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1日目の6番目の札所は・・・五十番繁多寺(はんたじ)札所境内、正面が本堂。境内に鳥居がある札所。大師堂五十一番石手時(いしてじ)規模の大きな札所です。門も大きい!門は鎌倉時代の建立で国宝だそうです。外国の方も、大勢お参りされていました。吽形像阿形像仁王様も躍動感があって力強そうです!三重の塔(鎌倉時代の建立で重要文化財との事)本堂と手前参道にある大きな五鈷杵!本堂背後の山頂には弘法大師!お金かかってますね~
京都は今、インバウンド需要で大変なことになっている…とニュースがありました。京都市民の怒り爆発寸前?JR嵯峨野線「インバウンド大混雑」、JR西が抜本的対策を採らないワケ(外部)https://merkmal-biz.jp/post/43808/2ワタクシが最後に京都に行ったのは、2016年。新型ウイルスが国際問題になる前ですね。この時は2泊3日の旅程の初日に立ち寄ったんだよなぁ(翌日と最終日は奈良)一緒に行った人の関係で、観光メインな場所には行かなかったのですが、それ
今日も1日お疲れさまでした✨美しい観音に癒されましよう。~「水月観音」~アメリカのネルソン・アトキンズ美術館が所蔵している中国の水月観音像三十三観音の一。形像は一定しませんが、観音菩薩の住処、もしくは降り立つ場所とされる補陀落山の水辺の岩に座して水中の月を見る姿に作られるもので、古来、心の浄化・水難守護を祈願する観音で、人々の心を表す満月を映した水面を静かに眺めています。日本にもありますよ東慶寺(北鎌倉)水月観音菩薩半跏像『水月観音菩薩半跏像』は、岩に腰掛けたゆったりとした
『新古今和歌集』に、小侍従こじじゅうという女性歌人の有名な歌があります。待つ宵のふけゆく鐘の声きけば飽かぬ別れの鳥はものかは〔あなたが来てくれるのではないか、と期待しながら待っている宵、次第に夜が更けていくことを告げる鐘の音を悄然とした心持ちで聞くのに比べたら、まだまだ一緒にいたいのに、別れなければならない朝が来たことを告げる鳥の声を聞く切なさなど、物の数でもありません〕[注]正式な結婚式を挙げている夫婦を除いて、男性は日が暮れてから女性のもとに行き、夜明け前には帰るのがマナーでした。ただ
『古今著聞集』は鎌倉時代の説話集です。説話というのは、伝え聞いた話のことです。伝え聞いた話をわざわざ書き記して後世に残そう、というわけですからドラマティックな内容が多くなります。世間によくある話、は説話集には載っていません。というわけで、今回はどんなお話でしょう。鳥羽法皇の女房に小大進という歌人がいたのだが、鳥羽天皇の皇后であらせられた待賢門院の御衣が一着紛失した罪を負って、北野天満宮に籠もって祭文を書いて神様に捧げ、監視されていた。その三日目という日に、神前に供えた水をこぼ
「一条家」「二条家」「三条家」と、計らずも「○条家」紹介のシリーズと化してしまった当ブログ。だったら「四条家」もやってしまおうと、今日はそんな試みです。自己満足もここまでやるとかえって清々しいってもんよ。四条家は、大河ドラマ『平清盛』と『鎌倉殿の13人』の時代ドンピシャ(ちょっとオーバーするけど)なので、今年のうちにやるとちょうどいいですしねw四条家は、藤原氏善勝寺流の流れをくむ家です。善勝寺流は、以前に紹介した奈良時代に左大臣にまで登り詰め、そして失脚した藤原魚名の
ワタクシが院政期から鎌倉時代にかけてを漁り始めた頃。よく、こんな風に思うことがありました。「この一条さんって、どの一条家なん??」この時代。源頼朝にからんで「一条家」がチラホラ出てくるんですが、実は全然違う家だったりして、だとすると関係図も出てくる意味合いもまるで変わってきて、なんだかややこしいんですね…。で、最近。記憶力が落ちて来たのか、時々戸惑ったりして(笑)今日は自分用の整理の意味も込めて、それぞれの一条家についてまとめてみようかと。そんな試みです。とはいえ
