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昨日は朝早くに出て福島に。父があとわずかな命なので、兄弟対面😊天気は最高!夏みたいに暑くて😊桜はもうないけど、、緑爽やかで😊懐かしのくまたぱん↓も今やこんなふうに変わって…元祖のはもっとでっかくてすごかったけど、今は個包装でお砂糖みたいのもこぼれないよう袋に入ってる。そして、コシアブラをいただき。摘みたて!これを洗い並べてキッチンペーパーにくるみ、明日の昼ごはんに。あとは大量のうるいを洗い下ごしらえし…疲れた🥱お米やら、自家製山葡萄焼酎やらをたんまりといただき🙏山葡萄漬
二週間前、痛みに苦しんでましたカロナールが効かず、4時間ただ無になってロキソニンを飲む。やっと強烈な痛みから解放されたでも、根本が解決したわけではないので、期間限定!!そこから夕食準備、お風呂、寝かしつけ。終わったら、またロキソニン飲める時間までただ無になる今はその痛みから解放されたが。痛みながら、こんなことを考えていた。がん患者の痛みってこんなものではないんだなと。麻薬系の痛み止め使うくらいの痛みって…ロキソニンで治るくらいの痛みで、数日戦闘不能だったのに全然わか
お2階さんのお世話に良く来ている元職場の後輩さんのご主人が、最近甲状腺の癌になりました。築地の国立がんセンターで治療をすることになり、通院で、電車で通っていますが、ラッシュもあったり、長時間の電車、とても大変そうです。夫婦だけで、奥様は車の運転ができません。そんな時、同じ様な状況の皆さんは、やはり電車で通っているのでしょうか近くで泊まられたりしていますか何か良い方法はないのでしょうかがんセンターは、家族は個室でも泊まれないのでしょうかがん患者の家族は第2の癌患者。疲弊しないで、元
パパが体調悪くて絶望を口にするようになって母として子供たちへの影響を考える。今もね、そうです。体調が悪いと口が悪くなる。これって一緒に暮らしてていいんか?と考えるように。さっそく病院に電話してみたら、一度病院へきてお話しできませんか。と言われました。チャイルドマインダー?だっけ。がんセンターには小児科もあるから子供の精神状態のスペシャリストがいると。予約はしたんだけど、結局その日子供が熱を出して行けなかった。そしたら、電話でお話ししてくれたんで
これから入退院を繰り返すことになるとは思っていませんでしたが、初めての緊急入院し、お迎えに行った時のことは覚えています。まあね、かなり脱毛してたから。でもつるつるじゃなかったな。ふわふわ残ってました。それ以外はそこまでひどく変わった様子なく(痩せてたけど)声も元気だったと記憶しています。これから毎日20錠のステロイドを飲むんですって。それが気持ち悪いのなんの。と。小ぶりな錠剤だけども。すごい治療だね、やっぱり。げーげー洗面台で吐いたりさ。今はもう慣れたけ
緊急入院から一か月ほどたったころ。一度目の投薬後の副作用の様子をしっかりと病院で診てもらって二度目の投薬後、2,3日の様子を見て問題なさそうだったら退院できそう!という知らせが届きました。これは嬉しい知らせ。がんがわかって、このまま死んじゃうんじゃないか?っていうところから寛解に向けて治療がはじまって、家に帰ってくることになった。良かった~。という気持ちとともに、血液がんの人の基本的な暮らしガイドが頭をよぎる。患者が触れるであろう部分は清潔に保ち、
パパが「がん」と、わかってから毎晩しくしく泣くような嫁ではなくなるべく普段通りの生活を送るようにしていました。けど、フイうちの人のやさしさに触れると涙が止まらなくなる時があったな。と、昔のLINEを見て思い出しました。町医者受診後、あれよあれよとがんセンターに入院したのでパパのお勤めしている会社は突然休み出したって感じになっちゃんですよね。んで、確定診断もされて治療方針も決まったタイミングで遅ればせながら、私一人でパパの会社へご報告と、ご挨拶に行ったんで
