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夫、先日、転倒して、救急病院で処置してもらって、あとは日にち薬で回復、と思い込んでいたら・・・麻痺側の腕から指先にかけて、パンパンに腫れて、出血も半端ない。急遽、通所リハでお世話になっている、近くの病院へ。消毒と抗生物質をもらって様子を見るも、昨日から熱も出てきた。連休明けを待って、入院していたリハビリ病院の主治医に連絡。二日前に受けたボトックスの副作用、とも思いたくないが。理学療法士さんに事細かく伝え、不安いっぱいで返事を待っていたところ、「ど
慣れてきたころにこんなことが。いつものように、寝る前にトイレへ。車椅子から立ち上がって、180度回転して便座へ。その後、180度逆に回転して車椅子へ。ほとんど見守りで過ごしてきたのに、その日はグラリッ、と身体が揺れて、あっという間に便器の横へ倒れこんだ。妹と私では、どうしようもない状態。二階にいた甥っ子を悲鳴のように呼ぶ。介護施設に勤務の甥っ子、飛んできてトイレの奥に回って、夫を抱き上げ、便座に座らせてくれた。やれやれ、だったけど、昨日、ふと見
さて。現在要介護3で、身体的に不便ながらも元気に生活をしている母。発病したときのことを思い起こすと、「よくもまあ、ここまで元気になったなあ」と、しみじみ感じます。脳出血発症、救急車で搬送母が倒れたのは、一昨年の夏のある日。夜更かしの母が居間で倒れているのを、トイレに起きた父が発見しました。父からの電話を受け、夫と共にあわてて車で10分ほどの実家へ。母はほとんど意識がなく、呼びかけても返事らしい返事はなく「う〜」とかすかに唸っている状態
お金の管理は、定年退職後は夫が担当。退職金がいくらあったのか、それをどこに振り分けたのか?年金はいくらあるのか?それはどこに?私の年金は?どこに?生活費はどこから?「将来、子どもたちに迷惑をかけないだけの金額は、きちんとしてあるから」と前に言ってた。毎月生活費は、二つの銀行に振り込まれていて、私は残高とか気にすることなく、自由に?使っていた。今回、このようなことになって、まず生活費の振り込み先がどこか、と、夫のパソコンを開けるために、暗証番
初めてのお泊りも、何とか無事に終了!迎えに行ったときは、とても機嫌が悪かった・・・そしておととい。夕飯食べて少しして、「日曜日は前に話してた近所の施設へ、お試しで一日行くよ」と言ったとたん、「もういやなんだよ~、どこも。行くのは。もう、なんでも勝手に決めて~。いやだよ~」と、嘆く、嘆く。その夜は、私も機嫌が悪くなり、最悪の状態で就寝。そして、やっぱり、退院以来、初めて、夜中に夢を見たのか、大声でうなされる夫。そして昨日。穏やかに朝の支
思ってもいなかった言葉が、40年来の親友の口から。「ご主人が大変な時に、私たちと遊びに出かけたり、あなたが楽しそうにしていると、世間の人はなんて思うか・・・人の目は怖いわよ」あまりに悲しくて、うつむいて家に帰ったら、その後、4回もLINEが来て、彼女とは思えないほどのキツイ言葉で、「あなたの言動で傷ついて、ねに持ってることがある」「悪意を感じる」などなど、さんざん・・・・そんなことがあったのか。しらないうちに彼女を傷つけてたのか。そんなつもりもなく、
退院後、約半年間、お世話になった言語聴覚士さんが、事業所を退職して病院勤務に。それでなくても、訪問言語聴覚士さんは数少ないらしいので、彼女が辞めたあとどうなるのかと、ずいぶん心配したけど、意外とすんなりと別の事業所から、新しい方が。で、本日、その初日。時間前10分に来てくれて、終わったのも10分超過。にこにこ、と優しくて、しかし、ここというところはしっかりと。夫も、とても張り切っていた!(って、ほんまに?笑)最後に、夫のヨダレを見て、このやり
