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高市首相は、高市皇子(たけちのみこ、たけちのおうじ)の末裔という話があります。高市氏が首相になられた時、「高市早苗総理は、実は天武天皇の子孫らしい」という噂であふれていました。「高市早苗総理が天武天皇の子孫ではないか」という噂が広まった最大の要因は、天武天皇の皇子に、「高市皇子」という人物がいたことのようです。天武天皇は、飛鳥時代の第40代天皇です。672年の壬申の乱に勝利し即位。律令制の整備を進め、中央集権的な国家の基礎を固めた、日本の歴史における極めて重要な変革者
こんばんは!前回の続きで、日本はじまりの地、明日香村の飛鳥寺にやって来ました。静かな田園風景が広がる飛鳥の里。飛鳥寺は596年、女帝・推古天皇(すいこてんのう)の時代に、豪族・蘇我馬子(そがのうまこ)が創建した日本で最初の本格的な仏教寺院です。当時は現在の約20倍もの壮大な寺院で、塔を中心に東、西、北の3つの金堂を配し、外側には回廊が廻らされていました。朝鮮半島から多くの先進技術者が呼ばれ、日本で初めて瓦を製造し、仏堂や塔の建設に関わりました。この寺を中心に天皇の住居がおかれ、中国や朝鮮と
「大化改新」論(四)――「古人大市皇子と蘇我倉山田石川麻呂の処断」の意味――一、「日本書紀」の記述(一)大化元年九月の条、古人皇子が蘇我田口臣や物部朴井連椎子等と謀反を図った。これを吉備笠臣垂が、中大兄に自首した。これを受けて、中大兄は古人大市皇子等を成敗したとの記述をしている。(二)大化五年三月の条、右大臣蘇我倉山田石川麻呂が謀反のかどで蘇我日向に密告された。中大兄がこれを信じ、天皇が兵を起こした。石川麻呂は一族と共に山田寺に逃げ
2026年2月13日赦すという行為が究極難しいが人としてたどり着く最後の砦である。家族、友達、職場や学校において自分の否を素直に認め、どんなことを言動行動されても相手をそのまま受け入れる。究極は自分を殺した相手までをも赦せる。そんなことが果たしてできるのであろうか。相手を責めず赦せるのであろうか。私はかって、聖徳太子が自分を殺した蘇我入鹿の墓(飛鳥寺)にて光の柱建立した際、墓の中から出てきた入鹿の手を掴み上に引き上げた時の様子を霊眼
皆様、ご機嫌YOです!朝廷を牛耳っていた(と言う事になっている)蘇我入鹿を討った後の中大兄皇子(のちの天智天皇)が藤原鎌足と共に政治の実権を天皇に取り戻そうとした。それがいわゆる大化の改新です。中大兄皇子(天智天皇)は皇国史観に染まった薩長の遺物共にとっては英雄とも言える天皇の一人です。…が、彼の実像を冷静に見てみると相当ヤヴァイ御方である事が明らかになってきます。はっきり言って彼が殺した蘇我入鹿など軽く上回るほどの悪党です。そんなわけで今回は中大兄皇子(天智天皇)の軌跡と
蘇我入鹿は実は非常に骨のある人物だったのだ、とかいうつもりはありません。入鹿ではなくて本当は海豚。少し前にイルカ肉を買ったばかりなのに、『いるか祭りじゃ~!』静岡駅ビルパルシェの食彩館の鮮魚コーナーを覗いてみました。おお、あったあった!いるかだーっ。「これは買わねばなるまい。」と思いながらも、少々時…ameblo.jpまた買ってしまいました。2月3日節分の日、パルシェの食彩館の鮮魚コーナーに立ち寄ると、海鮮恵方巻が大量に並べられていました。
卯神社(御所市奉膳)大和国葛上郡奈良県御所市奉膳301(境内に駐車可、県道120号線から踏切前を曲がる角が狭いので要注意)■旧社格村社■祭神大物主命「曽我川」中流域、およそ南北5kmに渡る川沿いの谷地「巨勢谷(こせだに)」、その一集落「奉膳(ぶんぜ)」に鎮座する社。◎「巨勢谷」は飛鳥の都から紀国を結ぶ地にあり、「巨勢路」または「紀路」と称された街道が走る要衝でした。紀国までの途次に当たる宇智郡や、また吉野郡への玄関口「吉野口」としても栄えた地。この要衝一帯を古墳時代から伸長した
