ブログ記事40,748件
45歳の夫は悪性脳腫瘍(膠芽腫)で手術をしてから現在、約1年2ヶ月目。手術の後遺症で認知症を発症して寝たきりです。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>夫だけに見えている、3人目のこども>
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>夫だけに見えている、3人目のこど
ごきげんよう母、、再び食べなくなりました。。傾眠傾向がまた強くなり起きている時間はほんのわずか家では、、起きているときを見計らい水分補給などを行いますがデイサービスでは決まった時間に食べるためそのタイミングが合いません致し方ないことです。。母が目を覚ましているときに食事をさせて下さい、、というわけにはいかず今日はデイサービスの日でしたが食事は1割、水分は50cc何度もトライした結果ですシャワー浴もし清潔を保ってくださいまし
夫が食べず、話さなくなってから、16日目。2023年2月28日夫は朝からよく眠っている。いつもより深く眠っている気がする。声をかけると頷くが、目は開けない。昨日の薬を処方された時「翌日まで少し眠気が残るかも」と言われたのでそのせいだと思った。息子の幼稚園のサッカー大会を見に行く予定だったので、1階へ降りてテレビでも見ていてもらおうと思っていたが無理だった。階段までなんとか連れて行ったが、歩幅がかなり狭く、支えないと歩けない。けど、、、結
ごきげんよう要介護5の母を在宅介護しています障害のある家族とも共に暮らしています。。最近、、車椅子の方と遭遇する事が多く外出できるって良い事だなと感じていますとある日の込んだ店内、、通路の入り口に車椅子の方がおり気を付けてカートを押していましたがカツンとすこし接触してしまいました申し訳ありませんっ大丈夫ですか??とお詫びしたのですがわたしをにらみつけ無言。。これは凹みましたその方は通路の端ではなく十字路の真ん中付近にいらしてどうにも避け
夫が食べず、話さなくなってから、17日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月1日明け方5時10分に電話がなる。(4時50分にも一度電話があったみたいだが気づかなかった)病院からだった。「容態が急変しました。今すぐ病院へ来られますか?」と。まず夫の両親に電話をして、子どもたちを起こして急いで病院に向かった。昨日の医師からの話では、今日明日でどうこうなることはないけど予断は許さない、というお話だった。まだ、逝かない
ごきげんよう以前にも書きましたが母は、非常~に寝相が悪いんです!それは健常な時からで認知症で要介護5のいまその寝相の悪さはエスカレートしています。。何が困るって、、ゴロゴロ転がって行った先で大洪水を起こすこと■最近の母はかなり溜めて排尿しますそのため一度の量が多いんです昨夜は、、夕方から深夜24時まで何回かトイレに誘うも出ず諦めて眠ってしまいました朝起きて床の上で寝ている母を発見しやられた~とがっくり。。しかし、、
夫が食べず、話さなくなってから、15日目。2023年2月27日近所のメンタルクリニックの初診が翌週末に取れましたが、そこまで待てず少し遠いところにある精神科のある病院へ連れて行くことになった。夫の両親が来てくれてなんとか着替えさせる。以前、便失禁があった時(こちらのブログ→ベッド脇に便失禁)以来、リハパンを履かせていることを、ご両親に伝えた。夫の手を引いて玄関まで連れて行く。私は自分のカバンと上着をとりに一旦部屋へ戻る。夫は玄関で私が来るま
信州の義実家にいる時に義母のお世話になっている特養に数回行きました私達が購入しない場合は施設の方が近くのドラッグストアやスーパーに買いに行ってくれます私の母の場合は介護付き有料老人ホームが業者に発注して受け取っています今回、施設の方がしてくださった義母の買い物のレシートにいつも購入しないものが載っていました施設の方に直接商品を聞くのをためらってしまいそのスーパーに行って見てみると確かに今まで購入したことのないものでしたもしかしたら他の方のレシー
思ってたよりも旦那さんの疼痛コントロール全然あかんやん?特に朝痛みに耐えれず七転八倒の悶絶。やっぱりこれはなかなかキツイんかなぁ。。私がホンマにどうしようかなぁ?て不安になるくらい。。そんなときでもあの手この手で考えてそのときの最善を尽くすようにと必死のパッチになってる私。↑関西人しか言わんかな?(笑)今日は夕方?いや夜からオヤジの泌尿器科の薬と旦那さんの書類を取りにかかりつけ医へ。この時間に行くのすら夜ご飯の段取り女王バチさま🐝→お母さんのオムツ交換気
昨日午前中、母の面会に母の特養さん伺いまして、母との面会が終わり、帰る際に、歩行器をお使いになられた高齢者さんとそちらの方の娘さんか、お嫁さんだと思われる50代くらいの女性が特養さんの事務所前の入口付近のイスにおかけになられてまして私、施設内外問わず職員、利用者、面会者さん問わず目が合った方には挨拶だけはする人なんでお二人にこんにちはとご挨拶しましたら、高齢者さんは笑顔で挨拶返して下さいまして、娘さんだかお嫁さんはお疲れなのか、やや仏頂面で挨拶を返して下さいまして、大人なら
連休が明けて4日振りの面会へ目の腫れ、浮腫は目立たなくなった手を握っても反応なし…でも、聞こえているだろうと面会時間の間はなるべく声をかけ続けたこんなことになるなら食べたがっていたクラウンメロンもマックもひとかけらでも食べさせてあげれば良かった前回の4ヶ月の入院で嚥下は問題なく廃用が進んで食べる気力も体力もなくなっていたから胃ろうになったけれど主治医は食べるのは気力の問題だろう、と話していたタイミング悪くずっとお世話になっていたSTさんが主人の退院と同じくして退職