夫のことで、頭がいっぱいやのに、うっとおしいことが多すぎる。夫の様子を、毎日ほど聞きに来てくれてた友だちは、ピタッ、と来なくなった。多分、私の愛想がよくなかったんだろう。私の応対の感じが悪かったのだろう。夫が元気なころは、夫婦で、しょっちゅう、互いの家で食事してた。なので、一番心配してくれてたはず。それは十分わかってたけど、私すら夫の様子がわからない時に、どうなの?歩けるの?食べてるの?などと聞かれて、ほんとうに辛かった。そして、今もな
何かで読んだけど、虐待する人って、反対に猫なで声で近寄ったりもする、らしい。私か?昨夜のこと。いつものように車椅子からベッドへ移乗のとき。「早く車椅子どけろ」だと。ん?病気になる前は、そんな言葉づかいを私にする人じゃなかった。優しくて、甘い、関東弁?が大好きだったのに。「そういう言い方やめて!えらそうに!」そしたら彼もモゴモゴと、うるせ~、みたいな、バカヤロウ、みたいな、なんか言うてる、言うてる!思わず、荒い手つきでパジャマを着せ
Facebookが、ご丁寧に、「過去のこの日」の記事をアップしてくれる。去年も、やっぱり雛祭りということで、「ちらし寿司」を作ってた。次の年、こんなことになるとも知らないで、いっぱいお料理して、お酒を飲んで、楽しそうに笑って・・・今日は病院から、転院にあたっての、パンフレットが送られてきた。え?これって、単にサイトからのダウンロードの文書やん。夫の状況に合わせての、持ち物や準備するものなど、お知らせしますので、じゃなかったん?しかも、
退院して三日が過ぎた。まず、住んでいるのは私たちの家ではない。私の妹の家。看護師の妹と、看護師の姪っ子、介護福祉士の甥っ子、それと拾い猫5匹が暮らす。優しかった夫には、彼らそれぞれ、面倒見てもらったり、いろんなところへ連れてもらったり、など、いい思い出しかなく、退院したらぜひ来て、と言ってくれた。退院した次の朝9時に、ケアマネさん、理学療法士、訪問看護師、介護用品スタッフ、デイサービススタッフ、が来てくれたけど、夫は車椅子で、目はあいてるけど
昨日、転院前の家族面談、ということで、一つのリハビリ病院と日程など決めた。そしたら、夕方、病棟の看護師さんから連絡があり、第一希望にしていた、同じ系列のリハビリ病院に、転院できることになった、と。ようやく。ホッとした。「どんな様子ですか?」と聞いたら、「そうですね、結構、眠っておられることが多いです。早くリハビリを始められた方が、絶対にいいです」と。来週月曜日に転院・・・・午後、友だちが来てくれて、三時間近く、お茶とお饅頭で、二人で喋
午後から、姪っ子と一緒にドラッグストアへ。看護師さんにいわれたものを購入。それを持って、病院の8階まで。いつもの慣れたコース。なんとも重い気持で、ナースステーションまで行くと・・・ナースステーション前の廊下に、夫のような・・・え?まさか。いや、やっぱり!やっぱりそうだ!車椅子に座った夫!!遠目からでもすぐわかった。看護師さんが付き添ってくれて、車椅子に座った夫だ!実に、18日ぶり。近づきたい!でも、いいのか。接触していいのか。もう
これで二回めだけど、もしかしたら、夫はムカついてる?ことの始まりは、朝食でのこと。夫の後遺症の一つとして、「早食い」がある。リハビリ病院でも指摘されていた。次から次から口にいれるので、ムセが多く、食事のときは見守りが必要と。それでも退院後は、徐々に普通食になり、ほとんど私たちと同じものを、(同じ大きさのものを)食べられるようになった。ので、安心していたら、やっぱり詰め込み過ぎて、激しくむせたこともあり。今朝も、朝食のパンを出してお
退院して、一か月。妹宅での居候生活にも、少しづつ慣れてきた(私が)たまに、車で2~3分のわが家へ、物を取りに行ったり、着替えを取りに行ったりするけど、なんか、すでに、よその家みたい(笑)まあ、妹宅にいれば、綺麗好きの妹が何もかもやってくれるし、とても楽チンな暮らし。洗濯も干し方も、たたみ方も、食器の洗い方も、しまい方も、私のやり方ではダメなので。その代わり、お昼ご飯と晩ごはんは私が。あまり料理が得意でない妹は、「わあ、美味しそう!きれいな盛り付け
