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今回は趣向を変えて、かなり地味なブログ記事です。2002年に京都の嵐山まで出かけたときの記録です。嵐電(京福)の北野白梅町からモボ106号に乗って嵐山に向かいました。北野線から嵐山本線への乗り換え駅の帷子ノ辻駅で見たモボ103号です。当時の、嵐電90周年記念「のり~なちゃん」塗装でした。嵐山の保津川の下流部分の大堰川(おおいがわ)です。保津川・大堰川は豪商でありながら河川改修の土木工事を得意としていた角倉了以(すみのくらりょうい)が1606年(慶長11年)に、それまでは渓流に
その一族を弔う為に、角倉了以によって建立された寺院は何処か?文禄4年7月、関白・豊臣秀次は養父の秀吉と対立し、紀州高野山で切腹した。翌月、その首級を前に、秀吉の命で三条河原に於いて秀次の妻子が多数公開処刑された。その遺体は同地に葬られ「悪逆塚」や「殺生塚」などと呼ばれたピラミッド状の高塚が築かれた。しかし、その後鴨川の洪水で高塚は荒廃する。慶長16年、角倉了以が高瀬川を開削した時、塚の地に新たに秀次一族の墓所を造り、その傍らに
三栖神社(みすじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、旧下三栖村の産土神として古くからこの地で信仰されており、天武天皇、伊邪那岐大神、応神天皇を祀っている。現在の社殿は、慶長八年(1603年)に旧幕臣・角倉了以、加藤清正公の家臣・横地助之丞、郷士・藤林時次、等により造営したとのことである。御祭神:天武天皇、伊邪那岐大神、応神天皇所在地:京都市伏見区横大路下之三栖城ノ前町83鳥居イチョウの巨木京都市指定の保存樹で、高さは22mを超える巨木で、秋は一斉に黄葉