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ご訪問ありがとうございます。初めての方はこちらもご覧ください。↓はじめに登場人物紹介・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚夫は4月に、黄斑前膜の手術(左眼)を受けました。その後の話です。詳しくはこちらから↓夫の目の病気(1)見えない所がある夫の目の病気(2)眼科の検査夫の目の病気(3)黄斑前膜夫の目の病気(4)白内障手術夫の目の病気(5)黄斑前膜手術手術後の眼帯は、翌日の診察時に取れました。3か月経ち、手術後の経過は順調
こんにちは〜!今回は一年前に受けた眼の手術、何かの参考になればと思いお話しますね!元々、視力はよいほうなのですが、一昨年の秋頃なんとなく見え方がアクリル板越しに物を見る感じになって、何かおかしいなぁ〜と近所の眼科に行き診てもらったのですが、その時の診断は黄斑前膜と言われ、加齢で網膜の中心部の黄斑に膜ができてしまう病気だそうで、治すには手術のみとの事でしたその時の視力は0.9くらいだったのですが、すぐに手術ではなく0.5以下になったら手術を考えたほうがよいと…治療よりも眼鏡を作る事ばかり
春分の日も過ぎたのにきょうは寒気が下りてきて寒い風が吹いた一日でした。私はきょうは娘と孫ちゃんの一カ月健診に付き添ってきました。その話はまた今度するとして。一昨日火曜日は午前中は整形外科受診。午後は眼科受診の忙しい日でした。整形外科は7月からずっと通っているもので左膝の半月板損傷の経過をみてもらっています。何度かヒアルロン酸注射をしたあとは痛みも落ち着き、ロコアテープの処方だけになり、そのロコアテープも、年明けくらいからほとんど貼付していません。とき
きょうは寒いです。寒波襲来。ようやくGoToキャンペーンも停止になったということですが、それだけで人の流れが止まるとは思えず、年末年始にかけての新型コロナの感染者の推移に怯えてしまいます。私は昨日からちょっとだけ心がドヨンとしています。両親から相続したマンションについて、空き家になっているのだったら売らないかというお手紙が不動産屋から来たのです。父が亡くなって3年と4ヶ月。まだまだ両親がいないことの現実から眼をそむけています。逃げているのです。両親の住まいだったマンションをそのまま
小田和正の音楽聴きながら先生は手術するんだーそんな事思いながら手術はどんどん進んでいく意識ははっきりしているけど痛くはないただ目の奥の方で何かが動いているようなそんな感覚があったと思う時々目の中で水が溢れるようなそんな不思議な感覚…1時間位経ったんだろうか『はい、終わりましたよ』『おつかれさん』と先生の声がして『ありがとうございました』それを言うのが精一杯で酷く緊張していたから終わってドッと疲れた会計して隣の薬局で沢山の目薬を貰い、Giと長女と帰宅した
黄斑前膜日記23の続き『黄斑前膜日記23手術後32日目(外来受診)』黄斑前膜日記22の続き『黄斑前膜日記22手術後20日目』黄斑前膜日記21の続き『黄斑前膜日記21手術後18日目(病院外来)』黄斑前膜日記20の続き…ameblo.jp●前回作った読書用メガネの作り直し『黄斑前膜日記22手術後20日目』黄斑前膜日記21の続き『黄斑前膜日記21手術後18日目(病院外来)』黄斑前膜日記20の続き『黄斑前膜日記20手術後16日目』黄斑前膜日記19
日記としか言いようのないつたないブログですが、いつも読んで下さったり、「いいね」を押して下さったり、コメントを下さったり、ほんとうにありがとうございます。私は約5年前に右眼の「黄斑前膜(黄斑上膜)」の手術を、今年2023年1月6日に左眼「黄斑円孔」の手術をしました。この病気、手術について知りたい人のために、私の体験を記録します。私自身の感想なので、個人差がありますことをお断りしておきます。そもそも、最初に目に異常を感じた頃のことを書きます。2011年大震災の年に、視力がすごく落
