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足利家時は鎌倉時代中期の御家人で、足利宗家の第6代当主にして足利尊氏の祖父に当たる。足利義久は室町時代中期の鎌倉公方足利持氏の嫡男で、永享の乱に敗れて自害した。墓は鎌倉市浄明寺2の報国寺にあり、三つのやぐらに宝篋印塔や五輪塔が並んでいるが、近づくことはできなかった。
先日社会の単元テストがあった娘。範囲は歴史も地理も両方。一応学校のワークで勉強していたけど、歴史は苦手。そんな単元テスト。返って来たら70点前半だったそう。かなり難しかったらしく、最高でも80点後半。平均はなんと40点台。75点以上でA゜の評価だそうで、娘はギリギリAかなと言ってました。それにしても40点台って低くない??社会の先生はクセのあるテストの作り方をするので。なかなか高得点は取りづらいみたいだけど。それでも…ねぇ??私も歴史は苦手です。マンガでわかる中学社
さて、平安時代に起きた合戦や戦争を一通り見てきた。ここで再び合戦のルールと武士のフェアプレイ精神について論じたいと思う。最初に私の結論から言おう。原則として平安時代の武士が行う合戦にルールはない。平安時代の武士道たる兵の道(つわものの道)にもフェアプレイ精神といった精神性はない。なぜそう言えるのかと言えば、ルールには罰則が必要である。罰則のないルールなど守られるはずがないし、仮に罰則があったとしても、それを強制し行わせる強力な権力が平安時代にない。唯一、天皇や朝廷が公的権力として存