う人は多いのではないでしょうか。それだけ歌麿は当時から人気絵師でしたが、現代に至っても浮世絵美人画のトップに君臨している巨人と言えます。錦絵の発明から美人画と言うと、中世的な面立ちで人形のような清純な美人を描いた鈴木春信に始まり、大人の色香を漂わせ実写に近づいた北尾重政、八頭身の背の高い独自の美人画スタイルを確立した鳥居清
三代歌川豊国・歌川広重「東都高名会席尽平の清盛」三代歌川豊国・歌川広重「東都高名会席尽平の清盛」豊国の描いた名作歌舞伎を演じる役者絵と、江戸の有名な料理屋の店先を描いた広重の風景画を組み合わせて刊行された「東都高名会席尽」のシリーズの一つで、嘉永6年(1853)1月に出版されました。このシリーズは料亭と役者は何かしらの隠れた関連性があって、それを見つけるのも楽しみの一つだったよう
普段は浮世絵を紹介していますが、今日はピエロの油絵になります。サインもなく作者不明での出品でしたが、調べてみたら作者はムーディという画家と分かりました。1916年フランスのシェルブール生まれ。グルノーブル美大を卒業して、ボルドーにアトリエを構える。普段は油絵は滅多にオークションでは落とさないのですが、ベルナール・ビュッフェの道化師を思い出して目に留まってしまいました。もっとも一番の購入理由は、他に入札者もなく、500円での出
この肉筆浮世絵もオークションで手に入れた物ですが、出品時の作者名は、穂積堂香牛という浮世絵師という事でした。聞いたことのない名前でしたが、調べてみると浮世絵文献資料館の浮世絵師総覧に、僅かですが記載がありました。穂積堯珍(ほづみぎょうちん)穂積堯珍号香牛遊女壱人立奥村風[署名]「穂積香牛筆」[印章]「刻字未詳」「穂積堯珍之印」(二顆ともに朱文方印)ウィキペディアには穂積堂青牛(ほづみどうせい
広重膝栗毛道中雀東海道浜松泊十辺舎一九の東海道膝栗毛の弥次郎兵衛と喜多八の2人の珍道中で有名なシーンです。旅籠での夜のこと、取り込むのを忘れた物干の襦袢を幽霊だと思って、腰を抜かしてびっくり仰天している騒動の場面です。江戸時代の夜は現代とは比べ物にならない程に暗く、深い闇に包まれていました。時代劇などでは、照明を当てて明るく撮影しているので感じませんが、実際は行燈の灯りなどは、それは暗い灯りです。長野県の北斎美術館の近くに、日本
団扇を片手に、頭上を飛ぶ二匹のホタルを見つめる女性。古来より蛍は、闇に淡く光る姿が恋に身を焦がす恋心を象徴するものに、例えられて来ました。静かに秘める女性の燃える恋心を、表現しているのでしょうか。例によってオークションで落とした物ですが、通常オークションでは出品されると落札が決定する最終日までは、一週間程時間があります。殆どの物は初日に出品に気付いてウォッチリストに登録して、お目当ての商品の入札の様子を見
仕事ですっきりしないことがあった。こんな仕事、そんなもんだが。【2020年1月25日18:46】今日もさらにすっきりしない。よくもまあこんな仕事を十数年も続けてきたものだ。【2020年1月26日21:03】1月中にやらねばならないことの一つに国際映画祭の応募を掲げている。ちょうどこの時期が各種映画祭の応募時期なのだ。明日は休みなので、午前中の集中できる時間に二つの映画祭に応募しようと思っている。世界の四大アニメ映画祭全部に応募してみる。全滅もまた楽し。応募
今回は美人画の下絵になります。天保6年(1835年)二月観雪蔵と書きこみがあります。サイズは75×35㎝と結構大きい物です。観雪蔵とありますので観雪という絵師の絵の資料として自分で保管していた物で、描いたのも観雪自身だと思われます。観雪は実は喜多川歌麿の門人で、喜多川月麿(きたがわつきまる)と名乗っていました。おまけのように、もう一枚絵が付いていました。(左画像)絵の上に重ねると
三代歌川豊国・歌川広重「東都高名会席尽洲崎風景・武蔵屋・弁慶」三代歌川豊国・歌川広重「東都高名会席尽洲崎風景・武蔵屋・弁慶」豊国の描いた名作歌舞伎を演じる役者絵を手前におき、コマ絵の中に江戸の有名な料亭の料理や付近の風景を広重が描いた、嘉永5年(1852)10月から翌6年2月頃まで出版された「東都高名会席尽」のシリーズの1枚。料亭と役者は何かしらの隠れた関連性があって、それを
今回も明治~大正ぐらいの、団扇絵を何点か紹介します。団扇絵(うちわえ)とは、江戸時代の浮世絵の中の一種で紙に団扇の形に画が摺られたもので、これを切り取って実際に竹の骨に貼って使用しました。日常に使用された物なので、痛めば骨だけは残して絵だけを張り替えて使いまわしていたと思われます。作品の価値的には、大したものではないでしょうが、日用品として使われていた物なので綺麗に残っているのは、今回の様な見本品として保管され
季節外れですが今回は団扇絵になります。明治~大正ぐらいでしょうか、団扇絵の見本として綴じられて保管されていた物だと思われます。団扇絵(うちわえ)とは、江戸時代の浮世絵の中の一種で紙に団扇の形に画が摺られたもので、これを切り取って実際に竹の骨に貼って使用しました。日常に使用された物なので、痛めば骨だけは残して絵だけを張り替えて使いまわしていたと思われます。浮世絵師では歌川国貞、歌川国芳、歌川広重など
国宝・彦根屏風の中の文を書く美人を写した作品になります。落款は素川壽信となっています。狩野素川(壽信)[1814~1897]猿屋町代地狩野家の絵師ということぐらいしか分かりませんでした。狩野派というと水墨画のイメージがあるのですが、金泥を使って豪華で明るい感じで描いている感じがします。良く見ると彦根屏風をそのまま正確に写して
本日は明治の文人画家として名高い富岡鉄斎の扇面画になります。浮世絵とは全然関係ありませんが、以前オークション依存症の時に目ぼしい作品の出品が無い時は、何かないかと探し回っていたのですが、江戸時代の和本を見ていたら今回の扇子を出品している所に偶然たどり着きました。富岡鉄斎の名前は知っていましたが、作品や詳しい事は何も知らなかったのですが、価格が安かったこともあって落としてしまいました。真贋はもちろん分
今日のJPA画廊巡りです。今回も、画廊の方から作品や画廊の事など、様々な事をご説明を頂き、皆さん普段とは違う時間を堪能して頂きました。画廊は作品を観るだけの所では無いと深く理解して頂けたかと思います。かなり喜んで頂けた様で、やった甲斐がありました。今回のコースです。JR有楽町駅・中央改札出口・交通会館側広場11時集合・GalleryTAGBOAT(有楽町阪急)工藤千紘展「PureWhite」・バンコクキッチン(ランチ)(3丁目)・銀座柳画廊(5丁目)新春展・日動画廊(5