黄斑前膜日記11の続き『黄斑前膜日記11手術後3日目(後半)』黄斑前膜日記10の続き『黄斑前膜日記10手術後3日目(前半)』黄斑前膜日記9の続き『黄斑前膜日記9手術翌々日(後半)』黄斑前膜日記8の続き『黄斑前膜…ameblo.jp●深夜、同室患者の大いびき、歯ぎしり、大せき、放屁、外れたイヤホンからの音が続く●全て同じ患者、5時頃やっと寝付けたが●今日で退院なので退散できる、助かった●5時55分、起床●6時5分、左ガチフロ、サンベタ
ここから、今年(2023年)1月に手術した「黄斑円孔」について書きます。昨年9月頃から左眼の視力が急激に落ちて、黄斑前膜がひどくなったのかなと思い、臨時で眼科を受診しました。が、その時は前回(約1年前)の定期検査の時の画像とさほど変化が無いとのことでした。それにしても、運転も読譜もパソコン操作も不便なほどで、困り果てていました。ひたすら定期検査の予約してある12月を待ち、やっと主治医に診てもらうことができました。いつもの検査をひととおり終えて診察室に入ると、先生が、「大変、網膜に孔
今日も東京は曇り。新型コロナの感染者は東京はとうとう602人ですって!どうなるのでしょう・・・こわいです・・・やはり寒くなってきたことと関係があるのでしょうか。昨日の続きです。私が、最初に黄斑前膜の診断をうけたクリニックの医師は、黄斑前膜の手術についてかなり否定的な考えをもっていました。もともと亡き父が黄斑前膜にかかっていて、ずっとJ医大病院に受診するのに付き添ってきた私も、視力がずっと低下してからでないと手術はすべきではないと聞いてきました。だから、その考えに一度
私は約5年前に右眼の「黄斑前膜(黄斑上膜)」の手術を、今年2023年1月6日に左眼「黄斑円孔」の手術をしました。この病気、手術について知りたい人のために、私の体験を記録します。私自身の感想なので、個人差がありますことをお断りしておきます。右眼だけ歪んで見えることに気付いて3年半ほど経った2018年1月に、かかりつけ眼科で「黄斑前膜」と診断されました。先生の説明によると、この病気は失明するような怖い病気ではないけれど、手術以外に治療法は無いとのこと。放置しておくと、視力がもっと低下する
きょうはお日様もでていて気持ちの良い日です。うちからは、隣の敷地の紅葉がきれいにみえています。地元の眼科クリニックで、黄斑前膜の専門医を紹介してもらえず、自分で探さざるを得なかった私。どこの病院に行こうかと随分悩みました。黄斑前膜の手術、すなわち硝子体手術が得意な病院を探さないとならなかったのです。地方にお住まいの方は、こうした疾患の手術ができるところは限られるでしょうが、東京にいると選び放題なのです。けれどもこれもまた悩みのたねになりました。初めに思い浮かんだのは、父
今日も東京は冷たい雨です。黄斑前膜の手術を受けるまではスポーツジムに行ったり、老人ホームでのパートをしたりしてかなり多忙だったのに、術後ひと月は療養期間をとったので、今はのんびりしています。経過は今のところ順調なのですが、この先も同じ保証はないので不安はつきまといます。ところで前々回の記事の続きです。2019年12月4日に眼科クリニックでドライアイゆえの視力障害と診断をうけた私。このとき、ドクターから4年前に「網膜裂孔のレーザー治療」をしているからその経過もみない
私は約5年前に右眼の「黄斑前膜(黄斑上膜)」の手術を、今年2023年1月6日に左眼「黄斑円孔」の手術をしました。この病気、手術について知りたい人のために、私の体験を記録します。私自身の感想なので、個人差がありますことをお断りしておきます。ここからは、今年1月に手術した左眼の「黄斑円孔」についてお話したいと思います。実は、5年前に右眼「黄斑前膜」と診断された時、左眼にも「黄斑前膜」があるということがわかりました。ただ、大事な黄斑部にかかっていないので視力に影響が出ていないということで、
手術まで1年3ヶ月始めに異変を感じたのは、この頃だった。細かい作業をした後に、少し視界がぼやける感覚を覚えたのだ。元々視力は良かったので、目を酷使して疲れたのかな、乱視が入ってきたのかな?とさほど気に留めなかった。月日は半年流れ、、手術まで10ヶ月私は趣味で音楽をやっているのだが、ある日初見で弾こうとした楽譜がよく見えず、全然弾けなかったことがあった。おかしい。明らかに目が悪くなっている。不便だし、さすがに気になって、年明けに眼鏡を作ることにした。手術まで9ヶ月眼鏡屋に行って
