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ジャスト日本です。プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。プロレスとは何か?その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。有名無名問わ
新・ドラゴン藤波大年表2025271992平成4年(1992年)新年、長州との闘い。海外へ遠征して新しい自分を探し、異種格闘技戦も経験した。新たなる藤波平成4年(1992年)新年早々、長州と闘い。海外へ遠征。新しい自分探しから、「地下プロレス」的なものも、異種格闘技戦も経験した。●平成4年(1992年)38歳●平成4年(1992年)38歳1月4日『超戦士IN闘強導夢』東京ドームのメインで、藤波
お疲れ様です。なぜか、急に10.9東京ドームが恋しくなりました😭お時間ある方は30年前の昔話にお付き合い下さい。きっと最後ほっこりさせます。裏話とか真相は解りませんが、当時報道されてたままの事がプロレス少年の頭に残ってますので、私の記憶違い、見当違い、勘違い、思い出の美化、等々あっても笑って許して下さい。1995年、私は専門学生。まだ幸せ二十歳前。当時はバリバリの全日本プロレス、四天王ファン。新日本プロレスもたまーに観戦してました。私はU信者ではないですが、第二次UWF崩壊後にリ
最初に言っておきますが私達は、素晴らしい時代のプロレスを見て来たんだと云う事です。この言葉を真正面に置いた時、どんな最先端の演出や照明も音響もなんの力も発揮しないという事です。だから、棚橋の引退試合もウルフアロンのデビュー戦も、そこにはヒリヒリするような興奮は有りませんでした。ウルフアロン選手が入場の時、純白の柔道着をかなぐり捨てて、新日本伝統の黒いショートタイツ姿になった時、会場は大興奮だったようですが、私はウルフアロン選手の両膝のサポーターに目がいきました。私がプロレス団体の