蘇我入鹿は大化の改新の後、怨霊となり人々にたたったというので恐れられていたそうです。実は聖徳太子は蘇我入鹿なのだという説があります。それは、入鹿が本当に悪政をしいたのであれば、入鹿は怨霊にはなれません。崇徳上皇も菅原道真も平将門もみな無念の非業の死を遂げたから怨霊になったわけで、単なる悪人が成敗されても怨霊になれないのです。入鹿の本名で供養できない理由は、後の政権の正当性を否定することになるからです。聖徳太子という名前で供養するから祟らないでくださいという妥協案ですね。聖徳太子は非業の
【メモリーホール】聖徳太子は「記憶の刑罰」なり❣️2026/01/29高校生のブログ我々の歴史認識はいじくられています‼️のほほーんとしていてはやられます。ーーースキタイーーー<海賊の歴史>https://www.youtube.com/watch?v=5-H0_l3SZYw1944年9月18日のチャーチルとルーズベルトの口約束「米軍はタヴィストックの指示に従う」は今現在でも有効です(白人
甲神社(大淀町今木)(かぶとじんじゃ)大和国吉野郡奈良県吉野郡大淀町今木367(1台なら境内に駐車可)■祭神大己貴命月讀命素盞嗚命保食命「曽我川」上流部の支流「今木川」右岸沿いに鎮座する社。谷地を縫うように流れる川沿いに「今木」集落は広がっています。面積は広いもののほとんどが山であり、人口272人124世帯(令和二年国勢調査データ)の過疎地域。◎鎮座地「今木」の由来は概ね二説。かつてこの地にあった「石室(いまき)」を由来とする説と、渡来人が木工・建築をもたらした場所や集落
聖徳太子は蘇我入鹿なり‼️2026/01/22高校生のブログーーー蘇我入鹿ーーー和多志は下記のコメントさまの聖徳太子=蘇我入鹿が正しいと賛同します。※田中英道氏もここまでは語りませんでした。田中英道氏の研究もあと一歩でした。だから?田中英道氏の死もここにあると思います。ま、分かっていたのではないかと推測できます。聖徳太子に隠された謎とは?最新研究が示唆する、日本史で“編集された理想の天才”|眠れる歴史【睡眠用】眠れる歴史-SleepingHistoria
ちかさまの勝手にブログキャンペーンはじまり〜はじまり〜今回のキャラクターは・・・えっばつ丸の夢って社長になることなんだ・・・知らんかった・・・ばつ丸のお友達ちかさまの友達になりたいランキング1位蘇我イルカ2位伊集院パンダバ3位野垣ゴロー蘇我イルカと付き合いたい前のブログキャンペーンで一番気になっていたことペンギンなのに、ワニ飼ってるのワニにペンギン捕食されへんのと思ったんだけど、ばつ丸より小さい豆ワニなのかなまっどうでもいいことなんだけど・・・今回のお題は「
三連休のとある日、兵庫県太子町の斑鳩寺に行きました。お堂の前に馬の銅像。翔る感じが良いです♪近くの稗田神社にも参りました。稗田阿礼さんを祀っています。祀るのは怨霊化しそうな人のはずなんですが、稗田阿礼さんも非業の死だったのでしょうか?そして相生、白龍城の向かいの公園内の大辟神社に。齢80を過ぎた秦川勝が山背大兄と仲良しだという理由で蘇我入鹿に狙われ、逃げてきたところとか。この後川勝さんはさらに坂越に逃げるらしいです。屋根には八ツ矢車がありますね。なんでだろう?そしてその下、木の部分にはハー
次の目的地は奈良県高市郡明日香村にある『飛鳥寺』です。飛鳥寺の正面に駐車場があります。有料駐車場ですが、普通車に限り30分は無料。足早に行動します。本堂でお参り。ここにも鐘を撞くことが出来るので、ぬかりなく実行!寺務所で御朱印を頂きます。ここに来た本当の目的はこちら!蘇我入鹿の首塚を見ることなのです。案内に従って進むとありました!私と同年代の方、見覚えありませんか?これも社会の教科書に載っていた記憶です。学校で学ぶ社会という教科は全般的
その「イルカ」は、、、、この道の先に居た。いや、奈良県には、海が有るわけでは無い。そのイルカは、この飛鳥寺脇に葬られていた。蘇我入鹿この方を皆さんは、覚えているだろうか?あの「天智天皇」となる「中大兄皇子」と藤原家の始祖である「中臣鎌足」が、、、時の大臣として、強権を振るっていた「蘇我入鹿」を、西暦「645年7月10日」に、、、飛鳥宮内で、天皇の御前で、次の政策を読み上げている際に、殺された。。。その首塚は、、、、現在、「飛鳥寺」の横に、小さな墓としてのみ、残されている。。。