クリスマスも終わり今年もあと3日ほどになりました。新型コロナ感染者は毎日、その曜日の最高値を更新していて、恐ろしさが募ってきます。国会議員も感染して亡くなるくらいなのだから、国はもっと真剣に対策に取り組んでくれたらいいのに、と思います。経済活動を抑えることによるリスクを考えて、手も足も出なくなっているとしか思えません。強力なリーダーシップが、ないんですものね。さて自分のための備忘録の続きです。自分のためだけでなく、同じ病気にかかる誰かの参考にもなるといいと思って書いています。1
《2020年6月9日》手術をしていれば、術後6日目。なかなかに暑い日が続いているので、シャワーも満足に浴びれなかったとすれば、結構ツラいことになってだろうなあ…でも結局自分は手術をしない、という選択をしました。ちょっと不便さは遺ったけれど、多分これで良かったのだと思います。あれ、自然治癒なのに手術をするしないの選択って…?自然治癒なのに不便さが遺るの…?そんな疑問を持った方もいるのではないでしょうか。このブログを見に来てくれた方は、ご自身か、または近しい方が黄斑前膜(病名は幾つかあるよう
黄斑前膜日記22の続き『黄斑前膜日記22手術後20日目』黄斑前膜日記21の続き『黄斑前膜日記21手術後18日目(病院外来)』黄斑前膜日記20の続き『黄斑前膜日記20手術後16日目』黄斑前膜日記19の続き…ameblo.jp●未明、点光源の周りに見えてたフレアは9時から12時の4分の1に減少(一時期消えていた)●下記の病院の帰りには、自動車に反射した強い太陽光でもフレアが見えたが点眼薬で瞳孔が開いているため●9時半、病院外来受診●検査、視
ご訪問ありがとうございます。初めての方はこちらもご覧ください。↓はじめに登場人物紹介・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚昨年7月に目の異常を訴えた夫。半年経った今年の2月、やっと「黄斑変性」と診断されました。しかし紹介状を書いてくれるのは、さらに2か月後と言われ・・・詳しくはこちらから↓夫の目の病気(1)見えない所がある夫の目の病気(2)眼科の検査いくら急変することがなくても、今現在困っているんですから、早く治療して欲しいです
黄斑前膜日記4の続き『黄斑前膜日記4手術当日(前半)』黄斑前膜日記3「入院」の続き『黄斑前膜日記3入院』黄斑前膜日記2「手術前の検査・問診」の続き『黄斑前膜日記2手術前の検査・問診』黄斑前膜日記1「はじめ…ameblo.jp手術後、病室で左眼のガーゼを取ったところから●明るくまぶしい、全体に白濁しているが、一応見える●14時、紅茶を入れて、マスク交換●術中の挿管のせいで喉に痛みあり(全身麻酔で窒息しないよう挿管)●15時、ガチフロ
皆様メリークリスマスです。私は今週から、スポーツジムと介護職に復帰しました。もっとも軽い運動しかしてはいけない身なので、大好きなマシーントレーニングはすることができず、ストレッチとかヨガとかが中心だし、介護職の仕事も見守りや軽介助の仕事に制限してもらうことにしました。でも家でじっとしていると鬱々としてしまうので、ジムや介護のパートに行くのは、私の心には良いことだと思っています。ところで。11月18日私は黄斑前膜の手術をしました。『黄斑前膜入院備忘録1』東京は朝
おはようございます。4月16日本日お誕生日の方おめでとうございます手術も近くなりましたが元々のドライアイの目薬2種この時期限定の花粉の目薬これらが1日3回。これにくわえて右目だけ1日4回この目薬を↓で、ついついうっかりこの目薬を両目にさしてしまいます↑左側のベストロンと言う目薬元はこの二つを合わせて作ります。自分で作ると失敗しそうなので薬剤師さんに作っていただきました。作ってから1週間が使用期限とのこと。手術当日使ったら捨ててくださいと病院