夫が1月の末に倒れて、救急病院に搬送され、そのあとリハビリ病院に転院。夫のいない日々が、ほぼ80日になろうとしている。最初の数日は、誰とも口をきかない日々が苦しく、食べてくれる人がいなにのに、食事の準備も出来ず・・・どんだけ夫に頼っていたことか。夫のいない私の人生なんて、想像したこともなかった。あれから毎日、妹と姪っ子と一緒に晩ごはんを。夫がいた頃のように、せっせと作ってる。「美味しい!」と、言ってくれる人がいる幸せ。そのときに、ビール3
退院してからずっとお世話になった、訪問言語聴覚士さんが退職。この方のおかげで、夫の話す力もグンと向上した。間違った答えをしても、「違います」とは絶対言わない。いつも、「惜しい!!」という声が聞こえてくる。今日は新しい訪問言語聴覚士さんと、新しい事業所の責任者さんが来て契約。そして、この事業所を見つけてくれて、つないでくれたケアマネさんも同席。もうこれで、いくつの事業所と契約を交わしただろう。訪問理学療法士さん、デイケア事業所、通所リハビリ病院、
2022年の1月に、物が二重に見える、と訴えて、大きな病院に行ったら、小さな脳梗塞を発症していると。二週間の治療を受けて退院。治療にもかかわらず、物が二重に見える症状は改善せず。ところがその年の6月に、再び、目の異常が。その時は、「目が見えない」と言い出したので、あわてて、救急車で前回入院した病院へ再び。この時も10日ほどで退院。ところが、何もそれらしき治療はしていない、と主治医が言うのに、物が二重に見えていた症状が、ぴたりとおさまった。
お昼ごろ、待ちわびた電話が病院からきた。別にいい知らせがあったわけではなく、木、金、土、日曜日と、何の連絡もなかったので、そろそろ、と思ってただけ。案の定、看護師さんからで、尿パットがもう無くなるので、持って来て下さい、と。少し大きめを、とのことだった。ああ、まだ自力排泄は無理なんや~~。どんな具合ですか、と聞くと、手をあげて、足をあげて、の言葉には反応している、リハビリで(介助ありではあるが)手すりを持って歩く練習をされてて、びっくりしました、
訳のわからぬまま、お迎えの車に車椅子ごと乗せてもらって、夫、デイサービスデビューの日。何と言っても、デイに行けば、お風呂に入れてもらえる。もともと、おしゃべりが得意でない夫。まして、初対面の人の中で、となると、ますます無理!全く、私とは正反対で、以前から、ことあるごとに、「あんたのそれは特技のひとつだなあ」と、うらやましがってた・・・(笑)ドキドキしながら帰りを待ってたら、夕方の5時過ぎに夫、帰宅。とても疲れた顔をして、「つかれた~」「エ
夫、昨夜からショートステイに。年が明けてから、カレンダーを見せながら、「この日は私も用事があるからお泊りしてね」と言ったら、「いやだよ、絶対にいやだ」と。「一人で家にいてどうするの?何もできないよ」と、嫌味なことを言う私。でも、心を鬼にして?毎日、繰り返して伝えた。「私もいろいろやることがあるの、これからも。一緒にいるときはずっと側に一緒にいるでしょ?」ようやく無言で納得してくれた。そんな私の用事は、お世話になってる仲間を自宅に招いて、タイ料
朝から市内のライブハウスへ演奏に。私たちの曲を4曲披露。「琵琶湖周航の歌」「竹田の子守歌」「瑠璃色の地球」「私の子どもたちへ」そのあと、13人の方々の伴奏。最後に会場のみなさんと一緒に3曲。夫よりも年上の方も多く、楽しそうに、元気に歌っておられた。ふと、私たち夫婦は人生の負け組なのか、と、なんともいえない感情が沸いて、胸がしめつけられそうになった。会場で昔の知り合いに出会って、夫のこと話したら、とっても驚いてたけど、「めげたらあかんよ。前向
