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鎌倉幕府が三寅を第四代将軍として鎌倉に迎え入れると打診してきたのは建保から承久への改元のあたりと想定される。北条時房がどのような交渉をしたのかは残念ながら歴史資料に残っていないが、承久元(一二一九)年六月初頭には確定事項となり、六月二五日に北条時房がいったん六波羅へ立ち寄ったのちに京都を出発して鎌倉に向かい、七月一九日に北条時房が鎌倉に到着したことは他の記録から明らかとなっている。また、散逸している吾妻鏡も承久元(一二一九)年七月一九日より記録が復活し、その後の記録を追いかけることが可能と
さて、平安時代に起きた合戦や戦争を一通り見てきた。ここで再び合戦のルールと武士のフェアプレイ精神について論じたいと思う。最初に私の結論から言おう。原則として平安時代の武士が行う合戦にルールはない。平安時代の武士道たる兵の道(つわものの道)にもフェアプレイ精神といった精神性はない。なぜそう言えるのかと言えば、ルールには罰則が必要である。罰則のないルールなど守られるはずがないし、仮に罰則があったとしても、それを強制し行わせる強力な権力が平安時代にない。唯一、天皇や朝廷が公的権力として存
国政と宗教との違いこそあれ、松陰と大聖人とは、その志すところが同じであったのではないか訪問して頂き、いいね👍フォロー有り難う御座います。仏教ランキングに参加してます。ポチ宜しくお願いします。m(._.)m励みになります。😊日蓮宗新聞社が平成10年3月21日に発刊されました『ひと口説法』を引用させて頂きました。序伝道部部長小倉光雄このたび日蓮宗新聞社より、『ひと口説法』が発刊される運びとなりました。この書は、昭和64年の開始より現在に至るまで、全国各県において