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進行性核上性麻痺、要介護5の夫。重度訪問介護を利用しています。重訪の支給時間は、現在、176時間/月です。今は、まだ使い切ってないのですが、増やしてもらいたいなと。どういう手続きが必要なのか、聞きに行きました。窓口で、その旨を伝えると「ケアマネさんですか?」って。「いえ、違います。家族です」家族だと言うと、いつもビックリされます。でも、夫の状態を一番わかってるのは私だと思うんですよね。ま、普通はケアマネさんが手続きに来るものなんでしょう。「で、何時間増やして欲しいんですか?」
進行性核上性麻痺、要介護5の夫。重度訪問介護を利用しています。ヘルパーさんと、とろみビールの話題になりました。最初は、牛乳用のトロミ剤がありますよって話からだったかな。炭酸用のトロミ剤もありますよって言ったかな。ビールにトロミつけるなら液体トロミがいいですよ、なんて話もしたっけな。スマホを見ていたヘルパーさん。「あ、とろみビールのブログ記事ありますよ。進行性核上性麻痺の夫と共に歩むって、大阪の方みたいですよ」ゲゲ、見つかってしまった。この記事です。『とろみビール』ビール
進行性核上性麻痺、要介護5の夫。進行性核上性麻痺は、進行する病です。病名に、進行性ってついてるんだから、そういうことでしょう。一般的に言われてる進行スピードは、3年目で車椅子、5年目で寝たきり。平均余命は6~10年。死因は、肺炎や痰による窒息が多いそうです。夫は、診断されて丸5年が過ぎ、6年目に入った。発症したのは、診断された、その3年前くらい?今となっては、いつから発症してたのかは定かでない。医師やセラピストからは、「進行遅い方です。お二人でよく頑張られてます」と言われる。
要支援1だった父がコロナがきっかけで要介護5になるまでの漫画を載せています。『ソーシャルワーカーさんの対応に泣いた理由』要支援1だった父がコロナがきっかけで要介護5になるまでの漫画を載せています。『ソーシャルワーカーさんからの話』要支援1だった父がコロナがきっかけで要介護5に…ameblo.jpこのお話の続きです。これは父がコロナから誤嚥性肺炎になり胃ろうを作り、再び口から食べれるようになるまでどう戦ったのかを振り返った話になります。※父は2025年9月に退院し、現在は在宅介護中で
昔からたまーに時間の余裕があると思うことがあるんです。この長きに渡る私の介護がもし無かったらどんな人生を歩んでたのかな?。。と。オヤジが存命してる間は圧力に満ちた生活には変わりは無いけれど少なくとも今の自分よりも自由に生きているんやろうなぁ。。と思う。それが世間一般のことであって特別なことでは無いことかもしれないけれどただ普通に好きな仕事に就いたり好きな場所へ気ままに旅行へ行ったり✈️好きな場所へ留学をしたり好きな人と結婚したり好きな土地で生活をしたり当たり前
2025年12月6日(土)一昨日、母と一緒に父のホームに行った時の事、ホームのケアマネさんに言われちゃいました。「お父様、現在、要介護5ですが区分変更の申請を希望しますか?」と。そうなんです。3年前の父は見るから生気が無い明らかに要介護5の老人でした。それが今の施設に入所してからというもの、身体も頭もどんどんとしっかりしてきたのです。胃ろうが外れ、とろみ食ですが経口で食事出来るようになるは…トイレに行きたくなるとヘルパーさんを呼んでトイレに連れてい
先週の寝込みからほぼ復活の私。介護チームの方々からも心配されながらとりあえずいつもの在宅介護生活の日常を送ってる。月曜日の夜は久しぶりに女王バチさま🐝→お母さんの横のソファで夜勤という名の見守りをしつつ細切れの睡眠。。女王バチさま🐝はうとうと睡眠し始めた頃地震のニュースがありビックリした。私は過去に阪神淡路大震災を経験してるので地震。。って聞くとゾクっとするどうか皆さまのお住まいの場所が被害が出ませんように早く余震もおさまりますようにそんな夜だった夜勤の私。