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきます歴史上の人物の系図を追っていく歴史系図トリビアです。はい(´Д`)。本日は乙巳の変の関係者系図を見ていきたいと思います。乙巳の変は飛鳥時代の政変で、中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を暗殺し、父の蘇我蝦夷をも滅ぼした事件です。その後、中大兄皇子らは大化改新と呼ばれる改革を行ったとされています。それでは系図を追っていきましょう。乙巳の変の時、大王位に就いていたのは女帝である皇極天皇でし
日本史汚名返上「悪人」たちの真実[井沢元彦]楽天市場日本史上「悪人」とされている人たちが本当に悪い人だったのかを再検証しています。和田秀樹さんは心理学の観点から、悪人の心理を分析。歴史は勝者のものではありますが、民衆が受け入れやすいストーリーもあるような。その典型が「忠臣蔵」。悪役の吉良上野介は領地では名君です。田沼意次もそんな感じ。織田信長はある意味英雄的にも扱われているから汚名返上?と思いましたが、比叡山の焼討ちはやりすぎだから?でも僧兵たちもなかなか好
奈良から明日香村へ来ました。ここは甘樫丘(あまかしのおか)展望台です。背景に見える山は大和三山の1つ畝傍山(うねびやま)です。蘇我蝦夷、蘇我入鹿の邸宅もここにあったと言われています。大王(天皇)の住居を見下ろす場所に住んでいました。トンデモナイヤツダ川原寺跡です。左右に立派な礎石が並んでいます。天智天皇の時代に建立された1塔2金堂の珍しい伽藍でした。現在は広大な跡地が残るだけになっています。こちらは飛鳥寺です。明日香のお寺は、こじんまりとしてかわいいお寺ばかりです。
写真は、甲神社本殿と左右に並ぶ境内社の伊勢神社、春日神社=大淀町今木でNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2025.12.4)掲載されたのは〈入鹿の甲(かぶと)奉納の伝説/「甲神社」(大淀町)〉、執筆されたのは、大阪府堺市在住の柳原恵子さんだった。県内に「今木」(今来)という地名は各地にあるが、「新来」(Newcomer)という意味で、渡来人の居住地というのが通説である。では、以下に全文を紹介する。入鹿の甲
美しき奈良紅葉めぐりの最後は「談山神社」をめぐるのですが…ここは、「大化の改新」の歴史的舞台となったところでもありますので、社殿をめぐる前に、少しだけ「大化の改新」について触れてみたいと思います。改新の前夜「中臣鎌足(614~669)」が、「中大兄皇子(後の天智天皇)」と知り合った経緯については『日本書紀:皇極天皇3年正月条』に詳しく書かれています。中臣氏は16世紀初めの継体期から勢力を伸張してきた新興氏族で、鎌足は学問に優れていたのみならず、傑出した政治力の持ち主
奈良まほろば検定(*^_^*)第172回(*^_^*)②の答え:ウの蘇我入鹿蘇我入鹿は、後世の伝説によれば、天をもおそれぬ大悪人であり、超自然的な能力をそなえた魔人であった。そういう人物だから、大化改新の時もただ殺されるだけではすまず、切られた首が飛び跳ねたり、御簾に食いついたりしたとかいう伝承はかなり古くからあったらしい。鎌倉時代の五輪塔が、その首を埋めた塚とされたのも、人々に、そのような入鹿への恐れがあったからだろう。「書記」の入鹿暗殺シーンは緊張感あふれる細部の描写で読者
