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9年前の冬、常総線水海道駅の裏手にレールが残る農業倉庫を見つけました。(2014.12.21水海道淵頭町農業倉庫)常総線の線路から100mほどの地点で、この倉庫までSLがやって来たことを想像すると実に感慨深いです。先日、この農業倉庫の状況が気になって再訪しました。レールは手付かずでしたが、傷んだ倉庫の屋根の補修が進んでいます。(2023.7.16水海道淵頭町農業倉庫)倉庫内の掲示板によると昭和2年建造。常総鉄道(現.常総線)は既に大正2年に開通しており、鉄道輸送を目論んでこの
あの日、あの時、あの道が、、、「2015年(平成27年)9月関東・東北豪雨」あの日、あの時、あの道が、、、、利根川洪水によって、「水没した。」2015年、、、もう、10年前ですが、、、https://ja.wikipedia.org/wiki/平成27年9月関東東北豪雨水海道を中心に、鬼怒川流域一帯が、栃木県の大豪雨によって、堤防決壊が生じて、、、水海道・守谷などの「茨城県鬼怒川沿いの西部低地帯」が水害にあったそうだ。現在も、「茨城県常総市」には、、、あの時の名残が残って
関東鉄道100周年キハ0310で行く!常総線グルメ探しの旅
JR、およびJR変換私鉄線以外で、日本で唯一の鉄道「つくばエクスプレス」実は、どうして、ここが唯一の私鉄なのかも、、、つくば研究都市の「研究所」が由来だそうだ。。。それは、「交直変換」が「つくば平駅~守谷駅間」で行われて運行されている。そうそう、電車を動かす架線の電気が、「交流」(コンセント)と「直流」(電池)と言う形で、「変えねばならない」鉄道路線となっている。「常磐線取手~藤代間」「東北本線黒磯~高久間」と同様に、交直が、「守谷~つくば平間」で変更が必要にならざる得ないのだ
関鉄常総線メイン駅「水海道」ここまでが、関東鉄道常総線の取手からの複線区間でした。つくばエクスプレスからの乗換駅である「守谷駅」の雰囲気を見ていても、関東鉄道だけしか走っていなかった時代でも、かなり、乗降客数が多かったであろうことは、想像できる。でも、、、ふと思えば、、、なぜ、「水海道」などと言う都市名なのか、、、ふと、疑問を持ちながら、歩いて見たのだが、、、駅前の地図を見て、気付いたのですが、、、この水海道地区と言うのは、「鬼怒川」と「小貝川」に挟まれた地域で、街の中には、二つ
茨城県の昔話昔話①『昔々の春、15メートルの巨人の亡骸が常陸国(茨城県)の浜に流れ着いた。大騒ぎ。役人が駆けつけて唖然「こんな大きな人々が海の向こうから攻めてきたら、どう防いだらよいのだろう・・・」』今昔物語(平安時代末に成立)よりあんこう汁でウドン(2024年撮影)前回、前々回に続いて今月に茨城県を訪ねた際の写真(いくつか昨年の写真もあります)を茨城県の昔話を添えて投稿します。昔話②(小
今回の【駅】コーナーは、茨城県取手市の中心市街地に位置する関東鉄道常総線の起点駅で、JR常磐線との乗換駅でもある取手駅(とりでえき。TorideStation)です。尚、今回の記事は関東鉄道常総線の取手駅のみを取り上げさせていただきます。ご了承下さい。JR線の取手駅の記事につきましては後日UP予定です⇒記事はこちら。駅名取手駅(駅番号なし)所在地茨城県取手市乗車可能路線関東鉄道:常総線隣の駅下館方……西取手駅乗換可能駅JR
茨城県豊田城!!!平将門が築いたお城だそうだ!!!まぁ、歴史的にはね、、、(*'▽')現在は、常総市石下地区の「常総市地域交流センター」として、「1989年=平成元年」に街の地域センターと共に、観光スポットとして、建てられたそうだ。ここの屋上からの眺めは、、、筑波山から下の広大な平地が見渡せる!!!でも、それって、逆に言うと、、、今後の温暖化、そして、予言にあるあの大地震、大津波によって、、、、「縄文海進」ならぬ、「令和海進」が起きた時、、、、この辺りや、利根川、