読売新聞より「国宝級」藤原定家直筆の古今和歌集の注釈書、冷泉家の蔵から見つかる…推敲の跡も生々しく「国宝級」藤原定家直筆の古今和歌集の注釈書、冷泉家の蔵から見つかる…推敲の跡も生々しく【読売新聞】鎌倉時代を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が記した古今和歌集の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」が、定家の流れをくむ冷泉家(京都市)で見つかった。公益財団法人「冷泉家時雨亭文庫」(同)が1www.yomiuri.co.jp訪問して下さった方、【いいね】をして下さっ
新潟では昨晩から雪が降り始めて、積もるまではないものの、寒さが冬らしくなっております。毎年「ホワイトクリスマスになるかどうか」が関心事だったりするんですが、今年はどうでしょうかねぇ…。ちょっとは白くなっちゃいそうかな。さて、「勧修寺流藤原氏」、前回は紫式部までと、夫の宣孝・弟の惟規の子孫をご紹介しました。系図で見てみよう(藤原氏/紫式部周辺)(関連)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12804259307.html今回は、宣孝の
飛鳥寺の西側には鎌倉時代に建てられたと言われる五輪塔あります中大兄皇子に討ち取られた蘇我入鹿の首がここまで飛んで来たんだって❗️飛鳥寺は蘇我馬子が596年推古天皇の時代に建立した日本初の寺院でした釈迦如来像は日本最古の仏像です酒船石を見てから右側にある道を歩いて行くと飛鳥寺が左手に現れます
日曜日に、第57回吉祥寺古典を読む会を開催しました。テーマは、源実朝の『金槐和歌集』。個人の歌集(私家集)は一般に、『和泉式部集』『紫式部集』というように、歌人の名でシンプルに呼ばれることが多いのですが、源実朝の場合、『金槐和歌集』というきれいな名前が付いています。「金」は「鎌」(鎌倉)の偏から、「槐」は大臣を意味する「槐門」から来たと言われています。百人一首でも、彼は「鎌倉右大臣」という名で表されていますが、そういう名前の付け方なのですね。実朝がこの和歌集を編んだのは建暦3年(建
建久九(一一九八)年一月五日、権大納言土御門通親が後院別当に就任することが発表された。後院別当とは、字義だけを捉えれば天皇の退位後の住まいの管理人であるが、そのような字義で捉える者などいない。院政という概念が誕生した後の後院別当とは間もなく始まる院政のキーパーソンに任命されたことを意味する。土御門通親の後院別当就任により、間もなく後鳥羽天皇が退位すること、退位して後鳥羽院政が始まること、後鳥羽院政において土御門通親が重用されることが決まったのだ。そして、次期天皇が事実上公表された。建久
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送が終わってもう1年以上。2年ぶりに大河ドラマにハマってはいますが、それでもまだ鎌倉殿を引きずってますゆかりの地巡りでは昨年、熱海・三島・伊豆の国市まで行ったり鎌倉なんてまだ回りきれてない(笑)江島神社に行くと、神社自体にワクワクしつつ神紋の三つ鱗が目に入るたびに北条だー!時政お父さんだー!とワクワクしてます。昨年なんて、都内の小さい神社に行った時に、三つ鱗が描いてあるお守りがあって、なんで?北条と何の関係が?と思ったら、境内末社
結城といえば…「結城紬」繭を広げて真綿にし、手で紡いだものが結城紬。世界でただ1つの特徴。経糸(たて糸)も緯糸(よこ糸)もすべて手でつむぎ、撚りのかからない糸になりこの糸を使って織ることで軽く温かい布が出来上がる。「結城三代」といわれる丈夫さ結城紬ガイドブックより一部引用資料館にて、結城紬のあれこれを伺いました。紬の他に、結城市の歴史も説明を聞きかつては、城下町を築いた鎌倉時代初代当主の結城朝光から400年統治し養蚕産業の育成と城下町の基礎を築いたそうです。
千葉県でお仕事の帰り道です四街道市の山梨(月見里)城址に来ていますおっ、良いね中世城跡じゃ天御中主神社(山梨妙見神社)小さなお社がありました大甕は鎌倉時代後期から室町時代の制作のようです大きな甕だわこちらが城跡になっています鎌倉時代中期には臼井氏の一族山梨氏が山梨地域を治めていたと書かれています頂上には山梨妙見神社