みぞれまじりの寒い一日。そんな中、姪っ子と一緒に病院近くのドラッグストアへ。きのう、看護師さんから言われたように、少し厚めの、3~4回用の尿パット購入。前にもらったクーポン券と、アプリのクーポン券を、お店の人がうまく組み合わせてくれて、ほぼ1,000円引きになった。病棟の看護師さんに二袋渡す。そして、あの例のノートを渡してもらった。「わあ!すごい!」と看護師さんが驚いていた。部屋から出てきた看護師さんに聞くと、「そうかー」と言って、パラパラ
昨夜から泊まりにきていた、娘と孫たちが帰って行った。といっても、車で15分ほどのところ。それが理由ではないけど、きょうは何故か、とてもとても悲しい。泣けてきそう・・・夫がかわいそうでたまらない。まさか、将来、自分がこんなことになるなんて。私の一番の理解者。私のくだらない話でも、いつもよ~く聞いてくれたし、面白い話にはケラケラ笑ってくれた。私を一番大切に思ってくれた人。どんなわがままもきいてくれた人。夫の「大きな手のひらの中で、自由に動き
朝早くに病院へ。7階病棟の待合室で待っていると、事務の方や、相談員さん、看護師さんが、次々に書類やらパンフレット、を持ってあらわれる。そして、いよいよ時間になり、夫が、病室まで迎えに来てくれた、介護タクシーの運転手さんの車椅子であらわれた。「だいじょうぶ?」「うん、だいじょうぶ」と、なんと、答えた!!弱々しい声と、まだまだはっきりしない発音ではあるけど、あきらかに以前会ったときとは違う。そして、これからお世話になる、リハビリテーションセンター
病院からは何も連絡なし。することがない。というか、何もする気がない。なんて言ってられないので。バルミューダの加湿器掃除したり、(ずっとフィルター汚れサインがついていた)弟宅の猫たちの世話に行ったり、(二人で旅行中なので)そうそう、夫が記憶を取り戻すために、できることはないか?と考えて、スケッチブックに、いろいろ細工してみた。1ページ目にケネス(犬)と、みつお(猫)の写真を貼って、大きな字でケネス、みつおと書いた。2ページ目に、いつ、ど
そろそろ、「退院」という言葉が、聞こえだしてきた。まだまだ麻痺もきつくて、完全治癒には程遠いけど、今後、車椅子で過ごすことを想定しての、リハビリや、自宅のバリアフリー化など、理学療法士さんとの面談が続いている。わが家は、もう築50年近くになるので、いたるところ段差だらけ。しかも、一番ネックになっているのが、駐車場からの階段。ここにスロープをかけようとすると、10mほどの長さが必要とか。たとえ、そこをクリアしても、次は玄関からの上り口。また
天皇誕生日で、祝日。一日、誰ともしゃべらず。こんなことって、今まで一度もなかったな。二人で(私が?)いつも、なんだかんだとしゃべってたから。そういう意味では、会話の多い夫婦だった。沈黙の一日、しんどい。Twitterの検索で、「脳出血」と入れてみたら、経験者の人たちのツイートが、いろいろ出てきた。何か月もかけて退院した人、頑張って職場復帰してる人、今も後遺症に苦しんでる人、ずっとリハビリを続けてる人・・・そんな中に、樹木希林さんの言
昨夜からの雪が、うっすらと積もった朝。今日は孫二人のお迎えを頼まれてる。これ以上、降りませんように、と祈る思い。夫がいれば運転はおまかせだけど。小学校の先生をしている娘は、水曜日はどうしても会議で遅くなる、とかで、いつも夫と二人で、延長保育園と学童に迎えに行っていた。きょうは一人で運転して。車に流れる昭和歌謡にキュンとする。孫(小4女の子)「おじいちゃんはまだ病院?」私「そう。淋しい?」「うん、淋しい」孫(年長組男の子)「ぼくはぜんぜ
夜の8時ころ、夫は就寝。眠る前の10分間ほどで、パジャマに着替えて、夜用おむつをつけて、横になったところで、妹がやってきて、右の上肢を伸ばしたり、緩めたりの特訓(笑)で、緑内障の目薬をさして、おしまい。おやすみ、となる。ところで、パジャマに着替えたとき、ボタンをとめる時、「はい、言うてみて」「yokoさん、好き」と、しっかり言えれば、チュッ、と.以上が日課。昨夜、「はい、言うてみて」と言ったら、「アイラブユー」やて~~~