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この日、S夫妻と近鉄奈良駅で10時過ぎに合流し、向かったのは……あの『蘇我氏』の末裔が宮司を務められているという……【宗我坐宗我都比古神社】(そがにますそがつひこじんじゃ)奈良県橿原市曽我町1196住所にまで『そが』の文字がココロは二回目の参拝だ通称を「入鹿宮(いるかのみや)」ともいわれ、古代豪族の『蘇我氏』に関係する神社として知られる。延長5年(927年)成立の『延喜式』では、【宗我坐宗我都比古神社】すなわち「宗我(=地名)に鎮座する宗我都比古を祀る社」と記載されていた。創
平成30年(1018年)9月15日(土)から9月17日(月・祝)の敬老の日連休に、蘇我氏、物部氏、聖徳太子、初代神武天皇、第15代応神天皇の母の神功皇后の足跡を辿るため奈良を訪れたところ、非常に実り多き旅になったのですが、まだ回り切れなかったところもあったので、平成31年(2019年)4月28日(日)、29日(昭和の日)、30日(国民の休日)の3連休で、再び奈良を訪れました。◇元興寺平成31年(2019年)4月28日(日)、新幹線、JR奈良線を乗り継いで、11時過ぎにJR奈良駅に
伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第23回近親婚ネットのなかでは、朝鮮は毎年美女3000人を2000年に渡って中国に貢いでいたので、女性不足になって強姦民族になり、近親婚を繰り返したので遺伝子が劣化して、世界最悪の劣等民族になったとされていますが、実際には朝鮮のような儒教の倫理で長年運営されていた国は近親婚を嫌います。なにもしなかったのに名前だけは有名な厩戸皇子の父親は用明天皇で、母親は穴穂部間人皇女ですが、このふたりは舒明天皇の子で異母兄妹なのです。用明天皇の母は
令和4年6月11日土曜日、晴れ。夕べは夜中から急に気温が上がり目が覚めた。「うぉぉ今年初の熱帯夜か!?」とはいえエアコンつけるも嫌だし何も掛けずにそのまま寝ました。やっぱ今年は暑いんだろーなぁ…さて。キリストが怪しい存在だったのは遥か昔から。そして釈迦にしても聖徳太子にしても、みーんな出生に秘密がある。蘇りし我は馬やとの子、ウヤマト王子、大和王朝。五十鈴とはイエスのことだし稲荷は初期キリスト教、アマテラスとはアブラハムだし、どう転んでも大和魂ってのはキリスト教徒の支配する
みなさんこんばんは(´Д`)。歴史大好きなぶたさん、ぶーです。さてさて、本日は日本史系図トリビア。飛鳥時代の推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子の関係について、系図から見ていきたいと思います。あくまでも血縁関係のみです(´Д`)。政治的な立場などは記載せず、血縁関係のみを淡々と系図で紹介していきます。血縁関係が近いから同派閥だとか、政治的志向も一緒だとか考えているわけではありませんので、ご了承ください。なお、系図は『日本書紀』や『古事記』などをもとに作成しています。聖徳太子は、この呼