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【最後、追記しました。】大神神社に行ってきたので、三輪山と私の地元、愛知県東三河地方にある石巻山との関係も取り上げておこうと思います。ヤッズ氏のブログ記事を抜粋しますと…http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1723.html石巻山は東海三神山の1つエイ州山で邪馬台国の倭人(弥生人)の巡礼地であり、この地に住んだ三輪氏が壬申の乱後、勝った天武天皇に取り立てられて三輪氏は大神神社の宮司になったといいますので、この時に石巻神社から御神体を勧進したのだろう
この日、S夫妻と近鉄奈良駅で10時過ぎに合流し、向かったのは……あの『蘇我氏』の末裔が宮司を務められているという……【宗我坐宗我都比古神社】(そがにますそがつひこじんじゃ)奈良県橿原市曽我町1196住所にまで『そが』の文字がココロは二回目の参拝だ通称を「入鹿宮(いるかのみや)」ともいわれ、古代豪族の『蘇我氏』に関係する神社として知られる。延長5年(927年)成立の『延喜式』では、【宗我坐宗我都比古神社】すなわち「宗我(=地名)に鎮座する宗我都比古を祀る社」と記載されていた。創
縄文文化に憧れる皆様へ朗報です!同じアメブロで記事を上げておられる方の天皇家に付いての詳細な研究と論拠による記述です。私達が日本の教科書の歴史で学んだ【大化の改新】は朝鮮人による天皇家への乗っ取りとクーデターであった!と以下は縄文の神さんの書かれた内容の一部抜粋です日本書記に記されている中大兄皇子と中臣鎌足が、実際は朝鮮人(百済王族)の入れ替わりであったと、私が推定した根拠を挙げていきたいと思います。日本書記が誰によって、どの様な意図をもって改ざんされたのかが、明確になってきたと思い
ご訪問ありがとうございます。いよいよ645年の大化改新に至る経緯になります。今回の基本的な史料である「日本書紀」の「巻第二十四」は、皇極天皇の時代について書かれています。ところがこの巻、なんだか変なのです。気候の話も多いことから、何か日誌的なものが政府に存在していて、それを底本にしているのでしょうが、それ以外に童謡(わざうた)と呼ばれる風刺歌のようなものが多く書かれたり、天変地異があったり、また他の史料との食い違いもあるのですが、なによりも構成上自己矛盾が多く、時間軸もばらばらだっ
奈良旅行二日目の平成31年(2019年)4月29日(月・祝)、室生寺の参拝を終え、中村屋旅館でにゅうめんをいただいた私は、奈良県桜井市多武峰にある談山神社(たんざんじんじゃ)へ向かいました。◇談山神社飛鳥寺(飛鳥の元興寺・法興寺)の蹴鞠会で出会った中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足。ちなみに、この当時の名は中臣鎌子。以下、生前の鎌足について話すときは「中臣鎌足」、藤原氏の祖としての鎌足及び死後の鎌足について話すときは、「藤原鎌足」と記します。)が、藤の花が盛りの頃