同日、後鳥羽天皇が退位して為仁親王に帝位を譲ったのである。土御門天皇の治世のスタートであり、後鳥羽院の院政のスタートの瞬間でもあった。土御門天皇はまだ三歳であるため、天皇としての政務を執ることは期待できず摂政が必要となる。土御門天皇の治世のスタートに合わせて関白近衛基通は関白を一旦辞任し、改めて土御門天皇の摂政に任命された。摂政にしろ、関白にしろ、自動的に就任できる役職ではなく天皇によってその都度任命される役職であるという建前は変わることない。そして注意すべきは、摂政近衛基通が土御門天
桜川市の秋次は真像寺の大イチョウを見に来ました今が見頃だ黄金色かなり大きい大イチョウの脇には山門ですイチョウの葉があちこちに散らばる緑の中に黄色美しいですね紅葉の赤も良いけれど黄色も捨てがたい鎌倉時代とな少し境内を探索赤・黄・みどり
大河ドラマ『麒麟がくる』、始まりましたねw主人公は明智光秀。光秀大河は2012年にもウワサになったことがありましたが、長い雌伏の時(?)を経て、2020年に実現。主演はウワサとは違う人になっていますが…(^^;ところで、大河ドラマ中にも何度かキーワードとして出ていましたが、光秀の出身・明智氏は「土岐氏」の流れをくむ一族です。この土岐氏って、何者だかご存知ですか…?このあたりを分かっていると、大河ドラマ『麒麟がくる』も、もう一段面白くなる(かもしれない)…と、紹介してみようと。今日は
後鳥羽天皇の即位の状況はこの時代の人であれば誰もが知っている。ゆえに、帝位に就く資格を有しながら弟に追い抜かれた守貞親王と惟明親王のことは、この時代の人であれば誰もが知っている。これは平家物語の延慶本の伝えるところであるが、どうやら源頼朝は守貞親王を後鳥羽天皇の次の天皇と目論んでいたようなのである。ただし、源頼朝が守貞親王をわかりやすい形で推していたのではなく、文覚を通じて守貞親王の即位の後援をしていたというのが平家物語の記載だ。ただ、これは平家物語の過剰反応とも言える。守貞親王と文覚
建久八(一一九七)年の年末時点での鎌倉幕府の継承は理論上の話であったが、それよりはるかに大きな継承、すなわち、皇位継承は現実味を帯びてきていた。かなりの可能性で、後鳥羽天皇は退位して上皇となり、院政を敷くという未来が見えてきたのである。建久七年の政変時、後鳥羽院政は可能性の一つとして考えられはしたものの、現実味を帯びた話ではなかった。それが一年近くの時間経過で現実味を帯びるようになってきた。源頼朝は情報の重要性を強く認識していた人であるから例外に近いが、源頼家が従五位上右近衛権少将に任命さ
「鎌倉時代前後に登場する3つの一条家を解説しよう」というシリーズも今回で終わり。最終日は、藤原氏の中でも名門中の名門・摂関家から輩出された「一条家(五摂家)」を紹介して、自己満足感満載で進んできた今企画を締めようと思います。「五摂家って何?」というのは、以前にも触れていますが、軽く解説すると「摂政・関白になれる5つの家」のこと。その5つの家と言うのは、「近衛家」「鷹司家」「一条家」「二条家」「九条家」のことで、ぜんぶ藤原氏。これらは全て大河ドラマ『平清盛』にも登場した
おはようございます😊☁️6月15日(土)はお休みでした。午後から"モルトクオーレ本店"で黒毛和牛ハンバーグを頂きました...😋🍴💕モルトクオーレ本店は、住宅街の一角にあります。14時24分頃、ランチタイムギリキリ1階はケーキや焼菓子を販売しています。2階のカフェへ案内されました。全50席営業時間10:00~20:00(L.O.19:30)【休】無休🌟デトックス効果のある無農薬野菜・フルーツを中心としたランチ。ラン
毎月恒例の吉祥寺古典を読む会、6月は、18日(日)に後深草院二条『とはずがたり』を取り上げました。この『とはずがたり』、前半と後半に分かれるんですが、その前半ではめくるめく恋のドラマが繰り広げられています。研究書でも「愛欲編」と名付けている本があるほどですその恋のドラマは、瀬戸内晴美時代の寂聴先生も小説になさっています。中世炎上(新潮文庫)Amazonちょっとあらすじをご紹介しましょう。第1巻:二条は2歳の時に母を亡くし、4歳からは「後深草