霞ケ浦と、利根川、鬼怒川の暴れ川。そのために、ここは、今の水理がしっかりした地ならば、、、すごい広い、平野が広がっていて、それも水にも恵まれている。だから、あの山しか、見えない。<筑波山>利根川から北側の地域は、「鬼怒川」などの暴れ川が多く、、、、そして、大海「霞ケ浦」が居座る。今回、つくばエクスプレスに乗ってみて、ほぼほぼ、北千住から先は、、、「山が見えなかった」中で、初めて、守谷駅の先に「筑波山」が見えてきた。昨日お話したように、「水海道の水害」のお話をしましたが。。。
よく創作ものだと城攻めの際に出てくるのが坑道戦術ですね。堅固な城塞を攻囲軍が攻略せんと密かに地下に穴を掘り、坑道を創り上げようとする。それに対して、城の守備軍は何として潰そうと地面に耳を当てて、更に対抗の坑道を掘るせめぎ合い。もっとも現実世界ではなかなかその跡地はお目にかかれない。そんななか貴重な坑道が残っているのがここ茨城県筑西市にある関城です。鎌倉時代には結城氏一族の関氏が領主であった頃に築かれた城で、この城がスポットが当たるのは南北朝時代の争乱の頃でした。暦応4年/
おはようございますスーパーのお米売り場に行ったら、この前までは5キロ3500円前後だったのが、昨日は5キロ5000円前後になっていました備蓄米、すぐさま放出してほしいけど、なんで3月下旬とか1ヶ月もタイムラグがあるんだその間に米を隠し持っていた業者なりが米を売りに出すと思われますが、そのお米はどこで売られるんだろうか?きちんと温度管理がされていない所で保管されていた米なんか食べたく無いんだけど個人の意見ですが、安すぎる飲食店とかは要注意かなもしかしたら今スーパーの高いお米を買っておいた
関鉄は今から35〜6年前の学生時代に訪問しています。当時、初めて見る車両が珍しく、それも当時は車両のバリエーションが多いので、やたら興奮して撮影しまくったのを覚えています。エキゾーストが勇ましい、キハ501を先頭の気動車3重連です。キハ701海側です。キハ755とキハ813です。小田急から授受のキサハ66海側です。キハ703海側です。ジャッキ台の上のキハ802です。小田急から授受したキクハ2山側です。キクハ4山側です。小田急から授受したキハ754山側です。キハ804山
こちらは関鉄パープルバスさんが走らせる下妻市コミュニティバスのシモンちゃんバスです。関東鉄道PRバージョンで、ごあんな~い(*^^*)
関東鉄道キハ310形の引退が決まった。聞くところによると、キハ10系の車歴を引き継いできた車両の消滅でもあるという。引退に伴い、別れを惜しむヘッドマークが掲出されることが関東鉄道より発表された。粋な計らいで、公式サイトでその運行ダイヤも発表されている。梅雨の中休みの土曜日。クルマで現地へ出撃してきた。好天で意気揚々と向かったものの、狙いを定めていた場所は光線が惜しい。顔が逆光だったり側面が陰だったり…。課題はあるものの、ひとまず無事に記録できて何よりだ。【写
関東鉄道常総線「石下駅」に到着。駅前は、至って普通の衰退地方都市なのだが。でも、、、歩いていたら、、、不思議な「お城」が見えてきた!今まで撮ってきた写真を「PhotoLibrary」にも掲載しています。良かったら、見に来てください!!(サイズの大きい写真も掲載しています。必要であれば、PhotoLibraryにてダウンロードしてください。)https://www.photolibrary.jp/profile/artist_13428_1.html
何もかもが、どでかい新興都市「つくば」道路は、全て、上下二車線用地区画は、144,810㎡人工的に作られた新興都市であることを感じる。で、思ったことなのだが、「国家機関の研究都市」なので、、、「カーディーラー」が多い。そして、他の街に比べて、「家族連れ」が多い。(国家機関で勤めている方が多くて、未来への不安みたいなものが無い)ここから、つくばから、守谷経由で、関東鉄道常総線のメイン駅に行ってみたのだが、、、、本来なら、こんな街並みであるはずなんだなぁ~って、気付かされた。