先週18日(水)の往診日にイノソリッドの処方をお願いしました。胃瘻からの経腸用半固形剤です。夫は2019年2月、入院中の病院で在宅に向けラコールが処方されました。当時は経鼻だったのでラコールの経腸用液です。同年5月の胃瘻造設後よりラコールの半固形剤となりました。通算6年超ラコールを頼りに生きてきたようなものです。このラコールの半固形剤が今年の11月頃に販売中止になるとのことです。たまたま、どなたかのブログから情報を得たのですが、私は初耳でした。性格上、成り行き任せにはできません。
多系統萎縮症の相方について毎年書いている記録に昨年分を足して整理しました毎年1月に書いてたのにすっかり忘れてた読む方によってはつまらない内容でごめんなさいーーーーーーーーーーーーーーーー[2012年(平成24年)]45歳(推定発症年)ーーーーーーーーーーーーーーーー7月発症(推定)ーーーーーーーーーーーーーーーー[2013年(平成25年)]46歳(発症2年目)ーーーーーーーーーーーーーーーー12月TMD大病院検査入院→脊髄小脳変性症診断ーーー
要支援1だった父がコロナがきっかけで要介護5になるまでの漫画を載せています。『もう父に怒鳴られたくない!』要支援1だった父がコロナがきっかけで要介護5になるまでの漫画を載せています。『父に怒鳴られても面会をやめれなかった理由』要支援1だった父がコロナがきっかけで要…ameblo.jpこのお話の続きです。これは父がコロナから誤嚥性肺炎になり胃ろうを作り、再び口から食べれるようになるまでどう戦ったのかを振り返った話になります。※父は2025年9月に退院し、現在は在宅介護中です。私のきょ
おはようございます、ちょろママです!今日も訪問ありがとうございます8/24(日)は私のお誕生日。一人朝から早起きしてコーヒータイム自分時間を意識的に作るようにしてる。朝顔がまるで誕生日を祝福するかのごとく咲き乱れてました(文字通りww)朝御飯でなんとなく自分を盛り上げるwwなんたって、今日は忙しい←深夜に中国から夫の為に帰国してくれた先輩ご夫婦が会えたのを確認しつつ、誕生日ケーキを受け取って夫のもとへ。もう食べれないのはわかっていたけど皆で誕生日会がしたかったんです。
進行性核上性麻痺、要介護5の夫。ようやく訪問診療が始まり、K先生に会うことが出来ました。今、気になっていることを聞かれたので、胃ろうの相談もしてみました。胃ろうについては、何度かこのブログでも取り上げています。「人間、食べなくなったら終わり」という考え方もあります。「胃ろうだけはイヤ」と拒否される方もいます。何が正解か不正解かはわかりません。それぞれの生き方、価値観、そして年齢や取り巻く環境によって、判断されるものでしょう。私は、胃ろうを作ることは決めています。そう言えば、夫に
朝の身支度は早々に終わってるので、8時20分にあらためてトイレに誘導し排尿を済ませてから食事を召し上がって頂きました。ひと休みしたあと15分ほど仮眠をとってもらって、出発前のトイレに誘導すると…尿失禁_| ̄|○清拭をしていると〝グルッ〟とお腹が鳴る音が聞こえたので摘便をしました。スッキリでました…良かったけれどさぁ。今日も時間との戦いになりました。手袋を着用しているところでスタッフさんが来られました💦少し待ってもらう事にはなりましたが、無事に出掛けてもらえました。いってらっしゃ〜
咳が出るときみなさんはどうしていますか?咳止めの薬を飲む?妊婦さんだったり薬が飲めないときに薬以外に対処できる方法も知っておくといいですよ目次アロマセラピークレイセラピー薬膳作り方使い方今すぐどうにかしたいときアロマのことを知りたい方はクレイを体感したい人は自分のことを知りたい方は何から始めたらいいのか迷っている方は目次を開くアロマセラピー咳が出るときに使うアロマといえばユーカリラディアタこのユーカリラディアタの精油は