コロナウイルスで世の中は大変なことになっている。が、実は私自身にもある出来事がおきていることがわかり、ちょっと凹んでいる。それは右目に黄斑前膜ができていることが判明したのだ。これは老化のひとつでもあるが、老化に伴い硝子体を包む膜が網膜から剥がれていくらしいが、このときにきれいに剥がれず、網膜上に膜が残ってしまい、それが次第に網膜をひっぱったりして、物が歪んで見えたりしてくる病気だ。飛蚊症など起こす人にはよくおこるものらしい。この半年くらい、パソコンで仕事をしているにあ
きょうは小春日和の暖かな一日の東京でした。私はきょうは朝からいっぱい洗濯をしました。なんせ9日間の入院の間の洗濯物を持って帰ってきたのですから。入院していた病院はホテルのように快適な病院でしたが、よく病院にはあるはずのコインランドリーがなかったんです。洗濯物は必要ならば業者に依頼して洗濯してもらうというシステムで、それもホテルのようでしたが、業者に下着やパジャマを依頼する気にもなれず、洗濯物をためて持ち帰ってきたのです。幸いきょうは晴れたので、すべて洗濯できて、よかったです。
きょうは12月12日。12日は父の月命日なんです。あと8日で母の祥月命日でもあるし、なんとなく心がざわつく日々です。それに日付がかわれば、交流のあるブロ姉さんのお父様の御命日でもあります。コロナ禍のなかでは、なおさら身近な人の死への憂いも、大きくなるような気もします。私がかかっていた眼科医。きちんとした紹介状を書いてくれなくて、名刺に宛名などをメモ書きしたものをわたしてきて、それで大丈夫だと主張するので、仕方なく私はそれをもって大きな病院に行くことにしました。
私は約5年前に右眼の「黄斑前膜(黄斑上膜)」の手術を、今年2023年1月6日に左眼「黄斑円孔」の手術をしました。この病気、手術について知りたい人のために、私の体験を記録します。私自身の感想なので、個人差がありますことをお断りしておきます。いつもこのブログを読んで下さっているかたから、質問がございましたので、今回はそれについて書いてみたいと思います。ご質問は「硝子体手術」はやはり局所麻酔だな、と何故思ったか?ということです。私は2018年に右眼の黄斑前膜の手術を局所麻酔で、202
東京は朝から寒く、先程は霰が降りました。朝は晴れていたのに、今はかなり曇っています。黄斑前膜の手術からひとつきが過ぎて、すこしずつ制限されていたことができるようです。ところで。11月の17日午前、私は翌日の黄斑前膜の手術にそなえてS病院に入院しました。娘も息子も夫も仕事があるので、ひとり、海外旅行用のスーツケースサムソナイトの1週間分用に荷物をつめて向かいました。家を出たときには、出勤する夫と一緒だったのですが、それを近所の方に見られてしまいました。もしかしたらGoTo
黄斑前膜日記6の続き『黄斑前膜日記6手術翌日(前半)』黄斑前膜日記5の続き『黄斑前膜日記5手術当日(後半)』黄斑前膜日記4の続き『黄斑前膜日記4手術当日(前半)』黄斑前膜日記3「入院」の続き『黄斑前膜日…ameblo.jp●13時半から1時間程度昼寝●15時、ガチフロ、サンベタゾン点眼●15時20分、左手のIV針抜去●手術後の点滴以後は設置のみで使用せず●眼圧が高いなどの症状が出たときのため留置していた●15時30分、コーヒータイ
手術の前日午後、大学病院に入院しました。数日前にはお決まりのPCR検査、X線撮影を済ませており、消毒のための目薬も自宅で始めていました。目薬とは術後そろそろ4ヵ月経過するという現在も縁が切れてません。今は1種類を朝と晩ですが、けっこう面倒くさいです。したかどうか、忘れちゃって・・・一番ランクの低い個室に入院しましたが、何故かその上のランクの個室に案内されました。が、途中で本来のランクの部屋に引っ越しさせられました。どっちでもいいけど。個室であれば。今回の入院は特に個室で良かった~と思った
秋晴れの気持ちの良い一日だった東京です。ずっと長い間介護日記のジャンルで登録してきましたが、介護にとらわれずに色々綴りたく、アラカンジャンルに移ってきました。先日還暦をむかえたばかりです。振り返ってみれば私の50代の生活は親の介護中心でした。47歳頃から始まった母の介護は49歳のときに終わり、その後は残った父の介護で、突っ走ってきました。一人っ子だったので、自分で何もかも考え、決断して、孤独とも戦ってきました。ずっとずっと辛かったのです。そんななかで吐出口が欲