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連休には毎年恒例の埼玉医大医師会産業医研修会に参加した。連休をフルに使って、5年間で20単位の研修単位を稼ぐ。15周年記念式典の翌朝だったので、寝不足と過労で辛かったが、気持ちを切り替えて参加した。同級生は探した範囲では見当たらず、少々寂しかった。考えてみれば卒後約30年。それぞれの道で、奮闘しているわけだから、みんながみんな、産業医活動をしているわけではない。自分は市内の企業の産業医としても頑張っているので、資格は失えない。これも"何でも診る"ことの一つだ。
辻陽太の内藤哲也超えはならずとも印象をしっかりと残した試合だったようです。モクスリーと内藤のタイトルマッチは気になるところですな。元横綱でプロレスラーでもあった曙さんが亡くなったニュースも届けられ、来週は追悼特集にでもなるのだろうねの週刊プロレスは絶賛発売中!!
両国で辻陽太を返り討ちにしたのにアメリカでまさかの展開のIWGPが表紙かと思いきや…なんでこちらが表紙!?マリーゴールドって、あいみょんの歌か!?おっちゃんが気になっていた、内藤哲也vsジョン・モクスリーのIWGP世界ヘビー級の一戦はグラビアトップで面目躍如と云ったところでしょうか?まさか、まさかの陥落で、新王者にレスリングどんたくでの挑戦を成田蓮が表明し、当のモクスリーは成田戦には目もくれず、愛弟子海野翔太とのタイトルマッチでの再会を誓いあってました。我らが埼玉西武ライオンズと云えば、よ
今日は週刊プロレスの発売日。今週の表紙は女子プロレス。そして、今週の1枚は清宮と拳王の絡み。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村プロレスランキング
今朝、近所のコンビニに愛読書の「週刊プロレス」を買いに行くと、書棚が見当たらず、まさか書棚を撤去したのではと思っていたら、奥の方に小さい書棚を発見。でももしかすると週プロが無いなんて事は、、、ありました!!良かった♪やはりプロレス界にとってネットメディアは興味がある人には情報が届きますが、一般の人の目に触れるのは駅の売店やコンビニや本屋になります。プロレス界にとって週刊誌としては唯一の専門誌となる週刊プロレスさんの役割はホントに大きいと思います。時代と共に紙から
こんばんは、フナフです。また負けましたね…小澤もがんばったのにね。勝てないなあ、中日には。……………心身ともに朝から大不調で、買ってきてもらいました週刊プロレス。月曜日に記者会見で表紙とは準備万端ですねえ。中にはもっと早手回しな写真がほかのとこから読みたいと思います。……………グダグダながらもちゃんと働いたし、母のとこへもいったし、ごはんもつくってえらいぞ、自分。おばあさん亡くなった日にしっかりおさえた澤村も超超超えらいぞ。みんなみんなえらいぞ。明日もがんばるよ~
その藤波戦後の会見で、かなりマッチメイクに不満をぶつけていた事をはっきりと覚えている。大体の内容は、「未だにアントニオ猪木がメインで、さらにその下に長州藤波が居て、さらにその下に俺らが居る、これじゃ未来がない」的な感じであったかと思うが、正直ファン目線からすればドームクラスの会場にはまだまだ猪木の集客力が必要だった事は間違いない。2月の武道館でファイナルカウントダウン宣言をし、「猪木の試合を見れるのもあとわずか」と煽り、猪木の商品価値をさらに上げてきた事からも、まだ三銃士だけでは大会場を埋
3月にはノートンとの防衛戦が行われたが、これは正直ほとんど記憶にない。まだプロレスの全てを知っていた訳ではなかったとは言え、ベイダーと比べると新日本トップ外人としての器は落ちるノートンがベルトを巻くなど、この時はほとんどの人が考えてはいなかったはずである。そして4月、広島での藤波との防衛戦が行われるが、この時は大部分の人が「今藤波なの?」と言う気持ちであったはずである。と言うのも、この時点ですでに興業は三銃士を中心に回っていたため、もしこれで藤波が取ったら逆戻りになってしまう訳であり、ファ
今日は、僕が見た90年代のプロレスから、最も思い出に残っている大会を!1995年4月2日ベースボールマガジン社主催東京ドーム大会【夢の懸け橋~憧夢春爛漫】週刊プロレスを発行しているベースボールマガジン社が主催した東京ドーム大会です。この大会がまさに夢の大会でした。まずは全13試合・対戦カードをご覧ください。どうですか?すごいでしょ?チケット1枚で当時の国内プロレス団体「ほぼ全て」の主力選手や試合が見られてしまう大会なのです。「ほぼ全て」と書きましたが、参加して
皆さんこんにちは。ビートひさしです。読書を始めました。宅建ダイナマイトの大澤先生から蔵書を恵贈いただいた中に、こういう本がありまして、思わず没頭して読んでしまいました。時として30年くらい前、まだネットがなかった時代なのでテレビやラジオ、新聞や雑誌から情報を得ていたのですが、プロレスは新聞や雑誌でした。東京スポーツと週刊プロレスです。特にターザン山本編集長時代の週プロは素晴らしくw、プロレスの世界にかなり引きずりこまれました。プロレスといえば馬場さんの全日本か猪木
☆長谷川美子は、苦労人?久し振りに週刊プロレスを購入理由は、シンプルに発売日1週間前にガンバレプロレスを観戦したからと当日撮影した写真も添えましてで、映画館前で、見掛けたポスター映画の件は、無論存じてましたが、別段、舞台挨拶含め特に気にしてなかったのですが、此のポストを目にして気が、変わりまして正直、長谷川美子選手が、お笑い(確か女性コンビ)をしている事は、知っていたもののプロレス以外の活動は、興味なくソウドリ(月曜深夜に放送していたお笑い番組)の前説をして
──ご注意──今回は「昭和プロレス世代」以外の皆様にはチンプンカンプンな内容であり、なおかつ気分を害される可能性も大なので読まないほうが良いと思いますデビッド・フォン・エリックDAVIDVONERICH(1958-1984)「鉄の爪」の異名で超有名なプロレスラーフリッツ・フォン・エリックの三男将来を有望視される存在でしたが1984年2月、来日直後に都内ホテル自室で急死当時のファンは大きな衝撃を受けましたその件について書かれたブログを拝見すると…(以下、原文より一部抜粋)