*:..。o○○o。..:*梶間和歌プロフィール小説梶間和歌歌集『生殖の海』梶間和歌作品一覧【個人発表作】【雑誌等掲載作】動画講座「歌塾」堀河百首チャレンジ【連載中】宇治十帖本説取りチャレンジ【連載中】梶間和歌の『新古今集』秀歌選【連載中】『玉葉集』秀歌選【連載中】*:..。o○○o。..:*次回裕泉堂歌会は4月30日です裕泉堂歌会向け講義動画隠岐後鳥羽院大賞令和5年和歌部門で大賞を頂きました*:..。o○○o。..:*心のまゝに詞
現在と鎌倉時代は風の時代-年表とエレメントから考えるいつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!1エレメントに着目すること太陽系の天体で最大の木星と、2番目に大きい土星が接近することを合(コンジャクション)と言い、180-200年ごとに起こっています。なお、2020年12月22日には超大接近を起こしています。占星術の世界では、この木星と土星の合である
問題17(200字以内)ワカタケル大王は、王権の拡大を果たした大王だったと考えられる。この王権は中国とどのような関係を築き、そこにはどのような意図があったと考えられるか、また、この王権の支配領域はどこまで拡大したか、具体的に述べなさい。問題18(200字以内)室町時代には、内乱のなかで守護が急速に存在感を強めた。その様相について、鎌倉時代前期に明確にされていた守護権限にふれながら、具体的に述べなさい。■ヒント問題17ワカタケル大王の時代に関する問題。ワカタケル大王が登場
床の間の脇でよく見かける「付け書院」。こちらの古民家は、取込付け書院です。何のために作られてきたのでしょうか。由来は、桃山時代頃に遡ります。付け書院(つけしょいん)の原型は貴族や僧侶の私室に作られた出窓上の出し文机(ふみづくえ)で、開口部に障子を入れ、机を造付けにして読書の場所として使用されていました。桃山時代以前は私室的な小室に設けられていて表向きの広い部屋にはなく、また必ずしも床や床脇棚と近接して作られてはなかったが、鎌倉時代末期以降実用を離れ、座敷飾りの一部となり
『徒然草』の第10段です。前回の「ものかはの蔵人」(十訓抄)に登場した、後徳大寺の左大臣が登場します。よく調和が取れていて理想的な住まいは、無常なこの世におけるかりそめの宿だとは思うものの、興趣のあるものだ。身分が高く教養のある人がのどかに暮らしている所は、光が差し込んでいる月の風情も、ひときわしみじみと見えるものだよ。今風にきらびやかではないけれど、庭の木立が古びており、無造作に生えている草にも風情があり、すのこ縁と透い垣の配置も素敵で、何気なく置いてある調度品も古風で落ち着いた感
『沙石集』にも真面目な話は掲載されているんですけどね。こんな話ばかり紹介していると『沙石集』が誤解されそうですが、まあ別に良い。笑近ごろ、勘解由小路に御利益が著しいお地蔵様がいらっしゃる。京中の男女が群れをなしてお詣りする中に、毎晩籠もって祈願している程よい美人の若い女房がいた。また、時を同じくして若い法師も同じく籠もって祈願していたのだが、この女に恋心を抱き、どうにかして愛情をかけようと思うあまり、女が宵のころに勤行に疲れて休んでいたところに、耳元で、「帰る時、最初に出会った
今日は、松島に行ってきました!!目的地はこちら!「松島こうれん」紅蓮尼が作ったとされる、おせんべい「松島こうれん」を売っているお店です。購入したのは3種類(上白糖、和三盆、還元麦芽糖)10枚入。先程和三盆のを食べたのですが、お米の甘みや香りが強く、とても美味しかったーー😝💓💓もっと砂糖が強くて甘ったるいのかな??と、思っていたのですが、米の味を引き立てるために少し入ってるくらいな印象です。原材料も添加物などが入っておらず、健康志向の高い方にもおすすめ!鎌倉時代からの製法を受け継い