癌の方のニュースと子どもの気持ちニュースで、桐島聡さんが入院先の病院で亡くなったと、知りました。恥ずかしながら、当時の事件などはよく分かりませんし、この指名手配犯について、言及するつもりもありません。ただ、「末期がんで入院中の桐島聡が死亡した」と子ども達の耳に入ることが辛い。私は、膵臓がんを告知されてすぐ小学生だったふたりの娘に癌になったと伝えてしまった。隠しながら治療するのは難しいと思ったから。それから、ドラマで、癌を患った登場人物が亡くなる度、ニュースで
そういえば、R-CHOP療法が始まる直前に、一度病院に侵入したことがあるんですよね。コロナがあって、完全に入院病棟の患者とは面会できなかったんですよね。保険請求用の診断書を出しに行く、取りに行く場合、正面玄関の関門を突破できるんですよね。通過後は誰かがピッタリついてくるわけではないので、そのまま院内をうろうろすることは可能なんですよ。なんせ、緊急入院以来一度も会えずでしたので。治療に入る前に口裏を合わせて、病院内のコンビニで会うことにしました。ほんの五分ほどコンビニ
非ホジキンリンパ腫びまん性大細胞型B型リンパ腫という病気は、リンパ腫の中でもメジャーな病気らしいです。そしてR-CHOPとは、それぞれの薬の頭文字で、じつは2000年ごろまではCHOP療法だったんだって。2000年ごろに認可されたリツキサン、リツキシマブという薬がびまん性大細胞型B型リンパ腫に効果がすごくて5年生存率が飛躍的に伸びたとか。それから、びまん性大細胞型B型リンパ腫の患者さんにはまず、R-CHOP療法!となったらしいです。医学の進歩ってすごい
パパは、がんセンターの検査からの緊急入院したままR-CHOP療法というリンパ腫の治療に入ることになりました。点滴による薬液を注入。しばらくすると薬の効果で白血球(免疫)が減少してしまう。そのために食事や普通の生活は特に気を付けるようガイドをもらいました。普通の生活をしているときにならないような雑菌も、免疫低下する治療中は命取りになるそうです。食事は特に気を付ける。直接体内に入るものですもんね。生卵、生魚、漬物(衛生的じゃない、がんセンターの医者は食べな
治療に半年かかる。わたしたち30代、40代の働き盛りの世代にとって治療に半年要するってながく感じませんか??ましてや、一分一秒を仕事に費やしてきたパパ。仕方ないことですが。病気を治すために。わたしは、万が一のことがあったら、こうやって生計を立てて…という事ばかり考えていましたね。その時から、私がじたばたしても事態が好転することは無い。お医者様と、本人に頑張ってもらってすべての結果を受け入れるだけだ。という気持ちでいました。自分のペースが乱れるのが
今日は日中とても暖かかったですね。今年だけなのか?暖冬過ぎて怖い…みなさん、体調管理は怠らずにご自愛くださいね。さて、前回はようやく病院からの呼び出しがあり、病状についての説明を受けられるというところまでお話ししました。コロナの関係で、家族は二名までしか病院に来ないでくれ。ということでさあ、誰が行く?となるわけで。わたしももちろんきちんと話を聞きたい!!が、義両親にその席を譲りました。居ても立っても居られない状態なわけですからね。ただ、誰のフィルター
こんにちは。今日は2024年1月15日です。朝晩は寒いです。が、日中は暑いくらい。今年は本当に暖冬です。みなさん、体調を崩されないようにご自愛くださいね。さて、前回まではパパががんセンターに転院して、緊急入院。二週間ほど音沙汰がなくなってコロナもあって面会かなわずしびれをきらした『義両親が病院に突入する』と言い出したというところまでお話ししました。突入されたら困る!!と思い、がんセンターの相談窓口へ電話相談しました。『主人が初診の検査をし
2021年10月にパパががんセンターに緊急入院。お腹がとにかく痛いってことで、モルヒネの点滴をして痛みの緩和に集中するとのことでした。10月15日、正式に『びまん性大細胞型B型リンパ腫』と診断が下るまで病院からは何の音沙汰もありませんでした。コロナの猛威が収まらず、面会もかなわずに2週間。パパから時々『~持ってきて』とかっていうLINEはきましたが、本人も何も知らされていない様子でした。わたしも心配でしたが、あまり考えないようにしていましたね。わたしがどれだけ心配