進行性核上性麻痺、要介護5の夫。胃ろう造設で16日間入院。退院して、今日で1週間です。今週末、ショートステイ予定しています。夫のデイケア、ショートステイは同じ老健を利用。老健は医療系の介護施設なので、医師も看護師も常勤でいます。今日、ショートステイの相談員から電話がありました。ショートの場合、原則、胃ろう対応しませんということでした。入所だったら胃ろう対応するそうです。ただ、それも胃ろう枠として人数制限があるとか。要するに、人手不足なんでしょうね。それと、入所の場合は、主治医
進行性核上性麻痺、要介護5の夫。胃ろう造設のため、入院していました。16日間の入院から退院して、今日で6日目です。退院初日は、足が萎えてて、私も支えきれなかった。いつものルーティーンもこなせなかった。夜はリハパンの中に排尿してた。2日目は、私が排尿介助に失敗して、防水シートの上に水たまりをつくった。3日目のPTリハも、いつものメニューがこなせなかった。立位保てる時間も少なくなってた。4日目の朝は、移乗に失敗して崩れ落ち、緊急で訪看を呼んで助けてもらった。でも、その日から再開し
身内が神奈川県立がんセンターに入院して退院して、お見舞いへ行った帰り寄って観ました初めて入りました町田市民文学館サニーデイ・サービス曽我部恵一展-Loversofwords-(10月18日から12月21日)www.city.machida.tokyo.jpサニーデイのこと大好きなんですドキュメンタリー映像の上映やら使ってる楽器などなども展示されていましたかわいらしい文字を書く人だったんだなあ言葉のセンスに痺れました
進行性核上性麻痺、要介護5の夫。昨日、夫の手術は無事に終わり、胃ろうがつきました。手術は11時半からの予定で、私が病院についたのは11時頃でした。看護師さんに、手術前に来た方がいいですかと聞いたら「そうですね」と言われたので行ったのだけど、聞きかたを失敗したなあ。「来なくても大丈夫ですか?」って聞けば良かった。きっと、看護師さんは、私が心配して来たがってると思ったのでしょう。私は、手術自体はそんなに心配でもなかったです。手術に立ち会えるわけでもないし、普通に面会(3時から)に行く
要支援1だった父がコロナがきっかけで要介護5になるまでの漫画を載せています。『やっと胃ろうのメリットを話せます…』要支援1だった父がコロナがきっかけで要介護5になるまでの漫画を載せています。『父がとんでもない事を言い出しました』要支援1だった父がコロナがきっかけで要介護5…ameblo.jpこのお話の続きです。これは父がコロナから誤嚥性肺炎になり胃ろうを作り、再び口から食べれるようになるまでどう戦ったのかを振り返った話になります。※父は2025年9月に退院し、現在は在宅介護中です。
進行性核上性麻痺、要介護5の夫。胃ろう造設のため入院中ですが、経過は良好なようです。夫は、思ったよりご機嫌さんで、面会行くとニコニコしてます。「胃ろうの手術、怖くなかったでしょ?」と聞くと、「怖くなかった」とニコニコ。「看護師さん優しい?」と聞くと、「やさしい」とニコニコ。でも、夜中の看護師さんは怖いらしい。胃ろうからは水分のみで、食事は、毎回完食だって。ひとつ心配なのは、完全にオムツにされてしまったこと。リハビリは毎日してもらってるけど、トイレ介助はしてもらってない。看護師さ
進行性核上性麻痺、要介護5の夫。昨日の朝のことです。トイレ介助も終わり、車椅子からダイニングチェアに移乗させる際に転倒させてしまいました。転倒というより、足がすべって、手すりをつかんだまま尻もちをついた形。腕の力は強いので、手すりにぶらさがったようになってて、ケガはしていません。しかし、いったん床に落ちてしまうと、さあ、困った。私一人では起こせない。四つん這いにさせようとしても、上を向いた亀さん状態。下を向かせることが出来ない。腕をひっぱったり、後ろから抱えてみたり、色々、試し
母は昔から現代医療について否定的なところがあり、とにかく自然派。自然療法、自然治癒力治癒力治癒力!そればかりだった。得に安易な投薬には得に否定的だった。私が小学生のころも、鼻炎で耳鼻科に通院していた私。町内の耳鼻科はすぐに安易な強い薬(たぶん抗生物質のこと)を出すから良くないと言って、結局私は電車で30分くいらいの隣隣町にある耳鼻科に一人で通っていた。(たまに親と)認知症になる5年ほど前には、ホメオパシーにはまり、私はそんな言葉も知らず、あやし