現在、友人がさっぱりいないpontaです…。病気とコロナですっかり疎遠になってしまって、、なんか連絡するにも億劫になり、、気づいたら全然会ってないみたい。フルタイム働きウーマンだったのもあり、学生時代とかの友人は子育てなんかもありだんだん疎遠になっちゃった💦💦さらに、pontaはこの1年はパニックや動悸があったりしてたから、出かけて迷惑かけたくないから、主人か家族と出かけたりしてばかりでした💦あとはジム仲間とジムで会い、いろいろ話したりお土産もらったり、なんか作ってきてくれたりで寂
なんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送。ここまでの経緯病気発覚、緊急手術までのお話は→こちらのカテゴリ脳腫瘍が見つかった。嘘でしょ?病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫ついに夫が喋った!!1ヶ月ぶり!!2023年4月12日手術から42日後あたりこの日は、13年前に死産した双子の赤ちゃんの命日です。夫にも動画でそのことを伝えると、伝わっているかどうかはわからない
夫が食べず、話さなくなってから、17日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月1日午前7時過ぎ、手術が始まった。本当は2日後に、他の大学病院からも医師が集まり最新技術のもとなるべく脳の大事な部分を傷つけないように手術が行われるはずだった。昨日の今日で、こんなに急激に腫瘍が大きくなるとは。。。「何かありましたらすぐお呼びしますので」と言われていたので待合のロビーで医師や他の患者が自動ドアで出たり入ったりするた
脳幹出血【10日目】やっと限度額証明が届いて、入院先に提出してきました苦手な運転を頑張って🔰面会へ車の練習しなさい、ってことなのかな昨日、気管切開をして人工呼吸器を離脱させたい方向で動いてくださっているそう設定が色々と変わったためか、かなりの頻脈になっていると聞いたそのために点滴が始まっていた素人も何年も何度も入院している主人に付き添っているうちにモニターがわかるようになってしまった💦早く落ち着けー今日もたくさん話かけて、ツボ押しとマッサージしゃっくりが出ているそうなので
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々もうやるしかない。在宅介護の準備202
私的に、在宅でどなたかを介護するならば、介護される要介護者さんの状態によってはお医者様、ケアマネさん、福祉用具の相談員さんに相談された方が要介護者さんや、介護者さんにとって良い介護が出来ると思っております。なんか、ネット眺めてましたら、介護されてる要介護者さんの拘縮予防のためにこのような↓ぬいぐるみを使い、ぬいぐるみを脇に入れ抱えられてる方をお見掛けしましたが、うちの母、この2年で7回の入退院を経てから残念ながら母スッカリ寝たきり状態になっちゃいましたが私、去年たまたま市報で
公開しますが本当に「私」の覚書です特別養護老人ホームに入所して一年半の義父要介護5障害者認定1〜2級ほぼ寝たきり老衰状態でもう医療に頼らず看取りに入るので書類にサインしてほしいと施設から連絡が入る「来週行きます」と言うと『何とか今週中にお願いします』そして木曜日にサイン義姉、義妹に連絡翌々日土曜日の深夜義父死去と電話すぐ義姉と義妹に、それから息子達に連絡施設に出向くそこから葬儀屋に連絡迎えにきてもらう日曜日だと
進行性核上性麻痺の夫。介護認定を受けて、最初に行ったのが住宅改修。縦、横、長、短、全部で13本の手摺りをつけた。その後の手摺りはレンタル。突っ張り棒型のベストポジションバーが10本。置き型のたちあっぷが3台。そして、今、27個目の手摺りを検討しています。手摺りマニアか?夫、だんだん歩行が厳しくなっていて、両手で手摺りを握っていないと不安定。もちろん、私が支えてはいるんだけど、出来るだけ手摺りの切れ目をなくしたい。私の寝室扉前にも手摺りを置きたい。今、玄関前に設置しているのが
夫が食べず、話さなくなってから、9日目。2023年2月21日この頃私はネットでずっと「うつ病」のことを検索していた。うつ病になると「一日中寝ている。眠りたいだけ寝させておけば良い」「認知症のような症状が出ることがある」などの情報を見て、夫は絶対にうつ病なんだと思っていた。もしそうだとすれば3ヶ月ほど会社を休めばまたいつもの日常が戻ってくる、と信じていた。午前中に近くの心療内科の予約が取れたので、夫の両親と連れて行き血液検査をする。これまでのことを一通り話す。「おそら
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>2023年9月9〜28日
お昼前に特養さんにてお世話になってる母の面会に伺いましたが、面会した母、起きてましたが母、テレビでニュースを見てまして私が声掛けても無反応でしたが母、なぜかこうなってましたー。↓バスタオルが脇に挟まってました😂うちの母、今は寝たきり状態で殆んど自分から動かないのに一瞬なんで母が丸めたバスタオルを抱えてるのかと思いましたが解りました💡職員さん、お昼間際でバタバタしてたのでお訊きしませんでしたが多分、腕の拘直防止の為だと思うのですがさて、どうでしょうか😶
今日で夫が亡くなって6ヶ月。半年です。正確には、夕方の18時11分その時間が私が記憶している時間です。もう半年も経ったなんて、ぜんぜん思えません。ついこの間だった気がするから、、6ヶ月もの月日が過ぎてたとは、悲しいです。もう一人暮らしも半年になったのねどうやって、、半年過ごしてたのかお酒ばかり飲んでた記憶しかない仕事もしてなくてまともに料理もしてなくて友達ともそんなに会ってないから引きこもりそんな生活してるのにこうして生きてる夫の介護に、自分のすべてをかけていただ