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ジャスト日本です。プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。プロレスとは何か?その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。有名無名問わ
1987年9月17日に行われた新日本プロレス、世代闘争イリミネーションマッチ。この試合にアントニオ猪木の度を過ぎた「ドスケベさ」を感じずにいられません。1987年の新日本は色々ありすぎました。長州らジャパン軍団の電撃復帰、海賊男、ギブUPまで待てない、世代闘争、巌流島、前田蹴撃事件、たけしプロレス軍団、2度の大暴動事件、何年か分の「事件」がわずか一年の間に起こりました。この年の夏は世代闘争が行われていた時期。世代闘争が勃発した6月のIWGPリ
新・ドラゴン藤波大年表2025161983年長州力との「名勝負数え歌」はじめて長州に敗れるも奪回。各種メディアに登場。藤波は前田とのタッグも。長州との名勝負数え唄。藤波は、一度も負けたことのない長州に、ついに敗れ、「失踪」。帰国して、ついにタイトルを奪回するも、納得できず返上も。年末には前田との「新選組」タッグで出場。藤波個人では、テレビ番組への出演も活発化し、多方面に渡って活躍。とにかく、忙しい一年。その後半戦、1983年の「その2」です。
新・ドラゴン藤波大年表2025271992平成4年(1992年)新年、長州との闘い。海外へ遠征して新しい自分を探し、異種格闘技戦も経験した。新たなる藤波平成4年(1992年)新年早々、長州と闘い。海外へ遠征。新しい自分探しから、「地下プロレス」的なものも、異種格闘技戦も経験した。●平成4年(1992年)38歳●平成4年(1992年)38歳1月4日『超戦士IN闘強導夢』東京ドームのメインで、藤波
新・ドラゴン藤波大年表2025171984年雪の札幌事件。長州力との闘いが新たな方向へそして、「ストロングスタイルはどこへ行ったの?」●ちょっと、ごあんないまもなくデビュー55周年を迎える藤波辰爾選手を応援するブログです。ここでは、藤波のデビュー前からの歴史・足跡を、「年表風に」つくっています。題して「新・ドラゴン藤波大年表」「大きな出来事」や「すごい試合」など「豊富なエピソード」で綴ります。普通の年表との違いは、藤波さんを中心に語っているとこ
最初に言っておきますが私達は、素晴らしい時代のプロレスを見て来たんだと云う事です。この言葉を真正面に置いた時、どんな最先端の演出や照明も音響もなんの力も発揮しないという事です。だから、棚橋の引退試合もウルフアロンのデビュー戦も、そこにはヒリヒリするような興奮は有りませんでした。ウルフアロン選手が入場の時、純白の柔道着をかなぐり捨てて、新日本伝統の黒いショートタイツ姿になった時、会場は大興奮だったようですが、私はウルフアロン選手の両膝のサポーターに目がいきました。私がプロレス団体の