サニーデイのこと好き過ぎます詩のノートの他に漫画等々の展示もありましたお部屋再現コーナー私もはっぴいえんど大好き曽我部さんの言葉の海に浸っていたいもちろんリミックスにも参加してステッカーを貰って来ました昔リアル曽我部さんに取材したことあるんですが、あまりの緊張にしかも弱小媒体なので取材時間20分私はあやしいライターになってしまいましたが…曽我部さんはキラキラ輝いていました展覧会ずっと続いていたらイイのにサ
今日の昼食は、手作り千草焼・キャベツのソテーかぼちゃサラダでした♪今日は、理容室がありました。皆さん、スッキリ綺麗になりました♪
今日はいつものショッピングセンターでお買い物〜最近、洋服を見るのが楽しくてつい散財してしまう(__ll)着る機会なんて少ないのに…と帰ってから後悔する(笑)朝食は食べていなかったのでこれがダメだった💦ショッピングセンター内のお寿司か違う店舗へ行ってスタバか私の足はお寿司🍣へ(笑)トロ食べ比べ、ぶり、いくら、うにこれだけで2900円500円値引き券があったので使おうと思ったら3000円から使えるものだった惜しい!仕方ないので10%割引券を使用そして夜ご飯もお刺
おはこんばんは♪10日は呼吸苦になる頻度が低くとっても楽だった!11日・12日と連日病院なのでこの調子が続くと良いな!寝落ちて起きると少し息苦しいので横になってる時に気が付かないけど痰とか溜まってるんだろうな寝落ち程度で身体を起こしているから酷くならないのかもと思ったらなかなか寝れないなぁ。ちなみに好酸球性腸炎が悪さをしていない状況だと腸の動きが停滞。2日間停滞してたけどおまるTimeに息苦しくなるので放置してたんだけど今日は体調が
長女の私が今週2階で死亡しているので在宅介護をしてるわが家はまあまあな激震でございまして家の中もえらいこっちゃになっています㊙️オヤジはアタフタ女王バチさま🐝→お母さんは私に『他にまかせて2階でゆっくりしとき』さすがに腹はすわってて慌てることはない。まだ『どないや?』と指文字で書いてくれる。妹は責任感あふれ今週はほぼ休んでくれてる。今日来られた訪問医の先生は『お姉さん、どうしたーーーーー‼️』とビックリされ妹から病状説明をしたらしく先生なりに診断して『そうか。。
私のこの一年―ある日突然、家族の介護が現実になった1今年一番の出来事は妻がある日突然に「要介護」者になったことだった11月8日土曜日―—。パソコンでたった今、字を書き出したところ。妻は、朝9時半過ぎに迎えに来た車でデイケアセンターに、独身の息子は外出し。現在、家の中はわたし一人で、とても静かです。少し前まで、CDでバッハの「7つのトッカータ」というチェンバロが奏でる曲を聴きながら、「5年卓上日誌」の今年の日記をパラパラと眺め、
進行性核上性麻痺、要介護5の夫。今月から重度訪問介護が始まり、PTリハは、粉の人から若い女性に変わりました。女性PTさんは、やっぱり優しい。病院や老健で働いた経験があるとか。でも、訪問は初めてらしい。老健で働いていたからか、「お父さん」呼びの連発です。私はちょっと気になったけど、夫自身は、もう気にならないみたい。夫が受け入れてるなら、それでOK。歩行練習は難しそうということで、椅子に座ったままのリハビリです。胸郭のストレッチもやってくれてるし、肩も揉んでもらって、夫はご満悦。
ムース食を買ってみた。これが食べられたらデイサービスに持っていこうかな。500円くらいかな。安い。訪問看護さんが来た日。耳かきと足の踵の床ずれを見てもらった。訪問看護さんがいる時に母の💩ちゃんが爆発しまして•••。あと20分なのに素早く綺麗にしてくれた。もちろんお湯や泡の準備をしたのは私。看護さんには少しでも快適に作業が出来るようにしてもらう。とても気を使う人なので。母と同郷の熊本県出身の看護師さん。明日はデイサービス。母にはそれとなく「明日は