大きく動く年、世界的な「乙巳の変」ただの巳年ではない?【謎多き偉人】教科書から姿を消す聖徳太子の真相2021/10/15【闇深】聖徳太子の正体は〇〇一族だった2021/10/16【新世を開く】家庭と庭の関係とは?**秦野川勝(はだのかわかつ)**は、飛鳥時代に活躍した人物で、秦氏(はにし/はたし)の有力者です。秦氏は、応神天皇~欽明天皇期に渡来した帰化氏族(秦の始皇帝の子孫を称する伝承あり)で、養蚊技術・機織・土木工事が得意な技術者集団として朝廷に重用されました。蘇我氏(
2025-11-09雨の中歩いてますなんかあるよ石神遺跡斉明天皇の時からあるんだぁ↑天智天皇(中大兄皇子)、天武天皇(大海人皇子)のお母さんお仲間さんたちはコースを一心に歩いて行かれますが…まろんはこちらへあすか夢の楽市何か食べ物を買って外の椅子で食べようかと思ったけど、満員でしたお手洗いもお待ちの方が何人もいるので、ここは勇気を持ってスルーします来るたびに綺麗になっていってるような気がする…トコトコ〜あ、ここ知ってるぐるりんちょして、前からパチリ蘇我入鹿首塚ク
25.11/09sun.10:21-15:45飛鳥水落遺跡から南に蘇我入鹿首塚を左折して、飛鳥寺西門から境内、右に鐘楼堂進んで左に、本堂本尊釈迦如来「飛鳥大仏」に参る本堂の左に、思惟殿(観音堂)新西国三十三所第9番札堂大聖不動明王像・聖観世音菩薩像・弘法大師像飛鳥寺山門鳥形山飛鳥寺宗派真言宗豊山派開基蘇我馬子創建596年(推古天皇4年)本尊釈迦如来(飛鳥大仏、重要文化財)のうまくさんまんだぼだなんばく別称法興寺、元興寺
25.11/09sun.10:21-15:45藤原宮跡から別所町を南西に、春日神社の森集落を南に東に折れて天香久山に向かう山麓を左回りに、天岩戸神社拝殿本殿?天照大御神(あまてらすおおみかみ)が隠れた天岩窟(あまのいわや)または天岩戸(あまのいわと)と言われる巨石がご神体とのこと…聖徳太子御遺跡二十八霊場第十三番の日向寺(にっこうじ)に立ち寄り損ねてひたすら南に、大官大寺跡平城遷都で寺籍を大安寺に移す明治中期まで、金堂跡と塔跡が残り礎石も…明治22年、橿
『①近江神宮/ちはやふる』👆桜さざ波の社紋第38代天智天皇をまつる近江神宮は、天智天皇の古都、近江大津宮(大津京)跡に鎮座する神社です。滋賀県西部の大津市中心部にほど近い、琵琶湖…ameblo.jp1300年以上前に天皇が儀式を行ったとされる建物跡新たに大きさと構造が判明奈良・飛鳥宮跡2025年11月5日19:18奈良県明日香村の飛鳥宮跡で、天皇が儀式を行ったとされる建物跡について、今年7月からの調査で、建物の大きさや内部の構造が、新たに
おはようございます・・(^_-)-☆今の奈良は、大雨で14℃と昨日より大分寒いですね。今日の最高気温も16℃と昨日より大分寒い日になりそうですね。奈良まほろばソムリエ奈良通2級の14回目の問題です。2奈良県の歴史に関する事柄について、最も適当なものを選びなさい。(10)蘇我蝦夷の「上の宮門」、蘇我入鹿の「谷の宮門」という邸宅があったとされる丘はどこか。ア.真弓丘イ.越智岡ウ.国見丘エ.甘樫丘(11)元正天皇と聖武天皇の血縁関係はどれか。
半年ぶりのヨガクラス休みの日はついのんびりダラダラしてしまうところ今日はギリギリ間に合った最近、股関節に痛みや違和感があって歩くのがキツいそうなると益々動かさなくなり悪い循環だなーなんとかしなきゃなーと気合いを入れて家を出る誰にも邪魔されず自分の身体だけに集中するとても贅沢な時間家でやればいいのだけれど自分ひとりではなかなかできない足の指一本一本から丁寧に解していくヨガの後身体調整のクラスに参加したら人生初じゃないかというくらい肩甲骨を動かした自
談山神社多武嶺縁起絵巻乙巳の変乙巳の変についてであるが、倉本一宏氏の著書(倉本一宏.藤原氏-権力中枢の一族.中公新書,2017)をたたき台にして、乙巳の変の物語のおかしさについて考えてみたい。既に倉本氏自身が、クーデターの経緯を述べるに当たり、とても史実とは思われない文飾、作文の箇所を本書の中で述べている。次のとおり。□入鹿討滅のクーデターの場面における文飾①中大兄が入鹿に突進し剣で斬りつけたとき、皇極の座に転がり出、「皇位に座すべきは天の皇子」と訴えるということは、およ