うちのパパが、がんの疑いがあると言われたのが2021年9月の下旬ほどでした。それからがんセンターへの紹介状を持って転院。初日の検査まで2週間近くあったと思います。それが本当に長くて。本人は眠れないこともあって、鬱っぽかったのではないかと思います。ほぼ1日中寝たきりでずーとスマホを見ている姿を見て正直なところ、茶碗の一つも洗ってくれれば気が紛れるんじゃないかっていう気持ちでいっぱいでしたね。自分ががんかもしれない、と言われたら、そりゃショックだと思います。夜も眠れず、た
昨日は、どうしてこのブログを開設したのかお話ししました。がん患者の心情を抜きにした、家族の気持ちをしたためるブログです。うちのパパは『びまん性大細胞型B型リンパ腫』っていう血液がんです。周りが気になってね、なかなか吐き出せない気持ちがあるんですよね。家族はさ、病気じゃないから痛くも痒くもないわけで。感情を押し殺しすぎて、何回も決壊したなあ。二年半たってようやく、気持ちの整理をつけよ。きっと心軽くなってくれる人がいる。と思ったわけです。さて、パパの病気がわかったのが、パパ
昨日は自己紹介的な記事でしたので、今日は、なぜこのブログを開設したのか、少し詳しくお話しできたらと思います。平和な家族4人暮らしを突如おそったパパが『びまん性大細胞型B型リンパ腫』であるという診断。診断をされる、そこに至るまでも長い道のりがあって。町医者で精密検査を勧められ、少し大きい病院でCTをとったら、がんの疑いがあるので、がんセンターで検査をしてください。と転院転院で疲弊。がんセンターでの検査の予約、検査、検査結果を聞くまでも二週間ほどかかりましたね。その長
この記事を読んでいる人は、きっと明けましておめでたいって気持ちの方がいらっしゃらないかもしれませんね。大切な人が『びまん性大細胞型B型リンパ腫』と診断された方。その他のがんの診断をされたご家族の方と推察します。本当に心からお見舞い申し上げます。私もパパ(主人)がおよそ2年半前に『びまん性大細胞型B型リンパ腫』と診断され、その年のお正月はそれどころじゃありませんでした。何の病気??ってところからでしたね。私たちの場合は。時間があれば『リンパ腫どんな病気』『リンパ腫治療』
暑いくらいの年末年始と思ってたけど関西に戻ってきた2日の晩は寒さにびっくりしましたそして羽田の事故。最初見た時、能登地震による火事が長引いてるのかと思ったけれど、全然別件か…!と。年始からこわいニュースが続きますね…。1日に妹が羽田を使っていたので巻き込まれずほんとによかったと思う。少し話が戻りますが、31日宴会の席でお酒の酔のせいもあるかもしれないけれど父がとても気弱になっていた。昨年、前立腺がんが分かっています。主治医とうまくいってないけど自分一人だけで会い、
旅の始まりは2021年6月22日、コロナ禍の緊急事態宣言が解除された二日後だった。正午過ぎ、私は歩いて15秒足らずの職場から昼休憩を取るために帰宅した。リビングには夫がいた。高血圧の夫は、3ヶ月に1度病院で血液検査を受けているのだが、その数値で気になるところがあったらしく、朝一番に大きな病院で再検査を受けてきた。私は台所へ行き、有り合わせで食事を作りリビングに戻った。食卓に皿を並べながら、私は夫に声をかけた。「検査、どうやった」「うん、飯食ってから言うわ」「かまへんよ」私は
モヤモヤなことをテーマに追加。これは姪には見せられないカテゴリ。だけど、事実。ここからは、このカテゴリの投稿が目立つかもしれません。在宅看護になり、もう時間が迫っている、という時。それでも私や私の家族は、それが受け入れられなくて。わかってはいるけど、まだ一縷の望みを持ちたい気持ちでただただ姉に寄り添っていた頃。義兄、義兄の母は、私の母に、それぞれこう伝えていたらしい。「もうこのような状態なので、◯◯(姉)のものの片付けを進めてください。こちら(義兄、義兄の母)で
通夜、葬儀の記憶もあまりありません。ただただ泣いていた記憶しかないです。通夜の日の家を出発する前は姉の仲良かった友達2人がきてくれたなぁ。家を出発して、教会で通夜の前に最期のお風呂にいれて。よかったね、気持ちよくなったね、お姉ちゃん。通夜は日曜日、葬儀は月曜日でしたが、どちらも遠方からたくさんの方が来てくださいました。私の夫の両親は愛犬ちゃんもペットホテルに預けて、新幹線→飛行機を乗り継いで(飛行機も朝一間に合わないからと、ホテル泊・・・!)わざわざ来てくださいました・
ダンナ氏直腸ガン術後自宅療養中アラカン再婚主婦あんじぇら☆です。こんな風に思った日は夜になると独りぼっちな気がして『夜はダメだわ』ダンナ氏直腸ガン術後自宅療養中アラカン再婚主婦あんじぇら☆です夜は…情緒不安定なんだかなぁ…ameblo.jp情緒不安定になりました。だけど、こんな日は…『怖い…』ダンナ氏直腸ガン術後自宅療養中アラカン再婚主婦あんじぇら☆です。ダンナ氏、辛いらしく吠えます…以前から、トイレやお風呂でゔぉ〜\\٩(๑`^´๑)۶//…ameblo.jpまた、
姪がひとしきり泣いた頃、義兄が神父様をつれて帰ってきました。神父様曰く、「なくなった直後でもお祈りは間に合う」とのことでした。神父様のお祈りが終わり、それまでそっと見守っていてくださった在宅医の先生が死亡確認を行いました。それからは、姉をきれいにふいたり、お化粧したり。義兄と葬儀の打ち合わせに教会へ行ったり。母や姪と棺に入れるものを選んだり。バタバタと過ごし、悲しんでいる時間はなかったように思います。夜はみんなでお寿司をデリバリー。姉が食べたがっていたお寿司。姉に
お久しぶりです。なかなか立ち直れなくて、その後を残すのを躊躇していましたが、記録として、いつか姪っ子が大きくなったときに教えてあげられるように残しておこうと思います。姉が息を引き取って、私は在宅医の先生へ電話。でも涙が止まらず、うまく伝えられませんでしたが、先生は理解してくれてでも私が一生懸命話すから「うんうん」って聞いてくれて、「すぐに行きますね」と。そんな電話中に義母(義兄の母)到着。唖然としていました。そして本当に先生はすぐにきてくれて。でも我々家族が落ち着くまでそ
主人は頑張り屋さんです。必死に息をしています。『生きる』を家族に教えているようです。今日は息子達孫達全員集合をして主人の周りは賑やかでした。有り難いです。在宅医療担当医が来て下さり総勢集まった様子を見て「🧑⚕️家族集合写真と同じですね😃」と言いました。主人のベッドの前には『笑顔溢れる家族集合写真』を飾ってあります。抗がん剤治療の副作用で頭がツルツルの主人がとても良い笑顔で写っています。口から薬を飲む事が出来なくなり貼る薬で痛みと闘っています。少しでも楽に過ごせるようにと
今日は主人の父親の命日です。日に日に変わる主人の様子。昨夜はよく眠っていた。…でもPM10:30に起きたので『寝る前のお薬』と『睡眠導入剤』を飲ませました。辛い痛みや気持ち悪さから解放されてゆっくり眠れるかしら?と思い…主人は介護ベッドで、私は隣りのベッドで眠った。AM3:15;気配を感じて起きると主人は私の枕元に腰掛けていた。自力では動けない主人。必死に移動したはず。どんな思いでここまで来たのかしら?疲れてクタクタで、ベッドの背もたれクッションに項垂れていた。「👴痛い」は分かった。直ぐ
今日も良いお天気でした。☀️日中の部屋の温度は暖房付けなくても『23度』を下回る事がありません。ポカポカ陽射しを受けて有り難いです。いよいよ、主人は『酸素吸入』が始まりました。昨夜から苦しさを継続的に訴え、血中酸素も93%を上まる事も無いので、酸素吸入の業者さんが搬入して下さいました。主人は少しだけ楽になったようです。昨夜は朝までほぼ寝ていなくて寝不足の老夫婦です。主人はお腹の気持ち悪さと怠さに激しく支配され、どんな寝方をしても苦しくて…介護ベッドといつものベッドを行ったり来たりでし
今日も良いお天気でした。☀️朝から主人の事で忙しい一日でした。そして、それは有り難い一日でした。《来訪者》AM10:00主人の長兄夫婦・AM11:00妹・PM1:00弟・PM1:10幼馴染み・PM6:00長男《在宅医療関係》AM9:00介護ベッド搬入(月々僅かな料金と知り有り難いです。)PM3:00〜PM4:00訪問看護師さん(健康管理、シャンプー、便通改善)主人の体の乾燥予防に体拭きの後にクリームを塗る様指導あった。《主人の様子》AM1:00;トイレに起きる。葡萄1個、ハーゲ